豊島区議会 2020-11-16 令和 2年豊島副都心開発調査特別委員会(11月16日)
まず開設ですが、明治7年でございます。面積が10.6ヘクタールございます。墓所数が約1万箇所、そのうち空き墓所が約1,800箇所ございます。主要な施設といたしまして、崇祖堂、これは一時収容の納骨の施設でございます。そして霊園管理事務所がございます。下に写真が出てございます。 そして下の段のスライドですけれども、周辺の状況、まちづくりの状況についての記述でございます。
まず開設ですが、明治7年でございます。面積が10.6ヘクタールございます。墓所数が約1万箇所、そのうち空き墓所が約1,800箇所ございます。主要な施設といたしまして、崇祖堂、これは一時収容の納骨の施設でございます。そして霊園管理事務所がございます。下に写真が出てございます。 そして下の段のスライドですけれども、周辺の状況、まちづくりの状況についての記述でございます。
先般、足立区でしたか、多文化共生推進センターのコーディネーターが教育研究会のリモートで説明する方に指定されて、研究事業に参加した多くの教員の方々が聞いていただいたと思うのですけど、明治図書に大田区の多文化共生推進がいかに優れているかということが子どもたちの副読本として紹介されていたのを私も拝見して、ここまで来たのだなというのを感じているので、やはりその仕事の大切さというのでしょうか、皆さんが取り組んでこられて
先日、私、久しぶりにヴィクトル・ユゴーの本を読み返しまして、ご存じのように、ユゴーは19世紀半ばのフランスで、作家でもあり、詩人でもあり、また政治家という一面も持っていまして、ちょうどその頃、教育の無償化ということを提唱した政治家で、日本で言えば明治の維新が終わったその頃の彼の見識というものが、大変改めて私はあの感動した次第です。
ただ現実に、あそこに住んでみて思うのは、明治通りも丸八通りもバスが通っていますよということなんだけど、じゃあ丸八通りからさらに東に行くと、これもうタクシーすら通ってないんですよ、本当に。だから向こうのほうで何か会合とかあると、行きはタクシーで行けるんだけど、行きはよいよい、帰りは怖いで、もうタクシー全然つかまらないですよ。相当歩いて大通りまで出ないと、つかまらないという現状がある。
ただ、その後、この越中島砲台は、明治維新後に明治政府に接収されまして、明治30年頃には商船学校、現在の東京海洋大学の校地となって、その後の工事か何かで損壊したと、ここが推定されます。 ですので、現在、跡地と見られる範囲には、残念ながら明示する遺構は特に残っていないという状況であります。
避難所の体育館については、明治以来ほとんど変化がないということで、国際的に見ても非常に環境はよくないというふうに言われております。世田谷にお住まいで世界で活躍される坂茂さんですが、もう有名になりましたが、紙管を組み立てて、そこに布を置いて仕切りを造る、こういった形での御提案を受けて、区でも協定を結んでいるところでございます。
○石井土木管理課長 そこから先の部分のところ、やはり歩道のところ、明治通りとか、そういったところですと非常に交通の量が多いような状況ですんで、なかなか車道を走るというのは難しいのかなと思っております。
その中には早稲田大学や明治大学の応援歌や、誰もが一度は耳にした歌謡曲をはじめ、世田谷区の小学校はもちろん、全国の数知れない学校の校歌を作曲するなど、その庶民的な楽風は今でも多くの人の心に響いております。 同氏が福島県の出身であることは、ドラマをきっかけに浸透していますが、東京に出てきてからは世田谷区代田に居を構え、生涯世田谷区民であったことはあまり知られていません。
○高野区長 本当にこの東池袋一丁目の開発、こういう形で展開する、私たちも想定してなかったとは言いませんけれども、本当にこのような形でHarezaから明治通りを渡って、また東池袋一丁目という、全く道路によって、まちの活用が変わっているのかなと思っていたんですけれども、今回、一体的な開発というような、私は今回の開発というのは、いろいろ紆余曲折あったとしても、住民の要望も含めながら、さらには、一番は、これからの
