大村市議会 2003-12-11 12月11日-05号
多分、松本市長が前市長をされていたときも出ていた問題ではないでしょうか。 ◎教育長(西村順子君) トレーにおかずを入れるところですね、そういうところに野菜サラダとか、そういうものが来たときにすごく食べにくいわけですね。私も実際指導をしてきましたので、その指導の難しさは感じておるんですけれども。 じゃ、そのためにそこに食器を入れようじゃないかということで検討もしてみました。
多分、松本市長が前市長をされていたときも出ていた問題ではないでしょうか。 ◎教育長(西村順子君) トレーにおかずを入れるところですね、そういうところに野菜サラダとか、そういうものが来たときにすごく食べにくいわけですね。私も実際指導をしてきましたので、その指導の難しさは感じておるんですけれども。 じゃ、そのためにそこに食器を入れようじゃないかということで検討もしてみました。
大村市の松本市長は約1万人の隊員、家族を抱えるこの自衛隊のまち大村市の市長として、いろいろ札幌市長の考え方もあり、佐世保の光武市長の考え方もありますが、きょう閣議で決定されていくわけですけれども、どういう考えをされているのか、逃げられても結構です、答えられても結構です。
いわゆる西大村地区、あの一帯をシビックゾーンというふうな名づけをされたのも、これは多分松本市長の前期の時代だと思います。そういうことで、市役所の建てかえ用地とは言わないまでも、やはりあれだけの、要するに奥まで含めますと、全部今松並二丁目で駐車場としてお借りしている分も含めますと、2万平米あるわけですよ。
そのおやじ役が松本市長だと私は理解をいたしております。 そういう意味におきまして、この家族が本当にお父さんの大変なことをよく認識をいただくということがまず大事じゃないかなと。そういう意味におきまして、まず、地区の懇談会、今は変わっておりますが、そういうところでもある程度はお話はあった。しかし、そこにおいでになる方は限られた少数でございます。
もう9年前になりますけれども、松本市長のときだったろうというふうに思っておりますが、その当時に買い入れをすればどうだろうかというような提案をしたのも事実でございます。しかし、その当時は買い入れをせずにそのままずっと推移をしてきたということがあるわけでございます。 それと、この市場は当初の計画からすれば、取り扱いかれこれにおいても、約半分だと思うんですね。
これは、昭和44年に、当時の松本市長が提案をして誕生したということでございました。当時、御承知のとおり、マスコミ等でも大変取り上げをされまして、話題を呼んだ記憶がございます。現在お尋ねをいたしましたら、職員が11名体制で、市政に対する要望等の緊急処理を主な業務としているということであります。
そういう中において、新市長である松本市長も公約の中にこれほどひどいものとは思わなかったと。実際、業務に入ってみて、これは早速財政の方から立て直さなくちゃいかんということで、きのうの8番議員のしつこい質問に対しても優先順位がありますと、財政が困窮ですから、我慢してくださいと、よく粘ったですね。あれも気が短い市長であれば、もうやぐらし、やりますと言うはずでしょうけれども、それを乗り越えた。
さて、松本市長が再選をされましてから、間もなく1年になろうとしております。前回市長をされたときは、まさにバブルの全盛期を経験され、ボートからの繰り入れも順調にあり、財政の心配をされることはなかったのですが、今回は全くその逆で、財政再建団体への転落を懸念する中での大変なかじ取りをされているわけです。 選挙が終わって間もなくのことでした。新人議員への説明会が開かれました。
◆3番(山田慶一君) 一般質問の中で松本市長は、現在の部設置については名称等がわかりにくいと。そういう意味でいずれ変更したいと、わかりやすくしたいということで、来年の4月ぐらいにされるのかどうかわかりませんが、せっかくここにされるわけだから、そういうふうなことは検討されなかったですか。
