津山市議会 2024-06-18 06月18日-03号
私たちのふるさと津山からは、数多くの蘭学者が登場し、世のため人のために貢献しようと学問に励み、多彩な活躍をしています。箕作阮甫先生もそのお一人です。このたび、津山市が箕作阮甫先生の漫画を作成しています。漫画を通して将来の夢について考えていただけたら幸いです。 それでは、質問させていただきます。 初めに、認知症施策についてお聞きしたいと思います。
私たちのふるさと津山からは、数多くの蘭学者が登場し、世のため人のために貢献しようと学問に励み、多彩な活躍をしています。箕作阮甫先生もそのお一人です。このたび、津山市が箕作阮甫先生の漫画を作成しています。漫画を通して将来の夢について考えていただけたら幸いです。 それでは、質問させていただきます。 初めに、認知症施策についてお聞きしたいと思います。
次に、子供たちが郷土に愛着と誇りを持てる教育について、本市では歴史文化施設の見学を行われているとお聞きしていますが、この11月に洋学資料館において、優れた蘭学者や洋学者を輩出した共通の歴史的背景を持つ大分県中津市及び島根県津和野町と津山市が、蘭学・洋学三津同盟を締結されました。
そして、津山ではいろんな蘭学者と岸田吟香は渡り歩いており、また津山市が大洪水のときはいち早く岸田吟香はこちらに帰り、そしていろんな方に募金を頼んで、そして津山市の発展に貢献しております。そうした面で津山市も力が入るんじゃないかなあと思っております。 そこで、町長にお聞きをいたしたいと思います。
江戸時代の蘭学者で田原藩家老として藩政にも参画していた渡辺崋山の言葉に,眼前の繰り回しに百年の計を忘するなかれという言葉があります。
津山城主は、森家4代、松平家9代と受け継がれ、津山藩では箕作を初めとし多くの蘭学者を世に輩出し、日本の医学に貢献いたしました。 津山城郭は、江戸幕府が大政奉還後、明治政府の廃城令のもと取り崩され、津山城郭全て売却されました。 明治24年、鶴山城保存会が発足し、本町に住む福井純一氏により鶴山に桜を植える運動が始まり、明治33年春、津山町の管理のもと、鶴山公園として開園いたしました。
諭吉は21歳のとき、長崎で蘭学を学ぶものの、さっぱり物にならず、挫折して江戸に向かう途中、たまたま立ち寄った大阪で、岡山県の足守藩士で蘭学者の緒方 洪庵と出会い、適塾に入門したことで人生が大きく変わっていきました。大の勉強嫌いだった諭吉が適塾の塾頭につき、洪庵にかわって講義を行うまでに成長したわけを、私は「福翁自伝」の中で知りました。
先日足守では,足守出身の蘭学者緒方洪庵生誕200年祭を行いました。江戸や長崎で蘭医学を学び,コレラの治療に貢献したり,大阪で開いた適塾で福沢諭吉らを育てた功績をたたえて,洪庵の遺徳を地元住民参加のもと,大勢の来賓の方とともにとり行いました。足守が生んだ偉人洪庵の功績を後世に伝えていかなければと痛感いたしました。この秋も,足守のもみじをたくさんの人が見に来られました。
近水公園や旧足守藩侍屋敷,さらには陣屋町足守の面影を色濃く残す町並みは,歴史を知る上での,また医師であり蘭学者である緒方洪庵や白樺派の代表的歌人である木下利玄の功績は,郷土の文化を知る上での貴重な資源の一つであります。 岡山県・市の指定を受けた史跡でありながら,荒廃が続いていた生家の母屋と長屋門の修復が,地元の皆様や市の長年にわたる御努力のおかげで始まりました。
米沢市と津山市とは随分異なりますけれども、津山市でも箕作阮甫などの蘭学者がいらっしゃいます。こういったことをひとつ学校で歴史教育が大切ではないかというふうに感じておりますので、この秋に完成する新洋学資料館の立ち上げに合わせて、教育長のお考えをお聞かせいただきまして、質問を終わりたいと思います。 ○議長(米井知博君) 副市長。
その中身は津山城跡、あるいは暮らしよさそうな津山の状況、そして蘭学者箕作阮甫のことを掲げております。また、その滞在中おいしかった津山の食文化、そして観光発信などについて紹介されておりました。それから4点目でありますが、この音楽祭の特色といたしましてプログラム委員会への市民の参画、演奏会への市民の出演があります。