長崎市議会 2020-09-03 2020-09-03 長崎市:令和2年総務委員会 本文
だから、戦争の犠牲者であり、原爆の犠牲者であり、行き倒れの人であり、それでも人生を歩いてきた道筋、時間は短いか長いかは別として、長崎を最後の地点として仏になられた霊を供養するというのも、地方自治体ができませんという法的な根拠だけじゃなしに、人間愛を持った優しい心を何らかの形でできないかなと思うんだけれども、これに引っかけて言うわけじゃないけれども、何とか検討する機会をつくっていただけないかと、部長の
だから、戦争の犠牲者であり、原爆の犠牲者であり、行き倒れの人であり、それでも人生を歩いてきた道筋、時間は短いか長いかは別として、長崎を最後の地点として仏になられた霊を供養するというのも、地方自治体ができませんという法的な根拠だけじゃなしに、人間愛を持った優しい心を何らかの形でできないかなと思うんだけれども、これに引っかけて言うわけじゃないけれども、何とか検討する機会をつくっていただけないかと、部長の
戦後75年を迎える今、県内の被爆者の平均年齢が83.18歳と高齢化する中で、被爆者健康手帳をお持ちの方も、平成20年度の4,310名から、平成30年度には2,492名と大きく減少しており、風化していく戦争の記憶を次の世代へ継承していくことが重要となっております。
依然として新型コロナウイルス感染症について予断を許さない状況が続いていますが、今年が被爆地長崎にとって重要な年であることに変わりはありませんので、広島や沖縄、戦争体験を持つまちなどと連帯し、創意工夫を行いながら核兵器廃絶と恒久平和の実現に向け、平和都市としての使命を果たすことができるよう力を尽くしたいと考えています。
なお、平和のつどいは中止となりましたが、当日、私や長崎原爆被爆者の会時津支部の方々で浦郷の原爆慰霊碑に献花を行い、原爆死没者を初め戦争で亡くなられた方々を追悼いたしました。
本当に、今回のコロナというのは、今までの例えば9年前の大震災とか、大きな災害の後には、悲しい話ですけれども、国のお金を非常に国債を発行したりしてつぎ込みますが、建設復興事業が、需要が大きく出て、その後は、非常に言いにくいんですけど、また産業等は一時期落ち込んでも復活したり、今までしてきたんですよね、戦争の後も、大きな災害の後も。
食料安全保障、先ほど言いました国防の国家予算がこれだけ大きくなっているのに、食料安全保障がどんどんないがしろにされていって、食料安全保障というのが、たとえ戦争とかしなくても、日本は今、新型コロナウイルス感染症で実際、ロシアとかEU諸国が輸出制限をかけていると思うんですね。日本は戦争しなくても、もし兵糧攻めに遭ってしまったら、日本人の食べ物というのは供給できなくなってしまいます。
だから、昔の日本が戦争に突入して、負けるなんていうことを言ったら非国民扱いされる。本当は負けることも想定する人間がいないといけないのです。どうやったら、こんなのしていたら負けちゃうよと。それを想定すること自体が、日本人というのはそういうのを言ったら、言うことで現実化するのだと。言った人間が悪い。そんなになると思うのです。
主な質疑と紹介議員の答弁は、核兵器を廃絶することが市民を守ることになるのか疑問に感じるが、市民にとって本当にいいことなのかとの質疑には、核兵器を使用した戦争により被害を被るのは市民である。財産である市民の命を守ることが第一であるので、この請願は必ず必要であるとの答弁。
さらに、新たな場所で被爆の実相を伝える場所という視点で、東京オリンピック・パラリンピック期間に、東京などで原爆・平和展の開催や長崎の高校生がハワイ大学等で被爆の実相を伝えるとともに、互いの歴史を学び、戦争や平和について意見を交わす事業などを実施したいと考えております。これらの事業の中で重要なこととして意識している視点としまして、下の段になりますが、未来を担う若い世代への発信と継承があります。
このテーマの意味するものは、戦争の撲滅、虐待の壊滅、小さな人々への愛です。多くの人がいる会場の中、フランシスコ教皇が小さな子どもを抱え上げ、キスをする光景が見受けられました。次の世代を担う小さい子どもたちがこの世界をつくっていくというメッセージを与えたのだと感じました。 AIが進歩する中でも、AIは人間を助けるツールであって、人間に代わるものであってはなりません。
