阿賀町議会 2022-03-09 03月09日-02号
また、お聞きをするところによりますと、長谷川議員さんも実行委員として、あそこの場で昭和の乗り物実行委員会というすばらしいイベントを企画をして、これから実施をしていただけるという情報も私も聞いているところなので、それを非常に楽しみにしているというところでもありますので、ぜひよろしくお願いしたいと思います。
また、お聞きをするところによりますと、長谷川議員さんも実行委員として、あそこの場で昭和の乗り物実行委員会というすばらしいイベントを企画をして、これから実施をしていただけるという情報も私も聞いているところなので、それを非常に楽しみにしているというところでもありますので、ぜひよろしくお願いしたいと思います。
また、こうした県ばかりじゃなくて、特に国もそうでございまして、私になってから行き始めているのは、昭和電工本社、また、私の出身でありますけれども、東北電力の新潟支店であったり、これまた阿賀町に関係のあるというかゆかりのあるというふうなところは、私も積極的に動いておりますし、新潟大学、星稜大学、新潟医療福祉大学、こうした大学の関係、また新潟商工会議所等々、私としては、そうした動きというふうなことでは、時間
本市においても支援を必要とする方がいることから、令和2年度から、昭和45年4月2日から昭和61年4月1日までに生まれた就職氷河期世代に対象を限定した採用試験を実施しております。 〔志賀泰雄議員 発言の許可を求む〕 ○副議長(金子益夫) 志賀泰雄議員。
具体的には、昭和38年度の生まれている方から昭和42年度の生まれの方までの5年間で、60歳から1歳ずつ定年を延ばしていくという内容になっております。最終的には昭和42年度生まれの方から65歳定年ということで暫定ではない運用になっていく、それが令和14年度の予定になっております。
その下のナンバー42、スポーツ&カルチャーツーリズム推進事業は、バスケットボール千葉ジェッツふなばしプレシーズンマッチの開催に要した経費の一部であり、国が示す催物の開催制限に基づいて、入場者数を収容定員の50%以内に制限する必要が生じたことから、市民の観覧機会を確保するため、開催日を1日増やして2日間といたしました。
元を返しますと、これというのは歴史をちょっと振り返りますと、やはり昭和17年から平成7年まで、延々と食糧管理法、俗に言われる食管法で農業が守られていたという部分もございます。途中で減反政策が始まったわけですけれども、その間生産者米価、消費者米価、そういった形で価格が決められたわけございます。
当該箇所につきましては、昭和61年に当時の板倉町大字別所地内において、森林法の規定による林地開発行為を新潟県が許可したものでございます。この林地開発行為に当たりましては、当初の計画期間を変更し、変更後の許可期限は令和5年7月31日となってございます。
特別委託料は、保育士人件費の公私格差是正を目的として昭和40年代以降、国制度の運営委託費に上乗せする形で私立園側に支出してまいりました。
新発田市のホームページによれば、普及率は平成19年度の42.8%から約37%改善しています。結果、下水道への接続可能人口は著しく増えています。しかし、肝腎の接続率は新潟県下で最下位となっており、設備投資が十分に生かし切れない状況であり、水質環境の改善でもユスリカや蚊が発生し悪臭などの問題となっています。
そのうち18歳未満の子供のいる世帯が42世帯で、被保険者は467名でございます。必要な予算といたしましては、年間約120万円でございまして、以前お答えをさせていただいた金額よりも30万円減、少ないという試算の結果でございます。
場合によっては、昭和40年代の高度成長期におけますテレビや冷蔵庫に匹敵するものかもしれません。スマホやパソコンの操作は、私自身も使いこなすというところには至っていないレベルでありますので、年齢を重ねた方々が使うというふうなことは、これ、なかなか大変なことであるというふうに認識しております。
五十公野保育園は、昭和43年に現在の保育園の向かいにあります上町公会堂の敷地に開園いたしました。当時の日本社会は、高度経済成長期から安定成長期へ移行する時期で、第2次ベビーブームを迎え、この五十公野保育園も地区の季節保育所を統合し、定員100人という大所帯でありました。
伊勢湾フェリー株式会社は、昭和39年から約半世紀にわたり、浜松市から和歌山市に至る広域観光を展開し、三重県の鳥羽から愛知の伊良湖を結ぶ航路で、海道42号線、海のバイパスとして両地域発展の一翼を担ってきましたが、平成22年3月、景気低迷や国の高速道路料金の値下げ等により、伊勢湾フェリー株式会社は中部運輸局に航路の廃止届を提出してしまいました。
さらに、委員からの第11次計画における新たな取組は豪雪対策のほかにどういうものがあるのかとの質疑に、理事者から、基本的には第10次の計画を継承し、進化させることとしているが、これまでの交通事故による死者数に加えて重傷者数を42人以下とするという新たな目標を設定しているとの答弁がありました。 以上で質疑を終結し、本件は今回をもって調査を終了することといたしました。
その中でも、商店街周辺地区の高齢化率を試算、集計した結果、燕地区で42.5%、吉田地区で35.9%、分水地区で34.2%と、いずれの地区も本市の高齢化率を上回っており、若年人口の減少などと相まって、高齢化が進展している状況にあると考えております。 次に、(2)の①、出生数が減少している現状についてお答えいたします。
◎こども・健康推進課長(星利昭君) 接種率につきましては、昨日現在になりますけれども、1回目終えられたという方が92.87%、そして2回目につきましては42.53%でございます。 これは今、予約ないし接種もしていない人ということでお話あったわけですけれども、予約している人につきましては、ほぼ99%済みでございます。
中江小夜氏は、昭和29年5月29日生まれで、現住所は燕市小池117番地1でございます。中江氏におかれましては、現任期におきまして人権の尊さ、大切さを地域の皆様に理解していただくための様々な啓発活動に携われており、引き続き人権擁護委員として適任であると考えますので、人権擁護委員法第6条第3項の規定によりまして議会の同意を求めるものでございます。
このダムの問題については、なかなか語ると長いんですけれども、大ざっぱに言いますと、昭和57年に公共事業に常浪川総合河川開発の関係で事業採択されたと。しかしながら本来であれば、平成13年に完成する予定だったんですけれども、平成11年の7月に、突然中止をしたと。ただ単にこの中止の理由については、東北電力との売電価格において調整が取れなかった。
それこそ明治、大正、昭和、昭和でも40年代までは地元木材がよく使われたと思いますので、そうした地元産木材に向けての供給体制の準備というものを官民で考えていく必要性について感じているんですけど、これについてはどうでしょうか。 ○飯塚義隆議長 空周一農林水産部長。
忠犬タマ公は、昭和4年、旧川内村で生まれ、雪崩から2度も主人を助け、主人との絆の物語として当時海外でも紹介されました。タマ公が亡くなった後も、戦時中の強制供出時の子供たちの思いが大人を動かした話や、横須賀との交流、愛宕小学校のミュージカルや道徳授業として、タマ公の諦めない心と絆を時代を超えて教えてくれています。