長岡市議会 2022-12-07 令和 4年12月定例会本会議−12月07日-02号
反面、加熱するあまり勝利至上主義に陥り、本来の意義を感じることができなくなっている活動が一部あるという指摘もあります。それから、議員からも御紹介がありましたが、生徒数や教職員数の減少に伴い部活動の設置数が減り、自分が通う学校にやりたい部活の設置がない、専門的に指導できる教員が少ないなどの課題も出てきております。
反面、加熱するあまり勝利至上主義に陥り、本来の意義を感じることができなくなっている活動が一部あるという指摘もあります。それから、議員からも御紹介がありましたが、生徒数や教職員数の減少に伴い部活動の設置数が減り、自分が通う学校にやりたい部活の設置がない、専門的に指導できる教員が少ないなどの課題も出てきております。
運動部活動、課外活動の場合、特に勝利至上主義や記録を出すことを主とする、いわゆるチャンピオンスポーツを目指している部活動、課外活動がほとんどです。
教育課程との関連性はあまりないようにも思いますが、保護者もそこまで勝利至上主義に陥っておらず、民間のスポーツクラブとの差別化もできていることから、中学校の場合は逆に部活動が過熱化しやすい環境もあると考えます。部活動の地域移行が進んでも、学校から単に切り離すのではなくて、部活動ガイドラインの趣旨の継続、また学校と生徒との情報共有など、関係性は引き続き持っていただきたいと思います。
その中で、勝利至上主義を否定し、スポーツの本質である自発的な運動や遊びから得られる楽しさを享受できる機会をジュニアユース世代に提供することを方向性とすることが示されておりますが、上位大会への進出を今夢としている子供たちもおり、寂しく感じるところもございます。燕市部活動在り方検討委員会でこれらのことの情報を共有し、検討を進めていきたいと考えています。 以上です。
これは、やっぱり今まで勝利至上主義だった、そういうことの弊害だと思うんですけども、そういうことも含めて、私は学校での部活は教育の一環と割り切って、その学校内でできる種目に徹しながら、子供たちが本当に生涯スポーツとしてスポーツを楽しむべきは学校の外でやっていくのがこれからの時代ではないかと私は思っています。
決して勝利至上主義にならず、勝利も大切なことだとは思いますが、勝利が目的ではなく、勝利というのは、そのスポーツを続けていくための、あるいは、子供たちの心身の健全育成のための手段として受けとめなければならないと思うのです。 さらに、別の視点からです。 新潟県では、来年度から、今まで春に行ってきた中学校の郡市大会が廃止されます。柏崎では先週まで、その大会を行っていた、通称、柏刈大会のことです。
生徒の人格形成や生涯スポーツ、文化活動への発展と、よりハイレベルな技術の習得や活動目標としての勝利至上主義の間で部活動の意義、目的が議論され、生徒、保護者の世代交代や教員の異動により部活動のあり方が揺れ動いているのが現場の実情であります。 ここで質問の4点目、生徒の中学校生活における部活動の意義をどのように考えていらっしゃいますでしょうか。
人生を、さっきスポーツ スポーツに限らないんですけど、文化芸術活動も含めて自分の生涯の生活を豊かにするためのとても大事なこと、経験だというふうに思いますが、ただ中学校では勝利至上主義ではなくて、そこに参加して、そして人間としての大切なことを学んでいく場というふうに考えています。
私は、何も教育に関して、スポーツの勝利至上主義じゃないけれども、何でもかんでも高い目標を掲げて、目標数値達成至上主義だとは思っていませんよ。だけど、我々は、市の財政をチェックしたり予算審査をしたりする立場にある。ですから、この計画が具体的な取り組みをされていく中で、どの程度の1つの目安があって、それに対してどういう予算が組まれていくのか、その辺はやはり見ていかなきゃならない。
◆9番(塙豊君) 私は、それを指導されているとおっしゃるけど、私はどうも燕の中学校部活動が勝利至上主義に陥っているんじゃないのかなと。あるところで話を聞けば、その部活以外の子が選手に登録されたり、勝つためにやっているというのはよく聞くんです、そういう話を。それで、勝つことが全てだと。これは勝利至上主義ということになるわけです。
教育の一環である以上、体罰を生みかねない勝利至上主義とは一線を画し、成長途上にある生徒の体と心に対する配慮をしつつ、複数校でのネットワークなどを提案しております。特に昨年のロンドンオリンピックで28年ぶりに銅メダル獲得を果たした全日本女子バレーチーム、火の鳥NIPPONの活躍の影響もあり、市内中学校での女子バレーボールチームの指導者を求める声が幾つか私のところにも届いております。
例えば、スポーツを通して人間性を育てることの基本を忘れ、勝つために体罰も含め、あらゆる手段を肯定し、勝利至上主義に陥ったとすれば、もはや教育ではありません。教育者の資格もありません。 3番目、道徳は学校だけで教えるものではない。当然の声であります。家庭でしなければならないしつけや家庭教育などが、学校に押しつけられて、学校の負担がますますふえているとの声があります。
部活動担当の顧問の先生の長期担当により、特異な環境がつくり出されることはないでしょうかということで、長期担当することで排他的になり、また勝利至上主義に陥ったりする弊害が発生する可能性はないでしょうか。教員の在籍期間が通常5年くらいというところで、最長7年ということで、期限はありますが、その中でこのような弊害が発生するおそれはないのか、現状または見解をお示しください。
運動指導において、よき指導者とは勝利至上主義に陥ることなく、生徒の気持ちや話をしっかりと聞き、受けとめるとともに、よい点を認め、褒めて伸ばしてあげることができる指導者であると考えます。また、自己に対しては常に研さんに励み、生徒から尊敬し、信頼される人であるために努めることも大切なことであると考えます。
教育委員会では、今後も、部活動が勝利至上主義に片寄り過ぎ、体罰や不適切な指導が行われることがないよう注視してまいります。同時に、部活動指導者一人一人が科学的な指導法を学ぶ機会を多くすること、管理職がリーダーシップをとり、体罰に依存しない学校体制をつくることなど、子供が将来にわたってスポーツに親しむ基礎づくりをしていけるよう、支援、指導してまいりたいと思います。
しかし、そういった加速損傷をよく理解しないで、とにかく勝利至上主義で勝たんがためにということで柔道が剛道になって、何とか相手をねじ伏せるとか、押さえ込むとかというようなことで鍛え上げていく。
部活動は、勝利至上主義的な考え方から、休日もほとんどなく、長時間にわたる活動を子供たちに強制するような一部のあり方は改善を図っていく必要があると思いますが、いかがなものでしょうか。
しかし、その反面、指導者の勝利至上主義や親の行き過ぎた干渉が子どもたちに燃え尽き症候群や過度な運動による成長障害などを引き起こすこともあると聞いております。また、指導者は日ごろ勤務の傍ら指導を行っておりますので、なかなか日々の指導に時間を費やすことができず、指導者不足が生じているとも聞いております。私は、このような問題は将来大きな問題となるものと認識しております。