国際環境が非常に大きく左右をしますので、米国と中国との貿易戦争の問題とか、コロナでまたどうなるかなとか、そういう心配事はありますけれども、増強工事に踏み切られたということで、私どもとしては、今回1,000億円、1,000人となっていますけれども、もっともっと多くの投資をしていただきたいなと思っているところでございます。 次に、道の駅についてでございます。
本市におきましても、世界の恒久平和を目指し、市民一人一人が平和な社会づくりへ取り組む意識を高めるため、平和都市諫早宣言の理念に基づき、戦争・被爆体験の伝承や平和の大切さを考える機会の充実を図ってまいる所存でございます。 第2 活力あるしごとづくり (1)地域特性を活かした農林水産業 近年、地域農業を取り巻く環境は、農業従事者の高齢化や後継者不足など、極めて厳しい状況にあります。
私も普賢岳噴火災害に直面して、子供が3人いましたけど、一番下の子にはまだ分からなかったけど、上の2人には、やはり人生の中にはいろんな困難があるから、じいちゃんの時代は太平洋戦争、お父さんの時代は普賢岳噴火災害、おまえたちの時代も何かはあると覚悟しとけというぐらいの気持ちで、全てプラスにはできませんけど、やはり避けて通れないことですから、全国の人たちが頑張って、我慢して、苦労して、もちろん泣くに泣けんような
◎総務部長(岡部輝幸君) 今年度の計画についてでありますけれども、核兵器廃絶の市民意識を喚起するとともに、戦争の悲惨さと平和の尊さを多くの市民に理解していただくことを目的としまして、昨年同様、本庁、各支所等の公共施設のほか、観光客など市外の方が訪れる、オランダ商館、島の館、たびら昆虫園、松浦史料博物館の4施設を新たに加え、市内14施設で原爆ポスター展及び署名活動を実施する計画としております。
日本の戦後の福祉というものは、戦争によってある意味、充実をしてきたということもあります。戦後、孤児が町にあふれ、いわゆる児童養護施設であったりとか、親のない、身寄りのない子どもたちを保護することが国としての責務であり、児童福祉法が成立しました。戦争によって手足を失った方々に対して、身体障害者福祉法が整備をされた。そして、困窮をされ、なかなか仕事ができないという中で生活保護法が整備をされた。
同じく海軍鎮守府連合艦隊司令官の東郷平八郎や日露戦争の水師営の会見でおなじみの乃木希典大将。尾張の国出身の八代六郎。都城市出身の財部彪。土佐藩の島村速雄。そして、ロシアにてスパイ容疑で処刑された平戸藩の沖禎介。 また、江戸時代の楠本端山は「西海の大儒」と呼ばれた儒学者で、坂本龍馬や吉田松陰を初め、多くの志士に感化を与えた人物であり、また、弟の楠本碩水の作品も収蔵されております。
太平洋戦争で民間を合わせて310万人亡くなっているんですけどね。それは国の責任で戦争して無駄死にですね。ところが、たった1人がですね。そして戦後七十何年たってこれだけ国の政治が変わってくるのかとつくづく思いますね。 そこの今、福江中学校も解体作業をしていますね。ということは、国土強靭化じゃないんですけど、強度がなかったということですね。強度が足らなかったと。
議員御披瀝のとおり、本市はちょうど130年前の明治22年に地政的な要件等を踏まえ、海軍の鎮守府が置かれて以来、戦前は海軍のまちとして急速に発展し、戦後は朝鮮戦争など本市を取り巻く国際情勢の変化等もあり、米海軍、海上自衛隊、陸上自衛隊の防衛施設が所在する中で、旧軍港市転換法に基づく平和産業港湾都市への転換と国防への協力の並立を図りながら、今日に至っております。
戦争や地震、冷害、水害などで家族や家を失った子供が学校に通うために給食が役に立ちます。避難先の学校にキッチンがあれば炊き出しもできます。1950年代の水害と冷害の経験を踏まえた54年の学校給食法制定で一気に広がりました。 3つ目が、GHQの意図です。第一次世界大戦で76万人にも餓死者が出たドイツの経験を踏まえ、GHQは日本でも食糧暴動や革命が起きることを恐れていました。
また、子どもたちの夏休み期間にあわせ、学童クラブの児童向けに、戦争・被爆体験講話会を実施するとともに、市内4カ所を巡回して原爆パネル展も開催しております。 このほか、戦争・被爆体験談を市民の皆様から募集しており、市ホームページで公開するとともに、「戦争のない未来へ~子どもたちへの伝言」として冊子にまとめ、市内の図書館や高校、小・中学校等に配布しております。