諫早市議会 2010-12-04 平成22年第4回(12月)定例会(第4日目) 本文
これは開国と農業再生を両立させ、ともに実現する大戦略だと説明したとの報道もあります。 産業界では、対米輸出の拡大などにつながるため参加を支持しております。自動車や鉄鋼業界は、海外企業との競争上、一刻も早い参加を望む声が多いということもまた事実であろうと思います。
これは開国と農業再生を両立させ、ともに実現する大戦略だと説明したとの報道もあります。 産業界では、対米輸出の拡大などにつながるため参加を支持しております。自動車や鉄鋼業界は、海外企業との競争上、一刻も早い参加を望む声が多いということもまた事実であろうと思います。
出島と並んで鎖国時代に海外に開かれた窓口であり、1859年に開国するまで179年間、日本と中国の貿易を支えてきた地区です。来年の2月3日に開幕するランタンフェスティバルは、唐人屋敷会場として地域住民の協力のもと、さまざまなイベントが開催され、多くの市民や観光客が訪れ、長崎観光の面からも非常に重要な場所であります。
政府は開国と言っていますが、日本の市場は既に広く開かれています。工業製品の多くは関税が撤廃されています。農産物も四分の一の品目で撤廃されています。農産物の平均関税率は、インドが一二四・三%、韓国が六二・二%、EUが一九・五%、アメリカが五・五%、日本が一一・七%、日本はアメリカに次いで世界で二番目に低い関税となっています。高いのは米や牛乳、乳製品というものです。
また、政府は開国と農業再生を両立させると言われておりますが、日本の農産物の平均関税率は11.7%であります。ほかの国はどうかといいますと、インドが124.3%、韓国が62.2%、EUは19.5%、アメリカが5.5%になっており、日本は既に十分に開国しております。この関税率の低さが日本の今の農業の疲弊と困難の主要な原因となっております。したがって、政府が言う開国と農業再生の両立は無理であります。
ところが、幕末の安政の開国後は、出島周辺の埋め立てが進み、明治期には完全に扇形の姿を消してしまい、どこが出島だったのかさえもわからなくなりました。この歴史的な出島を復元するため、昭和26年から事業を着手したと聞いておりますが、本格的に建物等の復元が進んだのは、ここ十数年前くらいからであります。やっと平成18年4月に、新しい出島として姿をあらわしました。
ことし1月2日にオープンしました長崎まちなか龍馬館は、旧長崎街道沿道の新大工町を起点に開国のシンボルであった大浦の居留地までを結ぶ長崎龍馬の道の中心に位置する施設で、坂本龍馬や岩崎弥太郎らが活躍したまちなかの魅力を発信し、体感していただく観光情報センターとしての役割を担っています。
ご存じであるかもしれませんけれども、大村益次郎先生というのは、顔は鬼瓦権造のごとしておりまして、とても見られるような顔じゃないんですけれども、彼は明治の開国の福沢諭吉先生の成績を、敵塾で10段飛びをやって福沢諭吉の記録を塗りかえたという秀才でした。
世界に開国をしたわけでございますが、それから開国いたしましてから百五十年になります。 また、この年、一八五九年にはアメリカでロックフェラーが石油採掘に成功し、石油文明の幕開けの年でもあります。一八八九年には明治維新政府により明治憲法が発布されまして百二十年になります。一九四一年、昭和十六年に太平洋戦争に我が国は突入し、一九四五年には広島、長崎へ原爆の投下を受け終戦を迎えました。
この結果、地方交付税の算定方法や合併特例債の優遇措置などに期待し、市民意識の誘導に心を砕き、平成17年4月1日、西海市民3万5,000人は、新しい時代への、『開国の日』を迎えたのでありましたが、国は、このような合併を強力に勧めた直後、三位一体の改革と称し、地方交付税を増やさず、税源移譲と補助金の削減を中途半端に進め、財源の地方格差を広げる措置を強行してきたのであります。