昨年9月、松本市長が8年間の時を経て市長に復帰されました。 前回のバブルによる財政豊かな時代と、このままでは赤字再建団体に陥ろうかというほどの今日の厳しい両極端の時代の市政のかじ取りをされるわけですが、苦しい時代の今日、政治家に対する市民の目が特に厳しいものになり、まさしく首長、あるいは議員の政治能力をいかに発揮できるか、極めて責任の重い時代であると言えると思います。
ここにおる松本市長は、はっきり申し上げて、是か非かわかりません。悪いことをしたということは、これは事実です。彼は冤罪だと言っておりますけれども、こういうことについても市民がどうあっても、ここで活力をためる、するためには、松本でなければいかんという声のもとに私は選ばれたと思います。とすれば、民間上がりの市長が民間サイドで考える。今長崎県政がそうでしょう。
1番目、椎葉橋、石割場橋のかけかえについて、前市長の継続事業であるということを松本市長におかれましてもお考えいただきたい。予算がないからできないということが理由になっておりますけれども、それは私にとっても、またこの地域の不自由を感じている住民の方にとっても納得がいかないんではないかと。
そういった大変な時代に松本市長は、あえて言わせていただければ火中のクリを拾うというような形で市長に就任をされているわけで、その御苦労のほどは本当に察して余りあるものがあるわけでございます。 ここに議事録を持ってまいりました。これは平成6年の3月議会の議事録でございます。
この問題は前にもお尋ねしましたが、これまた重要でありますので、松本市長にお尋ねをします。 施政方針では、歴史文化遺産の保護、継承と文化の創造と題して、いろいろな説明がされましたが、まず、埋蔵文化財についてお尋ねします。 市内各地にあった縄文・弥生時代などの大量の埋蔵文化財は、もとの大村中学校の校舎にあります。
このボランティア福祉について、きょうちょっと朝から福祉センターのところに行きまして、ボランティア福祉都市宣言という表題を平成4年に松本市長当時、あそこの外さくに掲げてあります。「我が国は、急速に進む高齢化と共に社会が大きく変化するなかで、福祉に対する期待がますます高まっている。
◆17番(山田慶一君) 松本市長の最大の選挙公約の中に、国道34号線の拡幅があったわけです。松本市長のいない8年間どうしておったのかということもありましたけれども、平成12年ぐらいからでも結構ですが、今年度の国道34号線の予算がどれくらいか、数字の説明をお願いします。
ここにお気づきになった松本市長の評価というのは、これはちょっと大きいものがあると思うんですよ。褒めたくはないんですけど、ここでばっさりやられたんですね。ばっさりやられたというか、これはばっさりやられたんじゃなくて、当然やるべき問題だったんですよ、今までね。それが一つ。 それから、今10何通りというふうに平気で言われましたけどね、民間はそういう細かいことはやってないんですよ。
この計画は、あくまでも前市長のものであり、松本市長の考え方と 100%同じであるとは、本日までのほかの議員の一般質問に対する答弁の中からも、私は考えていないと思います。 本年10月に市長が交代し、松本市長におかれましても行政改革に対する基本的なスタンスは変わりないと思いますが、きのうの新聞報道の福祉対策に対する姿勢が市民の間で物議を醸し出している現状があります。
それと同時に、松本市長が8年前に突然事件に巻き込まれた後、その後8年間甲斐田國彦氏が、なかなか市長の重責はだれもかれもできるわけじゃありませんけれども、誠実な人柄の中で一生懸命8年間誠実にやってこられた。これもひとえに大村市の発展に寄与するところがあったということで、この場で敬意を表したいと思います。
それでは、松本市長に対する信頼、大村市政に対する信頼は勝ち取れないと思うんです。ですから、率直に自分はやったと、しかし、それは罪を償って私は再起を図るんだと、信頼してくれと言う方がよっぽど市民の大きな合意を得られると思うんですよ。そういう立場に立てないんですか。 ◎市長(松本崇君) 自分としてはやっていないことをやりましたと、自分に対してうそつくわけにいかないんですよ。