新型コロナウイルスによる生活環境の激変は、明治維新、先の大戦に次ぐ日本の近現代第3の転換期と指摘する識者もいるほどです。新たな視点に立った区政運営によって、安全・安心を区民にもたらすことを願い、質問を終わります。ありがとうございました。(拍手) ○広川 副議長 理事者の答弁を求めます。 ◎須川 危機管理室長 初めに、感染症対応タイムラインの策定に関するご質問にお答えいたします。
また、学校名の左側の欄外、黒の星印の付いております明治小など8校につきましては、マンション急増等の理由により、昨年度に引き続き、通学区域外からの受入れを行わないこととしております。ただし、受入れを行わない学校におきましても、特例といたしまして、現在通学している兄や姉が令和3年度も在学する場合や、在学期間中に希望校の通学区域内への転居が可能な場合は学校選択を認めることとしております。
あわせまして、Hareza Towerの西側、東側の関係なんですけれども、明治通りを例えば北区側から来た場合に、今まではこのHareza Towerを通り過ぎて信号のところを左に曲がる、こういうような道しか入れなかったわけですけれども、このHareza Towerの東側の道路、この一方通行を規制解除することによって、この六ツ又の交差点からHareza Towerの手前で左に曲がることができるようになると
○星京子委員 私どもも明治通りに隣接しているものですから、もう毎日のようにスーツケースから何か投棄されているような状況で、この辺も不法投棄対策として、やはり今後進める中でも、対策をちゃんとしっかりと強化していただきたいというところがございます。 もう一点、委員長。
仮に「議員の紹介」に拒否権があるとすれば、明治憲法の請願における行政検閲と同様である。「議員の紹介」は、独任機関としての議員の公務であるから、当該公務を行う公務所の所在が明示されるべきであるが、法令にも議会規則にも規定がない。
都立松沢病院につきましては、先ほどもお話しございましたが、明治十二年という古い歴史がございまして、その後、世田谷区内に移転され、最近では、平成二十四年でございますが、本館の診療棟が開設されてございます。こちらの松沢病院につきましては、入院が八百九十八床、そのうちほとんどが精神病棟でございます。中身としては、精神科の医療とか認知症医療、精神科のリハビリテーションなどが行われてございます。
さらに二つの別館、明治二十年頃に建設された木造二階建ての小豆島、明治三十三年頃に建設された木造二階建ての花樹海と茶室や昭和初期の蔵があります。中でも明治三十三年に建てられた花樹海は、藤田四郎氏の本邸の一部を移転し、紅梅屋敷と呼ばれていたそうです。その後、真珠王である御木本幸吉氏の別邸となりました。
そこで、丸八通り、環状4号線と接続する道路をつくって、明治通りに迂回ができるようにするという説明もこれまで受けてきましたけれども、ことしの6月、最近、新砂二・三丁目まちづくりの連絡会が設置をされて、いろいろ地元の地権者の方が集まられて、いろいろ意見交換をされたと思いますけれども、その中でどういう意見等が出されていたのか、これが1つです。
ただ、東京都からその都度回答というものはもらっていない状況ではございますけれども、例えば、今回の資料の2ページの3)のボランティアなどについても活用を呼びかけていたところ、分別ナビゲーターという形で、江東サポーターズに推薦依頼が来たりとか、また、こどもたちがいろいろなところで演奏、ブラスバンドができるようにということであれば、夢の島の競技場の完成披露式典、こちらで明治小学校の吹奏楽が演奏してございますし
この小松川線の道路の南側、マンションのほうですけども、道路の南側に設置されている遮音板ですが、明治通りから陳情者宅の前を通って錦糸町方面に向かう区間の遮音板が、この小松川線全区間の北側に設置されている遮音板やその他の区間と比べて1メートルほど低くなっております。
陳情にもあるように、都立病院は明治初期に流行したコレラやチフスなどの感染症の流行に伴い開設され、140年の長い歴史を持っています。時代の移り変わりとともに変化する都民の必要な医療の確保を使命として、かけがえのない役割を担ってきました。 現在、診療報酬だけでは採算の確保が困難な小児・周産期医療、難病医療など、民間の医療機関だけでは担いきれない医療を都立・公社病院は提供しています。