322件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

備前市議会 2023-02-20 02月20日-01号

4番目の最後になりますが、この方の経歴を見てみますと、職歴の中で、昭和63年4月、三石耐火煉瓦平成元年3月お辞めになられて、平成元年4月に日生臨時雇員となっています。 元年4月、このときに公務の宣誓をされたのかどうなのか、そしてまた、どうして前任の会社を辞めて日生町の役場に入ろうとされたのか。そこのところをお聞かせ願えたらと思います。 以上です。

備前市議会 2022-12-09 12月09日-04号

報告では、この公債費比率が高い大きな要因として、下水道事業債償還財源として下水道会計へ繰り出す額が依然と多いためと分析されていますが、これからも昭和40年代に多くが布設された上水道、下水道を含めたライフラインの老朽化対策耐震化事業にはさらなる財源が必要となってきます。 特に、下水道事業汚水処理施設の建設や下水管の埋設など多額の費用が必要です。

備前市議会 2022-12-08 12月08日-03号

また、旧アルファビゼン、備前焼ミュージアム、図書館、市民センターなどの機能分担、そして昭和26年に備前簡易裁判所として建設された、令和3年に備前市の歴史確認できる場として備前市立歴史民俗資料館の開館につながったわけですが、この展示物は、地場産業耐火物資料備前焼民俗資料、郷土にゆかりの文学者芸術家等展示が数多くあり、地域ぐるみの協力なしでは実現できなかった展示物ばかりで、市民の手作りの資料館

備前市議会 2022-11-29 11月29日-01号

片上高校は、昭和27年に勤労青少年教育の場として発足し、898名の卒業生を輩出するに至っております。今後も、仕事と学業を両立して学びたいと願う生徒の期待に応えるべく、関係者皆様方と共に教育行政の向上に取り組んでまいります。 11月15日、セラミックスセンター備前産業祭優良従業員合同表彰式関係団体と共に開催いたしました。

備前市議会 2022-09-09 09月09日-04号

1944年の昭和東南海地震では、2年後に昭和南海地震が起こっております。今、我々が直面しているタイプはこの地震タイプです。 巨大地震につながる可能性がある異常を測定した場合、有識者による評価検討会臨時で開催をされ、南海トラフ地震臨時情報を発表し、自治体住民に対して事前避難や家具の固定などといった備えの再確認を呼びかけるなどの措置が取られます。

備前市議会 2022-06-16 06月16日-04号

例えば伊部でいろいろ後から聞いたり何かして、実際に昭和50年頃までは松の関係をしとったんで、それ以後、松を伐採した後、そのままにしてきたんではなかろうかと思います。そして、松枯れ等が出て松が枯れてきたと。そういう形で、改めて松林の再生のためですが、雑木を切る、そしてそれに松を替えていくという形をしていかなければならんのではなかろうかと思いますんで、改めて市長考えをお聞かせください。 

備前市議会 2021-12-24 12月24日-06号

当該土地は、昭和時代石炭から重油を燃料とし、備前市の主要産業である耐火れんが製造工場がありました。太平洋戦争敗戦後、国民寝食を忘れて働き、経済復興を果たした礎の一つであります。 昭和56年1981年、40年前、市制10周年記念事業に現地の片上警察署跡地市民センターが建設され、その後、車社会を迎え、駐車場が不足し、長い間、町と車の接点になる駐車場整備が求められてきました。 

備前市議会 2021-12-10 12月10日-04号

この法律については、経産省も昭和38年に基本法ができて以来、51年ぶりに改定し各自治体にこの小規模企業振興基本法を制定するよう求めています。政府も小規模企業は、経済を牽引し、雇用を確保する力であり、地域社会の主役として地域経済住民生活に貢献し、伝統技能文化の継承に重要な機能を果たす国家の財産とも言うべき存在である、こういうように規定して重要性を述べております。

備前市議会 2021-12-08 12月08日-02号

そのうち、井田から2号線へ延びる都市計画道路伊里中穂浪線については、昭和48年に計画策定され約半世紀手つかずのままです。年々住宅が増え、着工はかなり難しくなっているものと思われます。そして、地元ではこの計画が生きている限り、県が県道穂浪吉永停車場線改良工事に本腰を入れて取り組んでいただけないという話まで出る始末です。この路線について今後どうする考えなのか、お教えください。 

備前市議会 2021-09-28 09月28日-06号

当該土地は、昭和35年、1960年、今から61年前に記録的映画「煤煙よ!さようなら」という題名で映画化されたことを思い起こします。この土地耐火れんが製造工場が存在し、操業の際炊く石炭のばい煙が黒いぼたん雪のように降り、付近の住民は長い間困り抜いていました。今から思えば、太平洋戦争敗戦後、国民寝食を忘れて働き、経済復興を果たした礎の一つでありました。 

備前市議会 2021-09-10 09月10日-04号

この言葉はかの有名な田中角栄が、昭和37年蔵相に就任した際に大蔵官僚を前に演説をした名文句であります。簡潔明瞭、すばらしい言葉だと思います。市長はこの言葉を聞いてどのように感じられますか。 私は、あなたが市長選で約束した多くの公約は、前述のできることとできないことの区別がつかず、その場の雰囲気で手当たり次第に約束をされたのではないかと推察いたします。