五泉市議会 2021-06-14 06月14日-一般質問、議案説明、質疑-02号
忠犬タマ公は、昭和4年、旧川内村で生まれ、雪崩から2度も主人を助け、主人との絆の物語として当時海外でも紹介されました。タマ公が亡くなった後も、戦時中の強制供出時の子供たちの思いが大人を動かした話や、横須賀との交流、愛宕小学校のミュージカルや道徳授業として、タマ公の諦めない心と絆を時代を超えて教えてくれています。
忠犬タマ公は、昭和4年、旧川内村で生まれ、雪崩から2度も主人を助け、主人との絆の物語として当時海外でも紹介されました。タマ公が亡くなった後も、戦時中の強制供出時の子供たちの思いが大人を動かした話や、横須賀との交流、愛宕小学校のミュージカルや道徳授業として、タマ公の諦めない心と絆を時代を超えて教えてくれています。
その中で東栄町住宅が築60年以上ですね、昭和30年代前半に建てられたと。そういった中で、阪神大震災、中越沖地震、東日本大震災等があったにもかかわらず、耐震工事をしていないという現状もお聞きしました。
五泉市の木造住宅耐震診断の関係、どういった建物が対象になるかというと、昭和56年5月31日以前に建築された木造関係だという、これが対象になりますよというような形で載っておりました。
五泉市もニット、織物の全盛期と言われた昭和50年頃は、通学列車もありましたので、駅から会社まで人が途絶えることがなかったとも、にぎわいのある状況だと私もそのように思っております。
昭和25年の12月生まれでございますので、70歳ということになろうかと思います。 ○議長(林茂君) 9番、安中聡君。 ◆9番(安中聡君) それでは、質問をさせていただきます。 平成23年4月から教育長として任に就いてもらって、またさらに再任という形で求めるということですけれども、教育委員会の中で教育長を決めるというような形であるというふうに考えれば・・・・ 〔「違うて。
五泉市にも横町ありますけども、横町があり、昭和通りがあり、いろいろな名前が幾つもあります。私の町内も本村1町内です。弥頭治小路です。東町です。そこに住所が石曽根です。こういう私のところには4つの呼び名がございます。やはり石曽根地区も住居表示を整理したいと。軍隊のあったあそこは1筆なのです。それで、ハイフンの130ぐらいあったんじゃなかったかなと思う。1つの住所に130ぐらい枝分かれているんです。
五泉地区、昭和50年代から平成20年代の30年間でおおよそ200件か300件あるんだろうと思います。ワンシーズンで2万円から3万円、経費にすれば400万から900万、年間費用がかかるのかなと私は勝手に計算しておりますが、こういった状況になっております。位置指定道路が都市整備課長は多いというふうに思われるのか、そんなに数ないなと、公道と比べてどのような感想をお持ちでしょうか。
◎総務課長併選挙管理委員会事務局長(落合英昭君) 自主防災組織の現状と推移でございますが、古くから申し上げますと、昭和40年代から前身のいわゆる組織の設立が始まっておりまして、令和2年1月末現在でございますが、組織といたしまして自主防衛隊という組織が3組織、また自主防災組織が94ということで、現在97の組織数でございまして、組織率につきましては現在43.7%ということで、そういうふうな推移になっているところでございます
総合会館中ホールは、昭和44年の建設以来50年が経過し、この間多くの市民の皆様からご利用いただいており、平成30年度中ホールの年間利用者数は2万6,156人でありました。また、トイレの清掃につきましては、委託業者により土日、祝祭日、年末年始を除き清掃業務を行っております。
◎こども課長(林浩之君) 議員おっしゃるとおり、こばと保育園、昭和50年の開設ということで44年が経過しておりまして、旧五泉市におきましては一番古い保育園でございます。
ご指摘のこばと保育園は、開園が昭和50年4月で、市内では村松第一保育園に次いで古い公立保育園であります。また、近年整備された保育園と比較しますと、規模も小さく、建物の面積は632平方メートル、土地の面積は2,025平方メートルとなっておりますが、平成22年に耐震補強工事、平成29年に冷房設置工事を実施し、現在68人の園児がこばと保育園を利用しております。
◆16番(羽下貢君) 村松の消雪パイプはですね、一番最初が昭和53年、ここから始まっております。だから、すごく古いわけです。老朽化しておる。特に老朽化しなくてもなかなか消雪パイプというのは目詰まりしたりして、使用というか、大変なんですけれども、今やられている、例えばその前にやられた本堂は昭和57年なんですね。それより古いところが結構あるんですけれども・・・・結構でもないか。
そのラジオ体操の始まりは1928年、昭和3年、昭和天皇ご即位の大礼を記念して逓信省簡易保険局により国民保健体操としてスタートいたしました。当時は、まだ日本人の平均寿命も今ほど長くなく、その名のとおり、国民全体の健康を願ってつくられた体操で、文部省が任命した7人の体操考案委員により作成されました。
昭和30年にはですね、木材の国内自給率、何と94.5%でありました。私の住んでいる橋田地区はですね、杉が非常に上等だと、秋田杉あるいは吉野杉よりですね、評価が高い時期、ございました。よって、3軒に1軒はですね、材木屋さんの看板を掲げているほどの活況ぶりでございました。ところが、昭和39年、ここでとんでもないことが起きた。
これらは五泉市の人口が昭和60年の6万7,781人、これをピークに下がり続けている。そして、今現在は5万559人ということになっておりますが、より人口の実態を反映した、いわゆる推計人口なるものがございます。これがとうとう5万人を割り込み、10月末現在4万9,048人です。1カ月前の話ですから、今現在は恐らく4万9,000を割り込んでいると、こう推計をされます。
昭和33年の学習指導要領において、小中学校に各学年週1時間の道徳の時間が設置されました。それ以降は、この道徳の時間が学校における道徳教育のかなめとして役割を果たしてまいりました。
◎都市整備課長(塚野一也君) ご質問の西公園の山ということで、昭和49年ころに開園したというふうに記憶しております。その中で当時はですね、県道からの入り口でなく、堤防からの入り口ということで、当時はですね、景観の築山としての意味を持った山というふうに考えております。 ◆8番(伊藤昭一君) 今ほど課長から答弁がありましたけども、本当に景観という部分なのかなと、今改めてちょっと疑問に感じました。
若干歴史を振り返りますと、五泉市の学校給食、昭和48年に完成した三本木にある学校給食センターで約3,700食の供給から本格化し、その後センターの老朽化を機に平成18年、2006年でございました。南小学校で初めての自校方式がスタートしました。当時の小泉内閣の進める骨太方針2003、スタートが2006です。
昭和53年に開設してから40年が経過しており、現在五泉市からは60人の方が入所されております。桜花寮につきましては、生活環境や経済に困窮した高齢者が入所できる施設であります。昭和52年に現在地へ新築移転してから41年が経過し、現在五泉市からの入所者は54人であります。
当局報告もなされておりましたが、この冬の降雪量、このまま降り続くと本当に昭和59年の豪雪に匹敵するのかなと思ったところでございます。特に1月11日から12日、また2月上旬から中旬にかけましては、毎日のように除雪作業に追われ、業者の方々、また市民の皆さんも疲れがピークに達していたのではと思っております。市では、除雪時の除雪作業機に近づかないよう防災行政無線で市民に注意を喚起しておられました。