島原市議会 2021-03-01 令和3年3月定例会(第2号) 本文
173 12番(永尾邦忠君) もう時間もあまりありませんので先に進みますが、昭和初期は50人の共有地であったが、その後、しばらくすると相続で700人の共有地となったというふうな事例もありまして、これは、今おっしゃったように、時間と、それから費用が随分かかるというふうにお聞きをしておりまして、これを解消するために、今国会に所有者不明土地の解消を目指す法案
173 12番(永尾邦忠君) もう時間もあまりありませんので先に進みますが、昭和初期は50人の共有地であったが、その後、しばらくすると相続で700人の共有地となったというふうな事例もありまして、これは、今おっしゃったように、時間と、それから費用が随分かかるというふうにお聞きをしておりまして、これを解消するために、今国会に所有者不明土地の解消を目指す法案
立花博氏は、長崎大学教育学部を卒業後、昭和50年4月から長年にわたり県下の小学校教諭として勤務され、瑞穂町立大正小学校校長、島原市教育委員会学校教育課課長、有明町立湯江小学校校長を歴任され、平成25年3月に島原市立第一小学校校長を最後に定年退職されており、その後、島原図書館館長を歴任された方であります。
これは九電の前から上っていきますけど、あの道は明治のころにはまだなかった、昭和になってできたというような話で、車のためにつくられた道であって、島原城の築城の中では、あそこは堀があって、天守閣には簡単に上がられないということだったらしいですね。 それについて、市長に見解を求めていいのかな、天守閣の前に駐車場があると、もうすぐそこにあるということについて、そういう議論とか何かあっていますでしょうか。
88 産業部長(西村 栄君) おっしゃいますように、種苗放流事業は資源の確保を図るという意味で昭和57年から行っております。 種苗放流の効果ということにつきましては、ある一定の効果測定、費用対効果をどう図っていくのかというところが大事だと思っております。
ちぎって、また貼ってという、ちょっと言い方は悪いんですが、昭和の遺物みたいな、遺産みたいなですね、そういうのじゃなくて、コロナ禍においては商店街のあのがんばスタンプをポイントカード制みたいなことでしてはいかがかと、そういう提案もしてくださいよというふうに話をしていました。
本市の都市計画道路の決定は昭和37年に行われ、全長約37.5キロメートルのうち整備済みが約31.2キロメートル、整備率83.1%がこれまで整備されているようです。
100 市長公室長(伊藤太一君) お尋ねの平和首長会議につきましては、昭和50年代、当時の広島市長が国境を越えて世界の都市が連携して核兵器の廃絶を目指そうということで提唱し、これに賛同する自治体が参加しているものでございまして、現在160以上の国で7,900ほどの都市が加盟しているということで、核兵器廃絶の活動を行っている組織でございます。
まず、埋立ての必要性でございますが、秩父が浦海岸の護岸は昭和時代に築造されたもので、経年変化による老朽化が顕著に表れているところであります。
島原市は平成15年、長崎県下3番目に市制を施行し、昭和30年、三会村と合併、また、平成18年1月1日には旧有明町と合併し、先人のたゆまぬ努力で戦後の復旧、復興も早く、島原半島の行政、文化、産業、観光の中心的役割を果たして現在に至っております。
島原市市勢振興計画は、計画期間における本市の目指す将来の姿とその実現のための施策をまとめたものであり、本市の最上位の計画と位置づけられておりまして、昭和37年に第1次の計画を策定して以来、今回で第7次の策定となります。
昭和26年からこれまで母と子を入所させて、いろいろ守ってきた重要な役割のわかばでございますけど、今回、老朽化、または道路の計画化などで移転をして廃止するという動きになっておりますが、今後もやはりいろんな形の困った人を助けるためには、この条例までなくすんじゃなくて、条例は残していてもいいんじゃないか。
187 市長(古川隆三郎君) 実は、あの白土湖を昭和62年に一大しゅんせつをしています。それ以前は、白土湖の山側にくいを打った上に、湖面の上に桟橋みたいに板を引いたところに喫茶店とか食事ができたり、レジャーというかゲームセンターであったりしていました。
231 産業部長(西村 栄君) 本市区間の北部の広域農道につきましては、昭和50年度から平成9年度の23年間をかけ、出の川町から湯江までの約6キロメートルを整備されております。整備完了区間から随時、長崎県より譲与されまして、現在、島原市が管理している状況でございます。
48 12番(永尾邦忠君) 立川市の昭和記念公園、あそこは結構広い、やっぱり国の施設ですから広いんですが、公園内で自転車に乗れたりするんですね。自転車のコースを特別に設けてある。
母子生活支援施設わかばは昭和26年の建設であり、現在68年が経過をし、大変老朽化しています。設立の目的は、母と子を入所させ保護するとともに、その親子の自立の促進のために生活を支援する施設として設置してきましたが、現在、入居者の減少や老朽化等により令和2年3月末で廃止することとしております。
それによりますと、昭和49年に完成しており、その当時の設計の考え方として、島原城の景観を壊さないように控え目につくることを主眼に置いたとのことでございます。
あと観光は素材ももちろん大事な要素だと思うんですけれども、観光というのはやっぱり、先日、兄弟都市提携50周年で豊後高田市にお邪魔したときに、恋叶ロードとか長崎鼻、昭和の町など、確かにすばらしかったんですが、一番やっぱり印象に残っているのは豊後高田市の人だったんですよね。個性的な市長さんとか、おもしろいバスガイドさんだとか、そういう人たちがやっぱり要素の一つだと思うんですよ。
43 福祉保健部長(湯田喜雅君) 児童館につきましては、児童の健康増進と情操を豊かにすることを目的に、この児童館の建物は昭和38年に建築されまして、50年以上経過しておる施設であります。老朽化が進んでおりますので、なかなか今後の長期的な使用は困難ではないかと考えているところであります。
吉田圭子氏は、昭和51年12月から長年にわたり県下の高等学校教諭等として勤務され、平成29年3月に島原農業高等学校教諭を最後に退職されています。その後、口加高等学校及び大村高等学校の非常勤講師を歴任されており、人格、識見ともにすぐれ、人権擁護委員として適任の方であると存じます。 履歴につきましては、お手元に配付いたしておりますので、省略させていただきます。
新たな過疎対策法の制定に関する意見書(案) 過疎対策については、昭和45年に「過疎地域対策緊急措置法」制定以来、4次にわたる特別措置法の制定により、総合的な過疎対策事業が実施され、過疎地域における生活環境の整備や産業の振興など一定の成果を上げたところであります。