奈良市議会 2015-03-04 03月04日-02号
この多聞城は、昭和23年の若草中学校の建設により、当時の遺構は少なくなっておりますけれども、聖武天皇陵や国宝の転害門、近代建築として有名な奈良女子大学や少年刑務所等、数多くの歴史的、文化的な価値を持つきたまちの重要な観光資源の一つと考えており、昨年5月には、「近世城郭の先駆け『多聞城』 多聞城と松永久秀」と題して現地講座を開催したところでございます。
この多聞城は、昭和23年の若草中学校の建設により、当時の遺構は少なくなっておりますけれども、聖武天皇陵や国宝の転害門、近代建築として有名な奈良女子大学や少年刑務所等、数多くの歴史的、文化的な価値を持つきたまちの重要な観光資源の一つと考えており、昨年5月には、「近世城郭の先駆け『多聞城』 多聞城と松永久秀」と題して現地講座を開催したところでございます。
(所管:社会教育課) 2 平成26年3月29日、「歴史に憩う橿原市博物館開館式典」を来賓38名のご臨席のもと開催し、4月1日より、縄文時代から近世までの橿原市の歴史を学んでいただく「歴史に憩う橿原市博物館」として、リニューアルオープンいたしました。
特に、ならまちにおきましては、近世に形づくられた町並みを残し、奈良のこれまでのイメージとは違った側面を物語ることができるエリアでございます。 私は、皆様にならまちを知っていただくことで、奈良のまちの歴史や文化に対する理解が深まり、観光客には奈良の魅力をアピールすることができ、また一方で、市民の皆様のよりシビックプライドを育てることにもつながるものと考えております。
新年度におきましては奥深い奈良を知っていただくため、新興国へのプロモーションによる海外市場の開拓や、ホテル、旅館従業員のおもてなし精神の向上を図る仮称まほろば大学の開校、また、近世の新たな観光資源をクローズアップし、その舞台であるならまち、きたまち、また、猿沢池周辺の整備、そしてお茶や清酒などを含むさまざまな地域ブランドの創出、また、東部地域の豊かな自然、農村資源を生かした体験型商品の造成などに取り
これにより、国の重要文化財に指定され、現在は東京の国立博物館に常設展示されている新沢千塚126号墳の出土品の里帰り展示などの特別展や、橿原の地に人が暮らし始めた縄文時代の終わり頃から近世までの先人の歩みについての常設展示を行い、史跡新沢千塚古墳群や、藤原宮跡などにお越しいただけるよう広く周知してまいります。
そのため、中世室町時代の茶人村田珠光にちなんだ珠光茶会や、江戸から明治、大正という近世の町家が残るならまちやきたまちという、奈良市の歴史をめぐる観光資源の開拓や創出を行ってきたところであります。
これにより国の重要文化財に指定され、現在東京の国立博物館に常設展示されている新沢千塚126号墳の出土品の里帰り展示などの特別展や橿原市の古代から近世までの歩みを知っていただける常設展示を行い、新沢千塚古墳群や藤原京などを広く周知いたします。 国際交流は、国際社会の中での相互理解及び文化的経済的な協調を深め、また、グローバルな視点を持った人間を育てるため、大きな意味を持つものと考えております。
思えば、平成13年の7月議会、初当選された上田市長が初めての議会で、前阪奥市長から引き継ぎされた財政健全化、そして公共下水道事業の普及、学校教育や社会教育の充実、そして駅前周辺整備、道路整備、また近世や中世の歴史の掘り起こしなど26項目を引き継がれ、市民のために頑張っていくと強く述べられたわけでございます。 また、大和郡山市については、いろいろな意味において可能性あふれたまちだと強く感じる。
しかし、この城殿町のその集落自身も城殿荘に由来をするまちでございまして、現在見られる城殿町の外部は少なくとも近世の江戸期に形成されており、その形態を受け継いだ歴史的な集落ともなっております。したがいまして、本薬師寺跡の地域にあるこの城殿町の存在も含めて、この地域の歴史を示すものとなっておりますので、この両者を保護・保全していくことが重要と考えております。
