板橋区議会 2009-02-23 平成21年2月23日企画総務委員会−02月23日-01号
むしろいろいろなことを、気がつかなかったことをすぐに悔い改めて、改善をして直していくということが、李下、中国のことわざじゃないけれども、君主、首長であると思うんで、そういった意味ではどういう意見が飛び出すかわかりませんけれども、私はこういう事例があるんです。やっぱり同じく民間でトップが下りてきて、パートの人が、要するに自転車に乗って、2着しかパンツがないんですよ。
むしろいろいろなことを、気がつかなかったことをすぐに悔い改めて、改善をして直していくということが、李下、中国のことわざじゃないけれども、君主、首長であると思うんで、そういった意味ではどういう意見が飛び出すかわかりませんけれども、私はこういう事例があるんです。やっぱり同じく民間でトップが下りてきて、パートの人が、要するに自転車に乗って、2着しかパンツがないんですよ。
上杉鷹山の恩師である細井平洲は、君主は民の父母たれとの教えに基づいて藩政を行ったとあります。松原区長の区民が主人公とのお考えと相通ずるものがあると思います。 今、年金問題が区民の大変な関心事になっています。区民の皆様はこの問題に対して多くの不安と不信を持っております。昨日も区の対応について質問が出ていましたが、区民の不安と不穏を解消するために、相談窓口を拡大していただきたいと思います。
1年生のときに庁舎移転問題が起きて、私、区長に散々専制君主とか、辞めてしまえとか、散々毒づいて、いきがっていたというのですか、大騒ぎも、もちろん真剣に反対をしていた。
◆茂木孝孔 委員 区長室長、違う、これはちゃんとね…… (「聖人君主じゃないんだ」「何で違うんだ」と呼ぶ者あり) ◆茂木孝孔 委員 いや、きちんとね、区長交際費のあり方と、台東区全体では区長が使ったり、いろいろなやっているものっていうのは、これだけの予算があるわけですよ。これだけの予算が。区長は。それで、その中に食糧費だとか役務費だとか、いろいろなのがあるんです。
そういった形の中で、民族というのが、ネイティブハワイアンが少なくなっていって、そして、当然、そのときのハワイ王朝、名目だけの立憲君主制ですから、当時の王朝、王様、女王のときもあるんですけども、女王様は、いつか、このハワイの共和制、アメリカが来ると共和制になっちゃうんですけども、これを倒したいという形でいろいろと民衆とともに立ち上がって、そして、さまざまくじけちゃったいきさつがあるわけですね。
宮坂委員は、大日本帝国憲法なんですが、天皇は神聖にして侵すべからず、私の考えでは今の象徴天皇制をあらわしている、立憲君主制、現憲法と大きくは変わらないと述べ、また、戦争は国と国とのけんかだと思っています、けんかというのはそれぞれ言い分がある、日本は戦争をやらざるを得なかったと言い、軽い表現であったと訂正しました。これが教育委員としての的確な発言と言えるのか、尋ねます。
今、わが国は国民主権の国家であり、君が代を君主国家、天皇の国ではありません。にもかかわらず、国は法制化によって反対する多くの国民に君が代を押しつけてきているわけですが、当時の小渕首相は、前段で国旗と国歌に関して、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんとわざわざ断りを入れる談話を発表しなければならず、反対世論を押し切っての法制化であったことは言うまでもありません。
区議会議員とて聖人君主ではありません。失敗もあります。その失敗を犯したときの態度でその人の価値が決まります。率直にわびる、それこそが区民により選ばれた我々のとるべき態度ではないでしょうか。黒沼議員には、街頭演説でも何が悪いのかとの趣旨の発言を繰り返されているようでありますが、見苦しいだけですから、おやめなさいと老婆心ながらご忠告申し上げます。
106: ◯清水副会長 君主の「君」ですか。
つまり、もともと18世紀イギリス等で専制体制から議会をつくって、専制君主が持っている税金をかける権限とか、そういうのを住民の側に取り戻したわけですよね。
日本も含め、君主制と専制政治の政治体制から、国民主権の民主共和制の政治体制への地球規模での巨大な転換、人権の保障という面でも、政治的な権利だけでなく、生存権、労働権、教育権、男女平等などの保障が当然のこととなりました。
人類史上、このように絶対者に服従する正義の行動は、神権政治や絶対君主制、ファシズムのもとにおいて何度もあらわれ、残忍な大量殺人も宗教や正義の名のもとに繰り返された。人の真理として強い強権者が存在し、段階的に残忍な行動をエスカレートしていくと、個人の良心や責任感の働きを妨げ、権威者の命令に服従して、非道徳的な行為にも手を染めてしまうという性質がミルグラムの服従実験として公に認められている。
○委員(小斉太郎君) 私も聖人君主じゃないですから、何回か違反をして警察の行政処分を受けて講習を受けに行ったこともあります。そこで必ず言われるのは、1回ここに来た人間は、2回、3回と来る割合が非常に高いんですということを言われました。
荒村は君が代について古今集の詠み人知らずの「我が君は千代にまそまし」とある句を君が代は「千代に八千代に」と改作をして、天皇の御世をとこしえにと祈るもので、余りに君主主義的な句であると批判をしています。明治の時代、このように批判をする人は少なかったかもしれませんが、今日の時代においては橋本知事のように考えている人の方が多数も占めているのではないでしょうか。
詩の書き出しは、楊貴妃が皇帝に見そめられて、「一朝選ばれて君主の側」、それ以来皇帝は楊貴妃を溺愛し、政治を怠りました。ついには安禄山の変が起きます。詩は「漁陽の鼓 地を動もして来たる」と記されて、反乱軍の勝ちです。皇帝は長安を脱して成都に向かいます。しかし、近衛師団の兵士が言うことを聞きません。「六軍発でたたざれば奈何ともする無く 宛轉たる蛾眉のひと 馬前に死す」--こう詩はうたっています。
◆石塚一信 委員 いずれにしましても、この間お話ししましたけれども、十八世紀の末には君主制度の崩壊があり、また十九世紀の末には産業革命、この二十世紀の末には東西の冷戦、イデオロギーの崩壊というようなことがありまして、時代は変わったわけですね。これから変わっていくわけです。
十八世紀末における君主制度の衰退、十九世紀末においては産業革命に伴う文化、文明と労働者階級制度の変化、二十世紀に入って二度にわたる世界大戦、そして今日、二十世紀末には、ご承知のとおりベルリンの壁の崩壊と大国ソビエト連邦の民主化に始まる社会主義の後退、それに伴う東西冷戦構造の終えん、さらには新しい国際関係の始まりなど、世界は目まぐるしく動いております。
むしろ諸外国では、英国の国歌のように、君主を敬う国歌がたくさんあります。それなのに、一時期の明治政府の押しつけどおりの解釈を自分たちの都合にあわせて、ただ体制に反発する道具に使い、本来の意味をとり違えている姿は、世の中の移り変わりを認識せず、やがて二十一世紀を迎えようとしているとき、もはや過去の考え方と言わざるを得ないのであります。
二十世紀の世界の歴史の流れは、諸民族が植民地支配を打ち破って、次々と独立を勝ち取った時代であり、また、君主制や独裁政治から、主権在民を原理とする民主主義の方向へと大きく転換した時代でもありました。
ほかは皆、君主制や独裁制だったのであります。民主主義のバロメーターと言える女性の権利を見ても、女性参政権があったのはニュージーランド一国だけでした。ところが、今では、国民主権、普通選挙権、女性参政権は世界の常識になっているのであります。 その一方、この歴史の大きな流れにさからったものは、次々と歴史の審判を受けてまいりました。