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該当会議一覧

岡山市議会 1983-12-09 12月09日-04号

さらに,建設省中国地方建設局長と奥津町長が結んだ協定書は,町民の総意がダム賛成の方向に進まなければ実施調査はしないと明文化しています。 したがって,県の昭和56年6月定例議会基本計画が共産党の反対のみで決定されたとしても,果たして有効な事業計画になり得るのか。長野知事の過酷なあめとむちの支配で強行できるものではないと考えるのであります。 そこで質問いたします。

岡山市議会 1983-09-13 09月13日-04号

で,近く一定の見通しが得られると思いますので,その見通しが得られました段階で副管理者でございます,邑久,牛窓,瀬戸の3町長とも内々の協議をいたしまして,組合から岡山市に対しまして早急に発令をいただくようにお願いをしてまいりたいというふうに考えております。 以上です。 ◎総務局長富岡要君) 辻野議員代表質問に対しまして市長の答弁を補足をいたします。 

岡山市議会 1983-07-11 07月11日-10号

これも57年度から,瀬戸大橋時代がやってくるということで,町内でひとつ盛り上げを起こそうじゃないかというので,コミュニティー運動の中から町長がお考えになったという話でございますけれども,時間とお金町民が毎日毎日1%ずつ提供しようじゃないかと,──お金は次でございますけれども,時間は1%ずつ提供しようということで,厳密に計算をいたしますと,20万円月給もらっておる者は,2,000円程度のですね,ポット

笠岡市議会 1962-06-29 06月29日-01号

笠岡の場合の関係町村は、町長、議長ということで限定せられたわけでございますが、特に笠岡の場合は干拓委員だけは何とか御案内をしていただくようにということで御案内いただいたわけでございます。これらはやはり農林省関係費でございまして、わずか3万円程度しかないと、したがって範囲が非常に限定されたという状況であったわけでございます。

笠岡市議会 1962-03-15 03月15日-03号

これはちょうど神外合併前すなわち渡辺町長さんらがいろいろお骨折りになりまして、そうして一応そうしたような経費の計上をしておられたのでありますが、たしか20万円だったと思いますが、一応そうしたような原稿資料ができるまでおとしておったのでありますが、今度その資料ができ上がりましたので、ここに調査資料をまとめたいとかように考え計上いたしておるということであるわけであります。

笠岡市議会 1961-03-18 03月18日-03号

ちょうど鶴田町長の時分であったかと思いますが、途中で北村町長にかわり、そのとき前の施行者がいろんな関係で中途において調査し、北村町長のときに農林省茅本というお方の世話で国の直営工事にしたんであります。それが今日でき上がっておる工事。それをです、一応農林省食糧増産に寄与するために農地としてこしらえたんであります。それができ上がった以上は一応農地として売るのが当たり前だ。

笠岡市議会 1961-03-17 03月17日-02号

小野市長は、この笠岡が町であった当時から収入役また町長としてお務めになり、昭和27年笠岡金浦とが合併いたしまして市政を施行するや初代市長となり、生きた市政の苦難を担当せられ、合併に次ぐ合併により人口7万の中都市となった笠岡市の市長として連続当選3回、本市発展のために御努力相なりましたことは市民の認めるところでありまして、今日市政万般にわたり細心の注意を払っておられますことに対しましては我々も全幅の

笠岡市議会 1960-12-23 12月23日-02号

ところが、町長が立派であり、産業課長が立派なために、合併して今日5年になるそうでありますが、どういうふうにしてめざまして発展をとげておるか、一つの例をあげて申しますと、ここの農村は平均の耕作反別が4反歩ほどであります。でここは山岳地帯でありますが、ここの産業課長は東北大で学んだ人で、大東町の町長に要請せられまして、1年間の契約産業課長として就任せられたそうであります。

笠岡市議会 1960-09-14 09月14日-01号

さらに、地元の方の状態でございますが、地元の方といたしましても新聞紙上等によって報道されておりますとおり、また、私たちもその後の状況等について、町長の方へダム反対同盟会と申しますか、そういう方面から今後いろいろと具体的なことがわかり次第すべて町長の方から詳しく事情を我々にも知らしてもらいたいということをダム反対同盟会と申しますか、そういうような方面からそういうような話が町長のところまで持ち込まれておるというようなことを

笠岡市議会 1959-09-23 09月23日-01号

笠岡委員は、農協の中央会会長川上さん、県会議員農林常任委員長中島さん、ラジオ山陽専務理事巽さんが最初決定しておったのでありますが、その中へとくに笠岡の場合いろいろと複雑な事情があるということで岡山市議会議長の花岡さん、真備の町長の妹尾さんとか、とくに2名加わりまして5名が笠岡へおいでになったわけでございます。

