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2017-12-13 長崎市:平成29年教育厚生委員会 本文

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  1. 長崎市議会 2017-12-13
    2017-12-13 長崎市:平成29年教育厚生委員会 本文


    取得元: 長崎市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-09-09
    ↓ 最初のヒットへ(全 0 ヒット) 1           =開会 午前10時0分= ◯馬場尚之委員長 出席委員は半数以上であります。  ただいまから教育厚生委員会を開会いたします。  まず、初めに申し上げます。  本委員会に付託されました第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」は、住民の直接請求による条例制定案であり、傍聴者の人数も多くなることが予想されましたので、通常の定員の7名を30名までふやすことといたしましたので、委員の皆様のご了承をお願いいたします。なお、傍聴されている方に、お願い申し上げます。委員会室内での発言、拍手等は認められておりません。また、写真撮影や録音等も禁止されておりますのでご理解をお願いいたします。また、携帯電話やスマートフォンは電源をお切りいただくか、マナーモードにしていただくようお願いいたします。  それでは、議案審査に入ります。  第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」を議題といたします。  これより地方自治法第74条第4項の規定に基づき条例制定請求代表者の意見陳述を行いますが、意見陳述においては、委員からの質疑はできないこととなっております。質疑については、後ほど参考人としてお呼びする際に行っていただくこととなりますので、そのようにお願いします。  なお、意見陳述の時間は20分となっております。  それでは、請求代表者の高橋正行さん、相川忠臣さん、意見陳述をよろしくお願いいたします。 2 ◯高橋正行氏 私は、佐古小学校の卒業生です。そして、3人子どもがいますけれども、みんな佐古小学校の卒業生です。子どもたちが在学中は育友会の会長、大浦中学校のPTAの会長、そしてさらに育成協の会長として、長い間地域の子どもたちの健全育成活動に携わってきました。ですから、子どもたちの健やかな成長に対する思いというのは誰にも負けないつもりではおります。  子どもたちの数が減り、仁田小学校と佐古小学校が統合されるという話を聞いたときは非常に寂しい思いをいたしました。しかし、佐古小の校歌にあるように、医学部ありしとうたわれていますが、その遺跡が発見されたということを聞いたときは非常に感動を覚えました。しかもこれが、日本の近代の夜明けに深くかかわっている養生所、医学所、分析究理所などが身近なところで発見されたということは、本当に驚きでした。その価値については、相川先生からお話があると思いますので、私のほうは割愛させていただきますが、私は2つの点で意見を申し上げたいと思っています。  第1は、仁田佐古小学校が統合して、どちらの跡地に新しい学校を建設するかとの話し合いの当初、果たしてどちらが適地かということが本当に真剣に検討されたのだろうかという思いがあります。もしそうであるなら、皆様のお手元に配付させていただいた資料を見ていただきたいんですけれども、3ページをごらんいただきたいんですけれども。 3 ◯馬場尚之委員長 暫時休憩します。           =休憩 午前10時6分=           =再開 午前10時21分= 4 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開します。  資料が届きましたので、引き続き説明をお願いいたします。 5 ◯高橋正行氏 お時間を頂戴しましてまことに申しわけありませんでした。  今、お手元に届いた資料の3ページ目を見ていただきたいんですけれども、ここに小学校建設場所についてのアセスメント、事前評価についてわかりやすく表にしてあります。これは8つのものについて評価しているんですけれども、佐古小学校跡地に建設した場合と、それから仁田小学校の跡地に建設した場合と両方を比較しております。ちょっと読み上げます。佐古小の場合は、校地の広さが狭い、それから外周道路でさらに狭小化する。仁田小の場合は、十分に広い、2カ所で対応することは可能である。それから、遺跡展示のために教室など配置に無理が発生するおそれがある。それから、体育館は高い地盤にレンジ空間の上部で、校舎から高く使いづらい位置にある、教室の数の確保もやっとという状況である。仁田小の場合は、2階に動線の基本を設けると校舎と運動場が平面でつながり、校舎内も1階分の上下でよい、配置計画や教室の数、広さ確保に余裕がある。通学等ですけれども、校区の最端にあり悪い、これは佐古の場合です。道路条件が悪く、安全安心に難がある。仁田の場合は旧佐古小よりよい、道路の接道状況や系統が良好である。地盤の良否は、支持層まで佐古小の場合は深い、仁田の場合は浅い。それから、工事の容易さについては、地盤状況や遺跡存在により基礎工事が困難であり、接道の悪さから大型工事機械の搬入に難があり、工事期間が長引く。仁田の場合は、遺跡がない、地盤もいい、接道状況もよしで工事は容易である。それから、全面的に遺跡、遺構が各所に散在し、発掘に時間を要す。仁田の場合はない。対応する空間的余裕がない、これは佐古の場合です。仁田の場合は十分に対応できる。遺跡の残し方いかんでは大きな設計変更も発生し、困難な工事で余分な経費と時間が発生する。これは佐古の場合です。仁田の場合は、極めて標準的な経費と工程で完成に至ると。このように、わかりやすく説明されておりますが、このように、仁田小跡地に新校舎を建てるほうが圧倒的に有利だと思います。
     さらにもう1つの資料を見ていただきたい。これはこの地図が描いてあるコピーですけれども、これは建築方法の一例ですが、専門家に描いていただいた図面です。地図が載っている部分をちょっと見ていただきたいんですけれども、ここに佐古小学校と仁田小学校の地図があります。この地図で見てもわかると思うんですけれども、佐古小の場合は、この校舎の周辺は狭い道路で囲まれております。一方、仁田小の場合は、一般道路が接しており、建築に使う重機なども容易に仁田小の場合は入ってこれると思います。一方、佐古のほうに建設するとすれば、この道路を広げることから始めなければならない、そういうようなことがあります。ですから、工期も短くて、保護者の願いである早く学校をという願いにもかなっていると思います。さらにコストも低く抑えられると思われます。時間もお金も佐古小のほうに建設する場合はかかると思います。このことは、環境アセスメントというか、事前評価でも容易に想像できることなのですけれども、佐古小のこの新校舎の建設に当たって、これらのことは真剣に考えられたことがあるんでしょうか。ちょっと私の考えでは、真剣に考えられたとは思えません。  全国から遺跡の保存について、多くの要望が出されている中、あえて小島養生所の上に学校を建設するという必要があるのでしょうか。仁田小は3つの校地に分かれているというのが佐古小跡地に決定した理由だと市長は述べられていますが、工夫すれば図面のように何ら差し支えがないばかりか、余裕を持った学校が建設されるのではないかと考えられます。子どもたちにとって、自分たちの足の下に遺跡が眠っていることについてどう思うでしょうか。やはり具体的に見ることができるほうが、学習意欲が湧くというものではないでしょうか。  第2には、完全復元が仮にされたとすれば、文化的、歴史的、学術的価値の高いものと評価されるでしょう。子どもたちの学習の場として、あるいは医学界の場として、さまざまな催しの場として、いろいろな活用方法が考えられると思います。長崎はかつて天領として栄え、鎖国政策により貿易を独占して栄えて、戦後ではさらに石炭産業、水産業、造船業で栄えてきました。しかし、これらの、そのどれもがかつての光を失いつつあるように思います。観光産業しか残っていないのではないでしょうか。小島養生所の遺跡は、きっと観光産業の役に立ち、長崎を救ってくれるのではないかと思っております。  最後に、私たちが求めているのは、住民投票の設置条例は、市民がなし得る住民の意思を問うことのできる憲法上認められる権利だということを申し上げて、私の意見陳述といたします。  終わります。ありがとうございました。 6 ◯相川忠臣氏 相川忠臣、74歳。65歳で長崎大学医学部を定年退職しまして、長崎大学名誉教授であります。  お手元に2つの資料、1つはスライドを8枚、16枚で示したカラースライドと、それから医学科プレスリリースと明記されたこの2つの文書について、これを用いて陳述をさせていただきます。  スライドのほうを見ていただきますと、そこにオランダと日本の国旗が立った養生所が描いてございます。これはポンペの本の口絵でございます。この2015年の10月にこの養生所遺跡が発見されまして、これにつきまして、このポンペは長崎大学医学部におきましては非常に重要な人物で、近代西洋医学教育を発祥、近代的な西洋医学教育の父と言われておりまして、平成2年に原 耕平医学部長、私、教務委員長をしておりましたときに、ポンペの言葉というのを長崎大学医学部の講座にいたしました。5枚目に書いてありますように、一たびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく病める人のものである、これは新入生と入学生、それから卒業生に対していつも医学部長が訓示をしております。分厚い事業計画表がありますが、その表紙にこのポンペの言葉が書いてございます。こういったことで、この礎石発見の後、長崎大学医学部と県医師会、市の医師会は、まとめて保存についての要望書を出しました。  2017年の8月に分析究理所が発掘され、養生所も北東の礎石のみではなく、連結棟とも思える史跡も見つかりまして、そこには新体育館が建設、破壊され、それから分析究理所についてはくい打ち予算が決まる。こういうことで、ありがたいことに、9月市議会でこのくい打ち議案は長崎大学との協議成立まで継続審査ということにしていただいて、一筋の光明を得た思いがいたしました。市民3団体が養生所等遺跡の完全保存を実現する市民の会を結成いたしまして、一応、50分の1の7,242人を上回る1万5,776筆が集まりました。その過半数は医療系の署名でありまして、長崎医学同窓会長崎大学医学部の同窓会長と長崎市医学部長名で発送をいたしまして、そのうちの過半数は医療系、それから、仁田佐古地区の住民の方々、それから薬剤師系、そういった方々が主に署名をなさいました。  お手元にあります、医学科プレスリリース12月8日、ここを開いていただきますと、養生所遺跡の完全保全について、日本医師会長と長崎県医師会長と長崎大学医学部長の3者で要望書を出しております。先日、12月12日午後3時半ごろ、ようやく日本医師会長が判を押されたものが、メールでPDFで送られてまいりまして、その3つの赤い判子が押されたものは、即刻、長崎大学医学部の事務部長より長崎市に送付されておりますので、お手元に一応コピーではありますが、現実に着くのは12日発送で13日あるいは14日になりますが、実際に日本医師会会長の判が押されたコピーがお手元に届いているかと思います。そういうことで、このことの内容につきましてご説明申し上げます。要望書の内容は、近代西洋医学発祥の地である養生所、医学所、分析究理所、長崎医学校等遺跡の完全保存、略して養生所等遺跡の完全保存と申しますが、養生所等遺跡の完全保存に影響のある工事の見直し、これが主な内容であります。  その理由につきましては、ポンペが松本良順の助力を受けつつ、養生所、医学所を建設して西洋医学教育を創始したこと。それから、ボードインが分析究理所を建設して、最新の臓器離別医学とオランダの医療法を教示したこと。そして、ボードインの弟子であります相良知安、それから長与専斎が東アジアの国々に先駆けて近代教育と公衆衛生行政を創始したこと。そういうことで、養生所遺跡というのはオランダの西洋医学発祥と日本近代化への貢献の証でありまして、日蘭友好の象徴であります。  幕末長崎で行われました海軍伝習から明治維新に至る激動の開国時代を代表する遺跡でありまして、鎖国時代の出島に匹敵する歴史的な価値があります。このことをボイケルス教授もここでご発言になったわけであります。養生所、医学所等遺跡は近代的な医学医療の、分析究理所遺跡は近代的な薬学、化学、物理学の発祥の地であります。分析究理所発見後、急速にこういった声が高まって、先ほどご説明しましたように1万5,776筆の署名がいただけたことでありまして、この思いは長崎の医療人にとどまることなく、日本の医療人に共通する切なる願いでありまして、国民の健康寿命を世界トップレベルまで押し上げてきた我が国の医療システムの原点は、まさに養生所等遺跡にあります。  医療は、世界全体に共通する社会的資本であり、日本は医療の分野でリーダーシップをとって世界に貢献していかねばなりません。養生所等遺跡は、日蘭友好の象徴であると同時に、世界で活躍する日本の医療の原点として世界的な文化遺産であります。日本だけではなく、世界の医療人が日本の近代化のルーツを知りたい、国内外の人々が長崎を訪れるとき、必ずや小島佐古の丘に足を運ぶことでありましょう。  養生所、医学所、分析究理所、医学校等の遺跡を完全に保存し、適切に活用することを要望しますということで、日本医師会長、県医師会長、医学部長で連署して提出したところでございます。  4ページを開いていただきまして、そこに永安医学部長のコメントがございます。下から6行目を読んでいただければ、目を通していただきますと、「本年11月に医学部創立160周年を迎えたこともあり、養生所等遺跡の完全保存をあらためて要望することが使命であるという純粋な考えのもと、12月6日の臨時医学科教授会において本要望書の内容及び提出することについて審議し可決いたしました。なお、河野学長には今回、医学部として完全保存を要望することの意義をご説明申し上げたうえで、容認いただいたものと理解しております。」と、その場に私も同席しまして、同様のことと判断をいたしました。  次のページに、これは順天堂から出されたものでありまして、順天堂は私学の雄でありまして、最近授業料を低くしまして、俊秀が集まるようになっております。評価が非常に高い大学であります。同時に、医史学の研究室が我が国唯一でありまして、日本医史学会の理事長はここから輩出されております。こういった理事長、医学部長、それから学長3人そろって酒井シズ日本医史学会前理事長とともに来られて、長崎大学を案内させていただいたことがございますが、長崎大学といろんな意味で縁があるということをおっしゃっています。この順天堂からも、同じ趣旨の内容の要望が出されました。  それから、もっと申しますれば、順天堂と日本医史学会の理事長から日本医師会に添書の要望が出されておりまして、県医師会から出しましたこちらの要望とがちんこしました。そういう関係を考慮して日本医師会は、長崎のほうに連署することで一応ご了承を得て、東京と長崎、両方から声が生じた、それを日本医師会は長崎のほうに連署するということで対応いたしました。  次のページに、日本薬史学会から、この分析究理所が発見された後に、養生所、医学所、分析究理所等の完全保存と、小学校建設に際して旧佐古小学校跡地ではなく、別の場所での建設をご検討くださいということが出されました。  さらにめくって、九州考古学会もこの分析究理所跡の遺構について、適切な保存を改めて強く要望すると内容を出しておりまして、特にいろんな分析究理所につながる、医学所からおりてくる階段その他まで含めて、包括して残すことの重要性を記しております。もちろん、長崎大学の薬学部からも、この分析究理所の保存については強い声が出ております。  反対意見として出されました1つは、市長のほうから出された意見で、一番大きな問題は、養生所、医学所、分析究理所、長崎医学校等の遺跡というのは、たまたま長崎医学校の校地にそのまま佐古尋常小学校が建ったために全てが一括して残された。そういう幸運な結果、全てをまとめて残すことに意味がある。専門家ほど、その全てを一括して残す。そして、それを精査して、そこからたくさんの得られるものがある。そういうことで、分析究理所と、それから養生所の連結棟に相当する遺跡があるようだということも含めて、この大きな全体、遺跡全体を包括的に調べて、それをやはりその価値評価をするには適切な型があって、ボイケルス教授のようなオランダからの情報も入れてやっていただきたい。ボイケルス教授については、市長は、鎖国時代の出島に匹敵する歴史的な価値ということについては、ご疑問を抱いているような内容でございました。しかしながら、江戸時代の前、安土桃山、いわゆる関ヶ原の戦いに至る時代、それから江戸時代が滅びて幕末、開国、それから明治維新の激動の時代、この2つの時期は、その激動の開国時代というのは日本の歴史の中心であります。長崎で行われた1854年の予備海軍伝習から1859年の2次海軍伝習の終了までの5年間、それにプラスして桜田門外で開国を決めた井伊大老が殺された、3月3日に殺されましたが、その養生所の建設を指令する長崎奉行所に2名の建設方を決めた、その書類が長崎に届いたのはうるう3月、1カ月後でありまして、松本良順は井伊大老を養生所建設の恩人として扱っております。養生所は、開国時代の象徴でありまして、これこそ世界に、日本全体ではなく、世界全体で大事なものであります。  激動の開国時代の1年は、出島時代、鎖国時代の10年に…… 7 ◯馬場尚之委員長 申しわけありません、相川請求人、もう25分を過ぎましたので、申しわけありませんが取りまとめをお願いします。〔「わかりました。これでやめることにいたします」と言う者あり〕  それでは、本件に係る請求代表者の意見陳述を終了いたします。  引き続き、参考人に対する質疑を行いますので、参考人入室のため、暫時休憩いたします。           =休憩 午前10時45分=           =再開 午前10時48分= 8 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  委員外議員の皆様にお知らせいたします。委員外議員の発言の取り扱いについては、委員外議員の発言は、同一議員につき、同一議題について2回を超えることができないということになっております。これから行う参考人への質疑だけでなく、その後予定されている理事者への質疑も含めて2回ということになりますのでよろしくお願いいたします。また、質疑等がある場合には、教育厚生委員の質疑が終了した後に申し出ていただくこととなりますので、ご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。なお、教育厚生委員の質疑と重複する質疑は控えていただくようよろしくお願いいたします。  それでは、第151号議案に係る参考人に対する質疑を行います。  本日は、長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について、請求代表者及び関係者に対し、当委員会で質疑を行いたいとの意見が出されましたので出席をお願いしたものです。参考人におかれましては、委員長の許可を得て、マイクを使って発言をお願いいたします。また、委員に対しては質問をすることができないことになっておりますのでご了承をお願いいたします。  まず、ただいまから出席いただいた吉田参考人に自己紹介をお願いいたします。 9 ◯吉田参考人 吉田省三と申します。元長崎大学経済学部の教授です。 10 ◯馬場尚之委員長 ありがとうございます。  それでは、これより参考人に対する質疑に入ります。 11 ◯吉原 孝委員 高橋参考人にちょっとお尋ねしたいと思います。先ほど、子どもが佐古小学校を卒業されたということ、それから、佐古小学校、大浦中学校、それからPTA会長とか大浦地区の育成協の会長を長くされて、私もほぼ同じ時代に同じような活動をさせていただいて、高橋参考人のこれまでの実績については高く評価をいたしているわけでございますが、そういう過去の経歴をお持ちで、そして平成22年度から6年間にわたって統廃合の関係の中で学校をどちらにしようかという、そういう協議がなされたと思うんですが、そういう協議の中で今、述べられたような仁田小学校に新しい校舎を建てるべきだというお考えといいますか、先ほどご報告があったように、校歌にも旧医学部、養生所があってという形でうたわれていると、それだけ非常に大事で、地域にとっても、それから子どもたちにとっても由緒ある、そして教育効果が上がる場所だという、そういうご認識を持っておられれば、その協議をする時期に、先ほどおっしゃったような、これまでの経験に基づいて深く、そういう育成協活動、PTA活動にかかわられたその経験のもとにご発言をされて、そして、地域住民の皆さんをリードしていくという、私はそれだけの経験と実績をお持ちじゃなかったかなと思うんですが、平成22年度からずっと6年間にわたって、まず校地をどこにするかという協議の中で、どのような役割を果たされたのかなという、そういうふうな感じを受けるんですが、その点についてお話しいただければと思います。 12 ◯高橋参考人 その点については、学校建設懇話会というんですか、後でその名前になったと思うんですけれども、その会議の場に私は声がかからなかったんです。私、育成協の会長を退いて、しばらくは子どもたちの健全育成にかかわってはきたんですけれども、どういうことかわかりませんけれども、その会議の場には声がかからなかったということで、後でこういう結果になったよというのを、佐古小と仁田小が統合されて、学校は佐古小のほうの跡地に建てるようになったんだよという話は聞きました。ちょっと不思議だなと思ったのは、佐古小学校は私が学校にかかわっているときにはもう耐震化工事がされていたんですね。仁田小はそれがされていなかった。そういうところで、何で佐古小学校はして、子どもたちが仁田小学校に行くようになったのかなというような疑問は持っていたんですけれども、一応、仁田小と佐古小の跡に、どちらに学校をつくるかという会議の場には、私は声がかからなかったということで、その成り行きはよくわかりませんでした。 13 ◯吉原 孝委員 先ほど申し上げたように、高橋参考人、非常にこれまで子どもたちとのかかわりの中で、それから育成協というのは地域のかかわりが強いですよね。自治会も含めて、それから子どもたちとか民生委員とか、いろんな集合体が育成協ということですので、その中で長くお世話をされたということで、そういう大事な意思決定の折は案内があってしかるべきじゃなかったかなと、そういうふうな認識を持っている。