島原市議会 2018-06-01 平成30年6月定例会(第2号) 本文
また、島原のPRにつきましては、公認チームキャンプ地として、国内はもとより、全世界に向けて発信されますので、今回、組織委員会に認められたスポーツキャンプ地に適した関係施設はもちろんのこと、本市が有する温泉、あふれる湧水、新鮮な食材と料理、そして、城下町の風情など島原の魅力いっぱいの情報を世界に発信できるものと期待しているところでございます。
また、島原のPRにつきましては、公認チームキャンプ地として、国内はもとより、全世界に向けて発信されますので、今回、組織委員会に認められたスポーツキャンプ地に適した関係施設はもちろんのこと、本市が有する温泉、あふれる湧水、新鮮な食材と料理、そして、城下町の風情など島原の魅力いっぱいの情報を世界に発信できるものと期待しているところでございます。
有馬氏の転封後、佐賀藩、大村藩、平戸藩の委任統治になっていた日野江藩に、元和2年(1616年)、大阪の役で功績のあった松倉重政公が大和五条二見藩、現在の奈良県五條市から入封、当初は日野江城で藩政を行いますが、城が戦国時代の山城で基本設計が古く、領地支配には大変不便であり、また、原城は三方が海に囲まれ、かたい守りの城ではありましたが、空間が狭く、城下町を建設するには不向きであったと言われております。
また、これからの島原城築城400周年事業の一環として、無電柱化をこの区域で計画をしておりますので、景観と城下町らしい町並みの調和をさらに進めていきたいと考えているところであります。 次に、お城の周りにどのような考えがあるかということであります。
また、平成24年には国登録有形文化財、平成26年には国の登録記念物としても登録をされておりますし、近年では、平成28年、県指定史跡にも指定をされるように、大変城下町に風情、また、環境ともにマッチした貴重な建物であるというふうに私たちも認識をし、その活用については、譲渡されました御本人の御意志も尊重しながら、今、慎重に検討を重ねているという状況であります。
城下町でお寺の観光はつきものです。ただ、島原はまだ涅槃像、それも弱い気がします。水頭線の山側には寺町と言われるお寺ばっかりある地区があるわけですよね。
そして、今、紹介があったとおり、築169年、170年ほどたって、本当に島原においては趣のある城下町の建物であって、なおかつ、それがアーケードに面していると。なお、そういう好条件なところであります。 私が民泊の軸としてというのは、ここを民泊のサイクル、いわゆるお客さんの呼び込み。で、体験観光をさせて、夜のそういう宿泊ですね。
雲仙普賢岳災害以降、町なかの商店街や町内会が連携をとって組織した島原市中心市街地街づくり推進協議会というのがあるんですが、ここの主催で、ここは城下町の町並みを生かしたまちづくり、コンパクトなまちづくりを進めてまいりました。私も商店街の中にいますから、かかわっておるんですが、このたびは広く市民にも呼びかけて、その視察が実施されました。
7日は生月町を会場とする「西海国立公園の大パノラマを見るコース」、8日は田平町及び平戸北部地区を会場とする「教会群と城下町をめぐるコース」を設定し、全国各地から多くの参加者が見込まれております。 この大会は、例年多くの市民ボランティアの方々の御協力により運営が支えられております。市民の皆様のおもてなしの心で、御参加・御協力をお願いいたします。
あと一点、島原シルバー人材センターの関連でございますけれども、門番の方につきましてはセンターのほうにビューローのほうから業務をお願いされておりまして、シルバーのほうから派遣しているということでございますけれども、基本的に本市といたしましても、やはり城下町のシンボルは島原城でございます。
69 産業部長(西村 栄君) 島原城の入り口の料金所におきましては、現在、島原城にお越しの皆様を快くお迎えするために、歴史的な城下町らしい服装の着用をお願いいたしているところでございます。 ただ、雨が降った際などの天候の不良時には業務効率の問題などから着用しない場合があると伺っているところでございます。
3件目は、島原城下町本陣酒蔵が森岳酒造跡を拠点とし、観光交流の場を提供し、周遊観光を促す「島原城下町本陣酒蔵」でございます。 110 6番(馬渡光春君) 申請があって、ことし3件が3件とも申請が通ったという。
玖島城や佐賀県の唐津城に代表されるように、城を中心に城下町が整備されてきました。 明治以降の現代社会では、まちが形成されておりますので、役所は、国民、市民が利用しやすい場所にどこでも整備されているというのが大半であろうと思います。
お堀には実は2年前に街道を歩くという全国組織の、城下町を歩くということで島原城周辺を歩きに来られたときに、島原城を写真を撮るときに電線がたくさんあるのは何とかしたほうがいいぞということを強く私も指摘されました。
こういった農業への革新的な技術を、島原市は農産地なので活用できないかというようなお話もいただいておりますし、また、独自にトヨタの城下町として、自動車の自動走行の技術を活用したまちづくりの研究をされています。
今年度の発表会では、市内13の小中学校が参加し、天正遣欧少年使節や三城城下町などを取り上げたステージ発表やポスターセッションなど、作品展示を行ったところでございます。
長崎市の中心街の瓦れきとして残っている元グランドホテルの跡地は、まさに長崎の経済の象徴であり、さらに岩崎弥太郎より続いた三菱の城下町、その火も消え、陸上部門の施設も長崎から移転しようとしております。
また、中庭のほうにも湧水がありますし、縁のほうからも湧水が見える、まさに和文化であり、古い建物が城下町として湧水とともに残ってきて、またあのかいわいはあの軒並みのお屋敷裏のほうにはかなりの水量がある池があるところもまだたくさんあると聞いていますので、やはりそういった島原ならではの、城下町ならではの建物として今後活用を考えていくべきだと、その中心には湧水があるものだと思っています。
1日10往復ぐらいをしているということで、城下町人吉の町並みに、またこういった魅力的に見せる一役を担っているように思います。 それと、人吉市を含む球磨川温泉郷というのが、1市4町5村で八十八ヶ所めぐり旅スタンプラリーというのが9月1日から4月2日まで、7カ月間ぐらいされているんですけれども、これは冬の観光客が少なくなる時期を入れてあるところが、みそではないかなというふうに思います。
体験型観光につきましては、旅行先の自然や地域特有の自然を生かした体験メニューを希望する旅行者が多い中で、現在実施しております、寒ざらし手づくり体験でございますとか、城下町湧水スポットの散策イベントなどに加えまして、島原観光ビューローにおきましても、コスプレ大会、あるいは漁師体験など、島原の自然を生かした新たな催しも企画されているところでございます。
しかし、その結果多くの城下町や近世に基盤を持つ遺跡が失われていったという経緯があります。そして今になって、近代化遺産や、世界遺産の問題が出てきたときに、なぜあのとき保存に手を打たなかったのかという後悔がつきまとっているのが現状であります。 福岡市なんかも今は状況が変わりまして、昔は堀り壊していた江戸時代の城下町などが重要な遺跡の都市の価値を持ち、情報を持っていると。