足立区議会 2019-03-01 平成31年予算特別委員会-03月01日-02号
私は、鯨岡兵輔代議士の秘書だったから、よく聞いたのは、「禍はに得意に生ず」という言葉があると教わっています。思いがけない不幸というのは、自分の思いどおり事が運んでいるときに生ずるものだということだと聞いています。 今は、3期やって区長は自信もしっかり、3期十分にやってきて、私も見ていて、区長は、細かいことはいろいろあると思うけれども、方向性は私はいいと思っています。
私は、鯨岡兵輔代議士の秘書だったから、よく聞いたのは、「禍はに得意に生ず」という言葉があると教わっています。思いがけない不幸というのは、自分の思いどおり事が運んでいるときに生ずるものだということだと聞いています。 今は、3期やって区長は自信もしっかり、3期十分にやってきて、私も見ていて、区長は、細かいことはいろいろあると思うけれども、方向性は私はいいと思っています。
私は、国会議員たる者、かつて私の恩師であった鯨岡兵輔代議士が、国会代議士、衆議院は代議士となぜ言われるか。国民の代わりに国と国民を守る侍だからだ、こういう説明を私たちが若い頃にしてくれました。
〔三十五番 須賀清次君登壇〕 ◆三十五番(須賀清次 君) それでは、質問に入る前に、故元第五十九代衆議院副議長鯨岡兵輔先生のこの言葉を添えさせていただきます。 「政治は、我々一代だけのことを考えするものではない。
そこでお聞きしますが、元衆議院議員副議長、鯨岡兵輔先生の言葉に、「政治は我々一代だけのことを考えするものではない。先祖から我々がこの社会を受け継いできたように、子どもたちに、この社会をさらにもっとよいものにして譲り渡さなければならないのだから、この世代以上に次の、さらに次の世代について考えるところがなければ、本当の政治とは言えないと私は思う」と言っています。
足立区は、鯨岡兵輔環境庁長官と鴨下一郎環境大臣のお二人が入閣された地域柄であります。区民の環境に対する意識も、他の自治体と比べて高いものと信じています。 区長は、平成19年6月の就任以来、とりわけ環境問題、地球温暖化対策について重きを置いて、まさにこのような状況を踏まえ、機敏に対応し、様々な施策を展開してきたことは、私の思いと同じであります。
私はこうして皆さんの前に立つたびに、私の仲人の鯨岡兵輔先生が、私が初めて政治家になったときに、呼ばれて言われたことをしみじみと思い出します。 白石君、代議士というのは、国民にかわって政治を議する侍なのだ。侍である以上、自ら恥じるところがあったら腹を切って国民のために国民の前でおわびをするのが代議士なのだ、政治家なのだ。こういう話をされました。そのとおりだなと思います。
私が初めて区議会議員になりました折、当時、衆議院議員であった、今は亡き、鯨岡兵輔代議士から、戒石銘の拓本をいただきました。この戒石銘というのは、ご存知の方もおられると思いますが、原典は中国ですが、福島県二本松市にある、霞が城公園の東側入り口に巨大な花崗岩の自然石があります。 丹羽家七代藩主高寛公が儒学者、岩井田昨非の献策によって藩士の戒めとするため、この自然石に四句十六字を刻ませました。
私は、学校を卒業して、自民党代議士の鯨岡兵輔先生の秘書を務めました。政治家の秘書になったのは、お金ではなく何らか社会の役に立ちたいと漠然と思っていたからであります。その後、区議会議員に当選させていただき、もう24年もたちました。今、なぜこのような仕事についているのか考えたときに、それは私の生まれ育った環境が大きく影響しているからだと思っています。 私が生まれ育ったのは足立区の本木です。
恒久平和議連は、鯨岡兵輔、鳩山由紀夫、浜四津敏子、武村正義、土井たか子の各議員が呼びかけ人となり、約100名の賛同者によって、1998年の9月30日に発足しています。 同議連は、衆議院法制局や国立国会図書館からヒアリングを行い、米国議会図書館からも資料を収集し、法案化作業を行い、1999年の8月10日に衆議院に提出しました。
本件は、足立区名誉区民に田口富藏氏並びに鯨岡兵輔氏を選定したく、足立区名誉区民条例第3条に基づき提出いたしたものであります。 功績並びに略歴につきましては、お手元に配付のとおりでありますが、足立区発展のために尽力された功績は、まことに大きいものがあると存じます。 区議会のご同意方につきましてよろしくお願い申し上げます。 ○鈴木進 議長 これより質疑に入ります。