板橋区議会 2024-03-05 令和6年第1回定例会-03月05日-03号
この計画は、江戸時代を通して板橋区にありました加賀藩下屋敷が、明治政府の誕生とともに明治政府陸軍(省)の板橋火薬製造所として受け継がれ、日本の産業近代化を牽引してきました。そして、近年この地より火薬弾道試験に使用された弾道管が発見され、2017年、平成29年には国の史跡指定を受け、今日を迎えております。
この計画は、江戸時代を通して板橋区にありました加賀藩下屋敷が、明治政府の誕生とともに明治政府陸軍(省)の板橋火薬製造所として受け継がれ、日本の産業近代化を牽引してきました。そして、近年この地より火薬弾道試験に使用された弾道管が発見され、2017年、平成29年には国の史跡指定を受け、今日を迎えております。
板橋火薬製造所は、1871年、明治4年に兵部省が江戸最大の大名屋敷であった加賀藩下屋敷平尾邸の跡地の一部を確保し、1876年、明治9年に開業した官営工場であり、明治政府が初めて設置した近代的な西洋式火薬製造所として、1945年、昭和20年まで国内で有数の火薬工場として稼働していました。
◎政策経営部長 史跡公園の周辺は、板橋宿であったり、加賀藩下屋敷跡などの歴史的資源や板橋こども動物園、植村記念加賀スポーツセンターなどの対外的にも発信力のある魅力的な施設が存在し、大変ポテンシャルの高い地域であります。
近くには宿場町の名残のある仲宿商店街や、石神井川の桜並木、縁切榎など、観光スポットなど、また加賀藩下屋敷だった歴史的背景、板五米店など、若い世代にも魅力を感じてもらえる場所がたくさんあることを再認識いたしました。平成30年の10月、11月に行われた、国史跡陸軍板橋火薬製造所跡文化財講座には、定員が90名のところ応募者数が100名だったと伺っております。
その一帯は、中山道板橋宿と接して加賀藩下屋敷が置かれ、その後、板橋火薬製造所、陸軍の兵器廠、理化学研究所と江戸時代から明治、昭和にかけて歴史が感じられる地域です。 そこで伺います。板橋区史跡公園に対する区長の意気込みを伺います。
その下の本質的価値の理解を助ける価値として、先ほどの価値に加えまして、加賀藩下屋敷のこと、中山道板橋宿のこと、工都板橋の淵源などの歴史の重層性についての評価が加わってまいります。これらが本質的価値を構成するものでございます。 これらの価値を再認識しつつ、文化財として確実に保存していかなければいけないんですが、有意義に活用していく、その必要性もございます。
その昔、区内にありました平尾宿は中山道と川越街道の分岐点としての役割を果たし、隣接して加賀藩下屋敷とともに繁栄してきた板橋から見れば、このたびの10周年記念は、板橋区の新たなる交流の歴史が生まれるチャンスでもあります。積極的な取り組みを提案いたします。区長のご見解を伺います。
一方、板橋区は、中山道の宿場町として栄えた板橋宿を中心に、街道沿いの商店街の活性化や、周辺に存在する史跡公園の整備が推進されている旧加賀藩下屋敷、東板橋体育館の改修にあわせた植村冒険館との複合化などで、訪れたくなるまちの実現を目指しているところであります。
確かにおっしゃるように、例えば産業観光といった分野、中山道や加賀藩下屋敷、板橋宿などが大変盛んだということで、そういう形にしたらどうかというご意見、またばらばらになっている観光資源を、ある程度ストーリーでつなげていき、例えば農業や工業、産業、水運といったものも生かして、体験型にするのはどうかとか、さまざまなご意見をいただきました。
板橋区には、板橋宿や加賀藩下屋敷など名所旧跡のほか、商店街を中心とする商業、赤塚地域の都市農業、荒川沿岸部などの工業が併存しており、都内有数の産業都市としての顔を持ち合わせ、長い歴史と伝統と調和する魅力あるまちがあります。このような中で、産業と観光を融合してはどうでしょうか。川の堰や橋などインフラ施設や工事中の現場を観光資源化する取り組みを板橋区も始めましょう。
