名護市議会 2022-09-28 10月05日-04号
だからそれも教育委員会とかでは、その文化財に対する指定もしていたり、私はその中で特に屋我地の運天原のウランダ墓に関してすごく興味を持っておりまして、あの歴史を知ることはとても大事なことだと思っておりますけれども、例えばそういうこととかが大事ではないかと思っているわけであります。そういうことで市民憲章を改めて、これからも名護市民に大切にしていってほしいという思いがあるわけです。
だからそれも教育委員会とかでは、その文化財に対する指定もしていたり、私はその中で特に屋我地の運天原のウランダ墓に関してすごく興味を持っておりまして、あの歴史を知ることはとても大事なことだと思っておりますけれども、例えばそういうこととかが大事ではないかと思っているわけであります。そういうことで市民憲章を改めて、これからも名護市民に大切にしていってほしいという思いがあるわけです。
◆金城隆議員 運天原漁港につながる屋我地25号線の市道については、いまウランダー墓の工事のために重量車両が通って、アスファルトがかなり割れているところがございますので、どうかその工事があと2期工事残っているということでありますので、工事が終了した後から、何とかその間は補修工事をしていただいて、部落からこの道路整備工事の要望も出ているわけですから、何とかお願いしたいと思っておりますので、よろしくお願いします
事項6 ウランダー墓の標識について。要旨(1)県道110号線のウランダー墓入り口の標識がまだオランダ墓の状態で変更されていないようです。僕確認してきましたけれども変更されていません。県とのその後の調整はどのようになっているのか、お聞きしたいと思います。以上、一次質問とし、二次質問は自席から行いたいと思いますので、よろしくお願いします。 ○屋比久稔(議長) 市当局の答弁を求めます。
「オランダ墓」の名称変更につきましては、平成27年12月4日に名護市文化財保存調査委員会において、「オランダ墓」の名称変更について審議を行い、地元運天原区との協議の結果、名称を「ウランダー墓」に変更することで同意を得て、平成28年5月23日に名護市教育委員会会議で名称変更が承認されました。平成28年5月30日に告示を行い、「オランダ墓」から「ウランダ―墓」に名称が変更されました。
また、地域資源を生かした観光拠点整備につきましては、平成28年度に策定した基本計画を基に、伝統的な製塩法で唯一現存する入浜式塩田の塩づくり体験施設や、農業体験施設の整備及び名護市指定文化財のウランダー墓へのアクセス通路の整備に取り組んでまいります。
それを受け、オランダ墓の名称変更については平成27年12月4日に、名護市文化財保存調査委員会においてオランダ墓の名称変更について審議を行い、地元運天原区との協議の結果、名称を「ウランダー墓」に変更することで同意を得て、平成28年5月23日に名護市教育委員会議で名称変更が承認されました。平成28年5月30日に告示を行い、名称変更は終えている状況にございます。
そこでこの表記に対して、表記を「オランダ墓」ではなくて「ウランダ墓」にすべきではないかという、ある市民の提案がありました。考えてみれば、その言語の響きという点、歴史的な背景から考えますと、やはり「ウランダ墓」という表記のほうが適切ではないかと私も思うわけであります。「オランダ墓」としますと、旅行者の方とか全く知らない人がそこを通ったときに、オランダ墓ってオランダ人の墓ですかと聞くんです。
実は屋我地の聖ルカ保育園の園長をなさっておられました牧師でもあられますけれども、棚原先生が「「史跡ウランダ墓」愛の物語」という本をお出しになりました。この中には棚原先生のウランダ墓にかかる思いがたくさん書かれております。
だから私個人の私見としても、これは表記もオランダ墓よりはウランダ墓のほうがより適切ではないかと思います。と言いますのは、オランダ墓というと沖縄のこととか、沖縄の言葉を知らない人が見たらオランダの墓だと。オランダ人が祭られているんじゃないかと思いますね。ウランダーと言うと、ウランダーって何か、どういうことかと聞きますね。
実は先日、屋我地の聖ルカ教会の棚原恵正さんというチャプレンが「「史跡ウランダ墓」愛の物語」というのを出版されました。これは19世紀に名護の運天港にフランスの太平洋艦隊が寄港したときに、その若い水兵のお二人がハブにかまれて亡くなったという史実があります。