172件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

西原町議会 2012-09-25 09月25日-04号

県民祖国復帰運動に明け暮れ、一方でベトナム戦争に駆り出される米兵との小競り合いが絶えなかった。昭和45年コザで米軍車両焼き討ち騒動。このような不安定な社会情勢が子供にも影響し、昭和44年からシンナー遊びが出てきて385件以上、翌年は503件。こういうふうな状況を先生は資料にまとめています。 こういう資料もあります。沖縄児童福祉行政の貧困と格差という資料の中では、認可外保育所が多いと。

宜野湾市議会 2012-03-27 03月27日-12号

ベトナム戦争1960年ですよ。50年も前のヘリがいまだなお、だましだまし、直し直し、飛んでいるのです。普天間の同型のヘリアメリカの西部で、AH-1とUH-1が衝突をして、また海兵隊の方々が死んでいるのです。いかにハード面を直しても、飛んでいるものがあのようなものであれば、ずっと危険は続きます。爆音も続きます。

名護市議会 2011-12-08 12月15日-05号

そしてベトナム戦争中に4回、米国から表彰を受けた。このような船が那覇港に停泊している新聞の記事がありまして、森山さんがしっかりと調べてくれました。こういったことで、この船に乗っていた4名の米兵沖縄アメリカから持ってきて、そして沖縄から運んだという証言が載っていたのが消されていると。当初あったのが消されている。こういう状況にありまして、この沖縄にないということはないのではないか。

嘉手納町議会 2011-09-29 09月29日-05号

さて、沖縄県民は悲惨な沖縄戦を体験してきたばかりでなく、戦後も米軍統治下に置かれ、朝鮮戦争ベトナム戦争などにおいて米軍出撃基地兵たん基地を担っていました。 その間には、嘉手納基地から飛び立った戦闘機宮森小学校墜落した事故や、B-52墜落などをはじめ、パラシュートをつけたトラックが落下して少女が圧死する事件米軍車両による事件事故多発

嘉手納町議会 2011-09-29 09月29日-05号

さて、沖縄県民は悲惨な沖縄戦を体験してきたばかりでなく、戦後も米軍統治下に置かれ、朝鮮戦争ベトナム戦争などにおいて米軍出撃基地兵たん基地を担っていました。 その間には、嘉手納基地から飛び立った戦闘機宮森小学校墜落した事故や、B-52墜落などをはじめ、パラシュートをつけたトラックが落下して少女が圧死する事件米軍車両による事件事故多発

那覇市議会 2011-09-27 平成 23年(2011年) 9月定例会−09月27日-付録

│       │発 言 事 項│     発   言   要   旨     │ │位│ (会 派 名) │       │                      │ ├─┼───────┼───────┼──────────────────────┤ │3│山 川 典 二 │1 水道行政│ 広辞苑によると、枯葉剤とは「除草剤一種 │ │(改革クラブ) │ ついて   │米軍ベトナム戦争

北谷町議会 2011-09-27 09月27日-04号

枯れ葉剤とは、除草剤一種で、ベトナム戦争アメリカ軍が使用したことで知られ、その代表的なものをオレンジ剤と言い、成分や非精製ブチルエステルの24ジクロロフェノキシ酢酸と、245トリクロロフェノキシ酢酸がほぼ同量となっています。精製過程の副産物として、ダイオキシンが精製され、有毒であるとされています。

宜野湾市議会 2011-09-21 09月21日-03号

そして、これを立案した元米高官証言によりますと、米軍ベトナム戦争での実戦を前提に1960年から約2年間にわたり、国頭村と東村米軍北部訓練所内での周辺一帯、猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤別名オレンジ剤と呼ばれておりますが、その試験散布を実施したと、でかでかと載っておりましたが、米軍は61年から始めたベトナム戦争で、当時、大変な密林でありますので、その密林を枯らせて、あってはならない戦争だとは

名護市議会 2011-09-08 09月26日-09号

正 樹 大 城 敬 人    金 城 善 英あて先 内閣総理大臣外務大臣防衛大臣環境大臣内閣特命担当大臣沖縄及び北方対    策)、外務省特命全権大使沖縄担当)、沖縄防衛局長衆議院議長参議院議長、沖    縄県知事キャンプ・シュワーブ等沖米軍専用施設内における枯れ葉剤の 使用・保管についての調査を求める意見書(案) 1960年代から1970年代の沖縄県内米軍施設において、ベトナム戦争

宜野湾市議会 2011-06-28 06月28日-08号

しかしながら、戦後66年の歴史の中でも沖縄米軍基地ベトナム戦争後方支援基地として使われ、朝鮮戦争湾岸戦争、イラン・イラク戦争と、平和を希求する県民の声とは裏腹に、戦争に利用をされてきました。さらに、現民主党政権は、抑止力の名のもとに、国土面積0.6%の本県に76%の米軍基地を押しつけるのが当然のように振る舞っております。前政権普天間飛行場県内に固執したのと全く同様であります。

沖縄市議会 2011-06-28 06月28日-08号

ベトナム戦争のころ、米メディアに取り上げられ、この言葉が使われるようになったとも聞いております。日本に駐留する米軍基地の約74%が集中する沖縄県には、2,000人から3,000人ともいわれるアメラジアンがいるようであり、現在では年間二、三百人出生し続けている現状があるようです。そのような中、ハーフではなくダブルとしての教育をとの願いから立ち上がったのがアメラジアンお母さんたちであります。

宜野湾市議会 2011-03-28 03月28日-14号

さきの政権や現在の民主党政権とも、普天間基地抑止力のためにあると言いますけれども、ベトナム戦争湾岸戦争のときは、前線基地として使用されたのは事実であります。今後、アジアや中近東での有事の際、普天間基地は同様に使用されると考えますが、市長は、平和行政を主張する立場として米軍基地普天間飛行場をどうとらえていくのでしょうか、お答えをお願いします。 ○議長呉屋勉君) 基地政策部長

沖縄市議会 2011-03-18 03月18日-09号

そしてその後、いろんなベトナム戦争とか、イラク戦争を体験してきました。こういうものも見ている上で、やはり軍隊というのは、私は沖縄にこれだけ加重にいるということには賛同できないというのが私の立場。ただ長年ここにいると、ここに存在しているということで影響が無だとは申しません。確かにこの沖縄市は、チャンプルー文化が生まれたのもそこであると思います。

宜野湾市議会 2010-06-24 06月24日-06号

それで、県の発行資料によれば、海軍病院主要部隊在米海軍医療センター、その中には司令部監査部補給部食糧管理部などがあり、昭和45年から47年までのベトナム戦争の激しいころ、ベッド数が500に増床され、極東最大病院として機能して、内科、外科整形外科、産婦人科、小児科等診療科目を有して、海軍を初め他の3軍の軍人、軍属及びその家族に利用されているものと認識をしてございます。