笠岡市議会 1959-03-25 03月25日-06号

さらにまた過年度支出といたしましてとくに申し上げ御了解をお願い申し上げたいと思いますことは、もとよりこれは私自身の事柄でございまして、もと笠岡町長といたしまして退職慰労金を50万円いただくということになっておったわけでございますが、これもそういう決議をしていただきまして今までそのまま放任いたしておったわけでございますが、ずいぶん年数もかさみますしあるいは度々総務文教委員会等で早く処理しておくようにという

笠岡市議会 1959-03-17 03月17日-04号

市長町長当時からまた市長になって今日はや7年経ったのでありますが、一向にその運びがつかない。なるほど人の家敷を譲っていただくということは困難かも知れません。しかし、ものごとをやるのに困難を恐れるようでは望めないと思うのであります。なんの事業をやるにしても、昔からいろんな骨が折れるということは当然のつきもんであります。骨が折れてもやらなければ住民が困るということもはっきりしておると思う。

笠岡市議会 1957-03-18 03月18日-04号

市長町長時代慰労金であるが、議決が済んでいるが、追加、本予算にも見えない。市長は遠慮されているのであろうが、見方では公私混同である。近い追加の時、計上されるべきと思う。 ◎消防長下山敏君) 奥野議員質問機庫については年度内に着手しないと困るとの事であるが、北木島消防機庫については地元の方に請け負っていただくつもりで、地元に依頼したが、あとでできないとの連絡があった。

笠岡市議会 1956-03-17 03月17日-01号

市長小野博君) 神外公民館建設については、地元にこうした計画があり、その基金の経過を申し上げたが、神外町長渡辺重次郎氏の名義で預けている通帳を引き継いでいる。 積立金は、財政事情困難なときであるのでそのままにするか、或いは一般会計に入れるか、積立のままにしておくほどの余裕はない。通帳のままでは、将来の問題もあるので現金化し、一般会計に入れるか、積み立てておくかは、議会の承認も要する。

笠岡市議会 1954-09-21 09月21日-01号

井原町長50万円、総社町長60万円、西大寺町長37万円の数字が出ている。 笠岡だけが少ない程よいとも参らぬので、これらを参考とした。条例による額を一応基本として、それぞれの職責係数をかけた。町長倍額、助役2割増、収入役1割増、それにアルファーを加えた。今後この期間に対しては退職手当に算入しては、二重支払となるので間違いないように願いたい。 この外に両町の財政事情を参酌した。 

笠岡市議会 1953-06-26 06月26日-01号

且って前の町長との間は干拓完成土地をやるという契約をした事実があるので、我々としてもそれを無視できない。 ◆11番(掛橋敬一郎君) 市長にききたい。 前の話では50坪の土地に貸与はなかった。これは想像できるが契約の際の候補地としてはどこを示したか。 ◎市長小野博君) 市有地の貸借は一時占用議会議決を要するので改めて議会にかけるので、そのように話している。

笠岡市議会 1953-03-20 03月20日-04号

市長小野博君) 教育長報酬については、これは教育市長であり、教育町長であると呼ばれており、全国市長会町村会からも助役給が標準として示されている。そうすると3万5,000円が適当ということにもなり、本市の場合ははるかに下回っている。他都市報酬も示してよいが、決して高いものとは思はない。その他の職員も横すべりしていないのであるから御了承願いたい。他市に比してはるかに下回っているのである。

笠岡市議会 1952-06-02 06月02日-02号

市長小野博君) 金浦支所職員は今年始めて発足しているので元町長ともお話して支所職員を残している。 昨年1ケ年の今井支所の運営を参考にして現在のままで良いかどうかは未知数で実状に即するものにしたい。足らねば増やすし、余れば減す積りでその節検討したい。 遺族に対しては心から報いたい。この予算の中には遺児の靖国参拝は含まれていない。

笠岡市議会 1952-03-21 03月21日-01号

町長(小野博君) 特志寄付によって積み立てられていたもので、かなり古くから株が残っている。 ◆17番(清水浅太郎君) 金額が少額で整理出来る性質のものではないか。 ◎町長(小野博君) 議会議決があれば廃止増額何れでも出来る。 ◆25番(大月類一君) 宅地の地番がのっていないが、これでは明細を欠くもので今少し丁寧に記載されたい。