私がそういう立場だったら、当然案内があるだろうし、またそこで一定いろいろご意見を申し上げる機会もあったんじゃないかなという気はあるんです。そのあたり全く協議の場にご案内がなかったと、そういうことで、もうこれで終わりますけど。 14 ◯高橋参考人 全くそのとおりです。案内は全くありませんでした。 15 ◯大石史生委員 高橋参考人にちょっとお聞きしたいと思います。本当にきょうはお三方、ありがとうございます。  その中で、先ほどこの図を示して、案を示されましたけれども、長崎市が提案した案でいけば、3つをそれぞれいろんな学校の位置が変わったり、体育館の位置が変わったりだとか、そういう形での案だったんだと思うんですけれども、今回はそれが、3つが2つにまとまっているということで、実際こういう形で可能なのかどうなのかなというところが1点ちょっとありましたので、その部分をちょっともう1つ詳しくお聞かせいただきたいと思います。 16 ◯高橋参考人 その点なんですけれども、これは私は建築の専門家でも何でもありませんので、その図面については、はっきり言ってわからない状況です。これは名前は出しても差し支えはないと思うんですけれども、鮫島教授からこういう方法があるよという一例として、この図面が描かれたんです。これは非常に参考になるんじゃないかという思いで皆様にお示しさせていただいたわけです。 17 ◯大石史生委員 はい、ありがとうございます。確かにこれは多分、市のあれの中でも出てなかった案じゃないのかなというところなんで、参考になるのかなと思いながら見てみました。  それから、ちょっと吉田参考人にもお聞きするというか、先ほどの2人の陳述人がさまざまお話をされましたけれども、きょう本当は来るはずだった鮫島さんの代理というか、かわりにきょう来られていますけど、何か補足の説明があればお聞かせいただければなと思います。 18 ◯吉田参考人 鮫島請求代表者は建築、都市計画が専門ですが、私は分野が法律学ですので、代理はできないわけですけれども、市民の立場から主として昨日の本会議における市長の反対意見について意見を述べたいと思います。  市長の反対意見が7ページからになっていますが、この市長の反対意見の中で、小島養生所遺跡の保存と学校建設の両立を目指すこととしたという文言が3カ所あります。委員会資料では15ページ、さらに10ページと11ページにもありまして、この保存と建設の両立ということが市長の意見のキーワードとなっているようですので、このことについて少し意見を述べたいと思いますが、私たちが考えるところでは、市が適地だと言っている旧佐古小学校跡地において学校を建設しようとする限り、これは両立ではなくて遺跡の破壊と言わざるを得ないと。遺跡を破壊した上に強引に小学校建設を目指すものであると、こういうふうになろうと思います。  旧佐古小学校跡地は2つに分かれておりまして、意見書では体育館側と言っていますが、こちらについては遅きに失したといえ、ことしの6月にようやく長崎市の史跡に指定されました。みずから指定した史跡の上に体育館を建設すると。これは史跡の破壊と言わざるを得ないと思います。もう一方の校舎、グラウンド側については、周知の埋蔵文化財包蔵地に指定しただけで、文化財審議会の答申にもかかわらず、史跡指定は行っておりません。意見書は、現状のまま埋め戻しを基本とすると何度も言っておりますけれども、こちら側については移設を含んでいます。それから、現在は中止されていますけれども、くい打ちが行われるために破壊を伴わざるを得ないということになると。  移設について。移設が入っているわけですが、移設をすれば遺跡としての価値が著しく損なわれると。資料にもあります、九州考古学会の12月1日の要望書にはこのような指摘があります。さらに、同日付の九州考古学会の要望書は、養生所等遺跡は、相互に関連する一連の遺構が残存しているために高い学術的価値を持っている。こういうことも指摘しておりまして、埋め戻し保存と一部露出展示というのでは、遺跡の全体、相互の関連を見渡すことができなくなりますので、確かに遺跡の価値を損ね、そこに見学に行っても遺跡全体の価値を認識することができなくなってしまうということが考えられます。さらに、埋め戻しは埋蔵文化財の最善の保全であるという言葉も何カ所か使われているわけですが、こういう見解は高度成長期のものであって、現在はこういう考え方、このような記録保存に対しては、関係者の間で反省が行われていると言われています。以上のように、意見書の養生所については埋め戻しを基本とし、一部露出展示。分析究理所等については、埋め戻しを基本とし、校舎建設の支障となる部分は移設というのは、遺跡の保存ではなくて、遺跡を取り返しのつかないように破壊をしてしまうことであると。  先ほど、相川教授が紹介された日本医師会、順天堂の要望書は、そのタイトルに完全保存という言葉をつけております。これは長崎市が破壊することを保存であると言っている、そういうその手法に危機感を持っているから、わざわざタイトルに完全保存というタイトルをつけたものだと考えられます。  もう1点の論点は、市長の意見書。住民投票の選択肢として私たちが完全保存に賛成か、完全保存に反対かとしたことに対して、これを完全保存と学校建設の中止か、保存と建設の両立かとすべきであると、こういうふうに訂正すべきであるという反対意見が述べられています。意見書のこの部分は、私たち条例制定請求者があたかも学校建設に反対しているかのように誘導するものでありまして、私たちは校舎の早期建設に反対しているのではなくて、市自身が、長崎市の歴史文化基本構想に位置づけ、今年6月5日には市の史跡に指定した遺跡の上に校舎を建設することには問題があると言っているわけであります。  過去には、遺跡の中に、学校等の公共建築物がつくられることは多く見られています。例えば、石川県の金沢大学は金沢城址にありました。今は、大学は郊外に移転して、城跡は城跡として活用していると。このことについて、九州考古学会の2月3日の要望書というのがありますが、次のように書いています。近年、遺跡地から学校等の公共施設を移転し、地域再生復興のシンボルとして保存整備し、教育観光資源に活用する機運が全国的に高まっていると。この指摘は非常に重要でありまして、現在では文化財と公共建築を分離して純化するということが主流となっているというわけです。長崎市も、遺跡と学校を分離して、それぞれの利点を生かせるようにこの機会を利用すべきではないかと思われます。遺跡の上に学校建設をすることは両立ではないと考えられます。  さらに、もう1つの点でありますけれども、市長意見書は地元住民が1日も早い校舎建設を望んでいると、したがって、2年間も延期できるような工事の設計の変更は行わないと言っているわけですが、この部分について6年間も地元で協議をしてきた、学校統廃合検討協議会とか、先ほど話題になりました校舎等建設計画地域懇話会において協議をしてきたと言うわけですが、このことについて私たちは、市長が地元の要求であると言っているのは、つくられた住民の声、つくられた住民要求ではないかという疑いを持っています。PTAから地元自治会、連合自治会から市に要望書が上がって、地元の要求に応えるかのような形で市の意見を推進していると。市が地元住民を代弁者として使い、市は表面に出ないというやり方があるのではないかと。このことを幾つかの事例で、2つの事例を挙げて指摘したいと思うんですが、これは昨日、情報公開請求をして出されました資料でありますけれども、平成23年度、2011年、第1回の長崎市立小中学校適正配置検討会議、第1回ですからここから検討が始まったようです。日付は2011年8月19日金曜日。市役所の本館3階の第2応接室で、副市長を初め教育長等が出席している会議であります。この会議の中で、この会議の趣旨は次のように書かれています。佐古小と仁田小を統合し、新小学校を設置することに関し2つの案。第1案、佐古小に新設校を設置する案。第2案、仁田小に新設校を設置する案を提示し、次ですが、市としては第1案をもって地元との協議に臨んでいくという会議で始まって、結論はどうなったかというと、今後地元へは2つの案を提示した上で、市としては第1案、佐古小案をもって地元との協議に臨むことで委員の了承を得たと書いてありまして、これを読むと、昨日の市長の反対意見でありますけれども、きょうの資料では8ページになりましょうか、8ページの中ほどにあります、長崎市は3つの敷地に分化されている旧仁田小学校よりも、敷地がまとまっている旧佐古小学校跡地のほうがと言っているんですけれども、これはだから6年間もかけて協議したというわけですけれども、2011年の最初から市としてはもう決めていたわけです。それを6年間かけて地元に、地元の意見として説明してきたと。そして、それがあたかも地元の校舎の早期建設であるという地元の意見であるかのように言ってきたと。先ほどの資料の最後には、今後の検討課題として、統合校が仁田小に建設できない理由の整理をするというのがありますね。仁田小に建設できない理由を整理した結果が3つに分かれているよりも2つのほうがいいだろうということになっているんだと考えられます。  もう1つの事例を挙げたいと思いますけれども、こちらは先日私たちが長崎地検に告訴した問題とかかわっているわけですが、署名を集め始めた直後に、長崎市の6名の課長、室長が回覧文書を回しました。この回覧文書の中には、早期の学校建設が懇話会の総意であるとか、あるいは遺構はさほど珍しいものではない、こういう文言が入っておりまして、こういう宣伝をされると、署名をもうやっても仕方がないねということになるわけでありまして、こういうようなことを考えますと、市が住民の要求であると言っているのは、つくられた住民要求であると言わざるを得ないと考えます。現在でも、遺跡の価値に対する専門家の判断は住民に周知されていないと思います。必要な情報を住民に伝えて、住民みずから判断して選択をできるようにするために、今回の住民投票は必要であると考えます。市民がこのような機会と権限を行使できますよう、委員会の皆様の賢明な判断をお願いいたします。 19 ◯吉原 孝委員 私のほうから、今回の趣旨の1つが、完全に遺跡を復元することということで、先ほどは仁田小学校に建てること、それから今度復元することという要望じゃないかと思うんですが、市としては、埋蔵文化財の最適な保存方法として、埋め戻しによる保存、一部を露出展示、そして全てを現状のまま保存というような形の中で、今後、事業を進めていこうとしておりますという報告が我々にあっております。  それと、展示スペースの展示内容については、約360平米ほどの展示室の面積を確保し、そして展示内容については、養生所遺構の露出展示、それから分析究理所遺構のレプリカ、それから3D計測した遺構や写真から想像できる建物の映像、それと模型。それから、展示ケース内で出土遺物を展示する。そして、養生所の古写真、古絵図、年表などを掲示するという、そういう展示をすることによって、埋蔵文化財、それから遺跡の有効性を多くの皆さんにお知らせしたいと。そのための努力は精一杯やるという報告を私どもは受けております。しかも、その展示整備に係る経費については約2億円ほどかけて整備を行っていくという、そういうふうな報告があっておりまして、その内容について、相川先生は十分に熟知をされて、その上で今回このような請求をされているのかということ。  それから、この今、申し上げたような内容で市が展示をしようとしていることに対するご見解をお伺いしたいと。 20 ◯相川参考人 今、吉原委員からご説明があった内容は、この大きい内容の3ページにございます。そこをごらんいただきますと、さまざまな展示物が赤い点の中に展示されます。実際に残されますのは紫の点でありまして、北東の石垣と、それから砂利で積み上げた部分、この2カ所でございます。この写真が、イメージ図というのが4つあります。このイメージ図の4つの下にどんなものが隠れているかということについて、私ご説明させていただきます。  差し上げましたスライドの7、8枚目と、それから裏部になりまして、裏の4枚ぐらいの写真についてご説明させていただきます。  養生所というのは、もともと完全にオランダ式でございまして、オランダの陸軍病院の設置基準に従ってつくられました。124ベッドで肉もパンも出る、完全に洋式でございます。その洋式の建物があって、今、養生所北東が出てまいりました。そこに北東の石垣と、それから積み上げた基礎となる砂利の部分がたくさん出てまいりました。南東は石垣の岩盤の上でしたので余り物がなくて、もう1つ連結棟と思われる礎石がたくさん出ておるんですが、これまでのところ市のほうはこのことについて全く触れようとしていないわけでございます。  ひっくり返しまして、ここにある3ページにあった図、それと同じような図でございますが、大きい前ページにあるように2つH型になっているんですね。H型の横棒の部分ですね。H型の2つの南東、北東は各階15のベッドの部屋が2つありまして、それが2階もありますので、合わせて60ベッドになります。南東にまた同じように15のベッドが大部屋にあって、それが2階ありますので60ベッドあるんですね。その大部屋と大部屋の間に看護人室がございまして、これ日本の看護の最初でございますが、その看護人室に1つのベッドがあって個人部屋も横につけられるようになっている。その看護人室の線に沿って、平石がきれいに並んでいるんですね。これは、裏をひっくり返していただいて、このイメージ図で隠された部分の平石の並びを見てみますと、この看護人室があると思われる土台を延長線上に伸ばしていきますと、きれいに平石がずっと並んでいきますと、平石が連結棟の構造をあらわしているように思われます。その連結棟というのは、H型の中央の横棒なんですが、そこは管理棟なんですね。管理棟でありまして、看護人とかの部屋とか、薬品室とか、それからいろんな看護業務に使うものを置く場所。そして、廊下を挟んで水に関係した浴室と、それから厨房と洗濯、そういった水回りがございます。  この平石の構造というのは、大の部屋があって真ん中に通路があって、中の部屋があって小の部屋があるというようなイメージ図で、それから廊下は石が飛んであって、そしてその中に、今度は恐らく洗濯とか浴室とか、それから厨房があったと思われます。その連結棟は、この遠い写真で白い形で示しました養生所のど真ん中にある横線であって1階建てでございます。この構造で、私は養生所の遺跡全体が、さまざまな養生所の情報をたくさん得られるところであります。びっくりしたのは、文化財課の方に3個のコンニャク瓦を見せていただきました。コンニャク瓦というのは何かというと、ハルデスが長崎製鉄所をつくる前に、まずれんがをつくったんですね。そのコンニャクれんががここで出土しております。結局、長崎製鉄所と養生所は同時期につくられました。3年おくれて分析究理所がつくられました。そのときのつくられたものの実態は、ここを調べ、分析究理所とそれから養生所の遺跡とを比較しつつ研究していきますと、さまざまなものが出てまいる可能性があります。特に排水口の構造は、分析究理所に残されたもの、平石が並んでいる構造、そして養生所にある排水口、その排水口の一部はもちろん小島病院時代もございましょうが、一部は養生所時代のものである可能性もあります。下に瓦敷きをしてあった独特の構造をしております。ですから、このイメージ図で隠されたところにたくさんの遺跡としての重要性が隠されているということをぜひご認識いただきたいと思いまして、このことについてスライドの6枚で説明しておりますので、どうか見ていただきたいと思います。  もちろん、分析究理所の上にはくい打ちされて完全に破壊されるわけでございまして、この分析究理所とその養生所との共通性というものも非常に重要でありまして、そこから遺跡の価値が判断できる。どんな意味を持っていたか、どんなつくりをしていたかという構造が、分析究理所のつくり方から養生所のつくり方というものを憶測できるわけで、このイメージ図で隠されたところにすばらしい遺跡が存在するということだけはご理解ください。 21 ◯武次良治委員 私も何点か聞きたいなとは思っとったんですが、先ほどからの説明で大体出尽くしたようでございます。それ以外の部分についてということで、2点ほどお尋ねさせていただきます。  まず、条例案についてでございますけれども、この第15条には、市長及び市議会は住民投票の結果を尊重するというような規定が置かれております。これをそのまま読めば拘束力は持たないということになるわけでございますけれども、実質的には住民投票が行われれば、その結果にはやはり拘束をされてしまうということは明らかであると私は思っておるわけです。  皆さんご存じのとおり、現在の地方自治制度、これは代表民主制ということで、住民の直接選挙によって長と議員が選ばれておるわけでございますけれども、そこの権能としてこういう予算の決定であるとか、重要事案等の決定についてもやっていくわけなんですね。これもう今さら申すことでもないことなんですけれども、そういうことを考えたときに、そういった長と議会の権能、それを一応こっちに置いといて、住民の意思に直接問うというような手法をとられるに当たっては、やはり先日の市長の意見書にもありましたけれども、住民投票によって住民の意思を確認するということであれば、私は当然のこととして、やはり投票率と得票率、こういったことについては規定すべきであると考えておるわけなんです。  このことについては当然お尋ねがあるのかなと、昨年も3回ほど住民投票条例の請求があってましたんで、そういうふうなことを踏まえれば、こういった質問は当然飛んでくるというふうに承知はしとったかと思うんですが、その点について、どのような理由を持ってこの規定を盛り込んでいなかったのか、見解等あればお伺いいたしたいと思います。 22 ◯相川参考人 住民投票に訴えるというのは大変な覚悟がございました。実際に1万5,000筆、目標としては3万筆と思っていたんですね。実際にやってみますと、10月のいわゆる衆議院議員選挙がありましたので、びた一文動けませんでしたので、実質の開始は10月23日からスタートしまして、11月2日にようやく発送、いろんな医学同窓会から発送するような手続ができるようになりまして、それは15日ぐらいまでにまとめて17日には提出で、一月ですから10月23日から11月23日で実質、署名活動に要した時間は2週間にすぎません。これによる1万5,000筆でございます。  今の制度で、いわゆる住民投票といいましても、これが2カ月かければ3万筆その他は集まる可能性はあったかと思うんですが、実質2週間ぐらいの活動でのものでございます。この厳しい住民投票条例制定請求の状況におきまして、過去3回、そして今回4回目でございますが、住民投票条例制定請求というのは、ある意味、市長に対する、いわゆる意見を酌み上げていただけないということ、もうこれが一番大きなものでありまして、これは何度やってもだめだったので、もうしようがなしに到達したところが住民投票でありまして、いわゆる市長が会ってさまざまな意見を取り上げていただく、それは話せば済む簡単な問題で、容易に解決することを、頑として考えをお変えにならない。だから住民投票に行き着くわけで、これやはり市政そのものの硬直化というのがスタートにあって、そこで4回も厳しい条件で、実質2週間しかない状況で、それぞれがいろんな分野がありますが1万五、六千筆出てくる。その重みだけはどうかご承知いただきたいと思っております。 23 ◯武次良治委員 私が聞いた趣旨とちょっと違うような答えだったかなと思います。私が言ったのは、結局そういう住民投票に委ねて、その結果は当然行政に反映されると、市長であっても議会であってもやはり現実的に拘束されざるを得ないと思うんですよ。条文的には尊重するという文言だけなんですが。ですから、そういうふうに反映させるということであるならば、住民の意思を確認した上で決定を委ねようとするならば、当然その投票率、最低何%程度以上必要だよとか、あるいは得票率にしても何%以上の得票率をもって賛成とするとか、そういう規定は当然あってしかるべきだと思うんです。それがないということは、その住民投票、そしたらどこに判断すればいいのと。もししたとしても、何をもって市民の意とするのか、それ全くわからないんじゃないかということでお尋ねしたんです。  と申しますのは、今、長崎市の有権者が約32万人ですよ。これ20%の投票だったとしたときに、数字的には当然その半分の20%ですから6万4,000人。それでこれ過半数としたときに、3万2,001票ですか、というようなことになるわけですね。そしたら3万2,001票の数字をもって市民全員の総意とするのかということに行き着くわけなんですよ。だから、当然投票率とか得票率とか、そういったことについては規定すべきじゃなかったんですかというような意味合いで質問をしたつもりです。もう一度お願いします。 24 ◯相川参考人 私、住民投票そのものと、住民投票請求の問題と混同したことに間違いがありました。それは申しわけございません。  住民投票というのは非常に重い意味を持っていて、そのやり方によって、確かに一部の意見しか反映されないかもしれませんが、現実において、やはり反映させるためには住民投票をやらざるを得ない。そういう事態に陥ることがあるわけで、それが4回も起こって住民投票が出てくるということ自体について、やはりそのことについてもお考えいただきたいと思うんです。住民投票のそのパーセンテージの問題というのは、私どもが考えることではなくて、国が考え、政府が考えることでもあります。 25 ◯武次良治委員 ちょっとかみ合わないようでございますね。これは国が決めるような問題では全くないかと思っています。もうこのことについては議論を続けても恐らく平行線かなと思いますので、ちょっと別の視点からもう1点だけ質問させてください。  資料のほうにもとじられていたかと思うんですが、参考人の皆さんも当然ご存じかと思います。地域の方々、学校建設を進めていくに当たっていろいろ検討されてきた懇話会の皆さん、この辺の方から早く学校をつくってくれよというような趣旨の要望書も上がっています。また、新聞等にも投書があっておりました。ということで、保存の運動だけでなくて学校の建設に向けての動きというのもあっとるわけなんですね。6年間という話、先ほどからも随分出ていました。現在の方向性や決定というのは、そういうふうな過程の中において導き出された結論であるわけです。ですから、議会としても地元の関係団体であったりとの積み重ねの結論であるとか、そういうことを最大限尊重すべきであろうということから、学校の統合の問題、また建設場所の問題、そしてまた今年度においては学校の建設関連の予算についても議決をしてきたというような経緯があるわけです。こうした中で住民投票を行おうとしたときに、これまでの地域の力といいますか努力、そういったことが無になってしまうんではなかろうかなというようなことを私、非常に危惧しております。