板橋区には、旧中山道、板橋宿から加賀藩下屋敷跡周辺の名所旧跡をはじめとして、また、1000年の昔から脈々と受け継がれている徳丸・赤塚地域の神事、田遊びなど有形無形の文化財が今も数多く息づいております。また、近隣商店街を中心とする商業、赤塚地域における都市農業、荒川・新河岸川沿岸部などの工業が併存をしております。
今後は、加賀藩下屋敷としての歴史があり、近代日本の産業発展の原点でもある史跡公園の地域を区内外に向けて重点的に情報発信をし、板橋区の観光のシンボルとしてしっかりと育成をしていきたいと考えています。あわせて、これを契機としまして、板橋区と金沢市の観光ボランティアの相互交流や金沢の中学生の修学旅行の誘致などを推進し、区民、市民レベルでの交流をより積極的に事業展開してまいりたいとも考えています。
野口研究所と理化学研究所の跡地は、元加賀藩下屋敷の一画に含まれておりまして、板橋の近代化産業遺産を現在に残す文化財的にも重要な地域と認識をしておりまして、これらの跡地を保存活用するため、現在、関係機関と具体的な調整を進めているところであります。
加賀公園には加賀藩下屋敷の回遊式庭園の一部の築山が残り、野口研究所では日本最古の射撃場と火薬研究が行われた遺構が残っております。一方、対岸の理化学研究所板橋分所では、物理や光学分野での近代科学の礎となった研究が行われたほか、ノーベル賞を受賞した湯川、朝永両研究者を輩出した研究施設が残っております。
そのために、対岸の理化学研究所の施設群や隣接する加賀公園を合わせ、板橋の産業発祥地の象徴的な施設、また板橋の近代化遺産の拠点、さらには加賀藩下屋敷から続く史跡公園、加えまして金沢市と板橋区との交流の原点というような景観整備をすることが考えられるのではないかと思っております。
そのためには、対岸の理化学研究所の施設群や隣接する加賀公園をあわせ、板橋の産業発祥地の象徴施設、板橋の近代化遺産の拠点、加賀藩下屋敷から続く史跡公園、さらには金沢市と板橋区との交流の原点として景観整備することが考えられます。この構想を実現するために、区として土地を取得することを含め、国や都と連携をし、あらゆる手段を講じてまいります。 いただきましたご質問の答弁は以上でございます。
区の友好交流都市・金沢市の前身・旧加賀藩下屋敷跡に立地する野口研究所敷地内の希少な施設群について、総合調査を実施するとともに、東京都が行う理化学研究所板橋分所の調査結果も踏まえ、文化財・近代化遺産としての保全を目指し、関係機関との協議を進めてまいります。 第3の柱は、「安心・安全ナンバーワン」であります。 阪神・淡路大震災から20年、東日本大震災からも早4年が経ちました。
これらの評価を受けまして、板橋区としましては、表記の4点から、産業都市板橋の原点である遺産群については、ぜひ文化財として保存し、できれば、加賀藩下屋敷の遺構が残る加賀公園や川向こうの理化学研究所の施設もあわせて、一帯を史跡公園として景観整備ができればというふうに考えておるところでございます。 報告は以上でございます。 ○委員長 ただいまの説明に質疑のある方は挙手願います。
ご承知のように、全国的にも大変有名な金沢市は、加賀藩前田家の城下町として発展しましたが、板橋の板橋宿「平尾」の地には、約21万ヘクタールにも及ぶ広大な加賀藩下屋敷がありました。当屋敷は、当時最大規模の江戸藩邸であり、江戸市中への大名行列に際して衣装改めが行われるとともに、家族や家臣の出迎えと見送りの場として重要な役割を果たしてきたということでございます。
板橋分所のございます加賀地域は、加賀藩下屋敷から火薬製造所を経て産業都市として発展を遂げた区の歴史を物語る重要な地域であるとともに、研究機関等の集積や石神井川の景観的な魅力など、すぐれた地域資源の宝庫であると認識をしております。このため、板橋分所の研究機能の存置の問題とともに、板橋分所の歴史的建造物を核とした周辺地域の発展についても、あわせて取り組んでまいりたいと考えています。