別府市議会 2015-09-17 平成27年第3回定例会(第5号 9月17日)
台帳自体が、大体大正9年以降、それから10年ぐらいから記載を始めています、筆字でね。そして戦前戦中ぐらいまではほとんどどこの温泉を何メートル掘って、どれだけの湧出量があるという記載がありません。これが数値として出始めたのが、昭和30年前後です、戦後ですね。ここから戦後復興を含めて、北浜なんかはもう穴だらけです、はっきり言って穴だらけ、昭和30年以降ですね。
台帳自体が、大体大正9年以降、それから10年ぐらいから記載を始めています、筆字でね。そして戦前戦中ぐらいまではほとんどどこの温泉を何メートル掘って、どれだけの湧出量があるという記載がありません。これが数値として出始めたのが、昭和30年前後です、戦後ですね。ここから戦後復興を含めて、北浜なんかはもう穴だらけです、はっきり言って穴だらけ、昭和30年以降ですね。
臼杵駅は、大正4年開業以来、城下町臼杵の顔として、人々の交流、経済、文化の発展に貢献し、現在では臼杵観光の玄関口として、また通勤・通学の移動拠点としての役割を果たしています。また、下ノ江駅は、今も残る開業当初からの木造駅舎が地区住民から愛される地域のシンボルとなっています。
現在、竹田市の都市計画区域内につきましては、都市公園として綿内児童公園、総合運動公園、やすらぎ公園、大正公園、竹田荘公園の5か所があります。その中で、現在、遊具を設置しておりますのは、綿内児童公園と総合運動公園中央広場、竹田荘公園児童広場の3か所となっております。
大正14年にお生まれになった方が90歳ということで、戦時色の濃い、本当に小さなときから戦時色の濃い時代を生きて、戦争の真っただ中を国のためにお仕事をされたと。そしてまた、敗戦の後は戦後の復興、そして未曽有の高度成長期に、日本の国をつくってこられた方々でございます。
大正12年建造の馬溪橋は、国指定名勝耶馬溪山国川筋の景の歴史的構成要素であり、中津市指定有形文化財となっています。また、現存する石造りアーチ橋では、全国で4番目に長く、耶馬溪橋、羅漢寺橋とともに「耶馬の三橋」と称されており、文化財的、観光資源的価値に対処した修復事業となります。 続きまして、3ページの特別会計の補正予算について説明をさせていただきます。
玉来の大正地区でサフランを生産し続けている渡部親雄さんがおられますが、この1年間、今年度のこの1年間だけで全国から多くの視察研修が入っております。その数、約150名と聞いております。
しかし、特に学校施設や道路など、明治、大正、昭和初期ごろに建設したものの中には登記簿や公図などが現地と一致していないものがあることは認識しております。市が有しております不動産全てを短期的に調査、処理するのは困難でありますので、まず緊急性の高いものから順次調査をして整備をしているところであります。
靖国神社忠魂史第二巻昭和八年鑑によりますと、既に我が国は、第一次世界大戦のときに日英同盟のもと、大正四年から九年にかけ英国の要請を受け、ドイツ軍掃討等のため、東洋、南洋、インド洋に艦隊を派遣しています。とりわけドイツ潜水艦Uボートからの攻撃を回避するために、第二特務艦隊を地中海方面に派遣し、英国輸送艦等の護衛に当たります。約八十名の病死を含めた戦死者を出しています。
最初に、この馬溪橋は、石造眼鏡橋の長さにおきまして全国1位の本耶馬にある耶馬渓橋、いわゆるオランダ橋、大正12年に建立、長さ116メートル、全国3位の羅漢寺橋、大正9年、長さ89メートルに次ぐ全国4位の長さを誇る橋であります。大正12年に建立され、長さは82.6メートル、甲斐伊造氏によりまして建立されております。
◯十四番(用松律夫君)出産一時金については、この四十万四千円の中身について説明を受けたわけですけれども、大正十五年勅令第二百四十三条第三十六の規定を勘案し、必要があると認めれば、これに三万円を上限ということになるんですけれども、四十万四千円にさらに三万円を上乗せするという理解でいいのか。