また、それによって地域内の対立が深まったりするようなことがないんだろうかとか、あるいはしこりを残すようなことにはならないんだろうかとか、そういうようなことも憂慮しておるわけですけれども、もし地域と住民投票をすることになって、地域が二分されるようなことは絶対あってはならないと私は思っております。そのことについては、皆さんも含めて全ての市民が思っていることだと私は理解しているんです。ですから、そういう観点に立って、参考人の皆さん、どういうふうにお考えなのか、お三方からそれぞれご意見をいただければというように思います。よろしくお願いします。私からはもうこれで最後にします。 26 ◯吉田参考人 地域から出されている要望は、早期の校舎建設をという要望ですね。したがって、遺跡の跡に建てて、時間がかかる建設をやらなくても、他の適地を選べば住民の要望には応えることはできるわけでありますので、地元住民を二分することにはならないと。地元民主主義って非常に重要だと思いますけれども、その地元民主主義が機能するためには、市民が判断をできる情報公開がちゃんと行われている必要があるわけですけれども、私どもが得られた限りでの議事録を見ると、どうもそういうことは行われていなかったという感じを持っております。 27 ◯武次良治委員 吉田参考人は要望書のほうをごらんになられましたか。吉田参考人、地元自治会等を中心とする懇話会の皆さん、ここからの要望書というのはごらんになった上でのご発言でしょうか。 28 ◯吉田参考人 見ています。 29 ◯武次良治委員 いや、この要望書の中には、ほかの学校に云々というようなことに余り触れないと思うんですよ。今までの、これまでの経過等踏まえて、仁田佐古小学校云々というようなくだりで、耐震化の工事もされていないとか、1日も早く整備をしてくださいと、6年生が早く間に合うようにというような趣旨なんですね。ですから、現在の仁田佐古小学校を使っている、仁田小学校のほうにつくってくださいよというようなことは書いてないと、私、要望されてないというふうに理解して、先ほどの質問なんですがね。 30 ◯吉田参考人 先ほど言いましたように、市民の要望というのは、地震が来ても倒れない、耐震化の行われた安全安心な校舎で、1日も早く学習をしたいと、そういう要求でありまして、それをどこに建てるかというのは、市のほうが適地を探してくればいいわけでありまして、遺跡の上に建てることはないということで。  先ほど、長崎市立小中学校適正配置検討会議の資料を読み上げましたように、市のほうは最初から第1案でいくということを決めているわけですよね。ほかの選択肢を示していないわけですから、住民としては現在の仁田佐古小学校の跡に建てる、グラウンドに建てるというような選択はそもそもできないと。住民の要望の中身がかなえられればいいんだというふうに私は思います。 31 ◯高橋参考人 私も先ほど、私が当初の会議に招かれなかったということで、意見を述べられなかったんですけれども、今、吉田参考人がおっしゃったように、最初から会議のリードの仕方がどうも佐古小学校のほうに建てるという方向で会議がリードされたなというような印象を持っております。  私がいろんな署名運動で動いたときに、お願いしたときに、いや、もう決まっているんだよというふうな言い方をされました。決まっているものを今さら何でこういうことをするのという言い方で署名は拒否されました。ですから、私たちは遺跡の意義というか価値というのを高く評価しておりましたので、それでもなおかつ遺跡を残してくれというような、そういう署名運動をいたしました。 32 ◯相川参考人 どうも私は、ちょっと的外れた意見ばっかり言っているようですが、仁田佐古地区あるいは十善寺地区、それから仁田地区、あちこちでここにお配りしたようなスライドの内容を話してきて、それぞれの方々から賛否ございまして、やはり6年もかけて長い間決めてきたことに対して、そう簡単に考えを変えろと言われてもと、今言われても遅過ぎるという強いお叱りもたくさん受けたんですね。確かにほとんどご存じなかったんで。その中で、もちろん考えを変えられて、ぜひ残すほうでいきたいという考え方の方もいらっしゃいました。人それぞれでさまざまな方がいらっしゃいました。なかなか1つのことをするのが大変で、こういったことを覆すというのがどれほど大変かは、よく経験的にわかっております。ただ、文化財保護条例というのが市にもございまして、その第3条に文化財の保護は他の公益を調整する。結局、文化財保護という公益と、それから仁田佐古小学校をつくる、建設するという2つの公益があったら、当然ながら市はそれを調整しなくちゃいけないわけで、しかし、文化財保護法の趣旨からいきますと、文化財の上に耐震性の建築物をつくるということは、その調整にはなじまないものでありまして、文化財保護という公益と、いわゆる小学校建設という公益と、両方とも成立させるには場所を変える、それしか2つの公益を両立させることはできません。例えば、実際に市が明示したようなものは、決して文化財保護にはなりません。ですから、その文化財保護と他の公益を調整することをちゃんと今、市がやっているとはとても思えない内容なので、住民投票にまで至ったということでございまして、本来の文化財保護という立場に立ち返って市が行動してくれることを切に望んでおります。  どこの地区に行きましても、特に藩主のいる県なり市なりに行きますと、見事に文化財保護がなされていまして、非常に大切になさっています。特に、それが一番乏しいのが、この長崎ではないか、文化財保護がほとんどなされていない状況にあるのは、この長崎の地ではないかと思っています。 33 ◯深堀義昭委員 相川参考人に1点だけお尋ねいたしますが、先生がいろいろご活躍いただいて、日本医師会、また日本薬史学会、また歴史文化に詳しい関係者の皆さん方との意見調整もされた上での重要な要望書を提出いただいているわけでございますが、先ほどの説明の中にもございましたけれども、もしこの施設をそのまま残すとなった場合には、これは財源的にどのくらいおかかりになるご判断でございますか。 34 ◯相川参考人 私自身、残すとなると残すだけなので一銭もかからないと思います。ただ、ある期間を置いて十分調査を終えた段階で、その出た全てを総合して、あの地をどのように使うか。まさにあの養生所は、長崎の一等地でございまして、養生所に立ちますと、全て長崎の港が望め、反対側の市中側も望めて最高の場所。小曽根乾堂がプレゼントしたときに、長崎の幸せ、幸福のためにこれを奉行所に提出すると、あげますと、全部買い上げてまとめてあげたんですね。これは長崎の、いわゆる最新医学がそこでなされるわけですから、幸せのためになると思ってプレゼントされたものであります。  そういうことで、結局養生所は残していただいて、それで私、勝手な意見なんですが、例えば2029年というのはポンペ生誕200年に至ります。12年後でしょうか。そのくらいのときに、全体の史跡が、価値が全て出尽くして、そしてそのときにどのようなところに復元できるか、復元できないか、あるいは国の近代博物館みたいなものを招致してつくって、例えば唐人屋敷からエレベーターですっと上がってきて、そこに国の近代博物館が、現在の運動場みたいなところにあって。そして今度は、寄合町側にもエレベーターがあればいい。そういうふうな形で、唐人屋敷とあの養生所と、それから大徳寺、フルベッキが住んでいたところ、大隈重信も教えていただいたところ、それから丸山公園におりていく、その一帯全体が高島秋帆邸と結びついて大きな観光要所になってくれることを望んでいます。  そういうことで、習 近平主席は長崎が大好きですが、今、唐人屋敷に大きな道路を通しました。唐人屋敷そのものが心配でありますが、それから、オランダ国王はもう日本、この長崎が大好きです。何度もおいでになっています。ハウステンボスなんかは何度もおいでになっています。主席と国王、その方々がちゃんと和華蘭文化、和と中華と蘭と、このミックスでこの長崎で積み上げられた文化がどのように日本の近代化が、日本の文化が発展したか、そういったものを提示する場所としてあの地は最適であります。まさに、習 近平主席をお招きしたときも国王をお招きしたときも、そこに行けば日本の近代化の全てがわかる、そういうふうなものとしていけば、すばらしい観光資源にもなり得る。いわゆる文化財保護ということをまずやって、その上でゆっくりとお考えいただければいいんではないかと思っております。 35 ◯深堀義昭委員 先生のイメージに沿うような形のものができれば、それどのくらい予算的にかかるのかというのを、先生がお持ちであればという形でお尋ねをいたしたわけでございます。 36 ◯相川参考人 私は、国が予算を出して、国が博物館をつくるというようなことが一番いいと思っています。それに値する場所である。 37 ◯深堀義昭委員 まことにありがとうございました。 38 ◯中村照夫委員 高橋参考人にちょっとお尋ねしたいんですけれども、最初の説明で、佐古小学校のOBで、そして子どももOBで、今もその地域に住んでいらっしゃると。佐古小もそうだし、大浦中学校もいろんな立場で学校にかかわってきたということであれば、当然、平成22年からこの学校をどうするかという議論が6年間にわたってあっているということを、声がかからなくてもあっているというのはご存じだったんでしょうから、それがどういうふうにあっているのかというのは重大な関心を持たれていたはずだと思うんですけれども、そこら辺について先ほどは、きょう出された資料で、佐古小と仁田小学校の簡易アセスメントの事前評価の云々というのを、こんなのを出されたけれども、これは自分が評価として思っていらっしゃることなんですよね。こういうふうに思っていながら、議論は、もう声がかからんかったけん知らんばいと、あとはもうあなたたちでやってくれということにはならんと思うんですよね。  そして、先ほどの話では、この議論は佐古小ありきで進められたんだという発言までされたんですけど、そこら辺はどういうふうに我々は理解していけばいいんでしょうか。そういう立場の人であれば、その議論がどう進んでいるのか、それを知り、そして自分の考えもそこに持って訴えるというのがあって当然だと思うんですけれども、そこら辺についてはどう考えていますか。 39 ◯高橋参考人 先ほども申し上げましたように、私のほうには全く声がかからなかったということと、それとそういう会議がいつ、どこでされているのかということすら私は知りませんでした。当然、関心を持ってしかるべきだとおっしゃられれば、もう全くそのとおりなんですけれども、はっきり言って、関与しない部分までその内容がどうだというようなことまで私が知る由はありませんでした。私が知るようになったのは、佐古小と仁田小が統合されるようになったということと、それから、その新しい学校をつくるのは佐古小の跡地に決まったんだよというようなことを聞いたということなんです。ですから、私がその会議の場で意見を発表するとか関与するということは、事実上不可能だったんじゃないかなと思います。 40 ◯中村照夫委員 そうすると、後から言われた佐古小ありきで議論が進められたというのは、どういうふうなことであなたはそういうふうに理解されたんですか。 41 ◯高橋参考人 私はこういうことをする立場になってから、いろんな意見を聞きました。その過程の中で、どうも佐古小ありきだという話を聞きました。ですから、確たることを私がそういう場所で知ったということはありません。  先ほども申し上げましたように、そう決まってもそれは時代の流れで仕方がないのかなと思っていたんですけれども、遺跡が発見されて、その遺跡が非常に価値の高いものだということを勉強させていただいて初めて、こういう活動を始めたということでございます。 42 ◯中村照夫委員 先ほど、吉田参考人のほうから、つくられた地元の声という発言がございましたけど、実は地元の、これ10月2日付なんですけれども、仁田佐古小学校校舎等建設計画地域懇話会の会長、副会長、委員、もう角印も押してあるんですけれども、いわゆる地元のあらゆる団体というか、そのくらいの、きちんと言いますと17、17といっても、そこの会長と副会長と委員ということもダブっていますけれども、そういうところから早くやってくれと要望が来ているんですよ。それは市が誘導して、地元の声を作為的につくったんだということになると、この角印まで押してあるこの文書を、我々はどういうふうに理解すればいいんでしょうか。  このことについて、吉田参考人はご存じですか。そういうところから来ているということについて。 43 ◯吉田参考人 今の文書の資料をちょっと示していただけますか。その他の団体からというんでしょうか。何ページですか。〔参考人に資料を提示〕  私、これ今、初めて見ました。
    44 ◯中村照夫委員 初めてということですけれども、今、見られたとおり、こういったことがこの会長を初め、いろんな団体の責任者から出ているんですよ。これは地元の、それを作為的に市のほうでつくった分だということにはならないと思うんですけれどもね。それで、そこを議論してもしようがないので、こういうことが出ているということで、地元の声として理解されましたか。 45 ◯吉田参考人 私の認識は、先ほどから余り変わっておりませんで、6年間かけてPTAを通じて地元の自治会、連合会を通じてこういう意見が形成されたんだろうと思っています。 46 ◯中村照夫委員 そしたら、ちょっとまたお尋ねしますけど、地元の声ということで、実は最初のほうに言われた、この署名をしてくれた主な人は、大学関係者と地元の皆さんが大半だったということを、最初に相川参考人から言われたんですけど、実は仁田佐古小学校校舎建設に関する、仁田佐古小学校PTAによるアンケート結果というのも来ているんですけど、おたくたちが行動されたことを踏まえて、このPTAが動いて調査しているんですけれども、それによりますと世帯数232のうち、提出が202で87.1%が回答されていまして、計画どおり建設してほしいというのが157あるんですよ。そして、計画を見直すべきだというのは14なんですよね。いわゆる77.7%がそのままやるべきだと。計画を見直すべきというのは6.9%で、わからないとか未記入とかいうのもあるんですけれども、一応こういうふうな地元の声ですというのが私どもに示されているんですけれども、このことについて最初に言われた相川参考人のこの署名の実態とあわせてどういうふうに判断されるか、お答えいただけますか。できれば、高橋参考人も相川参考人もお願いします。 47 ◯相川参考人 確かに、PTAからそのようなものがあったことは、どこかから聞いたことがございます。そのことと、実際にお話ししていたときの感じ、それぞれの集まりで地元の方々のご意見を聞いた中で、やはり主流は6年間もやってきたことを今さらひっくり返されるのは困ると。あなたの話はわかるけれども、6年やってきたことをもう今さら変えたくないという、そういう声がかなり強かったことは事実です。ですから、地元の方々にとっては、6年間やってようやく決め込んで、しかしながら、さまざまな遺跡が2015年10月、そして2017年になってまた分析究理所の遺跡が出る。実際に、そういった2015年以降、2年間にわたって遺跡が出続けた。そのことによって、急にその地元の方々がそういう遺跡を認めるとか、遺跡が重要だと思うという変革は、なかなか難しい。6年間経過して、最近の2年間でそういう遺跡が出てきた。私自身、動き出したのは、2015年の北東の礎石が出た瞬間に動き出したんで、それまでは一かけらも動いてなかった、そういうことではですね。ですから、遺跡が出てからの2年間。だから、PTAの方々も、やはり十分に説明しなければそういうことはご理解いただくには大分時間がかかるんじゃないかなと思います。 48 ◯高橋参考人 私は、先ほど申し上げましたように、佐古小と仁田小の適地はどっちなのかというようなことが、地域の方々にもご理解いただければ、早く新しい学校、安全安心な学校で子どもたちを勉強させたいという思いは通じるんじゃないかなと。確かに、アンケートの中では反対というか、佐古小に早くつくってくれという意見が多かったと思うんですけれども、この先ほど示したように、仁田と佐古でどちらがメリットがあるのかということをご理解いただければ、学校が早くできて、それもコストを低く抑えてできるということをご理解いただければ、私は地域の方々も十分わかっていただけるんじゃないかと思っております。 49 ◯中村照夫委員 皆さん方のこの請求の理由の中に、この佐古小学校を全面的に学術調査して、遺跡の調査、価値を明らかにしろということがあるんですけれども、市のほうは一応調査は終わったと言っているんですけれども、皆さん方の言われる調査と、市の今までやってきた調査の差異、どういう面をあとやるべきなのかということについて、どういうふうにお考えなんですか。 50 ◯高橋参考人 私はそもそも、この遺跡の上に学校をつくるということ自体が理にかなっていることなのかなと思います。大切な遺跡を壊してまで、そこに新しい学校を建てる合理的な理由というのがあるのかなと私は思います。ですから、学校を早期につくってくれという住民の要望も、遺跡の上につくらなくても十分実施されるんじゃないかなと思っております。 51 ◯相川参考人 実際にこちらの市議会で継続審査になりまして、その前もそうでしたけれども、結局、遺跡の現場にブルドーザーで重機が動く状態というのは、どうしても私にはなじめませんで、基本的に重機が動いてその後に掘り返すということで、これが本当の文化財を保護するものとはほど遠い、そのあり方が、行くたびにもう頭を抱え込んで、もう1日中こたえるという繰り返しが続いていまして、6月に永安医学部長をご案内して、分析究理所の場所はちょっと掘る場所が違うんじゃないかということを申し上げて、実際に分析究理所が新たに出てきたりしたんで、本当はそういった文化財課の方と話し合いながらいろんなことが進行していくことを一番望んではいるんですが、私はほぼ危険人物扱いされていまして、実際にそこの中に入っていくことはできません。  それから、こういった話し合いをする一方で、新たにコンクリート壁の新しいコンクリートの石垣が、それでヘールツハウスというボイケルス教授が分析究理所の横にあるという1870年には建っていたヘールツの居宅があります。そこに何が出てくるかというのを楽しみにしておりましたが、そのときにいろんな石垣が出てきたり、いろんな顕在化をしますが、それぞれについて、あの石垣にあったあの石は、場合によっては分析究理所の石ではないかとかいろんなことがございます。そういったことも、ものが残されることなく消えていきますし。明治時代の石垣がございましたが、もう現在剥ぎ取られまして、一応ナンバーがついて保存はされていると思いますが、その解体をされた。そして、正門までもうぎりぎりまでいきました。そして、9月の後半、継続審査になりまして、一、二週間の間に、文化財課は寝る間も惜しんで掘ったんですね。そのことによって、あんなに急いで大事な文化財の場所が掘り返され、最初に重機が入ってやって、その後、文化財課の1人の方が徹夜して一生懸命調べるわけです。そういう状況が本当の文化財の調査なのか。それはもう日々、行くたびに頭を抱え込むような状態で、しょうことなしにこういう住民投票とかそこに至ったのは、その重機による文化財の調査。重機を用いる文化財の調査なんてあり得ない。そう思って、そのたびにかなり破壊されているんではないかという思いが、中に入れませんので、そういう怖い思いしかありません。 52 ◯中村照夫委員 言われることがよくわからないんですけれども、私の言っていることわかります。わかってない。  市は調査はもう終わったと言っているんですよ。しかし、あなたたちはもっと全面的に調査をしなさいと言っているんですよ。その差というのは、じゃ、あと何を、どういうことをやれということを言われているのか、それをお聞きしている。 53 ◯相川参考人 私は、時々漏れてくる情報しか実際には接していないので、何が掘り出されたか、何がどうなったかは知らなくて、たまたま私が行って写真を撮ってきて、それを解析したりして、いろんなことを憶測するということしかできない。ですから、今そこの文化財課が、現実にどのような情報を持って、どの程度まで判断したかということはできないです。  この前、文化庁が来られたときに、私は医学部長推薦で行ったんですが、その入り口で私は遮断されまして、入ってくれるなと。前もって聞いていないからということで、施設課長に締め出されて入れなかったんですが、だから文化庁の前でそういうことを何も発言できなかった。  ですから私は非常に限られた情報しかなくて、しかも物事が言えません。ですから、今、市がやった調査がどのような内容で、どのようなものかというのは大ざっぱにしか、端々でしか、例えば下川元医学部長に渡された資料とか、そういったもの。あるいは公開請求をかけて得た資料でしか知ることができません。 54 ◯中村照夫委員 ちょっともう時間があれしているんで、今後調査をして、相川参考人が出された、こんなものが出てくるんだったら、それはもうみんな、こりゃ大変なことだと、これ残さんといかんということになるでしょう。それはもうないということははっきりしているんですよね。あと、調査ができるということになると、この基礎のこういうのが出てくる、こちらのね。こういうのが出てくる可能性はあるんですよ。ただそれで、そういうのが出てきたからといって、こんなものを復元するということにするとしても、それは本物ではないわけですよね。それをつくれというふうに皆さん方はお考えなんですか。 55 ◯相川参考人 私は、養生所そのものの復元というのが同じ場所にというようなことは考えていません。多分、養生所そのものの北東の分は残すべきもので、そこに物をつくるということはとてもじゃないけど考えられない。どこの部位か、養生所の遺跡とは無関係のところにつくるのはいい。ただ、養生所の遺跡にあるものは、これからも調べれば調べるほどさまざまなものが出る可能性があるので、それだけは残してほしいということを言っているわけで、私も限られた情報でしか言えないけれども、その養生所の平石の並び方、その型からさまざまな情報がとれるので、それは私が得られた情報の範囲ですけれども、たくさんの写真を撮って、ボイケルス教授と2人がかりで当てはめてみていろいろ調べてやっていくんですが、それで、ポンペのいろんな資料がございます。そこにその養生所の構造についてさまざま記載がございますので、そういったものと比較しながらやっていくということをやっている。憶測ではあるけれどもお示ししているということです。  ですから、限られた情報の中でしか私は申しておりません。ですから、どれほどたしかか不たしかかということには、もちろんあります。しかしながら、今、行われている市の調査が完全からはほど遠い、不十分な調査であるということだけは確信を持って言えます。 56 ◯中村照夫委員 ちょっと今のところ。だから聞いているのは、何があと残っているのかと、何を調査せろと言うのかと。