島原市議会 2006-06-01 平成18年6月定例会(第4号) 本文
世界初の火道掘削など重要な学問的成果や災害の教訓を世界や後世に伝え、火山のことは島原、普賢岳に学べと参加者に評価していただくような大会にしていきたいと思っております。
世界初の火道掘削など重要な学問的成果や災害の教訓を世界や後世に伝え、火山のことは島原、普賢岳に学べと参加者に評価していただくような大会にしていきたいと思っております。
この緩和ケアという医療自体が学問もないし、また、欧米に比べておくれていると。そういったこともありますので、早急にこういった、例えば講習会を開くとか、実習を開くとか、そして、そういうレベルを上げていくということが必要じゃないかということで緩和ケアということが1点。 それから、2点目が放射線治療と、これがやはりおくれているということで、今、がんの内容ですけれども、今までは胃がんが多かったんですよね。
私は、この人づくりは、先ほど申し上げたように総合的な問題でございますけれども、その中で特に子どもたちにつきましては、教育というのが本当に根幹であるわけでございまして、学問、教育とございます。特に教育というのは義務教育ですね、「三つ子の魂百まで」とも言います。
師とは、広辞苑によれば、学問、技芸を教授する人、専門の技術を職業とする人など解説されており、保健師への改称は、その仕事に対する評価、尊敬、期待などを込められているものと考えられます。単純に呼称の変更というだけでなく、保健活動全般に対する国家社会の強い期待と信頼を込めた措置と思われますが、そこで、当市の保健師は何名いらっしゃるのか、担当人口は何名ぐらいか。
日本名城100選につきましては、財団法人日本城郭協会が城郭愛好者などの推薦をもとに、建築、土木、考古、歴史など各分野の専門家が検討をし、最新の保存復元情報と学問的成果を反映した名城を選定したものであると聞いております。島原城がこの名城100選に選ばれましたことは、客観的な評価をいただいたものであり、非常に名誉なことであると思っております。
よく学問的では二宮金次郎、それぞれに石川啄木とかありますが、そういうふうなので農業の中でこの人はという、どなたをされますか。 以上。
されておられますが、昔、もみ殻を国見町の上の水源から地下に流したら、島原の杉谷ですか、宇土出口にもみ殻が浮いたというようなことも私たちお聞きしておるわけでございまして、たかが雲仙岳直線に引いても雲仙岳のふもとから7キロか8キロしかない土黒川が、どうして県下でワースト2位になるのかというようなことも我々疑問を持ちまして、その中で長崎大学の先生を私ちょっと個人的に知っておりますが、この方に記号を習わんと私は学問
最後に、海外高校・大学留学奨学金貸付制度の設立はできないかとのお尋ねですが、人材を育てる意味から、海外の文化に接し、生きた外国語を学んだり外国で学問をきわめることは、未来を担う子どもを育てる上で有意義なことであり、かつ人生経験を積むという面からも有用と考えられます。
そうすると、例えば和蘭商館に構築している学問的な要素というか、そういったことを和蘭商館でどの学芸員がそのことについては説明できるし、あるいはまた、それを研究している人はこういう人がいるからこういう人の文献を見るといいですよとか、そういったことを内外に情報発信できるような、そういう機能を持たせていくことも大事だというようなことだろうと思うんですけれども、特に、この新市になって、生月の島の館とか、それから
次に、2点目でありますが、よりよい教科書を児童・生徒に提供するため、どのような歴史観に基づいて記述された歴史の本であろうとも、史料、これは歴史の史と、それから資料の料でございますが、史料及び学会の研究成果に基づいて記述されるべきであり、そのような学問的な手続を踏んだものであれば尊重されるべきであると考えます。
だから学校教育は生きるための学問ですよとある人が言ったかと思うんですけれども、やはり生涯学習は最終の人生の終えんのときに、生きてよかったなと、親からもらった命を完全燃焼してよかったよと、おれもおまえに、子供たちに命を預けたから完全燃焼してくれよ、頼むよと、いまわの際に言われるんですよ、極端に言えば。であればそこのところが日々生活に追われて住民はわからない。
今まで、図書司書の先生たちが、いろんな英知を傾けて勉強にも行って、いろんな学問を学びながら、そういう勉強をしながらやってきた図書館、守り育ててきた図書館です。それから日見方面の方、矢上方面の方も守ってくださいとおっしゃいます。私たちが行きやすい図書館にしてくださいと言われております。そういうことですから、かわいがっていくための図書館をどうすればいいのかということです。
久保知事が参議院時代に、ふるさとの子供たちにぜひとも高等教育を受けさせたいと、今からの人生は学問が必要だということを痛切に感じて開校された学校でございますが、「わが校の誇り」、福島健一郎、これは南高の校長先生であります。2件とも15年3月卒業生の文です。 「私の高校3年間は、決してすばらしいものだったと言える自信はありません。しかし、中学校のころと比べて、はっきりと成長したと言うことができます。
これを活字化した後の扱い、また、部数等はどうなるのかとの質疑には、基礎的な島原藩の行政文書ということで、学者、先生などからも引用されることがあるが、できるだけ早い時期にデジタル化して、学問あるいは市民が利用できる状態にしたいと思っている。
いわゆる、そういったその前提となるのが、やる気をいかに起こさせていくか、そして、新しい漁法が、まだ、長崎では育ってないものも、皆さん方がいろんな勉強をし、学問をする場があるわけですから、そういった点大いに取り入れをしていただいて、そして、それを長崎市の従事をされてる皆さん方にお知らせをし、教えをしていき、そして、やる気のある、そういった事例を挙げて、ここまでやればこんなに売上も水揚げも上がるんですよというふうなことが
さらに、学問も生き方も同等の学習ですよ、これははっきり言って。学問も生き方もね。この両者は何でつくられていくかと、これはエクスペリエンス、いわゆる経験主義ですね、この重ねで実は修得していくんですよ。
逆に言うと、古文書中心の史料館になっているために、もう少し違う形での史料館というものの模索、すなわち、どなたが見られても、古文書はやはり学問的な部分というのがかなりありますので、一般の市民の皆様方が大村市の歴史そのものを御理解いただけるような、何といいますか、目で見て、映像なんかで見れるような、そういう方策も今後考えなければいけないのかなという思いがいたしております。
さらに、幕末から明治時代にかけまして、皆様御承知のように、名前を列挙すれば一人一人御存じのとおり、楠本正隆、長与専斎、あるいは、最近取り上げられています石井筆子、あるいは長岡半太郎、長岡安平、荒木十畝、渡辺昇など、大村出身の逸材が政治や学問や芸術などのあらゆる分野で新しい日本の国づくりをリードしてきました。こういう方々をもっともっとPRをしていきたいなと、知らせていきたいなと思うのでございます。
子どもが、好きな学問やスポーツや技術や職業などをできるだけ早い時期に選ぶことができれば、その子どもにはアドバンテージ(有利性)が生まれます」と述べられておりました。 どうか、教育現場においては、本当に大変というのは私も認知しておりますけれども、こういったことも視野に入れてしっかり取り組んでいただきたいと思います。 以上で質問を終わらせていただきます。
だから、今までは確かに学術的な、郷土学的なものが先行しておりましたが、奈良県立大学に松本議員、竹山初吉議員と行ったときも、それを大学では地域総合学という形で学問として日本で初めて位置づけておりましたけれども、そのようなたぐいのものですから、必ずしも文献に載っとるからどうだということじゃなくてね、そういうふうに理解をしていただきたいと思います。