臼杵市議会 2022-09-15 09月15日-04号
昭和24年の奈良県法隆寺金堂壁画の消失は、当時の多くの日本国民に改めて文化財が損失することの重大性を認識させる出来事でした。これを受けて、国は昭和25年に文化財保護法を制定し、文化財が貴重な国民的財産であることを規定しました。国や地方自治体は、その国民的財産の滅失や海外流出を防ぐための保存対策を第一とした文化財保護政策を展開してきました。
昭和24年の奈良県法隆寺金堂壁画の消失は、当時の多くの日本国民に改めて文化財が損失することの重大性を認識させる出来事でした。これを受けて、国は昭和25年に文化財保護法を制定し、文化財が貴重な国民的財産であることを規定しました。国や地方自治体は、その国民的財産の滅失や海外流出を防ぐための保存対策を第一とした文化財保護政策を展開してきました。
先ほど議員もおっしゃいましたように、昭和57年に当時の広島市長の荒木 武氏がアメリカ合衆国ニューヨークの国連本部で開催されました第2回国連軍縮特別総会において世界の都市に国境を越えて連帯し、共に核兵器廃絶への道を切り開こうと呼びかけました。原爆被爆都市である広島、長崎両市は、この呼びかけに賛同する都市で構成する機構として平和首長会議を設立しました。
12日は現地でのお手入れの行事があり、13日には昭和電工ドームの武道スポーツセンターで、みどりの少年団の全国交流会や森林・林業・環境機械の展示も計画されておりますので、林業関係者だけでなく、多くの市民の方、親子連れで参加をお願いいたしまして、次の質問に移ります。
戦前、海の記念日を設けたのは、真珠湾攻撃で対米英戦争を開始した1941年、昭和16年であり、侵略戦争の遂行上、海上輸送で繊維や船舶の徴用、調達のために、海運関係者のみならず、国民こぞって支援の雰囲気をつくることを狙いとしていました。
私たち昭和世代から見ると、もう想像を超えるような米離れ、和食離れが起きていると思います。 それで、子供たちも、ふだんからパンを食べる機会が多い、だから洋風なもの、パンを嗜好するということもあるんじゃないかなと思います。
久木小野地区においては、昭和50年代から、旧臼杵市のごみの焼却施設、不燃物の埋立施設、リサイクル施設の全てのごみ処理施設を受け入れていただいております。この間、様々な問題もあり、地域の皆様にはご迷惑をおかけし、このたびようやく地域の方々はもとより、市民にとっても明るい話題となる施設の建設に着手できる段階になりました。
建物の耐震基準については建築基準法で定められており、現行の基準は、震度6強から7に達する程度の大規模地震で倒壊しない新耐震基準として、昭和56年6月以降に建築の着工が行われた住宅に適用されています。 このような中、議員ご質問の個人住宅の耐震化の現状についてお答えいたします。
昭和57年に、この子宮頸がんの原因のほとんどがヒトパピローマウイルス(HPV)というウイルスの感染であることが発見され、欧米では平成18年から、日本でも平成21年12月にHPVワクチンが承認されました。このワクチンは、初回性交渉前に接種することが推奨されており、決められた間隔を空けて3回の接種を受けるものであります。
この学校林は、国の拡大造林の政策により、昭和24年に本市と国、西中学校の3者で分収契約を締結している森林で、令和10年には分収契約が終了することとなっています。この契約は、契約期間終了時に立ち木を全て伐採し、売却し、益金を3者で配分の上、地上権を国へ返還することになっていることから、西中学校並びに西中学校林を守り育てる会から学校林存続を要請されています。
これは、後年、臼杵町に寄贈され、昭和25年には祇園洲にあった臼杵幼稚園が移転しました。 令和2年4月に臼杵幼稚園は廃園となりましたが、その跡地の活用については、現在、周辺の塩田地区及び上塩田地区において人口減少が進んでいることから、この対策も併せて、臼杵幼稚園跡地を含め、地区一帯を対象として、定住や交流の促進、地域コミュニティの拠点の在り方などについて調査検討を行っているところです。