全面的な調査になってないじゃないかと言われるから、じゃ、何をすべきだということを、専門家の立場でお考えなのかということを聞いているんです。 57 ◯相川参考人 結局、養生所のことがよく理解された人がその調査の中に入ってやらないことには養生所のことはわからないのに、誰も専門家が入らない状態でその養生所をそんな調査できるのかという、その根本ですね。そこに大きな疑問を持っているんです。  例えば、ボイケルス教授が、陸軍軍医学校の陸軍病院の、いわゆるガイドラインに沿ってつくられている、それでポンペがオランダ語で書いたものがございます。それのいろんな資料があるんですね。そういったものを調べながら、それと養生所の構造とを当てはめながら、どこに何があったかということを調べていくんですね。そういう作業をしながら養生所を発掘しない限り、きちんとしたことはわからない。 58 ◯馬場尚之委員長 暫時休憩します。           =休憩 午後0時13分=           =再開 午後1時9分= 59 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  引き続き、参考人に対する質疑を行います。どなたかございませんか。 60 ◯梅原和喜委員 本日はどうもご苦労さまでした。参考人におかれましては、今回の請求に必要な市内の有権者の50分の1の7,200名を超える1万5,776筆ということで大変ご苦労をされたと思います。その点については敬意をあらわしたいと思います。  まずは前段の、高橋参考人のお話の中で、質問は重複すると思うんですが再度確認をしたいことがあります。跡地での建設については、真剣に討議がなされてなかったんだよというご発言がされたんですけれども、先ほど来から話があっていますように6年間に及ぶ地域の人たちとの学校建設に関する協議会が開催されています。やはり子どもたちの将来に向けて親御さん、地域の方々だとか夜なり昼なり休みなりに集まっていただいて、真剣に私はこの6年間交わされたと判断しているんですけれども、先ほどご発言の中に、真剣に討議されたのが見えないんだよという高橋参考人がおっしゃった言葉が、ものすごく気になっているんですけれども、そのあたりもう1回ご見解をお聞かせいただけませんか。 61 ◯高橋参考人 先ほど、事前評価ということで資料をお示ししたんですけれども、あの環境アセスメントというんですか、事前評価においては明らかに仁田小学校のほうが有利だと思えるわけです。それを、こういう物事を決めるときには、いろんなメリット、デメリットを出し合って初めて決められるんじゃないかなと思っていますけれども、先ほど示したように、仁田小に明らかに有利だというようなことが、冷静に考えれば多分事前にはわかったんじゃないかなと思います。ですから、その点を真剣に考えられたのかなと思ったわけです。ですから、そういうことで、そういうふうに感じたんですけれども、そういう明らかな証拠というのはありません。 62 ◯梅原和喜委員 先ほどのご答弁、それから自己紹介の中で、これまでPTAの役員だったりとか育成協の会議だったりとか、そういった方はやはり地元に精通されていると思うんですが、そのあたり、その会議の中には出席してなかったんだよという話の中で、地域の中で高橋参考人と精通している方、よく話をされる方がいると思うんですけれども、その方たちも一部、今回の学校建設の検討会には入っていたと思うんですけれども、そのあたりからの情報はなかったんですか。 63 ◯高橋参考人 はっきり申しまして、ありませんでした。というのは、私は育成協を退任するときに、ちょっとしたいきさつがありまして、そのことで私のほうに情報が回ってこなかったのかなというふうに、これは私の憶測でしかありませんけれども、そういうふうに感じております。 64 ◯梅原和喜委員 はい、わかりました。ありがとうございました。  それと、続いて相川参考人、ちょっと1点ご見解を尋ねたいと思います。  長崎市のほうから別添の資料ということで、4ページに文化庁の見解というのが載っておりまして、これは10月2日に報告されている記事なんですけれども、文化庁の見解としては、分析究理所の出土遺構の残り具合はよくないとか、国の史跡に指定するには遺構だけでなく云々とこうあるんですけれども、文化庁の見解から考えますと、今回、完全保存という文言が今回の請求に出されているんですけれども、私らも教育厚生委員会としては、現地も一応見させていただきまして、出土された石垣だったりとか玉砂利を見させていただきましたけれども、私たちが判断する限り、どうもイメージ的に、ここに究理所があったんだよとかイメージが立たないのが本音でありまして、このあたりの文化庁の見解を見られて、参考人の方たちのご見解をちょっと1回お聞きしたいなと思って質問させていただいておりますので、そのあたりご回答いただけますか。 65 ◯相川参考人 初めてこの資料、4ページの資料を見るんですけれども、「分析究理所の出土遺構の残り具合はよくない。史跡に指定しているので、長崎市の指定を目指すならそれでいいのではないか。国の史跡に指定するには、遺構だけでなく、遺跡を象徴するような遺物の存在も重要であるが、分析究理所でそのような遺物は出土していない。近代の国指定史跡は、遺構として当時の建物が保存されているケースが多く、それらと比較して、今回の遺跡を国の史跡とするには保存状態は良くない。」と、こういう記念物課の方の見解でしたということですね。  この文化庁との関係で、一番スタートの話は、私が用意しました資料の医学科プレスリリースの資料の最後に、これは1月11日、長崎大学の医学部長が、下から6行目に、12月15日、秋野公造参議院議員を介し、文化庁へ要望を行ったところ、同庁の次長、これ事務次官通達と一緒で文化庁の次長が「国の登録文化財として、一部露出展示などを行うことは有意義だ」と。次の要望事項の(3)というところに書いてありますが、国の文化財登録か市の史跡指定、この2つの可能性を文化庁の次長が一応可能性としてあり得ることを明示しております。多くの場合は、国の登録に指定されて、それから国指定史跡の指定の手続をとります。医学部長としては、この前にいわゆる原爆遺跡として医学部の門柱が、国の登録の史跡になりまして、数年後に国の指定史跡になりました。こういうことがあって、その時代は下川医学部長、この国の登録指定を狙って、いわゆるそういうことを望んで出たのがあります。ですから、登録から指定になるまでにはさまざまなことが必要で。  もう1つ、このことについて、その後にもう1回文化庁から現地に来られて、そのときも下川元医学部長に帯同してまいりました。その際に、施設課長から私はその場に文化庁の調査官が来られているところには、その場所に行って遺構の説明をすることがかないませんでした。門前払いを食らいました。永安医学部長から頼まれて行ったんですが、事前に話を聞いていないということで、私はそのときに蹴られました。そのときに、先ほど申し上げたような養生所遺跡の広範な、例えば連結棟の遺跡がかなりあるというようなことを強調したかったし、その分析究理所と養生所等遺跡の両方を勘案していくと、さまざまなことが新たに見つかっていく可能性があると。そういったことを、遺跡全体を包括して、医学所の遺跡もございますし、それから分析究理所の遺跡もありますし、養生所のさまざまな遺跡と総合して全体を捉えていく、そういった形をすれば、国の登録をして、その後に国の指定も、もちろん可能になってくるのではないかと思います。しかし、市としては、市の指定文化財にして、結局いわゆる文化財の上に建造物を建てようという、文化財保護の立場からいけばあり得ない状況をやりたいというその市の意向がありまして、多分市の指定ということを選ばれました。その際に、国の登録は簡単だが、市の指定は厳しいと。だから市の指定文化財という道を選ぶと。その厳しいというのは、国の登録になれば、その瞬間に遺跡の上に、史跡の上に建物を建てることができません。しかしながら、市の指定になりますと、サントドミンゴの教会にも文化庁の方をお連れになったわけですが、結局史跡の上に建物を建てる方式、これをするために市の指定ということを市が選ばれたということであります。 66 ◯筒井正興委員 もう午前中の意見からして、いろんな意見が出ておりますし、また後半になってくると同じような質問になるかもしれませんけど、そういう中で午前中の陳述もしくは質疑等において明らかになったことは、まず皆さん方は、長崎市はほとんど皆さんの意見を聞いてないということを再三言われておりましたけど、私は陳述の中で一番気になったのは、皆さんのほうこそ全然聞く耳を持ってないじゃないかと感じたんですよ。というのは、いろんな質問の中で、例えば地元から早急に学校の建設をということについても知らなかったということですし、また、いろんな意見があるでしょう。そういう中で、私は非常に疑問に思うのが、この6年間いろんなことで地元との協議をやってきた中で高橋参考人はそういう立場になかったとおっしゃられましたけど、いろんな経歴を聞かれた中では、例えば2年前にも学校名のことでいろいろもめたことがあったと思うんですが、そういったことも恐らく耳に入ってないことはないと思っているんですよ。しかも、地域でアンケートをとって、それで学校名を決めて長崎市に持ってきたけど、長崎市としては、それは地元で協議をしてくださいというふうに返した経緯がありますから、だからそういった中においては、やはりこの小学校の建設についてのことを前提とした校名の決定だったと思うんですが、だからそういう意味では全然知らなかったということは、私はおかしいと思います。  それと、このアセスメントに関しても先ほど質疑がありましたけど、これについてはどなたがこういう見解を出したのかを、まずお尋ねしたいと思います。 67 ◯高橋参考人 今、校名の議題があったと、どういう名前にするかということで、地域でアンケートをとったということ、これは存じております。私もそのアンケートに答えましたし、私の望む校名を書いてやったというのは事実ですけれども、その後のことです。それはそういうアンケートが回ってきたんで、こういうこと、名前も決めなきゃいけないんだということでアンケートに答えたわけですけれども、いわゆる跡地とか、それから学校をどこにつくるかというようなことについては、全く私は知りませんでした。  このアセスメントをつくられた方は鮫島先生です。鮫島先生がこういう考えもあるよということでアセスメントを書いていただきました。 68 ◯筒井正興委員 要するに、それぞれの立場によって、いろんな意見はあるわけですね。そうすると、例えば長崎市が一向にいろんな対案を出していないというのであれば、皆さんのおっしゃるとおりだと私は思うんです。だけど、長崎市としてもこの6年間いろんな建設についての話し合いをしてくる中で、いろんな対案を出している。そして、まして皆さん方の完全保存に関しては、またいろんな案を出してきているわけですよ。だけど、そういうことを午前中の質疑の中では皆さんは知らなかったということを言われますけど、私は長崎市が一方的ではなくて、むしろ皆さんのほうが一方的に自分たちの考え方を押しつけているんじゃないかと捉えたんです。だから、こういうことがあるだろうから、私は一番、文化財的に、この文化財の価値として判断を下せるような文化庁に対して、一度見に来ていただいて判断を下してもらったらいかがだろうかということを言ったのは私なんですよ。それを受けて文化庁に市のほうから行かれた。その文化庁に行って、その後にまた陳情なり請願なり出されたときに言われたことが、長崎市のほうが自分たちの資料を持っていって一方的に文化庁に言ったもんだから、文化庁はこれは文化財としての価値がないというふうなことを言われたんですけど、その後にまた文化庁が来て、そして実際に自分の目で見て、やはりこれはそこまでの価値はありませんよというふうに私は聞いております。  だから、いろんな意見がありますけど、やはり皆さんも、先ほどから聞いていますと、文化財の価値に関しての判断が下せるような立場にないと思います。だから、文化財としての文化庁の意見を聞くことによって、どっちなんだろうかということで進めざるを得ないということなんですよね。  高橋参考人が一番最初に陳述の冒頭で言われていましたけど、真剣に検討をされたのかと。市議会も市も真剣に検討をされたのかというふうな発言をされましたけど、非常に失礼だなというふうに私はそのとき感じました。自分たちはほかの意見は聞かないで、自分たちの言い分だけで、我々にそういう真剣な判断をしたんだろうかと。例えば、深堀委員からも午前中、相川委員に質問がありましたけど、予算的なものであるとか、いろんな問題があります。我々も、ただ単純にそのことだけであれば、賛成してもいいなということになる可能性もあります。だけど、全体的に考えて、市の財政であるとか、子どもたちのことであるとか、いろんな将来的なことを考えた場合には、ある判断をしなければいけないというのが議会の立場であります。だから、そういう中で真剣に検討されたんだろうかということは、私はちょっと聞き捨てならないなと感じました。  だから、何を言いたいかというと、いろんな意見を出される中で、それぞれの立場によって違うから、だから一番最高機関である文化庁に意見を聞いたらどうだろうかということで、文化庁の意見を聞いたにもかかわらず、完全保存ということを皆さんはおっしゃられていると。しかし、そのほかのことは全然聞いてないということですので、皆さんその点についてどう思いますか。 69 ◯高橋参考人 私たちは、この遺跡を保存してくださいということで運動を始めたんですけれども、そのことについて市長に面会を求め、話を聞いてくださいということは何度も申し上げました。だけど、それに対する返事というのはなかったんですね。返事というのは、地域に回覧してくださいという回覧の文書と、それから新聞に載せられた、この養生所のことについてお答えしますというような、そのことしかなかったんです。ですから、我々は市長と直接話し合って、話すことができれば、もっとほかの対応の仕方もあったんじゃないかなと思っております。 70 ◯筒井正興委員 市長が皆さんに会って、完全保存ということを前提に話をされるということは、もうそれでトップが話すことですから、それで決まりなんですよ。しかし、市長はいろんな公務がありますから、そのことだけの知識があるわけじゃないんです。だから、そのために部長制度があったり、いろんな制度があって、そういう中でその人たちが対応していくと。そして、最終的な決断を市長が下すというふうなことで、今回この住民投票に対しては、昨日でしたけど、反対というふうな意見を述べられとるわけですよね。  この住民投票にしたって私は、今回4回目ということですけど、この住民投票も余りにも長崎市については大安売りだなと。普通この住民投票なんていうのは市を二分するようなことの中で住民投票をいろんなところでやられているのが実情なんです。前回も、県庁跡地、公会堂が2回ですかね。そして、今回と。短期間のうちに住民投票が4回もされるということは、これは長崎市についても非常にお粗末だなとこれは苦言を言いますけど、だけど安易にこの住民投票をしようということが、私はちょっと理解できない。なぜなら、この住民投票をするに当たっては1億4,000万円くらいの金額がかかると。しかも、午前中も武次委員から話がありましたように、どのくらいの投票率で、どのくらいの賛成反対があって、そのことを是とするのかという話もあった中で、はっきりと答えられてないということを考えると、皆さんこそ本当に真剣に考えてやっているのかなと。ただ、完全保存、完全保存と言うだけで、市の意見も全く聞こうとする耳を持ってないと私は思っていますけど、その点についてどのように考えておりますか。 71 ◯相川参考人 1つ、文化庁がもう判断したから、それに従ってはどうかということをおっしゃったんですが、1つこの医学科のプレスリリースのところで説明がありますのは、例えば九州考古学会はどういう判断をしているかというと、文書の中途を読みますと、分析究理所の遺構は予想を超えてよく残存しているということで、石段や敷地、その他の石垣、そういったものを含めて新たなものが建物の礎石、石垣、さまざまなものが出てきて、それに大変価値を高く評価して、それを損なわない形の保存、それを残してはどうかということを、九州考古学会は現地も調査をして、そういう結論を出しております。  それから、もう1つ、こういった文化財におけるその価値というものは、やはりいろんな人が、どのように価値があると判断するかということになりますと、最初に養生所等遺跡の完全保存につきまして、日本医師会と県医師会と長崎大学医学部の3者で一応要望書を出しました。日本医師会長は今、世界医師会長を兼ねておりまして、武見医師会長、坪井医師会長、3人目でありますが、九州のご出身で、非常にこの九州の長崎なんかについてもお詳しい方だと聞いております。やはり、その土地の文化財の価値の評価というのは、やはりその分野の人たちがどのような関心を持つか、どう評価するかということも、文化庁という立場の考古学的な立場の人もありますが、これもまた非常に重要でありまして、その価値の評価というのは、それぞれの分野によってまた違ってまいります。  この養生所は、まさに医療施設でありまして、ここに挙げますように、全体一括して、包括的にその遺跡を保存するということによって、恐らく文化庁にも評価していただけるような史跡になり得る。あるいは、日本遺産とか世界的文化遺産として認められるようになるだろうと思います。そしてまた同時に、この世界医師会長の、日本医師会長が言っておられるように、世界の医療人がこの長崎に来て、そこで大きな学会が催されて、そして小島佐古の丘を訪れると、そういうふうな本当の意味の観光資源にもなり得るものであります。ですから、ぜひこの、いわゆる医療系からの偏った要望でございますが、これについてもご理解をいただきたいと思います。  医療革命が長崎から起こり、また産業革命も長崎から起こりました。その産業革命の文化遺産の中に、世界遺産の県から出されている内容にも、この養生所のことも出してあります。産業革命遺産の中で、このまた養生所を足していくのか、新たにまた違う形で提示するか、どちらにしても非常に大きな観光資源になり得るものでありまして、あの養生所のあるところ、これは日本にとっても、この長崎のみならず、日本にとっても世界にとっても極めて重要な場所であるということで、ぜひご判断をいただきたいと思うわけでございます。 72 ◯筒井正興委員 この日本医師会であるとか県の医師会であるとか、そうそうたるメンバーの要望ということもありますけど、私、先ほども言いましたけど、文化庁に来ていただいて見てくださいということをまず言ったときに、1回目のときは確かに来ていません。市のほうが文化庁のほうに行って話をした中で、市の一方的な言い分によって文化財的な価値がないという判断をされたということを言われたんですけど、じゃ、この医師会の人たちというのは見に来たんですかと。むしろ、一方的に皆さんがそういうふうに、医学会かどうか知りませんけど、そういう方たちが一定こういうふうだよと言われたんであれば、同じ議論になってしまうと。同じ議論であれば、やはり誰かに判断をしていただかなければいけないと。それが私は文化庁だと思っております。日本の文化的な価値の最高機関ですし、皆さんの思いもわかります。しかし、皆さんもそれぞれ自分の思いの中で言われている。我々も文化的な価値を判断するような能力も持ってない。そうすると、誰かに判断をしていかなければいけないということになってきた中で、文化庁は文化財的な価値はないということをはっきり言われたと聞いておりますので、やはりどっかで折り合いをつけなきゃいけないのが、子どもたちのためにとっても一番いいんじゃないかということなんです。  だから、もう質問はしません。ずっといろんなことを聞かれていますので、同じようなことになりますので。私は、この住民投票についても、ま、1万5,000人近くの住民の皆さんがご苦労されたのはわかりますけど、やはりそこには税金が投入されるということを考えると、いかがなものかなと考えておりますし、その4回も住民投票を短期間のうちにされるということについても、非常に疑問に思っておりますし、もっと大きな問題でやるんであれば、私も賛成ということも考えられますけど、皆さんは世界的なものだと言いますけど、私は地域的なものだという判断しかしてないということだけを述べておきます。  以上です。 73 ◯向山宗子委員 きょうは大変お疲れさまでございます。午前中の質問と少し重なるかもしれませんけれども、同僚委員が財源のことについてお尋ねをしたと思います。  それと、つい先ほどの筒井委員の質問に対して、これは観光資源にもなる、すごいものになるんだというお話も伺いました。ただ、私、9月に市の文化財審議会の下川会長がお見えになったときに、出島が復元をされて、今、観光客が歴史に触れていただいています。このようなものになる可能性があるのかということをお伺いしたときに、この方は考古学がご専門の方でございますけれども、全体を再現するということは、今の現状では不可能だというような、そういうご見解も伺いました。  また、先ほど、私ども公明党が出させていただいたこの1月11日の要望書をお示しになられて、るるお話がありましたけれども、この登録文化財から指定文化財になるためには、確かにいっぱい乗り越えなければいけないハードルがあるんですが、この文化庁の見解の中に、近代の国指定史跡は、建物が保存されているケースが多くて、それらと比較して今回の遺跡を国の史跡とするには、保存状態がよくないと、難しいというふうに言われてある、こういうような種々のことを勘案されて、先ほど午前中に言われた国がやるべきだというのは、本当に矛盾をするというか、どのようにそこら辺を考えていらっしゃるのか。  もう1つ、国がやってくれないのであれば、例えば今回要望を出された日本医師会、順天堂大学、薬史学会、そうそうたる方々ですけれども、こういう方々が、長崎は土地がないのは皆さんもよくご存じだと思います。重要なこの長崎の土地を、何の当てもなく先が見えないのにそのままほっぽらかして発掘をするというのはあり得ないので、そこを多分、例えばお金を出していただいてやるみたいな、そういうことがあるのでしょうか。ちょっとそこら辺、見解とともにお示しください。 74 ◯相川参考人 随分昔に、ポンペ先生の名前のもとに大きな巡回の、例えば司馬遼太郎先生がお話しになるとか、吉村 昭先生が各地でお話しになるとか、ゴールは長崎みたいになってやったことがあるんですが、確かにポンペ先生の生誕200年ということであれば、全医学会が大きく動いてと、いろんなことについて動く可能性は大いにあるものと思います。特に、日本医師会長で世界医師会長も兼ねておられる方が呼びかければ、それはそれなりの大きなものとなります。  