長崎市議会 2008-10-30 2008-10-30 長崎市:平成20年世界遺産推進特別委員会 本文
次に、提案の名称でございます近代化産業遺産という言葉でございますが、これは江戸末期から第二次世界大戦終了時までの間に近代的手法によってつくられた日本の近代化に貢献した建造物の総称でございます。 今回の提案におきましては、幕末から明治期における約50年間につくられたものが中心となっております。
次に、提案の名称でございます近代化産業遺産という言葉でございますが、これは江戸末期から第二次世界大戦終了時までの間に近代的手法によってつくられた日本の近代化に貢献した建造物の総称でございます。 今回の提案におきましては、幕末から明治期における約50年間につくられたものが中心となっております。
明治19年の海軍鎮守府の設置決定以来、海軍のまちとして発展した佐世保市の近現代史の中において、第二次世界大戦の終末に向けた重要な事件であると認識をいたしております。そのため、これまで佐世保市が作成してきた歴代の市史や郷土史の副読本には、すべて佐世保空襲についての記述がなされており、それらの市史や副読本等の編集過程において、聞き取りや当時の写真、記録類の調査を行っております。
以後、戦前は海軍とともに発展を遂げてまいりましたものの、第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受け、疲弊した都市の再生・再建が急務になったわけであります。 戦後すぐに米軍が進駐し、また、昭和29年の自衛隊の発足を受け、陸上・海上自衛隊施設が整備され、今日に至っているわけであります。
被爆建造物等三菱兵器住吉トンネル工場は空襲が激しくなった第二次世界大戦末期、工場を安全な場所に移し、生産を続行できる体制を整えるため、トンネル工場という地下ごうへの工場疎開が計画されつくられたもので、被爆当時の社会的状況を伝える貴重な被爆建造物であり、保存して、後世の人々に残していきたいと考えております。
対象者は、日本の歴史の中でも第二次世界大戦などを通し、一番困難な時代に社会のため、国のためと貴重な青春時代を捧げ、戦後の復興に頑張ってこられた人たちであります。長寿祝金は、行政施策の最低限のものとして継続されることを強く要求いたします。 対象者の方々の中には、寝たきりの人や病院、施設などに入院、入所されている人は少なくありません。
それからもう1つ、私、歴史的に考える場合に、今の高齢者の方々というのは、恐らく日本の歴史の中では、第二次世界大戦、あるいは戦後の社会処理、そういう中で、相当みずからの青春時代を社会のために投げ出して、そして社会のために貢献された方々ばかりだと率直に言って思うんです。
まず、1点目の平和行政についての(2)住吉トンネルの保存・活用についてでございますが、三菱兵器住吉トンネル工場は、空襲が激しくなった第二次世界大戦末期、工場を安全な場所に移して生産を続行できる体制を整えるため、トンネル工場という地下ごうへの工場疎開が計画されつくられたものです。
これは日本政府として先の第二次世界大戦についての公式見解であります。いろいろ長い文章ですけれども、その中で大戦についてこう述べております。 「今、戦後50周年の節目にあたり、われわれが銘記すべきことは来し方をたずねて歴史の教訓に学び、未来を望んで人類社会の平和と反映の道を誤らないことであります。
私どもの地域の下原口公園は、通称お山の公園と言いまして、零戦1機が格納できた大切な第二次世界大戦の遺構であり、ここはきちんとした形で残すべきであります。しかも、水はけが悪く、少し雨が降るとプールとなり、公園の用を足しません。梅雨の時期など、1週間以上も使えないことがしばしばであります。
大東亜戦争というのは、第二次世界大戦のことを彼らはそう呼ぶんですね。このことは同じもんです。「県教委は「教材としては一面的で不適切だ」としている」。「兵士の霊が主人公の女子高校生を靖国神社に誘い、日清戦争から東京裁判までの過程を説明する内容で、「従軍兵士の根底にはアジアの解放があった」「自衛のための戦争だった」と訴えている」。これは首相も知ってるんですね。
