松浦市議会 2022-06-01 令和4年6月定例会(第4号) 本文
よって、昭和63年、当時の衆議院議員、松田九郎先生と一緒に手がけてきたこの西九州自動車道、これは金子先生自身、ライフワークとして政治生命をかけてやってきたんだと。この開通にめどが立った今、私は政界から引退することを決意した、このようなお言葉がありました。
よって、昭和63年、当時の衆議院議員、松田九郎先生と一緒に手がけてきたこの西九州自動車道、これは金子先生自身、ライフワークとして政治生命をかけてやってきたんだと。この開通にめどが立った今、私は政界から引退することを決意した、このようなお言葉がありました。
昭和53年、松浦魚市場と火力発電所の同意交渉があった。これは私もおりました。本当に市役所は命がけでやっていましたよ、県も命がけで。その姿を見ている割には迫力がない。その例をちょっと挙げます。ここに私、書いておるね。 その当時、松浦魚市場の同意交渉、あそこも埋立地やったね、漁業権消滅と埋立てのとき。こういう例があるんです。
昭和の頃はですね、市長、黒いダイヤと言われて大変、炭鉱、石炭は非常に重要視されたんですよ。これがエネルギーの核になっていたんですよ。ところがどっこい、人間というのは非常に考えが甘い。今になってから、地球から石炭は廃止して、脱炭素で行きましょう、化石燃料はやめましょう、廃炉にしましょう、2050年にはしましょうと。何を言っているのかなと、こう思います。CO2、天然から授かった石炭は化石燃料ですよ。
これは、昭和の初期、中期ぐらいは全く大分の湯布院町というのは無名だったそうなのですけど、その農村と緑と静けさを守り抜きながら日本中の人々が憧れる保養地に育て上げた人々の苦闘の物語ということでありました。何と、この物語の主人公は、当時の湯布院町の総務課長なのです。目玉として、駅から温泉までの馬車を用いて町を再生した話でした。よければ見てください。
この地区には昭和62年に整備しました西諫早ふれあい広場もございますが、こちらも整備から34年が経過し、老朽化が進んでいる状態であります。
まず、諫早文化会館の老朽化対策に関する検討経過でありますが、本施設は昭和55年に建築され41年が経過しており、近年は雨漏りや空調設備の故障が頻発するなど、その対策が急務となっております。 また、吊天井の落下防止対策や耐震補強なども必要であり、今後、大規模改修による長寿命化に取り組んでまいりたいと考えております。
2点目、長崎都市計画区域2市2町は、昭和45年10月に組織されて、約50年が経過しております。本市の実情だけでは離脱が困難のようですが、最終決定を行う県が承認することになるのか見解をお伺いします。 1回目の質問を終わります。答弁によっては、再質問をさせていただきます。
この建物につきましては昭和62年に建設されたものですけども、今回の改修内容としましては屋根、外壁、それと、フロアがカーペットだったんですけれども、そちらをやり替えまして、フローリング及びビニールカーペットを使った床に張り替えるというふうなのが主な内容になっております。
御厨中学校ですが、昭和44年、1969年ですから、もう53年たちます。一番古いのが、学校でいくと今福中学校、ここが56年になると思います。 80年何とかやっていきたいということなんですが、まず、その中でも、ちょっとだけお願いというか、前から言っているんですけど、御厨中学校の浄化槽ですね、悪臭の件。
福島大橋は昭和42年に開通しており、今年で架橋から55年でございます。 これまで市議会でも市当局と新福島大橋の建設に関する要望活動を行ってきた中で、長崎県からは、橋梁長寿命化修繕計画に基づき、適切な維持管理や必要に応じ耐震補強を実施することとしており、架け替えは予定していないとの見解が示されてございます。
住所、松浦市志佐町里免223番地3、氏名、宮原宗尚氏、昭和36年7月25日生まれを副市長に選任したいので、地方自治法第162条の規定により議会の同意をお願いするものでございます。 橋口副市長におかれましては本年3月末日をもって退任をされます。
離島においては、昭和28年に離島振興法が制定されて以来、離島振興政策が推進され、生活条件の改善、産業基盤の整備等を中心とする社会資本の形成が大きく進展した。 離島は、我が国の領域、排他的経済水域等の保全、海洋資源の利用、多様な文化の継承、自然環境の保全とあわせて、自然との触れ合いの場及び機会の提供、食料の安定的な供給等、我が国及び国民の利益の保護及び増進に重要な役割を担っている。
その後、大阪での方面委員制度が全国に普及し、1946年(昭和21年)に民生委員制度に改められ、1948年に民生委員法が制定されています。既に72年も経過しようとしております。 この法律が制定された社会環境は、今日の核家族化、少子化、高齢化などの社会問題など想定外であり、その意味で民生委員制度が機能不全に陥り、極端に言えば形骸化が心配されます。
諫早技能会館は、県が昭和49年に設置し、指定管理施設として管理運営されており、主に建築関係の技能者の職業訓練や講習会、会議の場として利用されております。 現在は、県が管理する施設の見直しの一環として、長崎技能会館、佐世保技能会館に続き廃館も含め検討されるとお聞きしているところでございます。
当該路線は、昭和48年に都市計画道路貝津下大渡野線として、下大渡野町から小船越町の延長5.2キロメートル、標準幅員25メートルから37メートルの4車線道路として都市計画決定され、当時の建設省が事業主体となり、昭和49年から建設に着手されております。
当時、15歳の林嘉代子さんも城山の国民学校で亡くなり、母親は嘉代子さんや女学生たちの慰霊のために、昭和24年、娘が好きだったソメイヨシノの苗木を送り、植樹しました。「嘉代子桜100本育成」の報道を受け、鎮西学院が5本を譲り受け、そのうち2本を百日紅公園に植樹しました。百日紅公園は、旧市営火葬場として多くの市民の御霊を送り出した場所で、原爆により亡くなられた多くの方がこの火葬場でだびに付されました。
例えば、昭和52年から54年にかけて火力発電所のときも、反対も賛成もありました。魚市場のときも反対も賛成もありました。それから、今福のボートレースも反対も賛成もありました。しかしながら、私としては、説明を聞いた上で判断をするというのが民主主義のあり方だと思っているんです。説明を聞かないで判断はできないと私は思っているんです。 そこで、市長は説明会を開いてくださいとお願いしている。
これは15年前、昭和28年に発症しました、最初の水俣病は。そして、昭和43年、15年ほどたって初めて政府がこれを公害と名をつけた。それまでは国は一切そのことには関知していなかった。数値は出ていなかった。にもかかわらず、15年たったときに、これを公害と認定しようというふうになったわけです。
離島振興法の改正・延長を求める意見書 離島においては、昭和28年に離島振興法が制定されて以来、離島振興政策が推進され、生活条件の改善、産業基盤の整備等を中心とする社会資本の形成が大きく進展しました。
昭和49年3月に施行された工場立地法では、緑地面積率を含めた環境施設面積率が国準則により25%以上と定められていますが、平成23年の法改正により、工場立地法に基づく告示に規定する区域の区分ごとに、基準の範囲内で自治体が条例を定めることが可能となっております。