新宿区議会 1989-03-01 03月03日-02号
この米ソにおける対話路線とともに、イラン・イラク戦争の停戦を初め、アフガニスタンからのソ連軍の撤退、カンボジアからのベトナム軍あるいはアンゴラからのキューバ軍の撤退、さらには、ソ連軍の兵力削減や中ソ首脳会談の決定など、国際情勢は、流動的ではあるものの、全体として平和を指向して動き始めております。 しかし、未だ世界各地には、戦禍の絶えない地域があることも現実であります。
この米ソにおける対話路線とともに、イラン・イラク戦争の停戦を初め、アフガニスタンからのソ連軍の撤退、カンボジアからのベトナム軍あるいはアンゴラからのキューバ軍の撤退、さらには、ソ連軍の兵力削減や中ソ首脳会談の決定など、国際情勢は、流動的ではあるものの、全体として平和を指向して動き始めております。 しかし、未だ世界各地には、戦禍の絶えない地域があることも現実であります。
かつて、ベトナム戦争の最中、アメリカの軍事介入に対する抗議の意思表示として、黒腕章をつけ、登校しようとした生徒が、学校によって登校禁止処分に付されました。彼らが処分の取り消しと損害賠償を求めたティンカー判決において、アメリカ連邦裁判所は、「表現の自由は学校においても、教師及び生徒に妥当する。
朝鮮でも、ベトナムでも核兵器使用の検討がなされたと言われてきましたが、国際世論がそれを許さないできました。だからこそ、核兵器を使いたいと思っても使用できないできたのです。 今、日本国民の平和への願いにもかかわらず、全国で核基地化の疑惑が深まり、日本国民の合意であり、国是である非核三原則の空洞化が憂慮されています。世論調査の結果でも、多くの国民が核兵器の持ち込みを心配しています。
それにひきかえ、かつてのベトナム戦争で、兵役拒否をする青年たちがホワイトハウスの前で、認識票を勇気をもって破棄していた光景や韓国の光州事件で殺された息子の遺体に取りすがって声の限りに「アイゴー、アイゴー」と叫んでいた母親たちの姿をテレビの映像で見るにつけ、国家によって侵された自分たちの生きる権利を必死に表現していたと私は感じております。