橿原市議会 1999-09-01 平成11年9月定例会(第2号) 本文
もう一つは、すべての園で園長からいろいろと聞いております要望があるわけでございますが、公教育、我々公の教育というのはやはり、平等でなければいけない。そうしますと、全園で、方向性としては全園でという理想が出てくるわけでございますが、それには園児数の予測や、あるいは財政上の問題。
もう一つは、すべての園で園長からいろいろと聞いております要望があるわけでございますが、公教育、我々公の教育というのはやはり、平等でなければいけない。そうしますと、全園で、方向性としては全園でという理想が出てくるわけでございますが、それには園児数の予測や、あるいは財政上の問題。
特にその公の中でも、私ども公教育に携わる者につきましては、学習指導要領の定めるところにより教育を進めなければならないと思っております。したがって今日まで、式典において日の丸を掲げ、君が代を斉唱するように指導してまいったところでございます。国際社会時代がもう来て、私も真っただ中にあるわけでございますが、国旗・国歌に対する正しい認識は教育の中でも必要ではないか。
思想・信条の自由は憲法で保障されているのだから、一方的に、しかも公教育の場で強制することは人権侵害である、と言わざるを得ない。この問題では、日の丸・君が代が国旗・国歌なのかといった問題も含めた国民的議論が必要だと考える。民主主義の基本は議論することであり、今回のように議論なしに権力の手が教育の場に一方的に介入し、私のような思いをすることが二度とあってはならない。」というものです。
九〇年代になって、教育の規制緩和、民間活力導入という公教育解体というものが加わってきました。飛び入学を認めていこう、民間が教育機関をうんと並べて、教育を商品にしてしまうという内容です。一学級の子供の定数もなかなか三十人にはしません。アメリカ二十四人、フランス二十五人、ドイツ二十四人に対して、日本は四十人です。クリントン政権は、最近、十八人学級の方針を打ち出してきています。
しかも、奈良市での高校進学率を見る場合に、一部の教師が、小学校から子供たちに基本的な知識や情操を身につけさせ、健康な体を育てるという公教育の基本を外れて、狭山差別裁判学習や部落民宣言など特定団体の語った運動理論を学校教育に持ち込む、ゆがんだ教育を進めてきたことが大きな要因となっています。
私どもは公教育でございますので、公の教育は法律のもとにおいて行われます。法律の具現化を目指して毎日やっているわけでございますので、当然盛り上げられた道徳面における教育については、私どもも努力をしてまいるつもりでおります。また、しているつもりです。 それから、ちょっと課題が飛びますが。市内の中学校で前年に起きました自殺について、その相手とされる者の行動でございます。