臼杵庁舎は、昭和49年に建設されて以降、社会情勢の変化に合わせ、市役所に来庁される方や職員の職場環境の向上に資することを目的に、庁舎の設備機器や建物の躯体、外構などの改修を行ってきました。
皆様もご存じのとおり、久木小野地区には、昭和50年代から旧臼杵市のごみの焼却施設、不燃物の埋立施設、リサイクル施設の全てのごみ処理施設を受け入れていただいております。 この間、様々な問題の発生により、地域の方々の生活環境が脅かされる事態も生じました。
実は、この会社は昭和36年に設立された会社でした。経営破綻して、今、土地は税務署の差押え、財務省の所有になっています。平成25年の末に法務局に解散登記をしています。まだ、清算結了登記には至っていません。 実は、屋根は、スレートが破れて、近所に飛来するような状況で、敷地内には10台ほどの乗用車と貨物自動車が、ナンバープレートを外したままの状態で、草木に覆われて放置されています。
これは、昭和49年、今から46年前、母校、臼杵小学校の開校100周年にあたり、作家野上弥生子先生が児童たちに送った手紙の一節です。臼杵の自然、歴史、環境、資源を生かしたオンリーワンのまちを目指しなさいとの先生の言葉は、色あせることなく、未来を洞察した、まさに今を生きる私たちへの道しるべの言葉であり、私は常々、振り返って励みにしているところであります。
昭和41年には、大分県の無形文化財に山内流泳法が指定されております。 そこで、今後は国の無形文化財指定をも模索して伝承したいと思いますが、市のお考えをお聞かせください。 ○議長(匹田郁君) 川辺社会教育課長。 [社会教育課長 川辺宏一郎君登壇] ◎社会教育課長(川辺宏一郎君) 吉岡議員ご質問の臼杵山内流の200年先を見据えたさらなる発展についてお答えいたします。
福祉避難場所として施設と協定を締結する要件としては、1点目として、昭和56年に施行された新耐震設計基準で建設された建物または耐震診断により十分な耐震性能を有していること、2点目として、土砂災害警戒区域外にあること、3点目として、施設のスロープ、手すり、エレベーター、車椅子対応トイレ等が設置され、バリアフリー化がされていること、4点目として、津波浸水想定区域の海抜6メートル未満の地域では、3階以上の鉄筋
私も団塊の世代の昭和23年生まれですから、22年生まれから23年、24年、この数は全国で800万を超えると言われています。この人たちがこれから後期高齢者に入っていくわけですから、今でも大変な介護問題、これからますます大変になるんだろうというふうに思うので、その点についてはしっかりと取り組んでまいりたいというふうに思います。 それでは、2つ目の質問に入ります。 野津太陽光発電事業についてです。
このような中、鎮南山環境林整備基幹作業道事業につきましては、この事業が始まった経緯として、そもそも鎮南山山頂付近に市内の法人が所有している土地に、昭和39年にこの法人と県及び民間事業者の3者が共同で植林した杉、ヒノキ等が、平成26年に契約期間となる50年が到来することから、契約に基づき樹木を全て伐採し、利益を配分し、清算することとなりました。
臼杵市においても、これと同様に大体昭和40年代あるいは50年代までに集中して各小中学校が建設されております。したがって、築後もう35年から40年近くなるというような状況になります。 これまで耐震補強ということで整備は進めてきましたけれども、耐震補強はあくまで耐震の補強であって、いわゆる校舎の耐用年数を延ばすということではないので、これについては改めて考える必要があるということであります。
諏訪山体育館は、昭和57年に、市内で最も大きな屋内スポーツ施設として建築し、各種競技の練習や大会の会場として、また、市民の体力増強を目的とした施設及び各種イベントの会場として利用していただいているところであります。