千代田区議会 1989-01-01 平成元年 企画総務委員会 開催日: 1989-01-01
3)ヤムチンの里整備 300年前、喜名部落周辺には古い窯場があり、それが那覇壷屋焼の母体を成してきたもの だと言われる。不発弾処理場の返還後、ヤムチンのあり方を求めて、昭和55年に那覇市の壷 屋焼の窯元4名が窯場を築き、伝統陶芸の中心地となり、現在、18の窯元が立地している。
3)ヤムチンの里整備 300年前、喜名部落周辺には古い窯場があり、それが那覇壷屋焼の母体を成してきたもの だと言われる。不発弾処理場の返還後、ヤムチンのあり方を求めて、昭和55年に那覇市の壷 屋焼の窯元4名が窯場を築き、伝統陶芸の中心地となり、現在、18の窯元が立地している。
一方、一般住民からの指紋採取は一九三三年、ハザマトウで集団部落一万三千余カ所で始められ、抗日軍から住民を切り離すため指紋登録証の常時携帯が義務づけられました。当時旧満州の人口は約三千万人であり、そのうち六百万人から指紋を採取したと推測されていますが、当時でさえ指紋押捺に反対する人がおり、ツウカ、ハザマトウの十四県で八十人が処罰されたという記録が残っています。