60件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

江戸川区議会 2011-10-12 平成23年決算特別委員会(第5日)-10月12日-05号

関連関連という形になってしまいましたけれども、いずれにしましても、今後ますます少子高齢化の波はどんどん進んでいく現状が予想されている中、高齢者の方々の安心の住まい、生活というのは今後も一つの大きな課題になっていくことは間違いないと思うんですが、本来は今、先ほど同僚委員も言いましたけれども、家族の中で、地域の中で支え合っていくというのが一番の理想だとは思うんですが、核家族と言われる言葉がもう大分死語

江戸川区議会 2011-09-30 平成23年 第3回 定例会−09月30日-03号

今、苦学というような言葉死語ではないかと思います。ですから、自分環境をはねのけても、私は努力して、勉強をして、そして立派な人間になろうと、そういう気概をどういうふうに持たせるかということが、地域全体でやはりどういうふうに持てるかということだと思います。これは口で言ってもなかなかこれは難しいことでありまして、そう簡単なものではないと思います。  

江東区議会 2011-09-27 2011-09-27 平成23年予算審査特別委員会 本文

ゼロメートル地帯という言葉死語になりつつある。そうした中で、まず地形を知らせようということがスタートです。そこから波及して、どういう教育をするかというのは、これは現場、教職員みんなで考えてもらうことでございます。たまたまきょうの朝のフジテレビで、亀戸を中心にした江東区の地形について、ゼロメートル地帯だということをかなり詳しく報道してくれました。

大田区議会 2011-09-21 平成23年 9月  都市・環境委員会−09月21日-01号

◆犬伏 委員 前、アルプス電気に行政センターを売ったときも、相当なお金をかけて改修した後に、売っ払ってぶっ壊したという、もったいないことをやったわけですけれど、いつの間にか日本人はもったいないという言葉死語になってしまったのですけれど、奈須委員が言われたように、金額的には500万円ぐらいの金額ですから、さほど大きな出費ではないのですけれど、あんなにいい場所清掃事務所を置いておいて、あんなにいい場所

墨田区議会 2011-06-22 06月22日-02号

ゼロメートル地帯という言葉が今では死語になりかけてはいますが、近年盛んに言われるゲリラ豪雨や河川のはんらん、津波などの水害に対しては、油断は許されざるものであり、十分な検証と対策が必要だと考えていますが、山崎区長のご所見を具体的にお伺いしたく思います。 現在進行中とはいえ、竪川の耐震護岸工事などは依然未整備であり、菊柳橋などの橋梁の架替え工事も予算上の問題で先送りになっています。

江戸川区議会 2010-09-30 平成22年 第3回 定例会−09月30日-03号

次世代に何を望みますかということですが、それはいろいろ言い方があると思いますが、やはり今、志などということは、言葉がやや死語になりつつあるかなと思うのでありますが、やはり私は、クラーク先生ではありませんけれども、大きな志を持ってくださいと、その志というのは、その前提に社会というものの意識がないと、それは自分自身の志ということでは、それはちょっと志にならない。

板橋区議会 2010-09-30 平成22年第3回定例会−09月30日-02号

向こう3軒両隣という言葉死語になり、核家族化が進み、そして、お互いに干渉することも、されることも嫌う希薄さ、親切があだになってしまう、また、都合の悪いことはすべて他人のせいにしてしまう世の中になってしまった昨今、自分都合ばかりで人のことは関係ないなどという社会の風潮が、自ら授かった子どもの尊い命を粗末に扱い、虐待により子ども心身ともに傷つける行為は許されるべきではありません。  

豊島区議会 2010-07-20 平成22年総務委員会( 7月20日)

反論すると、副都心なる言葉死語化しつつあります。その理由は省略します。  区民の多くは、東口が買い物に便利で、しかも良質な商品が手に入り、おいしい料理が食べられることを望んでいると思いますが、現在、それが可能なのはデパートのみです。回遊といっても、どこを回遊すればよいのでしょうか。新宿には御苑、渋谷では神宮があります。言ってみれば、絵にかいたもち、砂上の楼閣、夢想した蜃気楼。

豊島区議会 2009-03-16 平成21年予算特別委員会( 3月16日)

それはなぜかというと、私は恥という言葉がありますけども、その概念が死語になってしまったと、そういう感じがいたします。人間として、こういうことをしたら人間ではないですよと。私は常に当時の大人あるいは親からそういうことを言われまして、それに反するようなことをすると親が物すごく厳しくしかったと、そういう傾向があります。今はそういう傾向はあるんでしょうか、お尋ねします。

