西海市議会 2020-03-03 03月03日-02号
この改正により県は、想定される最大規模の降雨を、これまでは長崎大水害規模の降雨としておりましたが、流域全体の24時間総雨量をその約2.6倍、ピーク時の1時間雨量を約1.5倍として、洪水浸水想定区域を見直して公表いたしました。 市としましては、県からこのデータを受けてハザードマップの見直しをしているところであり、来年度には雪浦地区の全世帯に配付することとしております。
この改正により県は、想定される最大規模の降雨を、これまでは長崎大水害規模の降雨としておりましたが、流域全体の24時間総雨量をその約2.6倍、ピーク時の1時間雨量を約1.5倍として、洪水浸水想定区域を見直して公表いたしました。 市としましては、県からこのデータを受けてハザードマップの見直しをしているところであり、来年度には雪浦地区の全世帯に配付することとしております。
最後に、私事でありますけど、私は消防団に昭和57年の長崎大水害の年に入団をいたしました。現在、副団長と東方面隊長をさせていただいておりますけれども、ことしの3月、今月いっぱいで退団をする予定であります。これまで皆様、大変ありがとうございました。心よりお礼を申し上げまして一般質問を終わらせていただきます。
川が始まる所、その前の沢の所からずっと見て来たわけですけれども、この貯水池を整備していただいて、一応、計算上は長崎大水害の4倍強の雨が降っても、短期間で雨が降ってもその貯水池は十分持ちこたえられる広さということです。 それと併せて、去年整備された新囲の太陽光の所も見に行って、貯水池の状況を視察しました。
示された今回の資料によりますと、雨量については7.23長崎大水害時の雨量等について、それ以上、非常に過大な構想が練られておりますが、それによると中島川流域に関して言いますと、7.23長崎大水害の5倍ぐらいの領域が浸水の可能があるということですが、それについてもハードの面でどうしていくかということについてこれからの計画が必要じゃないかと思いますが、その点についてハード・ソフト両面からこの防災対策について
10月9日に元地権者に現地の状況を確認したところ、かつて長崎大水害発生時に土砂が流出し耕作不能となったため、外部から土を搬入し、畑として造成したとの経緯が判明いたしました。なお、畑として造成した際の搬入土の発生場所については確認できませんでした。 資料の2ページをごらんください。左上の平面図の右下部分の赤の点線で囲んだ四角の部分が、今回埋め土が確認された場所でございます。
88 ◯五輪清隆委員 私は浦上水源池の近くに住んでいるんですけど、やはりよく言われたのは、築70年過ぎて、長崎大水害のときにそう被害もなかったんですけど、あのときは、まさにあそこが崩れてしまうんじゃないかなということで言われていたんですけど、当然今回については、まだ計画段階で浦上ダムの上のほうということにしていますけど、わかる範囲で結構ですけど、よくうわさで
本市におきましても、昭和57年7月の長崎大水害、それとか平成3年9月の台風19号など、豪雨による水害、土砂災害などの自然災害によって甚大な被害を受けまして、長期にわたる復旧・復興を繰り返してまいりました。
これらの対策と、区画整理事業によります地盤のかさ上げと合わせまして、長崎大水害と同規模の雨水に対しても、八千代町付近など既存の道路高さが変更できない箇所を除きまして、出島メッセ長崎を含めましたこの区画整理事業内においては浸水しない計画となっております。
戦争や地震、冷害、水害などで家族や家を失った子供が学校に通うために給食が役に立ちます。避難先の学校にキッチンがあれば炊き出しもできます。1950年代の水害と冷害の経験を踏まえた54年の学校給食法制定で一気に広がりました。 3つ目が、GHQの意図です。第一次世界大戦で76万人にも餓死者が出たドイツの経験を踏まえ、GHQは日本でも食糧暴動や革命が起きることを恐れていました。
現在進行中の本明川ダムは、百年に一度という大雨を対象と言われておりまして、これは、諫早大水害時並みの雨量でございます。 しかしながら、今や千年に一度の大雨ということで、先日からの台風の災害については、これが千年に一度降る大雨なのかという思いもあったわけでございますけれども、そういう状況だとも聞いて、報道したところもございます。
このコンサートは、昭和32年の諫早大水害の復興50周年を記念し、災害復旧に御尽力いただいた自衛隊の皆様に感謝の気持ちを伝えるとともに、市民と自衛隊のふれあいの場となることを目的として、平成19年に始められたそうです。
岩原のあそこは、長崎大水害のときにあふれたはずです。であれば、そこの人たちの命を見捨てることになりますから、ぜひそういうところも全部、長崎市民の命を守るって、洪水ハザードマップについては長崎大水害であふれた地域についてはつくるということをぜひお願いしたいと思います。
昭和57年に7.23長崎大水害を経験している本市にあっては、多くの土砂災害危険箇所を抱え、ハード対策を行うにも土地所有者の高齢化と相まって、地権者調査、相続調査等の処理の煩雑性の理由により対策工事の推進を取り巻く環境は、ますます厳しさを増している状況です。
ああいうことを経験したのは長崎ではもう原爆のときと7.23長崎大水害だったと思うんです。じゃ7.23長崎大水害を契機にして何かできたかというと、まだ今やってることは全然7.23長崎大水害なんてあったのなかったのというような話ですもんね。あれが反省されとるならもう既にできとかんといかん。
長崎大水害は100年に一度ぐらいのものだということだったんですが、今回は6万年に一度、ほとんどゼロに近いというような感じを受けるんですが、しかしそれでも、今の状況では想定外のことが起こっているので、わからないなということだと思うんですが。
4 ◯浅田五郎委員 防災対策ですから、長崎市では7.23長崎大水害のこと、例えば国道34号があのときは全然通れなかった、それで喜々津から長与町を通って時津町に入る道路しかなかったわけです。そういう県、市のこの周辺地域との防災関係というのは、我々は市の特別委員会であるならば、共有しなければならない問題があります。
長崎大水害の場合は一番最初の発災時が3,000人の避難者数でしたので、それから考えますと、2週間後の9.1%という数字になれば、かなりの数字に下がってきますので、そういった意味では、ほぼほぼ長崎市特有の土砂災害と考えますと、例えば淵地区ふれあいセンターのほうでもこういったふうな若干のぶれはあっても収容できるんじゃないかなと思っております。
また、長年にわたる委託業務の経験から作業の効率性、安定性、安全性、信頼性があり、過去の台風、水害などに対しても地域の地理や特性を熟知している地元企業として住民や行政の要望に十分応えてまいりました。また、最近の予測のつかない自然災害にも十分に対応できるものと自負しております。 一部のデータではございますけれども、お手元に資料をお配りしております。それを見ていただければと思います。
昔、長崎造船大学建築学科の岡藤先生は、中島川アーチ式石橋群を歴史的景観の核として残し、市街景観を再生してはどうかと、長崎大水害の前から言われていたそうですけれども、そこには長崎市民が暮らしやすい豊かな美しいまちづくりをして、その生活を見てもらうことが真の観光都市長崎であるというふうに言われたそうです。
だから、どっかでドカンと、昭和57年長崎大水害も空梅雨でございました。 実は、九州北部豪雨があった去年、おととしも、同じように前半からの陽性の梅雨だったと見られ、ここ数年、このような梅雨の傾向が目立つと、いきなり来るかもしれないということで、この名簿を5月22日に、先ほど言われた関係団体とかに配付されております。