豊後大野市議会 2022-12-08 12月08日-03号
特に、大正末期から昭和40年頃までの農作業風景については、写真として残っていることがほとんどないため、この人形によって、本市の農業を営む当時の人々の暮らしが生き生きと手に取るように見えてきますことから、極めて貴重な資料であると考えているところでございます。 次に、今後の修復及び保管、展示についてでございます。
特に、大正末期から昭和40年頃までの農作業風景については、写真として残っていることがほとんどないため、この人形によって、本市の農業を営む当時の人々の暮らしが生き生きと手に取るように見えてきますことから、極めて貴重な資料であると考えているところでございます。 次に、今後の修復及び保管、展示についてでございます。
この方が昭和61年に就農されまして、最初、露地のピーマンを頑張っていたんですけれども、非常に病気が多かったということで、2年後、昭和63年から、アスパラガスの農家から借り受けた2.5メートルハウスでピーマンの栽培をしたところ、非常によかったということで、その後、大野町のピーマン部会等で協議しながら、この3メートルハウスが行き渡ったという歴史でございました。
次に、11月12日の第45回全国育樹祭お手入れ行事及び13日の式典行事につきましては、昭和52年以来、大分県で2回目の開催となる全国育樹祭が、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、1年延期されて開催されたところでございます。 このうち、11月12日のお手入れ行事が、大野町の県民の森平成森林公園で執り行われ、大野小学校みどりの少年団の皆さんが、秋篠宮皇嗣・皇妃ご夫妻の補助役を務められました。
救急業務の普及啓発運動を全国的に実施するために昭和57年に制定されたということです。 豊後大野市消防本部では、去年から図書館とコラボして図書館に特設コーナーを設置し、このような救急車や消防車のペーパークラフトを用意したり、イベントを実施し、子供に救急や防災が身近に感じられるようにしております。
都市計画税につきましては、昭和33年度から平成21年度までの期間において、都市計画区域内の土地、建物の所有者を対象に、固定資産税の課税標準額の0.1%に相当する額を納付していただいておりました。
現在の資料館では、先史時代から近代までの旧石器・土器・経筒・古文書などの貴重な資料を収蔵または展示しておりますが、資料館外にも明治から昭和初期にかけての文書や写真類などの貴重なものもあります。これらにつきましては、内容を調査・確認し、より重要な資料については、資料館内の収蔵室に移転・保管を行い、デジタルカメラやスキャナーを用いたデジタル化により、永年保存できるよう対策を講じたいと考えています。
田中角栄が、昭和39年、44歳で大蔵大臣になったときに、--今で言う財務大臣です--幹部の前で異例の挨拶をしました。 私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政、金融の専門家ぞろいだ。私は素人だが、とげの多い門松をたくさんくぐってきた。いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするのには、互いによく知り合うことが大切だ。
地籍調査とは、国土調査法に基づく国土調査の一つで、主に市町村が主体となって、1筆ごとの土地の所有者、地番、地目を調査し、境界の位置と面積を測量する調査で、昭和26年から実施されております。地籍調査が行われることにより、その成果は登記所にも送られ、登記簿の記載が修正され、地図が更新されることとなり、固定資産税算出の基礎情報となるなど、市町村における様々な行政事務の基礎資料として活用されるものです。
委員からは、新聞報道によれば、2015年に借りて、2018年に老朽化で取り外すということが掲載されていたが、3年で老朽化する看板なのかとの質疑に対し、執行部からは、市が当該土地を借りたのは2015年度、平成27年からですが、広告と看板自体はそれ以前から立っているもので、おおよそ昭和50年代ぐらいに立った看板で、40年ほど経過したものですとの答弁がありました。
◆5番(春野慶司君) いろいろテレビとかでも学者が、ただ危ない危ないとか、いろいろ言っていますけれども、よくテレビに出る二木芳人氏、昭和大学の客員教授。この人も専門家なのに、ただ気をつけて気をつけて、幾ら若いからといっても重症化する人もいます、亡くなる人もいますと。それは、どんな病気でも若いからって亡くなる人もいますよね。がんだって、若い小児糖尿病なんかもありますし。
千歳テニスコートは、昭和54年に千歳中学校の部活動及び地域住民の健康体力づくりや交流促進の場として、クレーコート2面と照明設備を備えた体育施設として整備されました。利用状況については、令和元年度が733人、令和2年度が1,433人、令和3年度が8月までで308人の利用となっていますとの説明がありました。
中国湖北省荊州区とは、旧三重町時代の昭和61年に友好姉妹農村提携に合意したことを契機として、荊州区からの農業研修生の受入れを中心に、これまで幅広い分野で交流を実施してきました。
絶頂期の昭和35年には11万6,900人いた、それは炭鉱があったからですけれども。今、一生懸命再生中で、実はまだ再生中です。平成19年に再生団体になって就任した市長は東京都からの出向の職員でしたが、市長になって、2期務めてかなり盛り返して、そのときの給料20万円で頑張った市長が、現在の北海道知事の鈴木さんです。
本路線の整備に当たっては、昭和57年4月に、一般国道442号の道路整備促進を図り、もって地域の産業、経済、観光の振興と交通安全を確保し、総合的発展を期することを目的に、本市をはじめ熊本県や福岡県の関係市町村による一般国道442号道路整備促進期成会が発足し、これまでパンフレットの作成や啓発看板の設置、視察研修、各県を通じた国への要望活動を行ってまいりました。
主要農作物種子法は、日本の基幹農作物である米、麦及び大豆の種子の生産と普及を国の役割として定め、昭和27年に成立した法律でありましたが、平成30年4月1日をもって廃止されました。 廃止の理由は、民間企業の参入により農業の競争力を高めていくことを目的としたものでしたが、自由競争になれば外国から遺伝子組換えの安価な種子が多くなるのではないかといったことも危惧されていました。
◎人権・部落差別解消推進課長(廣瀬宏一君) 豊後大野市隣保館につきましては、昭和58年10月に隣保館及びコミュニティセンターの複合施設として開設して、37年が経過しているところでございます。 この間、施設の維持・整備等に努めてまいったところでありますが、特に舞台設備等の保守点検業務の中で、つり物など舞台設備関係が耐用年数を経過しているというご指摘等がございました。
日本の人口の長期的推移を見ますと、明治維新の1868年には3,330万人でしたが、太平洋戦争前の1941年(昭和16年)には「産めよ増やせよ国のため」を目指す人口政策要綱案が閣議決定され、結婚資金を貸し付け、5人以上産めば返済無用という時代もありました。
◆14番(沓掛義範君) 千歳中学校につきましては、昭和49年に建てられた校舎でありまして、老朽化が進んでおります。豪雨や台風のときには雨漏りがひどい状況であります。ぜひとも早急に千歳小中学校として新築していただくよう要望します。
改正はかなりあったんですけれども、昭和50年過ぎですか、農業委員会局長、第1回の農業委員会、小作人と農地解放のときから農業委員会というものが権力を持ってきた。なぜなら、そのときは食糧不足、米が足りないから農地を管理するんだと。
昭和25年に始まった全国育樹祭、大変すみません、全国植樹祭ですが、平成12年4月23日、第51回全国植樹祭が、大分県、県民の森平成森林公園で行われました。大会テーマは「2000年豊かな国の森づくり」、そして、天皇陛下のお言葉。森林が台風や集中豪雨のもたらす災害の防止や軽減に大きく貢献してきていることは、我が国の厳しい自然環境を考えるとき、誠に重要なことと思います。