長崎県医師会長の蒔本先生は、もちろん地元でございまして、田上病院の院長をされて、あの一帯のことは完全にお知りになられていまして、あらゆる問題点をご理解の上でこのようなことにご署名をいただいていますので、蒔本先生は何も知らないわけじゃなくて、あらゆることをご存じでございます。ごく近くの住民の意見も含めてよくご存じの立場にございます。そういうことで、もちろんそういうポンペ生誕200年とかいうことであれば、いろんなそういう呼びかけもできるかと思います。 75 ◯向山宗子委員 それまで、要するに重要な土地であるものを遊ばせておくということは、やはり市議会としても本当に難しい選択になると思います。ましてや、子どもたち、また地域の住民の皆様の声というものをしっかりと、私たちは両方から可能性を考えていかなければいけない立場にございますので、しっかりとこれからもそういう両面が重要だと思いますけれども、そこら辺はどんなふうに思われますか。 76 ◯相川参考人 確かに、2029年というのは12年後なんですが、しかし、ある遺跡がきちんとした評価が出るまでには結構な期間がかかるように思います。それは、できるのはその前であっても後であっても構わないんで。機運が早目に熟せば、もっと早い時期にいろんなこともセットできるかと思います。ただ、1つの例として2029年、ポンペ生誕200年ということを申し上げただけであります。 77 ◯大石史生委員 確認というか、2点あります。  先ほどから仁田佐古小学校のPTAによるアンケート結果ということが出ていましたけれども、このアンケート結果は高橋参考人、お読みになられています。アンケートの中身ですね。見てない、見てないということで、これ中身を見てみますと、計画どおり新校舎と遺構を併存した形で、旧佐古小学校跡地への新校舎建設を進めてほしいというのが1つ。もう1つが、計画を見直し、旧佐古小で発見された遺構を保存してほしいと。遺構を保存してほしいということでと、あともう1つはわからないということなんですよ。  これ、今、高橋参考人が示されたさまざまな案がありましたよね。先ほどのような形で、逆に学校のことには下のほうは遺構を保存してほしいということで触れられてないので、ここが例えば、今、示しているような案を持って問いかけをするとすれば、状況は変わるのかなというふうな感覚というか、そういうところはお持ちなのかなと思うのが1点と、あともう1つ、吉田参考人に確認で1つお聞きしたいんですけれども、さっき私が補足の説明を求めたときに、2011年の8月19日の金曜日のこの何とか会議のことを少し話されましたけど、その会議の名前とか正式名称というか、そこをちょっと確認の上でも、もう1回お知らせいただければと思います。 78 ◯高橋参考人 今、先ほど資料で示したことを、地域の皆さんにきちんと伝えたら、地域の皆さんの考え方が変わるのかなということでご質問があったんですけど、私は全くそのとおりだと思います。皆さんに、こういうことができるんですよという可能性を示していけば、地域の人たちは子どもたちに早く学校をつくってくれというのが大きな望みですので、スムーズに立派な学校ができると私は思っております。 79 ◯吉田参考人 先ほど口頭で言いました会議の名称ですが、平成23年度第1回長崎市立小中学校適正配置検討会議です。日時は、平成23年8月19日。16時から17時という文章であります。 80 ◯後藤昭彦副委員長 意見、結構出ましたので、1件だけちょっと今まで出てない質問をしたいと思います。  今現在、計画として学校建設に伴い、外周道路拡幅工事も含まれております。今回の請求においては、学校建設工事はもちろん、その外周道路の拡幅工事も中止ということで請求されております。  そこの箇所は道路事情が悪く、消防、救急車はもちろん、普通車、軽自動車も通れない状況というのは皆さんもご承知かと思いますが、この計画によって地域の皆さんは道路拡幅に大変大きな期待を持っていると思いますが、もしこれが中止となったときに、もう半永久的に道路はできないんじゃないかなという懸念もされます。そこら辺どのようにお考えかお聞かせください。 81 ◯高橋参考人 今おっしゃられた道路の拡幅という問題ですけれども、これは私に言わしていただければ、これは今に始まった問題ではないと思います。もうずっと昔からあの道路は狭いですし、地域の人は道路を広くできないかということは考えていたと思います。  でも、この道路の拡幅については、史跡を残す格好で考えたらいいんじゃないかと私は思っております。遺跡のある部分を削って、そして拡幅するというやり方のほうが本当は早くできるのかもしれませんけれども、やはり大事なものを大事にするという考え方で、道路の拡幅の方法については、しかるべきいい方法があればそちらを選択していただきたいと思っております。 82 ◯後藤昭彦副委員長 今、しかるべき処置があったらそっちのほうでということで、請求のほうには道路拡幅工事も中止してくださいと載っていますけど、それは今回の皆さんの総意ということで考えてよろしいんですか。 83 ◯高橋参考人 これは総意と思っていただいて結構だと思います。 84 ◯馬場尚之委員長 ほかにありませんか。  ただいま橋本委員外議員より発言の申し出があっております。長崎市議会会議規則第97条第2項の規定に基づき発言を許可します。 85 ◯橋本 剛議員 吉田参考人がよろしいんでしょうか。1点だけ、大石委員のことと同じなんですけれども、ちょっと関連してお伺いしたいと思います。  先ほど、2011年の8月19日の会議録の件をお話しされたと思います。このときに、佐古小、仁田小、第1案が佐古小、第2案が仁田小で建設案を出しているということなんですが、そのお手持ちの文書のことでよろしいんですけれども、このときにはその会議録の中では、仁田小では無理だとは考えてなかったということなんでしょうか。そういう意見が出てないかどうか。もし出てないとしたら、先ほどたしか、仁田小につくれない、建設できない理由を整理することとしたという非常に興味深い一文があったかと思います。これ逆だったら佐古小につくれない理由を整理したということになって、きっと本件が理由になっていたんだと思うんですが、もしその会議録で仁田小に関して建設場所としては難しいという議論がもし出てないとしたら、この仁田小につくれない理由を整理することとなった何かきっかけとか、そこにあるんでしょうか。支持をしたかどうか、それについてご教示いただければと思います。  以上です。 86 ◯吉田参考人 これが全文の議事録ではなくて主な内容がまとめられているものでありますけれども、その中で、先ほど興味深いと言われた点ですけれども、仁田小ではだめなのかという反対意見も想定して対応を考えておく必要があると。市が第1案でいくということを決めたから、反対意見も想定して対応を考えておく必要があるという意見が出されて、そのために今後の検討課題として統合校は仁田小に建設できない理由を整理しましょうと、こういうことになったんだと考えられます。 87 ◯馬場尚之委員長 ただいま浅田委員外議員より発言の申し出があっております。会議規則の規定に基づき発言を許可します。 88 ◯浅田五郎議員 大変お疲れのところ、委員外議員の私までお許しをいただいてありがとうございます。参考人の方に四、五点お尋ねをいたします。  私ども委員外議員の発言は、皆さんに対して1回しかできませんし、理事者に対して1回しかできません。合計2回しかできませんので、早口で多くのことをしゃべりながら、ご返事だけいただいて、その返事に対して私がまた意見が述べられないことだけはご理解いただきたいと思います。  私は、田上市長がこの前の意見の反対陳述の中で、長崎大学の多文化の教授をやっておられるボイケルス氏に対して、極めて失礼とも言うべき意見を述べていることについて、少しここだけ読ませていただきます。  次に、「前オランダ・ライデン大学教授ハルメン・ボイケルス氏(現長崎大学教授)はこの遺跡は「出島」と同等の価値があると評価しています」との記載部分について、意見を申し上げます。小島養生所及び分析究理所等が、近代西洋医学発祥の地として歴史上果たした役割は大きいものと考えていますが、発掘調査によって検出された残存遺構は少なく、保存状態も良くない状況であり、失われた建物などを正確に復元できるような遺構も検出されていません。」と。したがって、るる説明しておりますが、そういったことで遺跡を象徴するような遺構も残っていないから、あなたが言うようなことではありませんというようなことを申し述べているわけですね。私は少なくとも、このボイケルス氏が、この前からの新聞を見ましても、どのようなことを言っているかというと、出島と同等の価値だという中で、小島養生所の遺構が発見されたと。新聞社の記者のインタビューに対して、資料から養生所の存在はわかっていたが、これほどの遺構が残っていたことに大変驚いている。当時の日本は、身分制度が厳しかったが、オランダ人の医師たちは、医療は誰もが等しく受けられると説いて実践をした、民主的な考えが生まれた日本の近代医学の原点として見るべきだということを述べております。さらに、オランダにとっても重要な遺構かという新聞社の記者に対して、ボイケルス氏は、オランダと日本が古くから特別な関係を築いていたことを示す重要な証拠だ。養生所には付設された医学所や分析究理所も含め、日蘭交流の歴史を語る上では、鎖国時代に両国が貿易した出島と同等の価値があると指摘しております。さらに、新聞社の方が、市は医学所など関連施設の発掘調査をしない方針だということに対して、養生所で多くの遺構が見つかっている以上、ほかの施設も何か痕跡は残っていないのか、可能な限り調査するべきだ。そうしなければ、歴史の記録や研究はできない。その上で保存や復元をどうするのかを検討するのが順序ではないだろうかと、外国の方に教えられたわけですね。そして、その外国の方がこれだけ述べて、調べてみたら遺構がたくさん出てきたわけでしょう。まさに、ライデン大学のこのボイケルス氏のことをとっても、長崎人の私どもからするとすばらしい方が、この小島養生所について関心を持ち、このような発言をされておる。そのようにして、国際都市長崎の市長が、このような、まさに失礼きわまるような発言を、軽薄な発言をしたと私は言っても過言ではないと思うんだけれども、こういった問題について、私は市長がどういう考えを持っているか本当はここで聞きたいんだけれども、本人が来ていないので、長崎大学の同じ同僚であった相川参考人に、このボイケルス氏のこういった答えに対して、市長がこういった意見を述べているけれども、あなたは同僚としてどのように受けとめたか、ちょっとお尋ねしておきます。  それからさらに、吉田参考人にお尋ねいたしますが、住民投票に対する投票率、得票率について質問がありました。参考人のほうでは明確な答弁がなかったように私は聞いておりますので、その辺についてどうなのか。少なくとも市議会議員の投票率は今、大体5割を割っております。市長選挙でも、どうかしますと2割か3割で、それは確定してるようなとこもあります。そういったことも含めて、この住民投票に対する投票率、得票率がどのようなものであれば認められるかどうか、法律学者としての参考人の見解をお尋ねいたします。  それから、日本近代医学発祥の地として、この問題について、長崎市長は要するに、遺構として日本近代医学、長崎はさまざまな検討を行ってきた上で、遺跡の保存と学校建設の両立を目指すことにしております。学校建設を行わずに、旧佐古小学校、現在の日本の全ての西洋医学の基盤となる、日本で唯一の近代西洋医学の発祥にかかわる遺跡として残すことは全く考えていませんということまで述べております。こうした問題について今回、世界医師会の会長になった日本医師会の会長、あるいは県の医師会の会長、そして医学部長の永安先生などが要望し、完全保存を求めておりますが、またこの件についても長崎大学として、あるいは医学会としての立場でこうした日本医師会の考え方、世界医師会の会長の考え方が長崎市で受けとめられないとした場合、長崎市と医学会の関係はどうなるんだろうかと極めて心配しているんですけれども、その辺についてもお尋ねいたしたいと思います。  次に、高橋参考人にお尋ねいたしますけれども、あなたは全く知らなかったと、案内もなかったと。私は、毎日市政人として。日々ご努力されているわけですから、いろんなことに情報を持ってないでしょう。市議会議員は給料をもらっている、ボーナスももらっているわけですから、我々こそがしっかりやらなきゃならないということを、あなたに対して約束したいと思っておりますが、ただ問題は、あなたたちが知るために、どういうことかというと、あなたたちが地元に住んでいて長崎市があの地域の皆さん方に対して、例えば小島養生所についてこういった医学的な、あるいは遺構としての価値があるとか、遺跡としての価値があるとか、そういった勉強会的な、あるいはお話し合いをするとか、そういった講演会がなされたかどうか、そのこともお尋ねいたします。  PTA会長が10月5日にご案内を出した、そしてアンケートをとったら約8割の方が学校を建ててほしいと。私は、子どもの親として当然だと思うんです。ただ、その中でも、約2割の方々が、少なくともやはり立ちどまって考えていいんじゃないのかと、遺構を考えていいんじゃないかという、その2割のことのほうが私は重いと受けとめているんですよ。少なくとも、子どもの親としては、当然すぐにでも建ててほしいと、そういうことを言えば、少なくとも長崎市の学校は、平成23年の8月19日の内部会議で、学校建設をやろうとしているわけですよ。仁田小学校ではなくて佐古小学校に学校をつくろうとしていると。そのことは内部資料として、内部の会議でやることについては、私は間違えはないと思っているんです。それは当然どういうことをやるかということですから、市役所の内部で、仁田につくろうか佐古につくろうか、それは内部として考えているんです。ただ、この資料を見る限りにおいて、養生所のことは全く書いていないんですよ。市長もきのうの反対意見の中で、佐古小学校の校歌について、確かにあったと、我々はそれを尊重する、よく理解しているという割には、当時平成23年につくったこの内部資料には、小島養生所が出てきたときには、そのときはしっかり考えますよぐらいの1行があるかと思ったら全く考えてない。少なくとも、全て佐古小学校に学校をつくるということですから、その辺についても高橋参考人はどのようにお考えになっているのか、お尋ねいたします。  以上、長くなりましたけれども1回しか言われませんので、そのような質問になりました。ありがとうございました。 89 ◯相川参考人 市長の意見書を読みまして、確かに1つは、ボイケルス教授がおっしゃった出島と同等の価値があることをほぼ否定されたことと、それから最後のいわゆる結論、最後に書かれた言葉ですね。2点であります。  それで、1つ、このボイケルス教授についてご説明いたしますと、今回160周年記念のいわゆる医学部の会がございまして、その医学部の160周年を記念しての講演の記念講演はボイケルス教授であります。150周年の記念の国際会議を開きましたときは、ボイケルス教授も非常に大きな役割を果たされて、洋学史学会の会長も務められたりして、2つの講演をなさいました。この本学にとって、ボイケルス教授は重要でありますが、ヨーロッパを代表する日蘭医学交流史の主要な、もっとも重要な専門家でありまして、特にシーボルト以降、ポンペ、モーニッケ、ファンデンブルク、ハラタマ、ヘールツとマンスフェルト、こういったいわゆる日本の近代医学については第一人者であります。養生所の構造その他についても非常に詳しいご造詣があり、特にオランダの資料からさまざまなことを見つけられて、例えばヘールツハウスというのが写真の上にあるということを指摘されたり、さまざまなことを実際に示すことができます。そういうことで、要望書のいわゆる医学科のプレスリリースの最初にあります3項目で、やはり日本国内やオランダの各分野の専門家から調査委員会、特にボイケルス教授のような専門家を入れない限りは、養生所等、価値の遺跡の本当の価値の評価というのは難しいのではないかと、永安医学部長は感じ取られたのであろうと思います。蒔本会長もそうだったに違いがございません。  もう1つは、全面的にこの意見書として否定されたことは、やはり養生所を全く、学校建設を行うということで、これまで述べましたとおり、遺跡の保存と学校建設はどちらも重要な課題であるため、長崎市は旧佐古小学校跡地において小島養生所等の遺跡の保存と学校建設の両立を目指すこととしておりますと。この判断に、もちろん異を唱えたのが日本医師会、長崎県医師会、長崎大学医学部でございまして、全ての養生所、医学所、分析究理所、長崎医学校等の遺跡を一括保存して、そこを全体評価して初めて本当の意味が、いわゆる遺跡の価値というものを判断できる。そういうことで、それに伴う完全保存に影響のある工事の見直しという形で、はっきりと意見書とは全く真反対のことを、この日本医師会、長崎県医師会、長崎大学医学部が望んでいるということであります。 90 ◯吉田参考人 条例案の第15条のことで、市長反対意見の13ページの下段、第15条の取り扱い、第15条では、「市長及び市議会は、住民投票の結果を尊重する」と規定されているために、市長及び市議会に対する拘束力があるため、投票率と得票率の規定を設けることが必須の要件であると書かれているわけですが、投票率と得票率の規定がないからといって、これが反対の理由となるということは私はないと思うんです。尊重するという文言は、法律の文言としては、拘束力はそんなに強くないわけでありまして、市議会が投票の結果を見て判断されればいいということでありまして、どうしても必要であれば、条例の施行規則等に規定をすればいいわけであって、これがないからといって反対をするというのは当たらないと考えます。 91 ◯高橋参考人 私は、先ほども申し上げたと思うんですけれども、青少年育成協議会から離れてから時間がたっているんですけれども、現在の大浦中学校区の青少年育成協議会、これが非常に私はすばらしい活動をされていると思っております。今さら私がそこにしゃしゃり出ていろいろ意見を言う立場にはないなということを思っておりました。そういうことで、今まで、先ほども申し上げましたように、そういう協議会の中にも入らなかったということがあります。  浅田議員がおっしゃられたように、これからも地域のことは関心を持っていろいろ活動していきたいと思っております。 92 ◯馬場尚之委員長 ただいま毎熊委員外議員より発言の申し出があっております。会議規則の規定に基づき発言を許可します。 93 ◯毎熊政直議員 今、参考人の方々にお伺いいたしたいんですけど、完全保存を求めておられますけど、今回、学校建設とあわせて展示室とか、そしてまた遺構が出てきた分を見える化して多くの方々に見えるように、そういう保存ということを一緒になって考えられないかどうか。どうしても皆様方がおっしゃる完全保存ということは、私たちはまた小島養生所をもとの場所に立て直せとおっしゃっているのかどうか、そこをまだはっきり今の朝からのご説明を聞いていてもわかりませんでしたので、何とかその一緒に協議して、展示室を新たにつくれば今よりはるかに多く価値を見てもらうことができると思います。そしてまた、外にもあいたところに石垣の展示とか、そういうことで両者歩み寄った中での展示のあり方、保存のあり方ということを協議していただけるようなお考えはないでしょうか。 94 ◯高橋参考人 今、直ちに遺跡を保存して、じゃ遺跡をそのまましとくのかという意味かなという感じがします。当然、遺跡は大事なものですから、保存して展示するということは必要だと思います。ただし、現状を損なうような展示の仕方じゃ、これはちょっと納得できないかなと思います。多くの人に見てもらうなら、現状を維持したまま、これがいかなるものかというものを見ていただく、そういう展示の仕方だったら、私は十分可能だと思っています。 95 ◯相川参考人 やはり貴重な文化財の保護という立場に立ちますと、耐震性のある小学校のような体育館、新校舎と遺跡との共存ということは常識的にあり得ません。体育館は、これまでの建物でも40本の大きな柱がありまして、コンクリートブロックに分けられた、その合間、合間にたくさん見つかりました。残されるのはスリーブロックだけ見せられる形にして、あとはまた同じように、恐らく40本以上の、もっと大きな耐震性の柱が建って、それは埋め戻し保存とは名ばかり、破壊されて結局これまでに見つかったものがほとんど消失すると、いわゆる消滅していく、破壊されていくということに結びつくもので、とても貴重な文化財が保護されるということにはなりません。くい打ち工事で新校舎が40本近くの大きな、これもまた非常に大きなものが15メートルとか10メートルとか、非常に深い盛り土のところですから、打たれます。これによって、分析究理所と医学所の史跡は全てそのくい打ち工事の犠牲になって破壊されます。したがって、今あるのは、まさに養生所、医学所、分析究理所、長崎医学校等の遺跡が破壊され尽くすということを目の前にしているわけで、とても貴重な遺跡というものを保護する立場と学校建設とは相入れないものであります。この2つの公益は、別途、別の場所でそれぞれ、佐古は文化財保護に、それから仁田佐古小学校は別の場所に建設するということでやっていくしか道はないと信じております。
