江戸川区議会 2017-03-15 平成29年 3月 文教委員会-03月15日-12号
例えばですよ、例えば今大阪で騒がれているような何とか学園のように教育勅語を暗唱させているような学校があったとしても、それにも気がつかないということになっちゃいますよね。ですから、学校がどういうふうにやっているかというのを把握しておいたほうがいいんじゃないですかという質問なんですけど。
例えばですよ、例えば今大阪で騒がれているような何とか学園のように教育勅語を暗唱させているような学校があったとしても、それにも気がつかないということになっちゃいますよね。ですから、学校がどういうふうにやっているかというのを把握しておいたほうがいいんじゃないですかという質問なんですけど。
皇室教育とか、自衛隊についての教育についての関心についてとか、あと、宗教教育とか伺ったんだけれども、今、籠池理事長の学校で、森友学園で、教育勅語を幼稚園で教えていて、異様だとか何とかって言う人もいるけれども、そのもの自体の、森友学園のことをとやかく、今、話はできませんけれども、教育勅語自体は悪いものではない。
今の森友学園の問題でいろいろ、教育勅語がどうとか、いろいろな話が出てきていて、また改めて道徳とかしつけとか、そういうことが非常に問題になっているわけですけれども、その辺について、区のほうとして、やはりこういう調査研究委員会の先生方、校長先生方がいろいろ研究するわけだから、その辺でのそういう何か方針的なものとか、そういうのは特にあるんですか。 ○委員長 指導課長。
◆瀨端勇 委員 私はこの目で、今、国有地払い下げの問題などで話題になっている森友学園が運営する幼稚園での教育勅語の暗唱、あるいは運動会の宣誓で安倍首相頑張れ安倍首相頑張れ、安保法制国会通過よかったですというような宣誓をさせる教育が行われているということが報道その他でも知らされています。
戦前の教育は、教育勅語を教え込むことが最大の目的とされていました。子どもたちは、一字一句を暗記し、天皇と国家に奉仕する臣民として育てられました。お国のためと信じ込まされ、戦場に送られ、たくさんの命が失われました。
私の申し上げた、教育勅語の一文にそのように書いてあります。父母の大切さ、そしてみんなで社会に貢献しようねと書いてあります。この道徳教育を4月から何とか取り組んでいきたい、取上げていきたいという答弁をいただきました。 どのようにカリキュラムをつくり、どのように学校に示し、いつ、どことどこの学校でどのように実施され、その報告はいかがであったでしょうか。
◎菅野 指導課長 教育勅語の口語訳の一つと思われます。 ◆犬伏 委員 おっしゃるとおりであります。これは、明治23年に発表された教育勅語をわかりやすく口語訳にしたものであります。 ところがこの教育勅語は、昭和23年6月19日に衆議院・参議院でこの教育勅語を無効にするという決議をされて、無効になってしまいまして、今は教育基本法がこれにかわるものと言われております。
本会議質問にもありましたが、教育勅語も暗唱できるような教育体制があればもっと良いのかなという気もいたします。 東京駅伝で頂点に立った足立区でございます。次回の優勝に向けて、そしてまた百人一首大会、これは齋藤教育長の頃ですが、強い思い入れでスタートして、随分盛んになってきましたので、更なる充実を願って次の質問にいきたいと思います。
第4回の定例会で、我が党の質問に対して、教育勅語の必要性がありました。教育勅語は古い話のようにお思いでしょうが、今、その中身は全く日本人の当たり前の心を当たり前に言っているだけであって、文部科学省においてもその必要性が検討されております。そして、その教育勅語、補助教材の導入に当たって、第4回定例会では教育委員会は前向きに検討していきたいというようなお答えがありました。
戦前は、教育勅語や修身を使い、道徳教育が進められて、親孝行や礼儀、勤勉等々を学び、日本人の人格形成がなされてきました。 しかし、残念ながら昭和20年の敗戦に伴い、占領軍指令により姿を消し、加えて、教育労働者たちにより、戦前教育が日本の国家主義を助長したとうそぶき、道徳教育を破壊してしまいました。日本人の古き良き伝統的な奪われているのです。
天皇陛下の終戦の勅語をまさに8月15日に聞いたわけであります。そのことを今から思い出しますと、憲法第9条に定められた、戦争を国民は永久に放棄をするという解釈が私は正しいのではないかと、このように思っております。 そしてまた、日本国の憲法があるから、我々は日本の国家に忠誠に生きているわけであります。憲法の解釈が勝手に許されるならば、何のための憲法であるか。
子供の精神を侵略戦争に駆り立てた教育勅語に象徴される戦前の教育の反省から、憲法の精神は政治の教育への介入を禁止いたしました。昨年、教育委員会制度が改悪され、教育の政治介入に道が開かれました。首長の教育大綱が教育行政の最上位に位置づけられたのであります。
1つ目は、教育勅語の精神と江東区教育理念の策定についてです。 敗戦前、学校教育の中心は修身科を中心とする道徳教育であったことは周知のとおりです。
戦前の教育勅語で道徳の内容を定め、修身などで教え込み、子どもたちを戦争に駆り立てた戦前の軍国主義教育を彷彿とさせます。教育への国家統制の強化は戦争ができる国づくりと結びついています。 今年は中学校の教科書採択が行われますが、採択においては、現場教員の意見が十分尊重され、民主的に決められることが重要です。
では、すみません、せっかくなので、教育勅語のところでお願いします。
区立学校で、教室に教育勅語が張られていたという報告が区民の方よりありました。張られていたもののコピーもいただきました。一見するとデザイン性があり、平易な英語の文章もあり、「これが教育勅語?」と思うようなものでした。だからといって、また、たとえ「教育勅語」という文字を消したからといって、教育勅語には変わりはありません。
この、こうした道徳項目に触れるとき、教育勅語を引き合いに出さなければならないのかどうか。教育勅語が初めてこれを言ったのかどうか、まずその認識についてお答えください。 ◎教育委員会事務局次長 道徳教育における教育勅語との関係性についての考え方でございます。 おはようございます。済みません。申しわけございません。
下村文科大臣の、教育勅語は至極真っ当だという発言は、まさにその典型というふうに言わなければなりません。 また、侵略戦争を美化する改憲の立場に立った育鵬社教科書の採択を主張する団体、教科書改善の会では、ほとんどの教科書は改正された教育基本法の趣旨を反映しているとは思えないと批判をして、改正教育基本法に最もかなっていると評価されている教科書が育鵬社だとも宣伝をしております。
その代表的な一例が、明治23年、1890年10月30日に出版された「教育勅語」にほかなりません。日本人として持つべき心得を的確にあらわしています。わずか315文字のリズミカルな例文であり、今の子どもたちにいきなり「教育勅語」を読ませるのは無理難題な話ですが、これを簡単な言葉に直したものが明治神宮崇敬会から発行されています。これを板橋区の道徳教材として使用することを提案いたします。
ただ、聖徳記念絵画館に行き、それがきっかけで改めて今、五箇条の御誓文や教育勅語も勉強して、このようなことも書いていたのだと今になって議員という立場でじっくり読んで、さらに十七条の憲法まで少し見直してしまいました。