橿原市議会 2022-09-08 令和4年決算特別委員会(令和3年度決算) 本文 開催日: 2022-09-08
147: ● 樫本利明委員 それはそれで分かりましたけど、僕はこれで何を聞きたいかといったら、個人の住宅でも、それは何か遺跡があるから発掘云々と言っておるけど、実は、僕は仕事柄、昭和40年ぐらい前の、奈良県も橿原ももちろん入っておるけど、一帯の遺跡の調査の原本になる図面をずーっと、それからもらって保存しておるわけです。
147: ● 樫本利明委員 それはそれで分かりましたけど、僕はこれで何を聞きたいかといったら、個人の住宅でも、それは何か遺跡があるから発掘云々と言っておるけど、実は、僕は仕事柄、昭和40年ぐらい前の、奈良県も橿原ももちろん入っておるけど、一帯の遺跡の調査の原本になる図面をずーっと、それからもらって保存しておるわけです。
345 ◯北田守一都市整備部長 自然環境がどのように変わっていくのかというご質問ですが、当該開発計画地は昭和45年に市街化区域に指定されて以降、これまで50年間、土地利用が図れず、土地所有者によって田畑や山林などが守られてきた土地でございます。ただ、一方、市街化区域で市街地を形成するための土地でもあるということをご理解ください。
私は中学校2年のとき、自分ではそんな生意気ではなかったと思っているんですけど、香山中学校で、昭和52年に中学校はなくなっているわけですけども、廃校になっているわけですけども、3年生に裏に連れていかれて、これでバーンとどつかれたわけです、「生意気や」というて。それは親に一切言うてません。言えないんです、なかなか、いろんな葛藤があって。
けど、あんなん、僕、この間も言うたとおり、昭和35年に橿原市が遺跡の印を入れた、橿原市の地図をもらっておるねん。そのときから見たら、物すごい、今、あっちもこっちも増えて、そんなんいっぱい、何やら遺跡や、何やらというて増えてきておるわけや。
14 ◯4番 梶井憲子議員 先ほど、服装の乱れは心の乱れであって、制服は非行を防ぐための一手段であるというようなことをおっしゃられたんですけども、すごく昭和的な考えやなと思ってるんです。
これは、橿原公苑が昭和15年に体育施設と文化施設を併せた総合的な心身の修練道場として設置された橿原道場を前身とし、わかくさ国体を契機に施設の増設整備が進められてきた歴史があることや、豊かな緑と近隣に橿原神宮のある厳かな空気間を併せ持つエリアであることなどから、武道の聖地にふさわしい十分な資質を持つものという考えをお持ちであると推察されます。
かつて、本市における投票率は、昭和の時代には国政選挙においては70%以上で、市長や市議会議員選挙におきましては85%以上という状況もございましたが、近年は有権者の意識の変化に伴いまして、全国的に減少傾向で、本市におきましても同様の傾向でございます。
昭和59年に国体をあの場所でやっています、鴻ノ池のグラウンドで。当時、僕は奈良民商の事務局でしたけど、世間話のようなことを言いますけど、奈良市のプロパンガス協会の商売人さんが、火を消さんように夜なべしてあのグラウンドの火を守ってはったわけです。それから今日に至っているけども、そこまで何百億も金を使って国体を開く必要性が今、ニーズとしてあるのかどうかです。
5 ◯飯島武暢総務課長 この庁舎の建設が昭和56年なんですけども、その当時からの設置ということで41年経過しております。 6 ◯白本和久委員長 浜田委員。
まず、大久保ふれあいセンター、通称名コミュニティセンターですけども、こちら昭和48年に大久保隣保館として竣工しまして、現在、築49年が経過する建物ということになります。隣保館設置運営要綱に準じまして基本事業として地域の人権相談・人権啓発、地域の交流、同時に地域福祉の進展に大きく寄与した施設ということになります。
一方、議員御指摘の寺山霊苑につきましては、昭和44年に設置されておりまして、一部老朽化も進んでおりますことから、今後利用者の利便性の向上に向けてはどのような対応が望ましいのか、しっかりと検討していきたいというふうに考えております。 ○副議長(山本憲宥君) 17番鍵田君。 ◆17番(鍵田美智子君) 私は逆だと思うんですよね、ここは。
昭和63年に都市計画決定され事業が始まった近鉄西大寺駅南土地区画整理事業、33年間にわたり整備を行ってきて、工事は令和3年3月末で完了し、近鉄大和西大寺駅南側の駅前広場も令和3年4月から供用開始され、ようやく土地区画整理事業も最終段階となり、事業完了に向け清算等の業務を進めているところと聞き及んでおります。
奈良市の水道事業は、大正11年、木津川を水源として供給を開始されて以来、100年にも及ぶ歴史があり、昭和39年からは水源を求めダム建設など、人口急増にも対応する計画給水人口を40万人として、中長期計画では、将来像を信頼の水道、未来へつなぐライフラインと掲げ、安心できる水道、頼りになる水道、喜ばれる水道、環境に配慮する水道などを基本方針に進めてこられました。
本薬師寺跡に関する発掘調査につきましてでございますが、全容のほうからお伝えいたしますと、奈良文化財研究所が昭和51年にお寺の南西部で行った調査から始まります。
橿原市の人口ビジョンによると、本市の人口は、昭和55年以降、緩やかに増加していましたが、平成22年に人口のピークを迎えて以降は微減傾向が続き、12万人をいよいよ切ってしまったかどうかというところまで来ていると認識しております。 人口減少対策については様々な方法が考えられますが、主な解決策として、子育て支援の拡充や企業誘致、ひいては地域での雇用促進が挙げられるのではないでしょうか。
昭和33年には、老朽化に伴い、新しい火葬場の整備に向けての検討が進められたわけでございますが、以降、長年にわたり候補地の検討と断念を繰り返してきたわけでございます。 私も、平成21年に市長に就任をさせていただいた当初から全力を注いでまいりましたが、候補地が確定するまでには何年もの月日を要しました。
1533 ◯飯島武暢総務課長 庁舎建設当初の昭和56年ですので、40年ほどたっているということでございます。 1534 ◯片山誠也委員長 山田委員。
次に、本市の管路の状況ですが、昭和46年度から平成8年度の住宅開発に合わせて整備された水道管が特に多く、昭和40から50年代に布設された水道管の経年化が進んでおり、今後も更新需要が増加していく見込みです。なお、令和3年12月末現在、水道管の総延長は675.7キロメートルで、その内訳は導水管17.9キロメートル、送水管43.1キロメートル、配水管614.7キロメートルとなっております。
これは当時、昭和35年にできました建設省の計画標準案の中に記載がある文言を援用しているというふうに考えられておりますが、同通知につきましては平成12年に廃止をされているということで、現在、国の制度の中ではこのような規制はないという状況がございます。
なお、平成29年10月の豪雨は、大和川河川事務所の評価では昭和57年の大水害と同規模とされておりますので、30年から50年に一度発生する雨に相当するのではないかと考えております。 三つ目の調整池に流れ込む流域の面積と標高でございますが、広瀬川と古寺川の調整池は、最下流にためますことから、流域全ての水を受け入れることになります。