西原町議会 2019-06-11 06月11日-03号
そういう中で本当に住民がこの軍隊とともに行動することによって、多くの犠牲者を出してきたということが、本当に怒りをもって感じるんですけれども、これがこの戦争が終ったにもかかわらず、アメリカ軍が沖縄に基地を置き、そして占領し、占領が終った後も基地をそのまま温存することによって、米軍だけの支配が今度は日米両政府によって、この沖縄の人権がないがしろにされている。
そういう中で本当に住民がこの軍隊とともに行動することによって、多くの犠牲者を出してきたということが、本当に怒りをもって感じるんですけれども、これがこの戦争が終ったにもかかわらず、アメリカ軍が沖縄に基地を置き、そして占領し、占領が終った後も基地をそのまま温存することによって、米軍だけの支配が今度は日米両政府によって、この沖縄の人権がないがしろにされている。
◆5番(古謝友義議員) PFOSの原因は不明ということが言われていますが、原因はアメリカ軍の垂れ流しから出ていると、99%はそう思っているはずです。その基地内の水脈は、延々と嘉手納町水釜一帯に続いて、最終的に比謝川のほうに流れ出ているのです。ですから水釜一帯の全ての井戸から必ずPFOSが高濃度で検出されると思います。
今日3月22日、その頃には慶良間列島に向かってアメリカ軍を中心に3月26日に慶良間に上陸、北谷町砂辺区から読谷村渡具知に向けて、4月1日の早朝、約10万発の艦砲射撃の雨あられ、当時の中飛行場、今の嘉手納飛行場、それから北飛行場というのが読谷飛行場、そこに向けて上陸をしたわけであります。先の大戦では、本当に沖縄県民を巻き添えにした本当に悲惨な戦争の歴史がありました。
自衛隊は、国土、国体を守るために安保条約にのっとりアメリカ軍と一体になって戦う、今や最新兵器をどんどん強化していく自衛隊という名の軍隊である。この島には地対艦、地対空ミサイルが配備され、指令部も置かれると言われています。軍隊は住民を守らない、もしくは守れない、沖縄ではさきの大戦で身にしみて得た教訓であることをよもや市長も否定しないでしょう。宮古島は辛うじて米軍の上陸を免れただけでした。
沖縄では、戦後アメリカ軍がいることによりプレスクール的に5歳の幼稚園が主に対応されてきました。ただ本土では、普通に3歳児から5歳児の幼稚園の教育がされてきました。その中で国で、3歳児から5歳児の幼稚園、保育の無償化が出てきたとき、沖縄にはここの部分で5歳児の子供しか収容できない幼稚園しかないので、3歳児から5歳児の幼稚園無償化の施設整備に関して大変課題があることを感じています。
それとあわせて、今、宜野湾市においては真ん中に基地を抱えておりますので、アメリカ軍の基地と隣接しており、日々上空に対して危険が伴う地域となっております。
しかしながら、このように1パーセントぐらいの県土しかない沖縄に、70パーセントのアメリカ軍基地があり、そして一昨日ですか、沖縄辺野古に基地を造ることに関して、防衛大臣何と言ったかわかります。大きく新聞取り上げられましたね、「日本国民のためだと。」言ったじゃないですか。新聞に書いてありましたね、「なんだ沖縄は日本国民じゃないのか。」
現在、沖縄県警はアメリカ軍側に空軍兵が公務外だったかを照会するなどして、日本の国内法で言うと銃や銃弾を所持していた銃刀法違反の可能性がありますが、事件の真相究明は難航している状況であります。この事件は米軍隊の組織における武器管理体制に対して、県民に多大な影響を与えました。また、通報体制が遅かったことに対しても周辺住民からは不満と疑問の声が上がっております。
その中で、那覇市にはアメリカ軍政権のもとで、那覇軍港建設に伴って、14世紀からとうとうと流れていた湧き水であった落平とか、それとか屋良座森グスクなどが軍港をつくられる経過において全てなくなってしまっているんですよ。地形としても残っていません。
アメリカ軍は、米海兵隊は普天間を返してほしいならかわりをよこせと。安倍政権は、普天間を返せば辺野古を認めると。本来、当然無条件で閉鎖、撤去、返還すべき普天間基地を米軍はそういうふうに日本政府、沖縄県民に威圧をかけるわけだから、これは国際法にのっとっても違法な、そういう行動を米軍は日本政府に突きつけているわけです。
