190件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

西海市議会 2022-12-07 12月07日-03号

見にくいんですけど、これはシールが貼ってありまして、昭和60年の品物がほぼほぼ。あの体育館ができたのが昭和59年と聞き及んでいるので、1年後には完備しているんですけど、昭和時代ですよ。これもお話しをいただき、見に行きました、私もよく知らなかったので。そしたら、西彼にもありますと。私は行ってないですけど、西彼年式とか分かれば答えてもらえませんか。 ○議長(宮本一昭) 作中社会教育課長

西海市議会 2022-06-16 06月16日-04号

しかし、今の若い人は結構ハイテクになっていて、ここにいるほとんどの方が昭和生まれです。そして、片山君が一人ぎりぎり平成、そういう中で議会をやっております。そして、その中で私たちは30年後の計画を語ろうとしている。その計画が本当にいいものなのかどうなのか。 というのが、5年前に杉澤市政が生まれました。

西海市議会 2021-12-10 12月10日-05号

離島においては、昭和28年に離島振興法が制定されて以来、離島振興政策が推進され、生活条件の改善、産業基盤整備等を中心とする社会資本の形成が大きく進展した。 離島は、我が国の領域、排他的経済水域等保全海洋資源の利用、多様な文化の継承、自然環境保全とあわせて、自然との触れ合いの場及び機会の提供、食料の安定的な供給等我が国及び国民の利益の保護及び増進に重要な役割を担っている。 

西海市議会 2021-09-08 09月08日-03号

しかしながら、オランダ村は昭和58年に開業し、38年が経過しており、危険と判断されるところは木製デッキ躯体部分にとどまらず、基礎鋼管杭に及んでいることが想定されます。まずは、しっかりと基礎部分点検調査を実施し、耐久性など安全を確保することが施設所有者としての責務であると考えており、今回の鋼管杭点検調査なくして先には進めないと考えております。 

西海市議会 2021-06-15 06月15日-02号

そこら辺で、今回のこういった、ぜひ県のほうに要望していきたいと思って、今回質問をさせてもらったんですけれども、ちょっともう一つ、これが昭和60年ぐらいなんです。うしろの浜の砂浜です。これが現在の砂浜です。見て分かるように、国道側は以前えぐられて、ブロック工事というんですか、波で洗われた経緯があって、これこそ、うしろの浜の砂浜が痩せてきている状況だと思っています。 

西海市議会 2021-03-02 03月02日-02号

昭和57年の建設ですから40年弱、38年。 もう老朽化もするでしょう、止まっている状態だし、動かさないならなおさらでしょう。 調査した結果、腐敗等もあり錆びていて、もう回すにも困難だという市長最終結論だと思うんですけど、そうした場合、私は何で風車風車と言うかといいますと、回っていないと生きた気がしない。死んだまま、あそこに立っているような感じなんです。血が通っていないという話です。

西海市議会 2020-12-03 12月03日-04号

それで、当時の厚生常任委員会に私も所属させていただいておりまして、実際に大島児童館にも足を運び、視察をさせていただいたわけですけれども、そのときに、この児童館昭和63年4月1日に設置されたとあるけれども、実際には、もっと前に保育所として運営していた時期が相当あって、古い建物だという説明があっておりました。 そのときにシロアリの被害、それから遊具の老朽化などがあっておりました。

西海市議会 2020-12-02 12月02日-03号

それで、私は、1953年の昭和28年に生まれたんですけども、実は今、私が住んでる旧西海町の太田和というのは、私が生まれた1953年は、面高村と七釜村というのが合併する時期だったんです。 七釜面高が合併して西海村になったんです。そのとき、私は、昭和30年ですから2歳です。 私が4歳のとき、昭和32年に瀬川という、川内と横瀬村が一緒になった瀬川村と一緒になって、西海村ができたんです。

西海市議会 2020-12-01 12月01日-02号

この防波堤は、平島漁港海側から入りまして右側、更にその奥側防波堤でございますが、元々この防波堤は、石積みによりまして昭和30年代の後半に整備がされております。 その後、現在のフェリー発着の桟橋及びその周辺岸壁、こちらの整備に際し、フェリーの着岸の際の旋回に支障があるということで、平成17年度先端部分の一部を撤去したものでございます。 

西海市議会 2020-09-04 09月04日-01号

昨年、同じように崎戸産業振興環境整備資金貸付金については、権利の放棄がされておりまして、昨年の分については、昭和60年度平成年度平成年度ということで、この点を質疑させていただいたところですけれども、その際に債権のみが引き継がれた形になっており、旧崎戸町からの引き継ぎの部分がうまくいっていなかったという説明を受けたわけですけれども、今回の場合の債権年度が合併した後の年度になっておりますので、

西海市議会 2020-06-17 06月17日-03号

昭和57年の私が高校2年の時、皆さんも記憶にあるように長崎大水害で299名が亡くなったという事実があるわけです。それで、近年においても福岡や広島でこういった雨の被害があっている。 西海市は地形が良いのかどうかわからないけれども、そういった大きい災害というのはなかなか来ないですが、その安心感市長の答弁にあるように「人の命に係るようなことのないようにする」と言ってるけどもつながって来る。 

西海市議会 2020-06-16 06月16日-02号

取得の経過については、昭和55年に旧大島町が行った道路改良工事により拡幅された際に、当時の地権者であった松島炭鉱株式会社から買収や分筆がなされておらず、そのまま隣接する現在の大島楽市ショッピングセンター敷地と一体をなす宅地の一部が道路として長年使用されており、平成18年に三井松島産業株式会社大島楽市ショッピングセンター敷地のみを分筆及び所有権移転を行う際、この道路用地についても分筆されましたが

西海市議会 2020-06-12 06月12日-01号

私は、昭和58年から社会科の教員として県立佐世保西高等学校をふりだしに長崎県の高等学校教育に携わりました。 西海市との関わりとして、同居連携型中高一貫教育を導入する県立大崎高等学校、教頭を2年間務めました。 その後、諫早高等学校の副校長松浦高等学校校長平成30年度からは佐世保北高等学校佐世保北中学校校長を2年間務め、本年3月末定年により退職いたしました。 

西海市議会 2020-03-04 03月04日-03号

あそこは、ご存じのように、昭和62年に着工されて、平成2年から平成7年まで整備をされた。現在、春には菜の花が10万本、コスモスが20万本。望遠とか、展望台とかプラネタリウムは去年、平成30年度ですけど、年間10万人が利用している。何にもない山を、一遍で大きな観光地にしようじゃないかと。そこではいろんな活動が行われて、夜店が出たり、本当に諫早市を代表するような大きな観光地になっている。