台東区議会 2009-03-06 平成21年 予算特別委員会-03月06日-01号

これはもう死語なのか、それだけちょっと教えていただけますか。 ○委員長 これはどなたが。 ◆杉山全良 委員 いや、新しいことじゃなくて、これが実際にこの区政の中で生きているのかどうか、まず聞きたいわけです。そこからの展開だから。  答える人いませんか。 ○委員長 総務課長。 ◎太田清明 総務課長 前例踏襲といいましても、区役所の行政の事務というのは継続性というのが非常に重要な面もございます。

大田区議会 2009-02-26 平成21年 第1回 定例会-02月26日-02号

沖合展開により、空港用地外となる土地を東京都が取得する方法と時期という文言を死語とする解釈と理由はどこにありますか。確認書は約束事です。契約書にも等しいものです。それをほごにしてはならない。今日までの28年間の経過は貴重な大田区民の意を酌む時間とお考えいただきたい。  事業を起こすことはいかなる事業もどこかに痛みが伴うものです。

世田谷区議会 2008-11-27 平成20年 12月 定例会-11月27日-02号

最後に、社会性の観点ですが、服装の乱れは心の乱れという言葉も今は死語になりつつありますが、町中を歩くと、いわゆる腰ばきスタイルの若者を多く見かけます。中には下着全開で、既に腰ばきという範疇から完全に逸脱している方もちらほらいらっしゃいます。ことしの新成人の集いに私も参加させていただきましたが、ジベタリアンというんでしょうか。

板橋区議会 2007-10-29 平成19年10月29日決算調査特別委員会−10月29日-01号

昔は専業主婦と言ったんですが、今専業主婦という言葉死語です。ほとんどのお母さん方生活のために働いておりますので、でも2歳、3歳ぐらいまでは自分の手で育てようというお母さん方が多いです。在宅で保育をしている、ゼロ歳児を区が預かると約48万円、私立が預かると38万の税金が投入されております。これに引きかえ在宅で子育てをしている人には一銭の税金の投入もない。

杉並区議会 2007-10-01 平成19年10月 1日文教委員会-10月01日-01号

◆けしば誠一 委員  国柄というのは、戦前、天皇制国家ということを指す言葉として、今もう死語ですよ。使われてない。そんな言葉が杉並の教育基本条例の中に存在すること自体、私ちょっと、本当に違和感感じるんですね。  それともう1つ、教育環境についての説明も、全く事実とは違うんですよ。

練馬区議会 2007-06-13 06月13日-04号

基本構想は、今から30年前の昭和52年10月に策定されましたが、30年という時の経過の中で、いわゆる練馬格差と言われた当時のわが区の行政施設水準は、現在、近傍他区と同等かそれ以上の水準に達し、練馬格差という言葉自体、既に死語になっております。加えて、地方自治体をめぐる状況にも、地方分権という潮流の中で大きく変化を遂げてきております。 

世田谷区議会 2007-03-13 平成19年  3月 予算特別委員会-03月13日-02号

昔は隠居制度というのがありましたから、老年を生きる目安というのが大体あったわけでありますけれども、今隠居という言葉死語となりまして、いわばマニュアルのない人生八十年以上の老後をどう生きがいを持って元気に生きていくか、だれもがこの大問題にぶつかっているわけであります。  

港区議会 2007-03-09 平成19年度予算特別委員会−03月09日

ただ、子どものけんかに親が出てくるんじゃねえぞなんていう言葉死語ですけれども、そんな時代がありました。  そこで、実は参考にさせていただいた資料、ちょっと目を通していただきたいのですが、これは男の子と女の子の名前だけは許可を得て出してあります。学校校長先生が全児童に配布したそうです。男の子から言います。自分のよいところを3つ以上挙げなさい。「絵がうまい。音楽がうまい。ボンゴ」。

江戸川区議会 2006-12-04 平成18年 第4回 定例会-12月04日-02号

今や、死語になってしまった感のある「志」という言葉ではあるが、私はあえて声を張り上げて訴えたい、「志を教育根底に据える」教育をめざせ! と。  ここで、区長に「志を教育根底に据える」という事についての御所見をお伺いしたい。  以上で、私の質問を終わります。(拍手) ○議長(渡部正明 君) 多田区長。      

世田谷区議会 2006-03-30 平成18年  3月 定例会-03月30日-05号

道義という言葉は、新聞でも最近はお目にかかったことのない、死語に等しい言葉です。若井田教育長は、親御さんの望む、子どもに学力をつけさせて、なるべくよい学校に進学させたいということより、自分のイデオロギーを教育の場に持ち込むことにご熱心なようで、教育中立性を堅持する立場からは大変問題があると言わざるを得ません。