墜落直後の米軍の対応は、事故直後、消火作業が終わった後、アメリカ軍が現場を封鎖し、事故を起こした機体を搬出するまで、警察、行政、大学関係者、現場に一切立ち入れませんでした。アメリカ軍によって機体が回収されてしまったことで、詳細を解明することは困難になりました。私は、普天間基地の運用停止を強く求めないと、また必ず事故は起こると思っていました。 次の質問をさせていただきます。
その内容と関連する│ │ │ │ │ 取り組み、平和行政への決意を伺う │ │ │ │ │(4) 73年前、1945年8月6日に広島で、9日に│ │ │ │ │ 長崎で、アメリカ軍が投下した原子爆弾のさ│ │ │ │ │ く裂による強烈な光線と熱線、大量の放射線│ │ │ │
それが大正、昭和と世の中が移り変わるうちに、私どもは1945年、アメリカ軍の上陸です。去る大戦で沖縄県民は多くの犠牲者を出しております。それも、正直に申しまして基地があるがゆえのことでございます。そして戦後を迎えますと、1951年、サンフランシスコ講和条約の中で、沖縄県は切り離されました。米国統治の沖縄県になったわけでございます。
特に野球場リニューアルとか、陸上競技場の整備に関して、例えば共同使用とまではいかずとも、アメリカ軍の中のチームと嘉手納町の中頭郡で出る野球チーム、嘉手納代表とか、サッカーの嘉手納代表対米軍のチームとかとやるようなグラウンドを整備したいということで、いろんな補助率、高い高額補助の予算をいただきながら整備できないかというのも提案したいと思いますので、ぜひ陸上競技場に関しての屋根の設置と、今後予算がかかるものでありますが
ということは、日本としては北朝鮮に対して脅威論をあおっていたわけですが、今でも安倍内閣は北朝鮮に対して武装放棄をせよというわけでございますが、じゃあ日本は一体、東京都首都にアメリカ軍の基地を、司令部を置いて、そして沖縄にも多大な軍事基地を置いて、日米安保条約はそのままにして、一方的に北朝鮮に武装放棄せよということが通るかとなると、これは通らないんじゃないかと。
チヌーン、サッカーのときにアメリカ軍ヌジェット機がバンナイ、ナーヤガマサヌ。F15ウティティ、ヌーン原因究明ンサンヨーイ、またすぐトゥバスンディーヌクトゥ。アンシェーまた普天間ヌ第二小学校、アンシー、緑ヶ丘保育園、ウマンカイ窓オトチン、全くチカン。ウチナーヨーサイ、ヌーンチウムトーガヤーンチ、イッペーワジワジーソーイビン。
1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官、牛島満大将を初めとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結した日とされている。この自決がいつあったかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在沖縄県では、6月23日説を採用している。
私は戦争でアメリカ軍によって魚雷、あるいは航空機などで撃沈された沖縄県民を乗せた船、これが全体で26隻。本土航路が6隻ですが、その6隻のうちの1隻が対馬丸でした。25隻は全部私のほうで束ねて慰霊祭をやっております。これが31年前に建立した海鳴りの像という、前の県知事の花束、議長の花束、那覇市の花束、そして慰霊祭にも来ていただきました。弔辞やあるいは焼香をしてもらいました。
◆大城敬人議員 防衛局は、アメリカ軍の答えとして常に運用上のことは言えないと回答するのです。ところで、ここにレンジ10とあります。レンジ10である場合、何を使ったかということは言わないにしても、水陸両用車、兵員輸送車からの発射かと。それは確認してほしいわけです。というのは、先ほども朝に申し上げたのですが、最近新型の機関砲のような大きな銃器を装備している。これを辺野古で見ているのです。
東京のアメリカ軍横田基地に配備予定のCV22オスプレイ4機が、4日午後に嘉手納基地周辺自治体が飛来に強く反対している中、事前通告もないまま、嘉手納基地に飛来してきた。