佐世保市議会 2018-06-18 06月18日-03号
これと同様に、つい近年までベールに包まれた海軍鎮守府時代の遺産も日本遺産認定を機に、米軍施設内の赤れんが倉庫群や海上自衛隊の立神地区にある赤れんが倉庫群、そして海軍工廠のあった佐世保重工業構内の近代化遺産、明治時代の水道施設である110年の歴史を持つ山の田ダムや岡本浄水場ほか、数々の構成遺産を今回映像で紹介されましたことは、これまで市民の皆様でも余り触れることがなかった旧海軍遺産を身近に感じていただくきっかけとなり
これと同様に、つい近年までベールに包まれた海軍鎮守府時代の遺産も日本遺産認定を機に、米軍施設内の赤れんが倉庫群や海上自衛隊の立神地区にある赤れんが倉庫群、そして海軍工廠のあった佐世保重工業構内の近代化遺産、明治時代の水道施設である110年の歴史を持つ山の田ダムや岡本浄水場ほか、数々の構成遺産を今回映像で紹介されましたことは、これまで市民の皆様でも余り触れることがなかった旧海軍遺産を身近に感じていただくきっかけとなり
明治時代に成人年齢が20歳とされて以来、大改革となるわけでありますけれども、国民の間では、成人年齢を18歳に引き下げることに対して賛否両論でありました。
残念ながら、明治時代に川のところが拡幅されて痕跡は発見できなかったんですが、おおよその調査は一応済んでいますが、後は例えば2020年東京オリンピックであったり、2021年になりますとオランダ商館がやってきて380年という節目がありますので、そういったときなどもにらみながら、今後、予算化の時期の検討を進めていきたいというそういう状況でございます。
この5,000万人ということは、説によると、明治時代の水準に下がっていくだろうというふうな悲壮なデータ予測がされておりますので、これらの中に西海市も巻き込まれないように、何とかして西海市は独特の施策等をどんどん投入して子育てしやすい環境づくり、出産等ができるような社会をつくることをお願いしておきます。
明治時代になり、太陽暦が導入され、そのまま旧暦の日付を使うと、新嘗祭は翌年1月になってしまい、ことしの収穫に感謝する日の意義にそぐわなくなってしまうので、新暦の11月の2回目の卯の日に行うこととし、これがたまたま11月23日にあたったので、それ以降、この日に行われるようになったと言われております。
明治時代あるいはそれ以前に、建設機械のない時代に人力だけでつくられたため池は、相当老朽化しているのではないかと思います。地域を維持するためにも、目に見える対策が必要と考えます。 そこで、本市の農村部における農地や、特に、400カ所もある危険ため池、森林などの資源の保全についてどのような考えをお持ちなのか、お伺いします。 次に、4点目、文化財を活かしたまちづくりについてお尋ねいたします。
◆17番(小田孝明君) この調査事業というのは、今ある記録が、聞くと明治時代に、明治のいつごろかちょっとわかりませんけど、明治時代に大体できたのだろうというようなことですね。その前は、我々が歴史的に知っとるのは、豊臣秀吉さんが太閤検地ということで検地をして、そういうような形と同じようなことを現在やっておるという形になると思うのですけれども。 測量して、そして境界あたりが確定をする。大体出てくる。
明治時代になって、明治4年の廃藩置県の整備のため、明治7年、明治政府は各府県に村名の調査を命じた。それは振り仮名を付さなければならないものでありました。 それを受けて長崎県は、同年12月に提出した「長崎縣區町村調」において、濁点をつけて「させぼむら」として記載をされた。 佐世保村地内にあった小佐世保觸、あるいは佐世保浦は、「ぼ」ではなく「ほ」で振り仮名が付されている。
文化財の保存・活用につきましては、平成30年が明治元年から起算して150年の節目となることから、明治時代に活躍した郷土の偉人について、広報紙等での紹介や講演会を開催するとともに、埋蔵文化財発掘調査で出土した遺物の展示公開を行ってまいります。 また、神代小路伝統的建造物群保存地区につきましては、景観復元のための調査研究に取り組み、修理・修景事業を通して、町並み景観の保存に取り組んでまいります。
