31件の議事録が該当しました。
表示内容の正確性については最善を尽くしておりますが、それを保証するものではありません。

該当会議一覧

  • 1
  • 2

南島原市議会 2009-03-02 03月02日-04号

希望される方には全員お渡しいたしたいと思いますので、式典終了後でありましてもその旨お伝えいただければ、対応してまいりたいと存じます。 なお、申し込みをしていなくても出席できるようにしていただきたい、また、このことを周知していただきたいというご要望がございました。ご要望に沿える形で進めてまいりたいと思います。 以上でございます。貴重なお時間をちょうだいいたしましてありがとうございました。

諫早市議会 2007-09-05 平成19年第4回(9月)定例会(第5日目)  本文

式典終了後、公民館自主活動グループ方々や小学生、また有喜伝統芸能浮立保存会による浮立のお披露目があり、小学3年生の子どもが、「私たちの元気をおじいちゃん、おばあちゃんにプレゼントします」という言葉に感激されたようでありまして、私たちも人生の先輩たちに十分感謝し、また、尊敬し、その方々が不安なく生活されるよう努力すべきと再認識したところであります。  

五島市議会 2004-12-13 12月13日-04号

なお、不参加の団員、あるいは消防車両につきましては、まず、富江地区でございますけれども、式典終了後、分列行進、あるいは放水演習奈留地区につきましては、日を改めて1月7日、分列行進放水演習を行うことで決定をいたしております。なお、岐宿地区につきましては、出初式に参加しない団員は、それぞれ各詰所で待機して機械器具点検消防水位点検、あるいは礼式訓練を実施する計画でございます。

佐世保市議会 2002-06-21 06月21日-03号

また、開幕記念式典終了後、御出席いただきました公民館長町内会長一般市民方々を対象にアンケート調査を実施いたしております。7割弱程度回収率になっておりますけれども、回収内容を御紹介いたしますと、「開幕記念式典がよかった」と回答いただきましたのが96%、「時間的にもよかった」が94%、「アトラクションについてよかった」が96%、「記念品についてよかった」が96%という結果が出ております。

長崎市議会 2001-09-10 2001-09-10 長崎市:平成13年第3回定例会(4日目) 本文

その結果、昨年8月9日の平和祈念式典終了後の森前内閣総理大臣発言を契機に、津島厚生大臣地元住民代表との面談があり、同10月に国は現在の厚生労働省健康局長のもとに、本市が取りまとめた原子爆弾被爆指定地域証言調査報告書精査・研究するために、原子爆弾被爆指定地域証言調査報告書に関する検討会を設置していただきました。

長崎市議会 2001-09-06 2001-09-06 長崎市:平成13年第3回定例会(2日目) 本文

本年8月9日の平和祈念式典終了後に小泉内閣総理大臣、さらには坂口厚生労働大臣より、「何らかの措置が必要であり、年末までにはご報告したい」との発言もあり、現在、厚生労働省で具体的に検討が進められているというふうにお聞きをいたしております。  いずれにいたしましても、被爆地域拡大是正に向けまして、大変重要な時期を迎えているというふうに認識をいたしております。  

長崎市議会 2001-07-30 2001-07-30 長崎市:平成13年各派代表者会 本文

なお、今年も式典終了後に、懇談会を開催し、今後の式典あり方について、関係各位のご意見をお伺いする予定である。  山本委員から、今年から改めてブリックホールでの会場を用意することについて、市民への周知は どうするのか質問があり、太田原対部長から、広報ながさきに掲載していることや、また遺族の方々 には、ブリックホールでもご覧いただけることを文章でご案内しているという説明があり、了承され た。  

長崎市議会 1997-09-16 1997-09-16 長崎市:平成9年第3回定例会(3日目) 本文

そして、式典終了後の今、謝罪を含む反省のための行動をどのようにとられようとしておられるか、胸襟を開いてご回答ください。  次に、来年開催予定国連軍縮会議長崎会議誘致についてお伺いいたします。  市長は、9月2日の記者会見で、来年秋の国連軍縮会議長崎開催の感触を得たと発表されました。その可能性は、どの程度でありましょうか。

諫早市議会 1992-06-04 平成4年第4回(6月)定例会(第4日目)  本文

式典終了後、参加者は両先生の遺徳をしのぶ恒例の多助まんじゅうが配られ、子供たちは大変喜んでおりました。このまんじゅうに幼いころを思い出す方もあろうかと思います。  まず、両先生について少し説明をしたいと思います。  土橋貞恵翁は安永五年、一七七六年に東長田村に生まれ、幼名を多助と呼ばれ、幼いとき両親を亡くし、祖母の手によって育てられました。

  • 1
  • 2