    96 ◯毎熊政直議員 それじゃ、発掘したままのその姿を、そのまま保存したほうがいいとおっしゃっているわけですね。 97 ◯相川参考人 もちろん、発掘したものを全部、ペンペン草が生えた状態かもしれませんが、一応埋め立てて残して、一部をそれぞれ開きながら、最初は例えば、便壺なら便壺が5つありますが、梅毒病院時代の便壺を集中的に調べるとか、それぞれの場所、それぞれをきちん、きちんと改めて精査しながら、その価値を全てもう1回きちんとした本格的な調査を入れる必要があると思います。それにかなりの年月を要すると思います。その後で改めて、その一部を復元するのか、そういう近代化博物館みたいなものを運動場あたりにつくるのかとか、これは出てきた遺跡の、いわゆる全ての評価が終わった時点で、改めて次のあり方が決まってくるものと思います。差し当たっては、いわゆる完全保存をしていただいて、その上での将来の活用ということを考えていくことが必要だと思います。 98 ◯馬場尚之委員長 ほかにありませんか。  それでは、参考人に対する質疑はこれで終わります。  参考人の方におかれましては、大変ご苦労さまでした。  参考人退席のため、暫時休憩いたします。           =休憩 午後2時19分=           =再開 午後2時31分= 99 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  それでは、本件に対する理事者の説明を求めます。〔発言する者あり〕 100 ◯武次良治委員 今から理事者の見解を求めるということでございますけれども、本議案については学校建設にもかかわる大変重要な事案ということでございますので、ここはぜひとも教育長にも出席いただいて、その上で審議を進めるのがいいのかなと思います。よって、教育長の出席を要請いただきますよう委員長のほうでお諮りいただければと思います。 101 ◯馬場尚之委員長 ただいま武次委員から教育長の出席要請がありましたけれども、皆さんのご意見を伺います。いかがでしょうか。  暫時休憩します。           =休憩 午後2時32分=           =再開 午後2時33分= 102 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開します。  ただいま、武次委員より教育長の出席を要請するご意見がございましたけれども、このことに関しまして委員の皆様の確認をとりたいと思います。  出席していただくことにご異議ございませんか。     〔「異議なし」と言う者あり〕 103 ◯馬場尚之委員長 それでは、そのように決定いたします。  なお、委員会に教育長の出席説明を要求する場合には、委員長からその旨議長に報告し、議長の了承を得て要求することを例としております。  ただいまから議長に報告したいと思いますので、暫時休憩いたします。           =休憩 午後2時34分=           =再開 午後2時43分= 104 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  ただいま、議長の了承を得て教育長の出席を要請し、教育長に出席をいただきました。  本議案は、教育行政に関する重要案件であるということから、質疑の段階で教育長にも出席いただきたいということでの出席依頼をしたものでございます。  それでは、理事者の説明を求めます。 105 ◯馬場教育長 それでは、私のほうから説明させていただきます。  第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」説明させていただきます。  議案書の1ページをごらんください。本条例は、地方自治法第74条第1項の規定により、平成29年12月7日に、長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例制定の請求が行われ、これを受理したことから、同条第3項の規定により、市長の意見を付して付議するものでございます。  なお、議案書の1ページから6ページには本条例を、7ページから15ページには、市長が本会議において申し述べました意見書を掲載しております。また、参考といたしまして、16ページから18ページには、請求者から提出されました長崎市条例制定請求書を掲載しておりますのでご参照をお願いいたします。  私のほうからの説明は以上でございますが、詳細につきましては、まず、小島養生所等遺跡に係る発掘調査の状況をご説明し、また、遺跡の保存に関する長崎大学との協議の経過等について報告させていただいた後に、住民投票条例制定の直接請求について説明させていただきたいと存じます。  それでは、委員会資料に基づきまして、担当課長より説明させていただきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。 106 ◯大賀文化財課長 それでは、文化観光部及び教育委員会より提出しております教育厚生委員会資料に基づきご説明させていただきます。  資料は2部に分けて提出しております。1部は、住民投票条例制定の直接請求について、市の考えなどをまとめた全16ページの資料で表紙の文字にゴシック体を使用した比較的薄めの資料になります。もう1部は、表紙に明朝体の文字を使用し、右上に別添資料と表示した少し厚めの資料になります。  まず、別添資料の1ページをごらんください。ここには、1.小島養生所跡及び関連遺跡の遺構検出状況といたしまして、仁田佐古小学校新校舎建設予定地において実施した発掘調査における遺構の検出状況をお示ししております。左側の図面の上段、緑の線で囲んだ部分が分析究理所跡を含む校舎・グラウンド側の敷地、また、下段のオレンジの線で囲んだ部分が小島養生所跡の体育館側敷地で、こちらの敷地につきましては、長崎市文化財審議会における審議を経まして、ことし6月5日付で長崎市の史跡に指定しております。なお、黒い太枠で囲み、薄く網かけした部分は、上から分析究理所、その右下に医学所、さらにその下が小島養生所の推定位置を表しております。検出した遺構につきましては、まず、上段の校舎・グラウンド側敷地の状況からご説明いたします。こちらの敷地におきましては、まず、ことし5月、図面の左手、敷地の西側になりますが、アルファベットのAを表示いたしましたピンク色のラインに石垣が見つかっております。また、7月の終わりから8月末にかけて実施した発掘調査では、図面中央、分析究理所の黒枠の下側にありますが、アルファベットのBと表示した紫色のラインに、建物の礎石及び雨落ち溝が出土しております。ここまでの経過につきましては、去る9月14日の教育厚生委員会でご報告させていただいたところであります。  さらに、9月に実施した追加調査により、新たな遺構といたしまして、分析究理所の黒枠から少し下になりますが、赤で表示したC-1)、2)及び3)の直角のラインに石垣が、また、C-1)の石垣に接するオレンジ色のポイントに破壊された石段の一部が出土しております。あわせて、敷地の北側になりますが、分析究理所の黒枠から左上の少し離れたところにも、赤で表示したC-4)のラインに石垣の一部が見つかっております。これらの遺構につきましては、ページ右側上段に写真を掲載し、その取り扱いについてはそれぞれ写真の下に記載しておりますが、埋蔵文化財の最適な保存方法とされる埋め戻しにより、現状のまま保存することを基本としながら、新校舎建設の支障となる部分は、精度の高い記録をとった上で、一部または全部を移動し、保存・活用を図ることとしております。まず、Aピンク色のラインに出土した石垣と、B紫色のラインに出土した建物の礎石及び雨落ち溝につきましてはその一部を、それから、C-1)オレンジ色のポイントに出土した石段とC-1)から3)の赤いラインに出土した石垣につきましてはその全部を、それぞれ敷地内で移動し、さらに、C-4)の赤のラインに出土した石垣につきましては、埋め戻して現状のまま保存することとしております。続きまして、図面の下段、オレンジ色の線で囲んだ体育館側敷地の状況についてご説明いたします。黒枠で上下にお示しした建物は、小島養生所の北棟と南棟で、その間には、小屋などの位置も表示しております。まず、これまで出土していた遺構といたしまして、左上、D-1)などピンク色のラインに石垣と石列、また、E-1)、E-2)のほか、紫色のラインに、建物の基礎である玉砂利、さらに、北棟から少し左下に離れた緑色のFの部分に、瓦敷が見つかっておりました。9月の発掘調査で新たに出土した遺構といたしましては、右端に赤で表示したG-1)、2)及び左上、端のほうに赤い部分に石垣がありますけど、こちらが石垣でございます。また、北棟のH-1)、2)及び3)など青い部分に、建物の基礎である玉砂利が見つかっております。小島養生所に関する遺構の主なものにつきましては、ページ右側下段に写真を掲載しておりますのでご参照いただきたいと思います。これら養生所の遺構は比較的良好な状態で残っており、埋め戻しによる保存を基本としつつ、一部の遺構は体育館に併設する展示室で露出展示することで、全て現状のまま保存することとしております。  続いて、2ページをお開きください。ここには、校舎・グラウンド側敷地の分析究理所跡に関する長崎市文化財審議会の審議経過を掲載しております。まず、最初に記載のとおり、分析究理所跡に関する審議は、6月23日開催の平成29年度第2回長崎市文化財審議会からスタートしております。Aピンク色の部分に、5月に出土した石垣について審議した結果、まず、ア.分析究理所の敷地や範囲を示す遺構の一部であるこの石垣について、長崎(小島)養生所跡に関連するものと認め、遺構が残る範囲を市の史跡に加え指定範囲を拡大することを決定し、拡大範囲の正確な位置及び面積については、試掘調査の結果をもって決定することとされました。また、イでございますが、石垣のうち、新校舎建設の支障となる部分については、記録保存を前提に必要最小限の解体を行い、石材は保管した上で工事を進めることを決定いたしました。結果として、Aピンク色の部分の石垣につきましては、記載のとおり、多くは埋め戻して現状保存するものの、新校舎建設の支障となる部分は、3Dデータによる保存を含む記録保存を前提に、必要最小限の解体を行い、石材は保管することとしております。次に、その下、第3回長崎市文化財審議会では、7月から8月にかけて出土した建物の礎石及び雨落ち溝の取り扱い等について審議し、その結果、まず、アでございますが、継続中であった試掘調査は可能な限り実施し、確認された遺構等については文化財審議会に報告することとされました。また、イにつきましては、それまでの試掘調査で敷地のラインを示す遺構が想定どおりに確認できなかったため、長崎医学校時代の図面等から分析究理所敷地のラインを推測し、史跡に加えることとされました。さらに、その下、ウでございますが、B紫色で表示した建物の礎石及び雨落ち溝は校舎の建設によって取り除く可能性があることと、先に出土したAピンク色のラインの石垣の多くは現状のまま保存することを踏まえ、史跡指定後にやむを得ず取り除かなければならない建物の遺構については、3D計測によって精度の高い記録をとり、礎石等は保管することとしました。なお、この点につきましては、エに記載のとおり、一部委員から、史跡指定後の遺構については、破壊、つまり取り除くのは適しないという意見があったことを記録に残すこととされました。こうした経過から、建物の礎石及び雨落ち溝、Bの紫色の部分について、現状保存が可能な部分は埋め戻し、新校舎建設に伴い、やむを得ず取り除かなければならない部分は、3D計測によって精度の高い記録をとり、石材等は保管することとしました。また、遺構に関しては、3Dデータをもとに適度に縮小したレプリカを作成し、体育館に併設する予定である展示室内での展示などを含め、効果的な見せ方について検討することとしております。  なお、以上の取り扱いにつきましては、下の欄外に記載のとおり、文化財審議会における審議結果に従いまして、ことし9月12日開催の教育委員会臨時会で決定されております。  次に、3ページをお開きください。一番上、9月28日開催の第4回長崎市文化財審議会におきましては、9月に実施した追加調査の結果について報告を行っております。追加調査は、校舎・グラウンド側の敷地において全面的に実施しており、過去に建物等があり、遺構は残っていないと思われる場所についても、地山が検出されるなど、その確証が得られるまで調査しております。結果として、右側の図面、C-1)から4)の赤とオレンジの部分に、石垣と石段の一部が出土しました。文化財審議会では、これらの遺構を確認した上で審議を行い、結果として、枠内に記載のとおり、まず、ア.分析究理所の埋蔵されている残存遺構は、ほぼ完全に検出したとされ、また、イ.追加調査により出土した遺構については、保存すべき価値があるとしながらも、遺構を取り除いて建物を建てることについては、市で判断して決定すべきであるとされました。さらに、ウ.史跡の指定範囲については、今後、遺構と文献資料によって検討し、見直しを行うこととされ、エ.環境保全の問題として、周辺道路に面する石垣の整備について、今後、留意して事業を行うよう要望もあっております。これを踏まえ、その下、真ん中の枠になりますが、9月28日に開催された教育委員会臨時会では、新たに出土したC-1)から4)の石垣及び石段について審議を行っております。臨時会では、これらの石垣等について、文化財審議会における議論の中で、これまで検出されていた遺構より特に価値が高いという評価はなされなかったことから、従来の石垣の取り扱いと同様に、新校舎建設の支障となる遺構は、3Dデータによる保存を含め、精度の高い記録をとって取り除き、石材等は保管することを決定いたしました。この決定につきましては、その下、10月10日の第5回長崎市文化財審議会において報告したところでありますが、同審議会では、報告に対する賛否の判断はせず、対応は市に委ねるとしながらも、記載のとおり、ア.分析究理所に関する遺構については、後に検証できるように、3Dデータを含めしっかり記録を残してほしい、イ.分析究理所の残存遺構は全体のごくわずかであり、むしろ、小島養生所跡の遺構をしっかり現状保存してほしい、ウ.新校舎建設に伴い現状保存できない部分については、できるだけ学校敷地内で移設保存してほしい、エ.小島養生所跡の関連遺構を展示する施設については、長崎大学のメンバーや専門家を入れるなどして十分に検討してほしいといった要望が出ております。  続いて、資料の4ページをお開きください。ここには、分析究理所等の遺跡に関する国との協議経過をまとめております。ことし10月2日に文化庁にて報告、協議を行っており、長崎市からは、文化財課長と文化財係長が出席しております。文化庁の見解は、(1)に記載のとおり、分析究理所の出土遺構について、残り具合がよくないとし、(2)遺構の取り扱いについては、長崎市が判断すればいい、また、(3)小島養生所跡を長崎市の史跡に指定しており、長崎市の指定を目指すならそれでいいのではないかということでありました。さらに、(4)国の史跡に指定するには、遺構だけでなく、遺跡を象徴するような遺物の存在も重要であるという指摘があっておりますが、分析究理所に関しては、こうした遺物は出土しておりません。あわせて、(5)に記載のとおり、近代の国指定史跡は、遺構として当時の建物が保存されているケースが多く、それらと比較して、今回の遺跡を国の史跡とするには保存状態がよくないといった指摘も受けております。  この点につきましては、6ページから9ページにかけまして、参考として、近年、国の史跡に指定された遺跡の例を挙げておりますが、これらの例からも、近代以降の遺跡で、国の史跡となったものは数が少ないこと、また、全て建造物が現存していることが確認できるところであります。各自治体より提供を受けた史跡の写真も添付しておりますのでご参照ください。  恐れ入りますが、資料の5ページにお戻りください。ここには、文化庁等による現地調査といたしまして、11月23日に実施した文化庁と有識者による現地視察及び長崎市との協議の経過をまとめております。文化庁からは、文化財部記念物課の職員1名と、同行した近代史及び考古学の専門家が計3名、また、県からは学芸文化課の職員が1名、さらに、長崎大学から1名が出席され、長崎市からは、教育総務部長、施設課長、文化財課長ほか職員5名が出席しております。文化庁等の見解といたしまして、まず、遺構の価値につきましては、専門家から、日本初の西洋式近代病院で、病棟と研究機関がそろって価値があり、分析究理所も小島養生所と同じように考えていくのが妥当であるという見解、また、文化庁からは、歴史的には十分価値があるとしながらも、遺構は部分的なものにとどまっており、養生所を国の史跡とするのは難しいという見解が、これは改めて示されたところであります。次に、遺構の保存方法につきましては、専門家から、実物を残すことが重要で、どれだけ残せるか、やれることは全てやったと説明できるように、学校建設とのバランスをとるのが課題であるといった指摘がありました。そのような中で、下から2つ目になりますが、遺構は移動すれば価値が下がるとしながらも、石段と石垣など、いずれも取り除かなければならない遺構については、校舎敷地のどこかにセットで移設復元することも考えられる、また、遺構があった場所に位置する校舎の床面などには、それがわかるような表示を行うことも考えるべきといった助言を受けました。一方、分析究理所の礎石と雨落ち溝につきましては、協議によるとしながらも、残せるものは残し、取り壊さなければならない部分は移設する、残せる部分はレプリカを作成し、移設する遺構と接合させて、他の場所で活用することも考えられるという案を出していただきました。  資料の10ページをお開きください。ここには、新校舎と出土した遺構の関係をお示ししております。青い部分が新校舎で、黒丸で表している部分は、工事でくいを打つ箇所となります。グレーの太いラインは建物の基礎に当たり、分析究理所建物の礎石や敷地の石垣等で、埋め戻し保存が見込まれる部分は緑色、石垣や石段も含め、記録をとって取り除く見込みである遺構はピンク色で表示しております。  1枚めくっていただきまして、11ページをごらんください。ここには、セットで位置関係を保ったまま、敷地内で再現しようとする遺構をお示ししております。緑色の部分は、埋め戻して現状のまま保存することが可能であり、ピンク色の部分は、新校舎建設に伴い移設する必要があります。  12ページをお開きください。こちらは遺構の移設案の1つ目になりますが、遺構全体の位置関係を保ったまま、全てを東寄りに移設する案でございます。この案では、元の位置に残る遺構がなくなりますので、埋蔵文化財の保存を図る上での優先順位は低くなるものと考えております。  続いて、13ページをお開きください。こちらは遺構の移設案の2つ目になりますが、緑色の部分は、埋め戻して現状のまま保存し、実物大の複製をつくります。その複製は青色の部分になりますが、ピンク色の部分の遺構をあわせて、東寄りに位置を変え、元の姿をほうふつさせるように再現したいと考えております。長崎市は、現在、この2つ目の案を採用することとしておりますが、その決定に当たり、長崎大学長に2つの案を提示したところ、市で判断するようにとのことでありました。市としては、文化財審議会委員の意見も踏まえまして、遺構の一部を現状のまま残す2つ目の案を選択したものであります。なお、この再現を図ることにより、左側の表でお示ししておりますとおり、校舎と運動場をつなぐ階段の幅を7.2メートルから3.5メートルに、また、体育倉庫の広さを37.2平米から18.6平米に、それぞれ縮小することとなりますが、体育倉庫につきましては、他の場所に代替のスペースを確保することとしております。  次に、資料の14ページをお開きください。ここには、新校舎の2階の平面図を掲載しておりますが、分析究理所等に関する石垣や石段、建物の礎石等は、ちょうど職員室やポーチ、ホールなどの下に位置します。緑色の部分は元の場所に埋まった状態で現状のまま保存し、ピンク色の部分は校舎の外に移設しますが、専門家の提案も踏まえ、これらの遺構がそこにあり、または、あったことがわかるように、床の色を変えるなどの表示を行うこととしております。  1枚めくっていただきまして、15ページをお開きください。ここには体育館側敷地の小島養生所跡に関する長崎市文化財審議会の審議経過を掲載しております。小島養生所跡に関する審議を最初に行ったのは、平成28年12月8日開催の第1回長崎市文化財審議会であります。体育館側敷地においては、平成27年度から発掘調査を行い、石垣等の遺構や薬瓶などの遺物も出土していたことから、審議会では国の文化財となる可能性について、文化庁に確認を行うよう求められました。次に、その下、平成29年度第1回長崎市文化財審議会では、日本最初の近代様式病院及びその関連施設として、幕末に設置された養生所、医学所及び分析究理所を含む精得館までの施設に対する評価から、長崎(小島)養生所跡として、市の史跡に指定することとされました。この答申に従い、下の欄外に記載のとおり、ことし5月30日開催の教育委員会定例会における決定を経て、6月5日付で市の史跡に指定されております。その下、ページ下段の表には、小島養生所の遺跡に関する国との協議経過をまとめております。小島養生所跡につきましては、旧体育館の解体等に合わせ、比較的早い段階で発掘調査に着手し、一部遺構を検出しており、昨年12月13日に文化庁にて報告、協議を行っております。長崎県学芸文化課同行のもと、長崎市からは、施設課長と学芸員である文化財課文化財係長が出席しております。文化庁からは、(1)体育館建設予定地における遺構の残存状況がよくないため、国指定の史跡にはなりがたいこと、また、(2)文化財として将来にわたり保護していくために、市の指定文化財とすることを検討してはどうかとの見解が示されております。  続いて、資料の16ページをお開きください。ここには仁田佐古小学校体育館の当初設計段階における外観イメージを掲載しております。長崎市は、学校建設に当たり、体育館に展示室を併設し、小島養生所跡等の歴史と価値を伝えながら、遺跡の保存・継承を図ることとしており、建物の1階を特別教室と展示室、2階を体育館とする計画であります。今後、設計変更を予定しており、外観もまだ確定したものではありませんが、併設する部分の屋根の形状や、展示室入口部分の外観等につきましては、長崎大学とも協議しながら決定してまいりたいと考えております。  続いて、資料の17ページをお開きください。ここにお示ししておりますのは、現在、長崎市が想定しております長崎(小島)養生所跡顕在化の平面プランのイメージでございます。外側黄色のラインで囲んだ部分が体育館建物の範囲で、上部の緑色で囲んだ部分が建物1階に位置する展示室になります。左下、緑の枠内に記載のとおり、広さは全体で約360平方メートル、トイレや事務スペースなどを除き、約290平方メートルを展示スペースとして想定しており、これは教室約4つ分に相当いたします。展示内容につきましても、今後、長崎大学などの関係者と協議してまいりたいと考えておりますが、出土した遺構のうち、紫色の太線で囲んだ石垣や玉砂利については、埋め戻さず、露出して展示する予定としております。また、展示室においては、出土した薬瓶などの遺物、3Dデータをもとに作成したレプリカや映像、さらに、分析究理所や医学所を含め、その歴史と価値を伝える古写真、古絵図、年表などの資料も展示したいと考えております。なお、展示室整備に係る経費につきましては、現時点では、まだ概算でございますが約2億円を見込んでおります。  私からの説明は以上でございますが、引き続き中央総合事務所地域整備2課長からご説明させていただきます。 107 ◯田畑地域整備2課長 私から仁田佐古小学校外周道路の概要についてご説明いたします。  資料18ページをごらんいただきたいと思います。外周道路の施工計画図でございます。まず、図面の位置関係でございますが、右のほうが現在の仁田佐古小学校方面、左上のほうが丸山方面、下のほうが館内方面となります。まず、外周道路建設の目的でございますが、旧佐古小学校の外周道路は、道路幅員が狭く、車両が進入できないことから、日常の買い物や通院、介護などに不便を来しているとともに、緊急時における救急搬送や消防活動などにも支障を来しており、学校建設を契機に地域の防災性・安全性の向上や地域のまちづくりの観点から、旧佐古小学校用地を活用して、1.2メートルから2.5メートル程度の現道を4メートル道路へと拡幅することで、緊急車両などが通行できる周回道路を整備するものです。