松浦市議会 2022-09-01 令和4年9月定例会(第4号) 本文
昭和48年に呼子で初めてイカの生けづくりの専門店ができて、50年ですよね。いまだににぎわっております。全国でも知名度はかなりのものかと思いますが、アジといえば松浦アジフライ、アジといえば「アジフライの聖地 松浦」、もう一回、もう二回行きたいな、そんなふうになることをお願いしたいなと思っております。 今、市長が言われたように、信用をつくるには何年もかかります。ただ、壊すのは一瞬でいいんです。
昭和48年に呼子で初めてイカの生けづくりの専門店ができて、50年ですよね。いまだににぎわっております。全国でも知名度はかなりのものかと思いますが、アジといえば松浦アジフライ、アジといえば「アジフライの聖地 松浦」、もう一回、もう二回行きたいな、そんなふうになることをお願いしたいなと思っております。 今、市長が言われたように、信用をつくるには何年もかかります。ただ、壊すのは一瞬でいいんです。
1958年、昭和33年に建築され64年経過しております。福岡西方沖地震の後と思われますけれども、支所の建物を支える柱の根元が壊れ、中の鉄筋がむき出しの状態でございました。その後なかなか建て替えが行われず、平成28年6月議会の質問の段階では、補強工事ではなく根元が見えないように隠すためと思われる工事が行われておりました。
今、築年数とすれば、昭和33年に建ててもう六十四、五年になるというような状況でありまして、耐震もなければ、職員の皆さんの災害等に対する備えというものも、あれではできかねるのではないかというふうに思っておるところでございます。 そこで、支所長にと言ってもなかなか難しい問題があるというふうに思うわけでございますが、支所長として今の支所の現状をどのように認識されておられるか、お伺いをしたいと思います。
まず、現在の鷹島学校給食共同調理場は昭和49年5月に供用開始されておりまして、48年が経過しております。非常に老朽化が進んでいるという状況でございます。
よって、昭和63年、当時の衆議院議員、松田九郎先生と一緒に手がけてきたこの西九州自動車道、これは金子先生自身、ライフワークとして政治生命をかけてやってきたんだと。この開通にめどが立った今、私は政界から引退することを決意した、このようなお言葉がありました。
昭和53年、松浦魚市場と火力発電所の同意交渉があった。これは私もおりました。本当に市役所は命がけでやっていましたよ、県も命がけで。その姿を見ている割には迫力がない。その例をちょっと挙げます。ここに私、書いておるね。 その当時、松浦魚市場の同意交渉、あそこも埋立地やったね、漁業権消滅と埋立てのとき。こういう例があるんです。
昭和の頃はですね、市長、黒いダイヤと言われて大変、炭鉱、石炭は非常に重要視されたんですよ。これがエネルギーの核になっていたんですよ。ところがどっこい、人間というのは非常に考えが甘い。今になってから、地球から石炭は廃止して、脱炭素で行きましょう、化石燃料はやめましょう、廃炉にしましょう、2050年にはしましょうと。何を言っているのかなと、こう思います。CO2、天然から授かった石炭は化石燃料ですよ。
この建物につきましては昭和62年に建設されたものですけども、今回の改修内容としましては屋根、外壁、それと、フロアがカーペットだったんですけれども、そちらをやり替えまして、フローリング及びビニールカーペットを使った床に張り替えるというふうなのが主な内容になっております。
御厨中学校ですが、昭和44年、1969年ですから、もう53年たちます。一番古いのが、学校でいくと今福中学校、ここが56年になると思います。 80年何とかやっていきたいということなんですが、まず、その中でも、ちょっとだけお願いというか、前から言っているんですけど、御厨中学校の浄化槽ですね、悪臭の件。
福島大橋は昭和42年に開通しており、今年で架橋から55年でございます。 これまで市議会でも市当局と新福島大橋の建設に関する要望活動を行ってきた中で、長崎県からは、橋梁長寿命化修繕計画に基づき、適切な維持管理や必要に応じ耐震補強を実施することとしており、架け替えは予定していないとの見解が示されてございます。
住所、松浦市志佐町里免223番地3、氏名、宮原宗尚氏、昭和36年7月25日生まれを副市長に選任したいので、地方自治法第162条の規定により議会の同意をお願いするものでございます。 橋口副市長におかれましては本年3月末日をもって退任をされます。
例えば、昭和52年から54年にかけて火力発電所のときも、反対も賛成もありました。魚市場のときも反対も賛成もありました。それから、今福のボートレースも反対も賛成もありました。しかしながら、私としては、説明を聞いた上で判断をするというのが民主主義のあり方だと思っているんです。説明を聞かないで判断はできないと私は思っているんです。 そこで、市長は説明会を開いてくださいとお願いしている。
これは15年前、昭和28年に発症しました、最初の水俣病は。そして、昭和43年、15年ほどたって初めて政府がこれを公害と名をつけた。それまでは国は一切そのことには関知していなかった。数値は出ていなかった。にもかかわらず、15年たったときに、これを公害と認定しようというふうになったわけです。
離島振興法の改正・延長を求める意見書 離島においては、昭和28年に離島振興法が制定されて以来、離島振興政策が推進され、生活条件の改善、産業基盤の整備等を中心とする社会資本の形成が大きく進展しました。
この鷹島神崎遺跡を含む「鷹島海底遺跡」では、昭和55年からこれまで40年以上にわたり継続的に調査・研究が行われており、平成23年秋に琉球大学が、科学研究費を活用して元の沈没船の一部を発見され、平成26年度には、琉球大学と本市との連携協定に基づく合同調査において、2隻目の元軍の沈没船も発見されている。
これは、昭和52年度に整備されたもので、その建設から40年以上が経過しておるということであります。 手すりとなっている擬木、コンクリートで作ったものでありますけれども、これも当時施工されたものであるということであります。
そのときに見ますと、松浦港は松浦火力発電所の建設に伴い、昭和61年6月に地方港湾新御厨港と56条港湾黒潮港を含め誕生、昭和62年7月に港則法輸出適用港の指定を受けて、昭和62年11月に開港したと。それで、管轄は長崎税関佐世保支所管轄及び無線検疫対象港は長崎検疫所佐世保支所管轄の指定を受けている。いわゆる石炭専用の輸入港なんですね。あそこは無人検疫ですね。有人じゃないんですね。
非常に難儀をされて、何回も何回も星鹿、川原辺田等々の、それに松浦市に説明に来られて、そして何とか昭和初期からの黒いダイヤと言われた石炭が技術改革で巣立っていった、その後の松浦を何とかせないけないだろうということで、久保知事は一生懸命奔走されて、そしてやっと松浦に火力発電所が決定したと。
109 ◯ 水産課長(鈴木正昭君) 現在の調川港の水産加工団地につきましては、昭和59年6月に取りまとめられました松浦市水産基地総合整備計画調査による水産基地整備の基本方向や加工団地形成の条件等の提言をもとに地元協議が行われた後、県が事業主体となって、調川港港湾改修事業及び起債事業として防波堤と岸壁部分である1工区、それとあわせて、調川港廃棄物処理施設整備事業である2工区に分