長岡市議会 2022-03-08 令和 4年 3月定例会本会議−03月08日-03号
八十里越開通の際には、北関東、会津方面への広域的なルートの設定が可能となるわけです。交流人口拡大を目指す長岡市にとっては、絶好のチャンスと考えます。栃尾地域のNPOでは、開通を見据えた中、只見町と交流を行っておったり、越路神谷地域では神谷出身で明治時代の企業家の高橋九郎が取り持つ縁で檜枝岐村との交流を行っており、このように市民間では多方面で草の根連携を行っております。
八十里越開通の際には、北関東、会津方面への広域的なルートの設定が可能となるわけです。交流人口拡大を目指す長岡市にとっては、絶好のチャンスと考えます。栃尾地域のNPOでは、開通を見据えた中、只見町と交流を行っておったり、越路神谷地域では神谷出身で明治時代の企業家の高橋九郎が取り持つ縁で檜枝岐村との交流を行っており、このように市民間では多方面で草の根連携を行っております。
さらに、南会津、会津方面への最短避難ルートとなる国道289号、いわゆる八十里越につきましては現在未開通ではありますが、原子力災害が発生した緊急時の通行に関して長岡国道事務所や新潟県、福島県と現在協議を進めているところでございます。
同じく第3節におきまして、避難指示の発令基準といたしまして、市内で空間放射線量率が1時間当たり20マイクロシーベルトを超える数値を検出したときと定め、その際の避難先については柏崎刈羽原子力発電所方面から吹く南西の風を避け、福島県の会津方面、南会津方面を避難先として明示させていただいたところでございます。
私も三川方面からこちら、会津方面といいますか、来るときに、よくずっと見ていますと、赤岩トンネルを抜けましてこちらに向かってきますと、最初に西、赤岩という道路に入ります。ところが、これはある程度49から入るのは立派なんですけれども、そこにぶつかったときに大型車はだめと、要するに西の集落は大きい車はだめですと、こうなっているんですね。
幕末長岡藩の家老、河井継之助は、北越戊辰戦争の敗北で負傷を負い、見附、三条、旧下田村を通り、会津方面へ敗走しました。そして、県境の八十里越をし、今の福島県只見町塩沢で42歳の生涯を終えました。
そうした中で、2次搬送はほとんど管外、新潟市、会津方面というふうな状態でありますので、この中で救急体制の運用について、消防署の改築等については必要な計画だというふうに私も認識しておりますが、12月の補正の中で鹿瀬中学校を改築し、そちらのほうに検討をしたいということでありましたが、その検討委員会のあり方がどうであったのか、そして、それが本当に町民のニーズに合った施策であるのか、この点を伺います。
お話のありました252の、国道252号の延伸であります只見・会津方面への目の向け方も新しい視点かと思いまして、10月4日の、その会合での御発言は、私もお聞きをしているところであります。その道路整備の、新しいプロジェクトとしての展開について、担当課に、今、研究をさせているところでございます。