一方、家屋につきましては、大正時代の建物でありますが老朽化が激しく、修復する場合は多額の費用がかかることから補助制度等を探してまいりました。しかし、周防屋のある現地は町並み環境整備区域の外にありまして、該当する補助制度がございません。全体としての活用策を時間をかけて検討せざるを得ない状況になりました。
議案第113号 竹田市国民健康保険条例の一部改正について この案は、健康保険法施行令(大正15年勅令第243号)の一部改正に伴い、出産育児一時金の支給額について、所要の改正を行うものであります。
特に人気となっている角館地区は、昭和51年に伝統的建造物群保存地区として国の選定を受け、その町並みは、武家屋敷などの建造物と庭木としての樹木が一体的に保存され、歴史的風致が生きたままで残されており、地域住民の住環境を破壊することなく、住民の生活向上にも配慮しつつ、江戸末期から明治・大正までの武家屋敷町の状態を維持することを基本に保存整備が行われています。
水道局が設置した経営審議会は、大正6年からの時代背景を考えたとき、事業のコストを市民の皆様に依存してよいのかが問われる、より幅広い観点から考えていく必要がある、公費負担については、災害時などに備えるため、公費負担のあり方を議論し、その上で料金による負担を求めるという考え方に立つべきであるとの見解を示しています。
古羅漢は、名勝耶馬渓のうち古羅漢の景ということで、大正12年国指定となっております。昔、空也上人が錫杖を止められたところと伝えられ、古来より羅漢寺とともに修禅の道場であり、岩の上には県指定の国東塔と天然の洞窟にはやはり県指定の石像観音菩薩坐像、岸壁には中津市指定の室町時代の磨崖仏があります。 公共駐車場より、昭和62年に完成した古羅漢探勝道を3分ほど上ったところにその雲セン窟があります。
江戸、明治、大正、昭和の歴史的建造物。黄飯、きらすまめし、茶台ずしなどの食文化、郷土料理。リアス式海岸や農山村の景観。古く江戸時代から続いている四季折々のお祭り。 一番大きな日本の正しいふるさととしては、人であると考えております。臼杵のまちを歩くと、子供たちが挨拶で、第一声で「おはようございます」「こんにちは」。あと、町並みガイドさんの丁寧なお店の案内であると考えております。
ただ、臼杵に鉄道が入りまして、臼杵に駅ができましたのが大正4年ですかね。来年で100年になりますが、これまでも当時の国鉄からJRに関しましては、定期的な点検だとかの中で安全対策をやって、必要な安全対策を行っていただいております。
西郷さんは大正5年生まれ、旧制臼杵中学を卒業後、帝国大学、今の東大に入学しております。また24歳で帰ってきまして、赤八幡様の宮司を引き継いで、26歳のとき、いわゆる昭和19年のときに、津久見で戦争中ですよね、厚生文庫の設立に尽力され、旧明光保育園2階に設置。それともう一つ、私も初めて知ったんですけれども、津久見小学校の校歌を作詞しております。
26年度ですけども、65歳、これが昭和24年4月2日から昭和25年4月1日の方、それから70歳、5年後ですけども、昭和19年4月2日から20年4月1日、それから75歳、昭和14年4月2日から昭和15年4月1日、80歳が昭和9年4月2日から昭和10年4月1日、85歳になりますが、昭和4年4月2日から昭和5年4月1日、90歳が大正13年4月2日から大正14年の4月1日、95歳が大正8年4月2日から大正9
大正時代になりまして、いろんなところが改築されているのですけれども、大正13年に市制になりましたですね。そのときに、これは町営なのか市営なのかわからないのですけれども、共同大浴場が、町のときは26あって、市になって38になったというふうに書かれておりました。