また、教科書記載はございませんけれども、今井町につきましても中世から近世にかけて発展したまちとしてどの中学校でも学習しています。ただ、今回各学校からの報告を受けまして思いますことは、その歴史遺産や名所旧跡が校区内あるいは近接する学校は重点的に学習に取り組まれております。
「かわたとは日本の近世における賎民(被差別民)『穢多(えた)』の別称である」。ひどいでしょう、これ。私の同じ名字は、もうどこに行ってもほんとに差別を受けるんですね、これ見たら。市長、どう思いますか。ひどいでしょう。 ○議長(奥泰司) 東川市長。
さらに南は香具山を迂回して橘寺に至るため、近世では橘街道ともいい、また、聖徳太子誕生の地と言われる明日香村の橘寺から法隆寺まで聖徳太子が勉強のために通われた道と言われているので橘街道とも言われるそうです。
環濠集落もその一つで、中世に堀をめぐらせた防御的集落として形成され、近世集落に引き継がれた環濠集落は、市内では鎌田、良福寺、五位堂、瓦口などが知られています。また、市内にはいまだ多くの文化財が埋もれており、歴史遺産としての文化財を検証するとともに、後世に伝えていくため広く市民に周知することが必要と考えております。
多くの人々が小泉・西田中瓦窯や羅城門、稗田阿礼、お城と古代から近世にかけての歴史資源に知的好奇心を寄せられていて、このことで郷土愛を感じますが、平城遷都1300年、古事記1300年紀を契機にこれからも質の高いフォーラムを開き、古代の文化とお城の文化とで古代といにしえを語ることのできる歴史のあるまち、奥行きの深いまちとしての成果を高めてもらいたいと思います。 次に、校舎・学舎の耐震工事であります。
この街道は古来より大和の交通の要衝であり、特に近世においてはこの地域の重要な地域であり、今日まで存在したことについてはご当主を初め地域の方々のご尽力によることが非常に大きいと考えております。この両家につきましてはしかしながら、長い年月により老朽化が、東側の平田家と申す家でございますけれども、かなり老朽化が進んでおり、建物の存在が危ぶまれておるのも事実承知しております。
それは、中近世において全国には数多くのお城があったそうですが、中でも筒井城は大変珍しいお城、数少ない平城のお城だからとのことであります。ちなみに、中近世の城郭分布図を見てみますと、全国には万という数多くのお城があったようですが、奈良県内には、環濠集落、陣屋、館等も含まれた、お城と呼ばれたものは372あったようです。郡山市内には4つあったそうです。1つは郡山城。これは平山城。そして2つ目には小泉城。
本市の場合、冒頭申し上げました中近世の歴史文化であります。郡山城を中心に筒井城、小泉城あるいは歴史的遺産をネットワークで結び、プチ歴史観光への展開を図っていくとともに、それぞれの地域におけるまちおこしや歴史教育など、あらゆる場面における歴史文化の活用と伝承をしていく必要性を申し上げました。
最近、奈良国立博物館において、「宿院仏師展」「公慶上人展」「重源上人展」が、また現在「特別陳列 やまとの匠 -近世から現在まで-」が開催され、同館がこれらの時代に焦点を当てて現代人の耳目に新しい奈良の歴史と文化を紹介されています。
では、その上でどういう活用を目指すのかということでありますけれども、もちろん地元の方々の意見を十分に踏まえながら、例えばシンボルとなるような館は必要なのかどうか、あるいはIT技術によるバーチャルな城の復元、再現というような方向性、あるいは中世から近世にかけて、やはり郡山の原点の一つだろうと思います筒井城から郡山城へ移っていくということでありまして、この筒井城と郡山城をつなぐ何か仕掛けはできないか。
じっくり見てみるといろんな方がいろんな地域で古代から中世、近世、現代においていろんな実績等上げられました。この記念展を今後どのように教育委員会として学校現場に発展させていくのか、応用していくのかについてお尋ねしたいと思います。