県庁移転後の跡地活用につきましては、先ほど市長からも答弁がありましたように、かつてこの場所は長崎奉行所西役場があったところでもありまして、幕末には開国を求めて来崎したロシアの提督プチャーチンの接遇が行われたほか、海軍伝習所や医学伝習所等が併設されるなど、重要な役割を果たした文化、土地であります。
長崎で開国を迫ったロシアのプチャーチン艦隊に対して、幕府の川路勘定奉行が断固開港を拒否したのは、開発製造したばかりの伊王島、四郎ケ島に強力な台場があったからだとも言われております。
一方、開国などを契機といたしまして、九州・山口の諸藩は、西洋の先進諸国から積極的な技術導入を受けるようになっております。鹿児島では、オランダやイギリスの技術をもとに、日本で最初の洋式機械工場群、集成館が完成いたしました。画面では、上の真ん中でございます。 また、長崎では、薩摩藩がグラバーと共同で、日本で最初の洋式ドッグ、小菅修船場を建設しております。中断、下のほうでございます。
例えば、出島にもたらされた西洋文化、中国との交易による新地周辺の文化や景観、さらには町人文化を残す町家のまちなみ、開国後の居留地など、日本の中でも際立った個性を持つ地域が、このまちなかに集まっております。こうした長崎ならではの特性を重視して、各ゾーンのコンセプトに沿ったまちづくりが提案されております。
2009年は、安政の開国から150周年という大きな節目の年でもあります。他都市においては既に開港150周年記念事業としてワーキンググループを立ち上げ、市民と協働して活動されていますが、本市も開港、条約の締結150周年と明確に位置づけて各種取り組みを進めなくてはならないと思いますが、どのように計画しているのか。
また、開国以降は、海運国日本を支える造船業を中心に三菱重工業長崎造船、ことしが150年になります。そういう点では本当にすばらしい誇らしい歴史を持っているわけでございまして、造船業は現在も長崎市の重要な基幹産業となっているところであります。そのほか、今なお全国有数の水揚げ高を誇る水産業、鶴の港として国内外に知られる長崎港を中心に毎年多数の観光客が訪れる観光業も本市の主要産業となっております。
グラバー園ファンタジア、これはさるく博の期間中、グラバー園を開国時代のテーマパークとして再現をし、訪れた人々に楽しんでもらおうということで、平成18年の4月1日のオープンニングセレモニーから順次、ずっと開催をしようということでございます。
IT先進都市横須賀、この都市は、江戸時代末期、黒船が来襲して、ペリーが開国を迫った港町でもあり、同じ歴史を感じさせる都市でもあります。日本の文化情報の窓口であった互いの都市が、IT化情報化分野で地域とのかかわり合いにおいて、長崎とは格段の差が出てきているのではないかということを、現地を訪問させていただいて痛感してまいりました。
最初、ポルトガル人を収容するために造成された出島であるが、寛永16年にポルトガル貿易が廃止されると、同18年からは、オランダ商館が設置され、以後、幕末の安政の開国(1859年)まで約218年間、オランダ貿易が行われました。出島は、江戸幕府がとった海外貿易と交流のための舞台であり、異文化交流の舞台でありました。
これまでの主な活動としまして、14年の10月、長崎の浜屋百貨店で教会群の写真や、それぞれの教会の誕生や歴史を物語る逸品などの展示、さらにシンポジウムが開催され、また昨年は、東京のNHKスタジオパークギャラリーでの写真展、四谷のイグナチオ教会で遠藤周作夫人の講演会を行い、本年、日本の開国150周年の記念として、横浜都市発展記念館にて、「横浜・長崎教会建築史紀行展」と、前ローマ教皇庁教育省次官ピタウ大司教
1641年(寛永18年)に平戸のオランダ商館が出島に移転されてから、安政の開国により、1859年(安政6年)に廃止されるまでの218年間にわたり、日本の鎖国期における西欧に開かれた唯一の窓口として、我が国の近世史発展のため非常に重要で大きな役割を果たしてまいりました。