今回、拡幅整備を行います路線は、図面下側の1工区と右側の2工区、それから上側の3工区でございまして、1工区と2工区は現在、工事中でございまして、3工区につきましては、来年度工事予定でございます。図面下側の1工区は、現況2.1メートルから2.5メートルの道路幅員でございまして、軽自動車の通行は可能でございますが、館内側からの一方通行、図面では左から右への一方通行となっております。また、上側の3工区につきましては、現況1.2メートルから1.9メートルでございまして、軽自動車も通行できない状況でありますので、これらを4メートル道路へと拡幅するものであります。工事の実施に当たりましては、道路と学校敷地には最大で3.5メートル程度の高低差がございますので、擁壁等の構造物をつくる必要がございます。そこで、コンクリート擁壁を基本としながら、図面では茶色で着色しておる部分でございますが、明治から大正時代にかけてつくられたと思われる近代の可能性のある石積みがありますので、記録保存調査を実施し、一度撤去した後に、改めて石積みを再現することといたしております。また、図面では赤色や黄色に着色している部分は、現況石積みや一部に石積みの基礎が残っておりますので、既存の石材など、あるものを最大限に活用して新たな石積みをつくることといたしております。今後とも、文化財審議会の意見等をお聞きしながら、地域の防災性・安全性の向上や地域のまちづくりの観点から、外周道路の拡幅整備に努めていきたいと考えております。  私からの説明は以上でございますが、引き続き施設課長からご説明させていただきます。 108 ◯岩永施設課長 私のほうからは、長崎大学との協議等についてご説明させていただきます。  別添資料の19ページをお願いいたします。平成29年の9月市議会定例会後の長崎大学との協議経過を整理したものでございます。まず、9月12日付で分析究理所、医学所を含む養生所遺構の調査、保存、活用についての要望書が、長崎大学学長及び医学部長連名で市長へ提出されております。内容等については、右欄に記載のとおり、1点目として、くい工事を延期し、分析究理所遺構及び解剖室推定地の全面的な発掘調査を行うとともに、その遺跡としての価値について十分な検討を行うこと、2点目として、既に発掘された分析究理所遺構や解剖室推定地を含めて、保存対応を協議する。その際、養生所遺構と同様に見える形での現地保存・活用の可能性も検討することの2点の要望がなされています。この2点の要望につきましては、9月29日付で長崎大学長、医学部長へ回答しております。1点目としましては、1の(1)に記載のとおり、追加調査として、遺構が残る可能性がある場所について、全面的な発掘調査を行い、あわせて、これまでの試掘調査により遺構が残る可能性がないと思われる場所についても、広く掘削し、確証が得られるまで調査したこと、その結果、分析究理所敷地の南側及び北側のラインに残る石垣の一部を新たに発見し、南側の敷地内では、破壊された石段の一部が出土したものの、解剖室に関する遺構はなかった旨回答しています。2点目としましては、2の(1)に記載のとおり、分析究理所周囲の石垣等につきましては、敷地西側に連なる石垣の多くは埋め戻して現状保存するが、新校舎建設の支障となる部分は、記録保存(3Dデータによる保存を含む)を前提に、必要最小限の解体を行い、石材は保管することと、追加調査で発見された敷地南側及び北側のラインの石垣の一部、南側敷地の石段の一部は、新校舎建設の支障となる多くの部分を記録保存し、取り除き、石材は保管すること。(2)の分析究理所建物に係る礎石及び雨落ち溝につきましては、遺構を現状のまま露出展示することは困難であり、現状保存が可能な部分は埋め戻すが、新校舎建設に伴い取り除かなければならない部分については、3D計測によって精度の高い記録をとり、礎石等は保管することとし、遺構に関しては、3Dデータをもとに適度に縮小したレプリカを作成し、体育館に併設する予定である展示室内での展示などを含め、効果的な見せ方について長崎大学と協議することを回答させていただきました。  資料20ページをお開きください。この回答に対しまして、9月30日付で長崎大学学長及び長崎大学医学部長の連名で、小島養生所遺構に関する長崎大学からの要望書に対する市側の回答を受けてといった文書が市長に提出されております。内容等としましては、長崎大学としては、分析究理所遺構保存の方針の最終決定は長崎市の専権事項であり、長崎市におかれましては、文化財としての価値あるいは長崎大学の要望のみならず、学校教育推進等の多様な観点から総合的に判断されるものと理解している。また、養生所遺構を含め今後の遺構保存・活用に関し、長崎大学として積極的に協力する意思に変更はないとのことでした。また、この文書において、長崎大学からは、下記に記載の2点について説明を求めると同時に、大学と協力できる機会を要望されております。このようなことから、10月11日に、9月30日において説明を求められた事項に対し、図面と資料をもとに説明を行っております。その長崎大学との協議結果の概要ですが、(1)分析究理所遺構の現地において見える形での保存ができないか要望があった。(2)遺構の保存、活用について、長崎市と長崎大学が協議する場を今後設けることについて確認したところでございます。  次に、12月5日に、長崎大学学長に対し、先ほどご説明しました資料の17ページの小島養生所における展示のイメージ図及び資料10ページから14ページの分析究理所等遺構を現地で見える形での方法の2案について説明を行いました。(1)の小島養生所遺構については、埋蔵文化財の最適な保存法とされる埋め戻しによる保存を基本としつつ、一部の遺構は露出展示することで、全て現状のまま保存することとしていること、(2)11月23日の文化庁等の現地調査による意見をもとに、石垣、石段、建物の礎石等をセットで移設し、見える形での保存活用を図ることとし、遺構を全てセットで移設する案と、残せるものは現地で埋め戻し保存し、その部分は複製を作成し、取り壊さないといけない部分とあわせて移設する案の2案について説明いたしました。なお、校舎内においては、床面等に遺構があった場所の表示を行うことも検討している旨もあわせて説明したところです。この説明内容について、同日の12月5日に、長崎大学学長から市長へ回答があっております。その内容は、1つ目が、9月30日の大学長名の文書で示した基本的な考え方については、現在においても変更はない、2つ目に、分析究理所等の遺構の取り扱いの2案については、市で判断願いたいとのことでありました。  資料21ページから28ページにかけましては、長崎大学からの要望書、長崎市の回答、長崎大学との協議結果の概要を添付しておりますのでご参照ください。  次に、地域からの要望等について説明いたします。  資料の29ページをお願いいたします。地域住民であります仁田佐古小学校校舎等建設計画地域懇話会から仁田佐古小学校新校舎の早期建設着工に関する要望書が、10月2日に長崎市長宛て提出されています。また、同様の要望書が長崎市議会議長にも提出されています。要望書の趣旨といたしましては、中段より下に記載していますとおり、子どもたちが夢を持って学べるよう遺構と学校の共存共栄を検討しつつ、予定どおり学校建設を進めてほしい。最後の段落ですが、平成31年4月を予定していたが、文化財発掘の関係で9カ月おくれ、平成32年1月の3学期開校を目指すとされているが、せめて6年生が新しい校舎で卒業式を迎えることができるよう、早急な新校舎建設の着手についてお願いしたいとされております。  次に、32ページをお願いいたします。これは地域懇話会の委員である仁田佐古小学校PTA会長において、校舎建設に係る事案についての保護者の意見を確認したいとのことで、保護者を対象とした新校舎建設についてのアンケートを行ったものです。アンケートの実施に当たっては、33ページの第6回地域懇話会の主な内容と、先ほどご説明しました29ページの早期建設着工に関する要望書を添付して配付されております。その結果については、32ページ下段に記載のとおり、世帯数232のうち87.1%の202の世帯から提出があり、そのうち、計画どおり建設してほしいが157世帯、計画を見直し、旧佐古小で遺構を保存してほしいが14世帯、わからないが29世帯、未記入が2世帯あり、全体の8割近い77.7%の世帯が計画通り建設してほしいとの結果があったところです。  次に、34ページをお開きください。ここからは、その他団体からの要望等について、要望者、要望内容等とその回答について整理したものです。なお、各団体からの要望書及び市からの回答につきましては、別添の参考資料としてまとめておりますので、あわせてご参照ください。まず、平成29年2月3日に九州考古学会から、長崎市小島養生所跡・医学校跡の調査と保存に関する要望書が提出されております。要望内容等については、右欄に記載のとおり、遺構について、少なくとも学術的価値が確定するまで現状保存することほか3点でございます。これに対し、3月8日付で回答しております。1.周知の埋蔵文化財包蔵地である小島養生所跡については、遺構に影響がない形で適切な保存を行う。医学所、分析究理所等跡地については、遺跡は残存していない可能性が高いと判断している。ただし、既存校舎解体時及び新校舎建設時の工事施工部分については、学芸員の立ち会いのもと、慎重な掘削を行う予定である。2.小島養生所跡関連遺構の価値については、保護措置として、より規制が厳しい市指定文化財を目指すこととする。3.小島養生所跡の発掘調査結果については、調査の終了後、埋蔵文化財発掘調査報告書として刊行し、一般に公開する。4.保存については、体育館建設地において養生所遺構の一部について露出展示を行い、その他の遺構は、埋め戻し保存を行った上で、遺構に影響がない形で学校建設を進める。活用については、遺構と学校との併存を図る中で、学校教育や市民の学びの場、観光客の観覧に供することができる展示を検討する。次に、2月14日に養生所を考える会から、長崎市小島の養生所/(長崎)医学校の遺跡の調査と保存と活用に関する要望書が提出されております。要望内容等については、調査指導委員会の設置と、調査指導委員会のもとでの調査と保存計画の推進でございます。  また、同団体からは、36ページに記載しておりますが、2月20日にも、長崎市小島の養生所/(長崎)医学校の遺跡の土壌汚染にかかわる見解と要望について提出されております。この2つの要望書については、3月8日付で回答しております。回答内容としましては、九州考古学会の回答内容に加え、土壌汚染の調査については、法的な調査義務はないが、地元住民との協議会において、土壌汚染を危惧するご意見をいただいたので、どのような調査ができるのか、専門家の意見を聞いて検討したい旨の回答をしております。  恐れ入りますが、35ページにお戻りください。2月19日に日本医史学会及び洋学史学会から、長崎市旧佐古小学校校地の養生所遺跡群の調査と保存に関する要望書が提出されております。要望内容等については、校舎と体育館の解体工事を中止し、専門家による調査指導委員会を立ち上げ、その指導のもとでの調査解明ほか3点でございます。これに対し、3月15日に回答しております。回答内容としましては、1.小島養生所跡については、周知の埋蔵文化財包蔵地として遺構に影響がない形で適切な保存を行う。2.医学所、分析究理所等跡地については、遺跡は残存していない可能性が高いと判断している。ただし、既存校舎解体時及び新校舎建設時の工事施工部分については、学芸員の立ち会いのもと、慎重な掘削を行う予定である。3.工事の影響が及ぶ敷地周囲の石垣についても調査を行う。4.小島養生所跡関連遺構の価値については、保護措置として、より規制が厳しい市指定文化財を目指すこととしている。5.保存については、体育館建設地において養生所遺構の一部について露出展示を行い、その他の遺構は、埋め戻し保存を行った上で、遺構に影響がない形で学校建設を進めるといった内容でございます。  続きまして、資料36ページをお願いいたします。一番下段でありますが、7月12日に長崎の自然と文化を守る会から、養生所・長崎医学校等遺跡の保全に関する公開質問が出されております。要望内容等については、養生所・長崎医学校等遺跡の歴史的価値の認識についてほか2点でございます。  これに対し、37ページになりますが、7月28日に回答しております。小島養生所跡は、長崎市の史跡に指定していること。旧校舎部分については、建物等の遺構ではないが、周囲の石垣の基礎部分が一部発見されたため、その範囲も市の史跡に加え、指定範囲を拡大するなど、長崎市文化財審議会のご意見も踏まえて対応することとしていること。新校舎の建設場所の決定の経緯や、学校建設に当たっては、体育館建設地において養生所の遺構の一部を露出展示し、その他の遺構は埋め戻し保存を行うこととしており、遺構展示のあり方については長崎大学と十分協議を行っていくことなどを回答しております。  次に、資料38ページをお願いします。8月16日付で先ほどと同じ団体から、養生所・長崎医学校等遺跡の保全と活用に関する要請が出されております。要望内容等については、緊急の要請として、旧佐古小学校跡地の敷地全体の学術調査と適宜に市民へ公開することほか2点と、活用方向の要請でございます。これに対し、8月30日に回答しております。発掘調査の成果については、長崎市文化財審議会や長崎市議会、また、地域の皆様にも、機会を捉えて報告したいこと。新校舎の建設場所の決定の経緯や外周道路の整備の必要性、仁田佐古間の道路拡幅計画、旧体育館敷地の範囲を市の史跡に指定する一方で、旧校舎や旧グラウンドを含む敷地全体について、周知の埋蔵文化財包蔵地として遺跡地図に登載し、開発等に際して発掘調査を行うなど、その保護に努めていることなどを回答しております。  次に、資料39ページをお願いします。9月15日に、長崎の自然と文化を守る会ほか2団体の連名により、養生所・長崎医学校等遺跡の保全と旧佐古小学校跡地への学校建設の中止を求める緊急要請が出されております。これに対しては、9月13日に同団体から陳情が出され、回答に加え、市の見解を述べております。  次に、資料40ページをお聞きください。9月27日に、くらしと地域を考える長崎市民の会から市政に対する緊急申し入れがあっております。要望内容等については、小島養生所等遺跡の全面調査と保全に転換することとして、8項目が出されております。これに対し、10月27日に回答しております。全面的な発掘調査を行った。その調査結果については、今後、機会を捉えて公開したいこと。新校舎の建設場所の決定の経緯や外周道路の整備の必要性、文化財保護と学校建設を教育行政として両立させるためにも、出土した遺構は精いっぱいの保存に努めてまいりたいなどを回答しております。  次に、41ページの下段でございますが、10月25日付で長崎大学薬学部及び薬学部同窓会の連名で、分析窮理所遺構の調査、保存、活用についての要望書が出されております。なお、薬学部においては、10月11日に長崎大学と協議した分析究理所遺構の現地において見える形での保存ができないかの要望と、分析究理所及び小島養生所に関する資料を充実した展示室の整備等を要望されておりますので、市長の意見書の内容で回答したいと考えております。  42ページには、12月1日付で九州考古学会から、12月4日付では日本薬史学会から、12月8日付では学校法人順天堂及び順天堂大学、順天堂大学医学部、日本医史学会の連名により、それぞれ要望書が出されております。さらには、12月12日付で、日本医師会、長崎県医師会、長崎大学医学部の連名により要望書が出されております。これは、昨日夕方に、団体から長崎市内の事務局にデータで届いたものを事務局の方により文化財課に昨日届けられたものです。これらについては、現時点でまだ回答できていない状況です。  次に、資料43ページをお願いいたします。11月6日付で養生所等遺跡の完全保存を実現する市民の会から、長崎市の不実記載文書の回覧要請に抗議し撤回を求める文書が出されました。これは45ページに添付しておりますが、平成29年10月に施設課長ほか5課の連名で仁田佐古小学校区の住民宛てに、9月29日に開催した仁田佐古小学校校舎等建設計画地域懇話会の主な協議内容をお知らせするための回覧文書に対する抗議文でございます。この抗議文については、資料48ページに添付しておりますように、11月17日付で回答しております。また、同団体は、11月22日に住民投票条例制定に向けた署名期間中、市が学校建設を推進する趣旨の文書を地元住民に回覧させた行為は地方自治法が定める署名運動妨害などに当たるとして、市長と関係課長6名の告訴状を長崎地方検察庁に提出しております。  私からの説明は以上でございます。引き続き住民投票条例の資料について文化財課長が説明しますのでよろしくお願いいたします。 109 ◯大賀文化財課長 引き続き、もう一方の薄めの資料になりますけど、教育厚生委員会提出資料に基づきまして、住民投票条例に対する考え方などについてご説明させていただきます。  資料の1ページをお開きください。まず、1.住民投票条例制定の直接請求についてのうち、(1)請求代表者につきましては記載のとおりでございます。次に、(2)請求の要旨でございますが、最初のア.請求の趣旨は、旧長崎市立佐古小学校敷地に存する小島養生所等の遺跡について、完全な調査と保存を行い、開発行為である学校建設工事と外周道路拡幅建設工事を行わないことに対する賛否を問う住民投票を実施するための条例の制定を求めるものであります。その下、イ.請求の理由といたしましては、まず、(ア)長崎市が旧長崎市立佐古小学校地に長崎市立仁田佐古小学校を建設する決定をしたことは承知しているとして、その過程において、遺跡や新たに明らかになる学校建設にかかわる種々の事象の完全な調査を実施せず、また完了しないまま学校建設ありきで進んできたことは事実であること、また、(イ)長崎市は、旧佐古小学校地に両校の合併後の校舎を建てることを決定した後に、当地の発掘調査を発動し養生所・分析究理所・明治期の遺構・異物が発見され、一帯が養生所等の遺跡であることが長崎市民に認識されたこと、さらに、(ウ)前オランダ・ライデン大学教授ハルメン・ボイケルス氏はこの遺跡は出島と同等の価値があると評価していることや、(エ)この旧佐古小学校地を全面的に学術調査して遺跡の価値を明らかにし、敷地内と外周道路、遺跡の基盤である土地の造形において一部でも損壊や損耗のない保存を行い、長崎市と長崎市民の象徴とし、学校を旧仁田小に建設することが挙げられております。なお、参考として、ページ下段から2ページにかけまして、住民投票手続に関するこれまでの主な経過を掲載しておりますのでご参照ください。  続いて、資料の3ページをごらんください。2.請求に対する考えについてでございますが、(1)に記載のとおり、本条例の制定については反対とさせていただきます。その理由は、大きく2点ございます。1点目は、アに記載のとおり、小島養生所等遺跡については、旧佐古小学校敷地における全面的な発掘調査を終えており、遺跡の保存と学校建設の両立を目指す方針であるためであります。まず、(ア)旧佐古小学校の体育館側敷地の小島養生所及び校舎・グラウンド側敷地における分析究理所等におきましては、平成29年9月末までに全面的な発掘調査を終え、残存遺構は全て検出しています。また、(イ)小島養生所の遺構については、体育館側敷地において建物の基礎である石垣や玉砂利などが比較的良好な状態で残っているため、必要な設計変更を行った上で、埋蔵文化財の最適な保存方法とされる埋め戻しによる保存を基本としつつ、一部は露出展示することで、全て現状のまま保存することとしております。一方、(ウ)分析究理所等の遺構につきましては、校舎・グラウンド側敷地において、過去の土地掘削などにより、既に大きく破壊されていること、また、老朽化が進んでいる仁田佐古小学校の現在の校舎は、耐震化もしておらず、新校舎を早期に建設する必要があることから、埋め戻しにより現状のまま保存することを基本としながら、新校舎建設の支障となる部分は、精度の高い記録をとった上で移設することとしております。また、移設する部分については、埋め戻した部分の複製とあわせて、元の姿をほうふつさせるように敷地内で再現し、保存・活用を図るよう工夫することとしております。理由の2点目は、ページ下段のイに記載のとおり、旧佐古小学校敷地における学校建設工事と外周道路拡幅建設工事は行うこととするためであります。まず、(ア)でございますが、長崎市は、3つの敷地に分割されている旧仁田小学校よりも、敷地がまとまっている旧佐古小学校跡地のほうが、子どもたちにとってよりよい教育環境を整備することができるものと判断し、新校舎建設の適地を旧佐古小学校跡地に決定しており、この結論に至るまでには、地元住民と6年間にも及ぶ長い時間をかけて協議を重ねてきた経緯があります。また、(イ)でございますが、地域や保護者からは、子どもたちが安全安心な学校生活を送れるよう1日も早い新校舎建設を求められておりますが、仮に、分析究理所等の遺構を一部でも取り除かず、全て現状のまま保存することとした場合、現在の建設計画を変更する必要があり、新校舎の供用開始は現在の計画より2年程度おくれ、子どもたちは、老朽化し、耐震化もしていない現在の仁田佐古小学校の校舎を、さらに長い期間使用しなければならないことになります。  さらに、4ページをお開きください。(ウ)でございますが、旧佐古小学校の外周道路は、道路幅員が狭く、車両が進入できないことから、日常の買い物や通院、介護などに不便を来しているとともに、緊急時における救急搬送や消防活動などにも支障を来しており、学校建設を契機に地域の防災性・安全性の向上や地域のまちづくりの観点から、旧佐古小学校用地を活用し、緊急車両などが通行できる周回道路を整備する必要があると考えております。  続いて、(2)請求の要旨に対する考えについてご説明いたします。まず、ア.請求本文(請求の理由)でございますが、表の左側、請求の概要欄、1つ目の黒丸には、学校建設を決定した過程において、遺跡や新たに明らかになる種々の事象の完全な調査を実施せず、また完了しないまま進んできたとの記載、また、2つ目には、長崎市は、旧佐古小学校地に校舎を建てることを決定した後に、発掘調査を発動し、遺構・異物が発見され、一帯が養生所等の遺跡であることが長崎市民に認識されたとの記載がございます。これらに対する市の考えといたしましては、表の右側になりますが、1つ目に、長崎市は十分な歴史認識のもとに埋蔵文化財の発掘調査を行い、旧佐古小学校敷地における遺構の全容が明らかになったこと、2つ目に、発掘調査で遺構が一部確認されたことを受け、これを周知し、保護措置を図る観点から、旧佐古小学校敷地を文化財保護法に基づく周知の埋蔵文化財包蔵地とし、また、小島養生所に関する遺構が残る体育館側敷地については、市の指定史跡として、保存・継承を図ることとしたこと、3つ目に、発掘調査終了後、仁田佐古小学校PTAが実施した新校舎建設に係るアンケート調査において、保護者全体の9割近い方々から回答を得ており、そのうち8割近くが現在の計画どおりの学校建設を望んでいることから、遺跡の保存と学校建設の両立を目指す必要性を改めて感じたことを挙げております。  