上越市議会 2014-03-18 03月18日-03号
自分の自慢をするわけじゃありませんが、私も7年前の12月議会一般質問で愛媛県松山市の「坂の上の雲」フィールドミュージアムの例を挙げながらこの謙信フィールド・ミュージアム構想を訴えさせていただいたことがございますが、今回この策定については内容も少し読みましたけれども、大変うれしく思いました。
自分の自慢をするわけじゃありませんが、私も7年前の12月議会一般質問で愛媛県松山市の「坂の上の雲」フィールドミュージアムの例を挙げながらこの謙信フィールド・ミュージアム構想を訴えさせていただいたことがございますが、今回この策定については内容も少し読みましたけれども、大変うれしく思いました。
先日NHKのテレビドラマ龍馬伝が終わりまして、またやはりこれからちょうど動乱の時期にかかった日本の物語をやるわけでありますけれども、ああいう日本の国がかつて私たちの先輩が坂の上の雲のあのリーダーの人たちの生き方、龍馬の生き方、何か今の時代にやっぱりああいうリーダーが出てほしいなというような感じが国民はしているんでないでしょうか、私はそのように思えてなりません。
「坂の上の雲」の時代、日本陸軍第13師団、高田入城。高田公園の桜は、それを記念して在郷軍人会の人たちが寄附を募り、師団司令部に明治42年3月にソメイヨシノの苗2,200本を植えたのが始まりです。それが今、日本3大夜桜、百万人高田観桜会となり、ことしは85回目となります。
愛媛県松山市には有名な施設「坂の上の雲ミュージアム」がありますが、御案内のように司馬遼太郎の「坂の上の雲」にちなんでの松山市の秋山好古、真之兄弟と正岡子規を核にして、松山を売り込む施設であり、多くの観光客でにぎわっています。この坂の上の雲フィールドミュージアム構想の一環としてでき上がった拠点施設でもあります。
ことし私ども視察に訪れた松山市では、司馬遼太郎の「坂の上の雲」をもとに、坂の上の雲フィールドミュージアム構想を掲げてまちづくりに取り組んでいますが、夏目漱石や道後温泉などもその構想の中に組み込まれており、当市にあっても謙信に特化した構想とはいえ、謙信以外のすべてを網羅してもいいわけですので、何の抵抗もないものと思います。
司馬遼太郎の「龍馬がゆく」とか「坂の上の雲」がいいと思ってます。 教員志望の大学生300人のアンケート調査によれば、昨年神戸で起きた酒鬼薔薇事件の犯行声明に書かれていた「透明な存在であるボク」、「国籍がない」などの言葉に、とても共感できるが3%、一部共感できるが32%、共感できないが26%、わからないが39%という驚くような数字がありました。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではありませんが、この日本という国の形をつくり上げることに国民全体が共通した夢を持って努力した明治の時代もありました。また、太平洋戦争後の荒廃した社会経済情勢の中で、官が民を引っ張って高度経済成長路線により今日の経済大国日本をつくり上げたことも歴史の事実であります。