明治時代の石垣がございましたが、もう現在剥ぎ取られまして、一応ナンバーがついて保存はされていると思いますが、その解体をされた。そして、正門までもうぎりぎりまでいきました。そして、9月の後半、継続審査になりまして、一、二週間の間に、文化財課は寝る間も惜しんで掘ったんですね。
それが大きいのじゃなくて、多分、これは明治時代か大正時代に、墓が誰でもどこでもつくれたという時代の墓だと思いますが、しかしそれが現存して、そして住宅地の一角に残って、非常にその周辺の人たちに、特にその隣の居住者に精神的な苦痛を与えているということでして、これを何とか、今の町の、これは民の問題だから、入ってくるのもなかなか難しいという事情はわかりますけど、しかし、じゃあそのお隣さんの住民の方が、このまま
明治時代の初め、皇后さまの御紹介でヨーロッパに渡り、帰国後、できたばかりの華族女学校のフランス語教師として語学だけでなく、フランス語で学んだ自由平等博愛の精神を教え、近代日本で最初の女子教育を行いました。 また、知的障害教育でも活躍なさっていらっしゃいます。
遺跡というのを、現在のこの遺跡は江戸時代のもの、それから明治時代にかけて発展していった姿、これが100%残っております。外周の形態そういう境界線といいますか範囲、これは100%完存です。もちろん、その削られて地下にもぐっている部分もあると思います。あるいはこういうふうに、戦後にこうしましたよ、考証もあります。それらも含めて100点をとっております。ですから今、長崎市の市の史跡指定を拡大すると。
また、明治時代の中ごろ、小浜温泉に通う蒸気船があったと明治26年発行の温泉案内記に記述があり、当時は途中、江ノ浦、有喜、唐比、千々石に寄港していました。 このように歴史的な背景がある中、去る6月26日、島原半島観光連盟の方々が来訪され、小浜-茂木航路を復活運航したいとの相談があり、地域振興協議会や連合自治会、東長崎商工会が対応をいたしました。
それから「國體」というのは、明治時代には、今のような国体というのはありませんから、それとは違うんですよ。国の成り立ち、これが非常に大事です。だから、「忠」とか、「國體」とかというのが、どのような意味で、この教育勅語の中に使われているのか、ここをしっかり押さえて調べてきてほしいと思います。 今日は、ちょっと期待外れというか、何か。私は調べておってほしいという気持ちで、資料としてあげました。
教育勅語は明治時代に制定をされ、親孝行、いわゆる親子のあり方、夫婦の和、夫婦のあり方、兄弟姉妹の仲よくすることなど、徳目が記されておりまして、議員おっしゃるように道徳観、そして、人として大切なことも書かれてあります。
この税の歴史から言いましても、明治時代の地租改正に始まって、地方税法施行時に固定資産税が導入をされておるようであります。 都市計画税も、古くは大正8年の都市計画特別税で始まって、地方税の施行時にそれが廃止をされ、昭和31年から目的税として復活をされておるわけですね。そうなってきますと、市町村合併で島原市は市街化区域とか市街化調整区域はないわけですが、都市計画税を課税しとるわけですね。
明治時代に始まった16連隊の流れが今なお続いています。そのことをまず認識しないと、大村は語れません。自衛隊と県や市の公務員で大村の税収の大半は賄われていると言っても言い過ぎではないと思います。自衛隊は大村最大の大企業とでも呼べるはずです。 そういった大村が置かれている現実をしっかり見据えた上で、学校現場では郷土の歴史に対してどのように教えているのでしょうか。
8 ◯ 4番(徳田詳吾君) 鷹島には国指定の神崎遺跡があり、歴史のある島だと思っておりますが、鷹島小学校についても明治時代からの歴史があるものと思われます。
土地に関する資料として、広く利用されている公図の多くは、明治時代に地租改正事業で作成された地図、いわゆる字図を基礎としたもので、面積等が正確でないものがあることは御承知のとおりです。 一方で、このような土地情報の制度は、税務行政や土地利用計画の策定、各種公共事業の実施等に大きく影響します。