江戸川区議会 2018-03-06 平成30年予算特別委員会(第6日)−03月06日-06号
ところが、大正6年の高潮だとか、いろいろな災害を受けて、昭和32年には4.5キロメートルにわたる海岸堤防ができて、さらにその後に産業の重化学工業化が進んで、東京湾が汚染をして、さらに葛西沖の後背地のほうについては、建設残土が捨てられたり、廃棄物が捨てられたりと、さらには地盤沈下もあって非常に荒廃した状態になったと。
ところが、大正6年の高潮だとか、いろいろな災害を受けて、昭和32年には4.5キロメートルにわたる海岸堤防ができて、さらにその後に産業の重化学工業化が進んで、東京湾が汚染をして、さらに葛西沖の後背地のほうについては、建設残土が捨てられたり、廃棄物が捨てられたりと、さらには地盤沈下もあって非常に荒廃した状態になったと。
本交差点を右折する大型トラックは主に栃木、茨城、埼玉など、建設残土などを積載する大型車両です。これらの車両は環状七号の渋滞を回避すべく、恐らく三郷で高速をおり、環状七号を南下していく車両が多いそうです。都市計画道路二百六十四号線の拡幅も進捗し、道路幅により車両の増加、スピードなど危険が増します。終日規制は難しいと思いますが、せめて通学時間の朝八時ごろまでの規制が必要なのは明らかです。
本区の環境問題の歴史は、昭和三十年代後半から急激な人口流入による市街化に都市基盤整備が追いつかず、河川、中小水路の汚染、汚濁など、さまざまな問題が生じ、昭和四十四年に区民、行政が一体となって環境浄化対策会議が設置され、葛西埋立地区における産業廃棄物や建設残土など、不法投棄阻止のごみ戦争を経て、本区の環境のシンボルとして広く区民に愛される標語「ゆたかな心、地に緑」が、緑化の意味だけでなく、本区の街づくりの
この記事によれば、スーパー堤防構想が発案されたかつてのバブル時代は、空前の都市開発ブームであり、容積率緩和で、建設残土、汚泥の処理場不足は深刻になっていたといわれています。 スーパー堤防の対象区域は、関東の利根川・荒川・江戸川・多摩川、近畿の大和川・淀川の五水系六河川、延長八百七十二キロ。