今日のような下水道がつくられるようになったのは第二次世界大戦以後だそうで、事業が大変発達し、人口が一層都市に集中するようになったことにより、また昭和30年ごろから工場の排水によって川や海の汚れが目立つようになり、公害も発生するようになり、そのため汚れた水をきれいにして川や海へ戻す下水道の役割が一層重要となってきたものと言われているようであります。
第二次世界大戦後イギリスでは労働内閣が誕生して以来、「ゆりかごから墓場まで」の官営社会福祉国家の建設がスタートしました。政治にすべてを求める英国病が蔓延し、長い停滞の時代が続いたのでございます。地方も市民と行政と議会の三者が一体となって成立しております。この三者が現状を正しく認識し、地方の生き残りをかけた策を見いだすための努力を惜しまないことが重要ではないかと思います。
私は、その判断に大いに期待をするものでございますけれども、かつて、第二次世界大戦、この勃発というのは、これはABCなる経済封鎖、こういうふうなものが原因であったと私どもはお伺いをいたしております。経済封鎖なんです。 今、日本の国において、食料自給率40%、これがもっともっと自給率が下がってくる。日本人の食料を外国に依存する、あるいはそういう時代も来るかもしれない。
先ほどの山本議員の質問にもまた答えるという形になりますが、まず、指定地方公共機関へなぜ反対するかというのは、これは歴史上、日本のマスコミは第二次世界大戦において軍部の、いわゆる大本営発表のみを垂れ流すと、結果としてそうなってきたと。
三和地区の鉱山は、主に第二次世界大戦中に操業し、終戦とともに採掘を終えております。既に60年を経過していることもありまして、当時の明確な採掘場所や事業主、さらに作業内容が特定できる資料がほとんどなく、今回の現地調査も昭和27年に旧通産省工業技術院から発行されております「日本鉱産誌」の記述をもとに、周辺住民の方の証言を踏まえ、現地の状況を確認したところでございます。
それから、長崎国体でございますけれども、国体の目的と開催意義、及び主会場誘致でございますけれども、国体は第二次世界大戦で壊滅した我が国のスポーツを復興することを目的に、昭和21年に第1回大会が京阪神地域で開催され、以後、毎年各県持ち回りで行われております。
日本とともに、第二次世界大戦の侵略国だったドイツとイタリアは、戦前の国旗を廃棄し、戦後は新しい国旗で出発しています。戦争中の旗をそのまま政府が使っている国は日本だけです。 ことしは、第二次世界大戦終結から60周年であり、本日6月23日は沖縄戦終結60年目の慰霊の日です。
1.日の丸が第二次世界大戦中、天皇のため、御国のため命を捨てる教育の踏み絵として果たした役割にあります。その結果、多くの国民が日の丸のもとに、虫けらのように殺され傷つけられました。かつ侵略、植民地政策遂行に絶大なる効果を発揮し、多くのアジア諸国の人々を殺りくしました。
いろんな中学の歴史教科書の中で、第二次世界大戦における太平洋戦争の位置づけとして、これを大東亜戦争なんて名称を使ったのは、この会社1社だけですよね。そして、この大東亜戦争にこういう注をつけておりますよ。これは注の中で、戦後、アメリカがこの名称を禁止したので--この名称って大東亜戦争ですよ--戦後、アメリカがこの名称を禁止したので、太平洋戦争という用語が一般的になったとあります。
ジュネーブ条約は、第二次世界大戦の悲惨な経験を踏まえ、民間人や捕虜などの保護を目的に、戦場における人道的なルールを定めた条約で、平成17年2月末現在、世界の192カ国が条約を締約しております。また、ベトナム戦争後には、学校や病院等への攻撃を禁止した2つの議定書が追加され、日本国政府も、平成16年8月にこの2つの追加議定書を批准いたしております。