5ページをごらんください。左側、請求の概要には、前オランダ・ライデン大学教授ハルメン・ボイケルス氏は、この遺跡は出島と同等の価値があると評価しているとの記載がございます。これに対する市の考えといたしましては、表の右側、1つ目に、小島養生所等が歴史上果たした役割は大きいものの、残存遺構は少なく、保存状態もよくない状況であり、建物等を正確に復元できるような遺構も検出されていないこと、2つ目に、特に、分析究理所等に関する残存遺構はわずかで、大きく破壊されており、遺跡を象徴するような遺物も残っていないこと、また、3つ目に、遺構の残存状況がよくないことは、文化庁との協議でも指摘されており、保存状態から見た評価において、国指定の史跡には至らないとの見解を得ていることを挙げております。  6ページをお開きください。左側、請求の概要には、この旧佐古小学校地を全面的に学術調査して遺跡の価値を明らかにすること、また、敷地内と外周道路、土地の造形において一部でも損壊や損耗のない保存を行うこと、さらに、学校を旧仁田小に建設することとの記載がございます。これらに対する市の考えといたしましては、表の右側、まず、遺構の取り扱いについての1つ目に、新校舎の建設に当たり、敷地の全面的な発掘調査を終え、残存遺構は全て検出していること、2つ目に、体育館側敷地に比較的良好な状態で残る小島養生所に関する遺構については、埋蔵文化財の最適な保存方法とされる埋め戻しによる保存を基本としつつ、一部の遺構は体育館に併設する展示室で露出展示することで、全て現状のまま保存し、また、展示室においては、分析究理所や医学所を含め、その歴史と価値を伝える資料なども展示する予定としていること、3つ目、校舎・グラウンド側敷地に残る分析究理所等の遺構については、埋め戻しにより現状のまま保存することを基本としながら、新校舎建設に支障となる部分は、精度の高い記録をとった上で移設することとし、移設する部分については、埋め戻した部分の複製とあわせて、元の姿をほうふつさせるように敷地内で再現し、保存・活用を図るよう工夫することを挙げております。また、学校建設については、その下、4つ目の黒丸に記載のとおり、長崎市は、3つの敷地に分割されている旧仁田小学校よりも、敷地がまとまっている旧佐古小学校跡地のほうが、子どもたちにとってよりよい教育環境が整備できると判断し、新校舎建設の適地に決定したこと、さらに、その下、旧佐古小学校の外周道路については、道路幅員が狭く、車両が進入できないため、学校建設を契機に地域の防災性・安全性の向上や地域のまちづくりの観点から、旧佐古小学校用地を活用し、緊急車両などが通行できる周回道路を整備する必要があることを挙げております。  7ページをごらんください。左側、請求の概要には、旧佐古小学校地、現代の日本の全ての西洋医学の基盤となる日本で唯一の近代西洋医学の発祥にかかわる遺跡として残す賛否を問う住民投票を実施するための条例を請求するとの記載がございます。これに対する市の考えといたしましては、右側に記載のとおり、長崎市はさまざまな検討を行った上で遺跡の保存と学校建設の両立を目指すこととしており、学校建設を行わずに旧佐古小学校地を遺跡として残すことは考えていないことを挙げております。  続いて、(3)本条例に対する考えについてご説明いたします。1点目は、ア.第1条(目的)でありますが、表の左側、条項の内容に、長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存について、住民の意思を確認する旨の規定が設けられております。この規定に対する考えといたしましては、表の右側に記載のとおり、発掘調査により検出した遺構の残存状況やこれまでのさまざまな検討の経過を踏まえ、遺跡の保存と学校建設の両立を目指すこととしております。2点目は、イ.第2条(住民投票)でございますが、条項の内容としましては、住民の意思を確認するための選択肢として、(1)及び(2)に記載のとおり、単に旧佐古小学校の養生所等遺跡を完全保存することについて、賛成または反対とする規定が設けられております。この規定に対する考えといたしましては、表の右側、1つ目に、請求の趣旨では、完全な調査と保存を行い、当該遺跡地における開発行為である学校建設工事と外周道路拡幅建設工事を行わないことに対する賛否を問うとしながら、請求の理由では、学校を旧仁田小に建設し、旧佐古小学校地、現代の日本の全ての西洋医学の基盤となる日本で唯一の近代西洋医学の発祥にかかわる遺跡として残す賛否を問うとされており、新校舎を旧仁田小学校跡地に建設することが選択肢に入っておらず、請求の趣旨、請求の理由及び住民投票の選択肢が一致していないため、この選択肢では住民の意思が正確に反映されないこと、また、2つ目に、長崎市は、遺跡の保存と学校建設の両立に取り組む方針であることから、その選択肢は、単に遺跡の完全保存についての賛否を問うものではなく、学校建設についても考慮し、養生所等遺跡の完全保存と学校建設の中止に賛成と、養生所等遺跡の保存と学校建設の両立に賛成とすべきであるとしております。  資料の8ページをお開きください。次に、ウ.第15条(投票結果の取扱い)につきまして、市長及び市議会は、住民投票の結果を尊重する旨の規定が設けられておりますが、この規定に対する考えといたしましては、住民投票を、小島養生所等遺跡の完全保存について、住民の意思を確認することを目的として行う以上、一定の投票率と得票率を満たさなければ、正確な住民の意思が反映されたとは言えないとし、住民の意思を適切に評価するための投票率と得票率の規定を設けることは必須の要件であるとしております。  続いて、9ページをごらんください。(4)総括でございますが、これまでご説明いたしましたように、まず、1つ目、新校舎建設に伴う埋蔵文化財の全面的な発掘調査は既に終えており、また、遺構の残存状況がよくないことは文化庁との協議においても指摘されていますが、小島養生所等が近代西洋医学発祥の地として歴史上果たした役割は大きいことから、発掘調査で検出された遺構については、適切な方法により保存と活用を図ること。2つ目、体育館側敷地に残る小島養生所の遺構については、埋蔵文化財の最適な保存方法とされる埋め戻しによる保存を基本としつつ、一部の遺構は露出展示し、その歴史的価値を伝えられるよう、全て現状のまま保存すること。3つ目、校舎・グラウンド側敷地に残る分析究理所等の遺構については、埋め戻しにより現状のまま保存することを基本としながら、新校舎建設の支障となる部分は、精度の高い記録をとった上で移設することとし、移設する部分については、埋め戻した部分の複製とあわせて、元の姿をほうふつさせるように敷地内で再現し、保存・活用を図るよう工夫すること。4つ目、旧佐古小学校と旧仁田小学校の統廃合後の学校建設は、現在使用している仁田佐古小学校の校舎の老朽化が進んでおり、耐震化もしていないため、子どもたちの安全安心な教育環境を早期に整備する必要があり、先延ばしできない重要な課題であること。5つ目、新校舎の建設については、地元住民と長い時間をかけて協議を重ね、子どもたちにとってよりよい教育環境を整備することができるとの判断から、旧佐古小学校跡地を適地として決定した経緯があること。6つ目、遺跡の保存と学校建設はどちらも重要な課題であるため、長崎市は、旧佐古小学校跡地において、小島養生所等の遺跡の保存と学校建設の両立を目指すこと。最後に、7つ目、学校建設に当たっては、体育館に展示室を併設し、小島養生所等に関する遺構や遺物、資料などを展示するとともに、これらの貴重な情報を発信し、その歴史と価値を伝えながら、遺跡の保存・継承を図っていくこととしております。このような経過及び状況を踏まえ、総合的に判断いたしますと、遺跡の保存と学校建設の両立を目指すことが最善の選択であり、また、新校舎建設については、今日までのさまざまな検討の経過を踏まえて決定すべきであることから、今回の住民投票条例は制定すべきでないと考えております。  なお、参考資料として、10ページから12ページの上段にかけまして、仁田佐古小学校新校舎建設場所の決定に至った経緯を、また、12ページの途中から16ページにかけまして、小島養生所等遺構に係る保存活用方針の決定に至った経緯を、それぞれ掲載しておりますのでご参照ください。  大変長くなりましたが、説明は以上でございます。 110 ◯馬場尚之委員長 暫時休憩します。           =休憩 午後3時56分=           =再開 午後4時8分= 111 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  これより質疑に入ります。 112 ◯吉原 孝委員 二、三点お尋ねしたいと思います。  まず第1点は、私きょう参考人の方にお尋ねをしたんですが、高橋参考人はこれまで子どもたちとのかかわりの中、それと学校とのかかわりの中で中学校のPTA会長もされたし、育成協の会長もされたと。育成協というのは、ご存じのように民生委員とかその地域のいろんな団体で構成されて子どもたちの健全育成を図ろうとするのが育成協の役割。その会長をされた、そういう方が、全くこの統廃合に関して情報提供もなかったと言われたし、そういう意味で私はちょっと不思議でならない面があるんですよね。したがって、最終的には2つの地区の連合自治会を含めて、自治会長連名で佐古小学校跡に仁田佐古小学校を建設するという要望書が出たということなんですが、その間の地域住民の合意形成について、今、言ったように、地域である一定の見識もあられる方々にそういう情報が行かなかったということ自体がどうなのかなという、私はそういう疑念があるんですが、そのあたりのこれまでの地域の合意形成についての取り組みについてご説明いただきたい。 113 ◯岩永施設課長 まず、今の条例の本体の委員会資料の10ページをごらんいただきたいと思うんですけれども。10ページに、先ほど文化財課長が説明しましたけれども、参考資料といたしまして、仁田佐古小学校新校舎の建設場所の決定に至った経緯といったものがございます。まずこれのアのところです。一番上段の表にございますように、平成22年2月から平成25年6月まで、いわゆる統廃合に係る合意形成までの説明会と書いておりまして、地元自治会、PTA関係者など、あと両校の保護者、連合自治会関係も、さまざまな機会を捉えて、まず合意形成に至るまでの地元説明会を開催しております。その後、平成25年6月の一番最後の合同説明会において、統合を前提とした意見交換の場の設置について了承されたと書かれておりまして、次の下の段、イの地域懇話会、統廃合検討協議会、作業部会等での協議の欄に記載のとおり、平成25年8月から、まず2回ほど地域懇話会というのを開催して、そこで2回目の地域懇話会の欄に記載のとおり、統合に係る具体的に協議する場として、協議会を立ち上げてはどうかという結論に至ったと。その後、平成26年3月から統廃合検討協議会というのを設置して、具体的な建設場所の候補について協議がなされたということでございます。  先ほど、高橋参考人が申されておりましたけれども、私どもといたしましては、この平成22年2月から平成25年6月までの合意形成までの説明会において、これはもちろん任意ですので、市のほうで地元説明会を数回にわたって開催しておりますし、この平成26年3月に第1回目の統廃合検討協議会、これが自治会、PTA、育成協等で組織される、委員18名でなされる協議会を設置しておりますけれども、この時点では高橋参考人は、その当時はそういった連合自治会、自治会関係という役職ではなかったので、まず協議会には入ってなかったのではないかと思われます。  ですから、この合意形成までの約3年にわたる意見交換会、保護者説明会等の中では、一応統廃合に向けた説明会を実施していると認識しております。  以上でございます。
    114 ◯吉原 孝委員 先ほどちょっと参考人の話にもありましたけれども、育成協の会長をやめられた経緯もいろいろあったような、そういうニュアンスの話もあったんで、そういうこともあったんじゃないかなと思うんですが。しかし、やはり何度も申し上げるように、育成協の会長というのは、その地域の中での果たす役割というのは、私は非常に大きいと思うんですよね。そして、地域の考え方を代言する1つの大きな要素を持った方だったと思うんです。だから、そういう方が、今回そういう形の中で非常に大事な役割を果たされなかったと。というのが、今回のこの建設促進の中心の役割を果たしているのは、現在の育成協の会長なんです。大浦中学校区育成協の会長が中心になって、それぞれの連合自治会、PTAを束ねて、そして推進をするという形の、要望書の代表となってされている。しかも、その前の会長だということで、私がそういう認識を持っとったもんですから、おかしいなということでお尋ねをしたんですが、今ご説明があったことで一応了としておきたいと思います。  それともう1点は、先ほど来、私が一番気になったのは、参考人の方が遺跡の発掘の場面で、非常に荒っぽい遺跡の発掘をしとったと。重機を入れたような、そういう発言があったんじゃないかなという気がするんです。本来、貴重な遺跡であるなら、もうそれこそはけで、これはもうそれぞれ違うかもしれません、しかしそのくらい貴重な遺跡ということであるなら、発掘の仕方も非常に丁寧にやらなければいけない。ところが、そうでないような証言が、私はあったんじゃないかなという気がします。そこちょっと疑義を感じたんですが、その点についてと、それから、これまでるる全体発掘が終わったというような、そういう説明があったと思うんですが、参考人の方は、まだまだ終わっていないという認識を持って、先ほど来何回もおっしゃって、それを全部やるにはまた数年かかるんじゃないかというぐらいのお話だったんですが、その点についてご説明いただきたい。 115 ◯大賀文化財課長 まず、遺跡の発掘のやり方につきましてでございますが、実際、発掘は、場所によっては2メートルを超えるような、地山に当たるまで掘りますので、はっきり言いますと人力では不可能でございます。ですから、そういうところは重機を入れながらやっていきますけど、実際先ほど言われましたようなはけで磨くような、そういうふうな作業もやっております。職員も入れてやっておりまして、そういうそれぞれ役割を持ちながら発掘作業をしているということであります。あと、この発掘調査自体は、実際この契約議案の部分で9月14日に審査をいただきまして、このときに文化財審議会から追加調査といいますか、そういう要請があったということで、会長の下川参考人のほうも、そのときお話をされまして、それに伴いまして発掘したところがまた新たな遺構が出てきたということでございます。これを実際に見ていただいて、もうこのときには9月28日に文化財審議会を開きましたけど、文化財審議会としても、これでもう遺構の発掘は全容がわかったという結論を出していただいておりますので、そういうことからも、私たちはもう全面的な発掘調査は既に終了していると捉えております。  以上です。 116 ◯吉原 孝委員 理解いたしたいと思います。  それから、さきの陳情の折、元ライデン大学の先生で、現在長崎大学の先生をされているハルメン・ボイケルス先生がおいでになりまして、それが今回のいろいろ要望活動の中で陳述されたんですが、今回もお名前を出して、請求の要旨の中に、遺跡は出島と同等の価値があると、評価しているという文言があるんですが、そういう意味で、日本で唯一の近代西洋医学の発祥にかかわる遺跡だという、そういう評価ではないかと思うんですが、これをやはり客観的判断ができる、それはある意味、文化財審議会とか文部科学省の担当が、私は、先ほど来ほかの資料にも、全国の同じような遺跡についての保存状況の中で報告があっておりますけれども、このあたりの、今言ったいわゆる客観的なそういうふうな遺跡の価値に対する判断はどうなったのか、ちょっとお尋ねしたい。 117 ◯股張文化観光部長 今回のこの遺跡に関する客観的な判断ということでございます。資料のほうでも1つご説明いたしましたけれども、まず文化庁への報告、協議ということで、上京してやった部分と、実際11月23日の日に文化庁の方に来ていただきました。あわせて専門家の方も同席する中で、今回の判断といたしましては、発掘調査によって検出された残存遺構、これは全体を見たときこれは少ないというところと、やはり保存状況、これも特に分析究理所近辺はよくない状況であるというところです。そういった中で、失われたこの建物、こういったものを復元できるような遺構というのは、なかなかこれも検出されてないという状況が1つ。特に、先ほど申しました分析究理所、ここについては、過去の土地掘削によりまして大きく破壊と申しますか、壊されているという状況があるというところから、遺物自体がこの国指定史跡になる場合に、遺物というのは大事でございますけれども、こういったものも残っていないというところから、文化庁等々のこういった判断も踏まえながら、今回はそのような判断をしていると。現状でこういった保存の仕方、あるいは活用の仕方というところで考えているところでございます。  以上でございます。 118 ◯吉原 孝委員 それと今回この住民投票条例の1つの要素として、佐古小学校跡に仁田佐古小学校を建設すべきじゃないと。旧仁田小学校につくるべきだということでの資料も添付して、しかも図面も描かれて提出されておりますが、この問題で、先ほどの陳述の中では、仁田小学校のほうがむしろ旧佐古小学校よりも利便性もあるし、いいんじゃないかというような内容になっていたんじゃないかという、そういう陳述じゃなかったかなと思うんですが、このあたりの考え方、一部市長の意見書の中にもありますけれども、もうちょっと詳しくその経過も含めてお話いただければ。 119 ◯岩永施設課長 統廃合検討協議会の中でも、この建設場所の配置案ということで、市のほうでまず案をお示しいたしまして、さまざまな議論をいただいております。案といたしましては、仁田小学校は敷地での建て替え案が4案ございまして、佐古小学校敷地での建て替え案が1案ということで、5案をお示ししたところでございます。  その中の1つに、本日配付されておりますこの仁田小学校敷地での建て替え案と、今のいわゆる校舎側にグラウンド、運動場。今の運動場側に校舎というこの配置の案につきましても検討して提示しております。そういった中で、もちろんこのきょう出されている資料のような、この建物内の配置とかまでには至っておりませんけれども、この基本的な配置の案ということでお示しはしたところです。その中で、やはりまず運動場とか校舎、体育館を確保できる面積がどうなのかとか、あと、いろんな動線の問題、あとバリアフリーの問題、それから学校運営上、やはり子どもたちが校舎から運動場に見渡せる場所にあるのかとか、そういった学校運営上の問題、さまざまな議論を経まして、最終的に敷地がまとまっている旧佐古小跡地のほうが望ましいのではないかといった、いわゆる将来の子どもたちの教育環境を考えたときに、佐古小学校跡地のほうが望ましいのではないか、適地ではないのかといった結論に至ったものでございます。  以上です。 120 ◯吉原 孝委員 その折、きょう示されている小学校の建設場所についての簡易アセスメントという形で出されていますが、これでは、いかに旧仁田小学校跡地のほうが有利かというような説明になっているんじゃないかという気がするんですが、こういう資料というのは、その当時は出なかったんですか。 121 ◯岩永施設課長 こういった校地の広さとか配置の容易さ、アクセス、このあたりにつきましては、メリット、デメリットの中でもお示しいたしまして、るる議論をいただいたところです。なお、参考までに、協議の中では、当然ながら仁田小学校跡地のほうが、こういった交通面も含めて望ましいといったようなご意見もいただいております。例えば、仁田小学校は児童数が多いし、交通面でも非常によいと。そういった救急車などの緊急車両等も入ると。特にそういった部分では問題がないと。ただ、星取とか八景町とかの生徒が佐古小学校に行くのに比べると遠くなるといったデメリットもあるよとか、そういった仁田小学校を主張するご意見も当然ながら出ております。そういった中で、一方では佐古小学校の議論といたしましては、やはりここは医学部の前身でもあるといったご意見もありますし、そこに学校を建てることで、やはり向学意欲を高めることができるといった、子どもたちにとってもメリットがあるんではないかといったような議論もありますので、そういった、るるいろんなさまざまな議論を経て、会としては最終的には佐古小学校跡地になったといった議論がなされております。  以上です。 122 ◯小田教育総務部長 施設課長の答弁にちょっと補足させていただきたいと思いますけれども、学校を運営していくときに、文部科学省が今、施設整備方針というのを定めていますけれども、この中でやはり、防災計画の中で、死角がないとか、やはり運動場は校舎から職員室等から子どもたちをすぐ見れるような見通しがいいところがいいとか、あと動線、そういった部分に対応できるような配置を考えることが重要であるというものが、やはりこういったものも示されておりますので、そういった中で今の佐古小学校のほうが、運動場と校舎のほうが一体化されている部分がベストじゃないかという部分が考えられると思います。  以上でございます。 123 ◯向山宗子委員 今の関連でちょっと質問させていただきます。  きょう、参考人の方々が6年間の検討の中で、本当に最初から佐古小ありきで誘導してそういう意見になったんだと。地元の住民の意見ではないんだみたいなことを言われたのが、とても強調されておりましたけれども、今の答弁を聞いておりますと、仁田小4案、そして佐古小1案、そして議論を尽くしてそれぞれのメリット、デメリットもお示しした上で議論が行われたと受けとっていいんでしょうか。  最後、部長の、例えば見渡しができることがいいんだよみたいな、そういう誘導じゃないですけど、そういうことはなかったんですよね。 124 ◯小田教育総務部長 今のご質問ですけれども、施設課長もご答弁しましたけれども、資料で言えば11ページですけれども、平成26年度第3回からそういう議論が出まして、今、向山委員が言われるように、それぞれの案を示して、極端に言えば屋上にグラウンドをつくることまでを考えた部分とか、そういった部分までお示ししながら議論した経過があります。  以上でございます。 125 ◯大石史生委員 関連です。るる先ほどから、ありきの話とかいろいろありましたけれども、市の内部で一定協議をして、そっちのほうがいいとかいう、仁田がいいか佐古がいいかという方針を先に決めて入っていったとか、また、話し合いの中で決まっていったのかとか、そこら辺をちょっと明確にしていただきたいと思うんですけれども。 126 ◯岩永施設課長 先ほども参考人等々から、平成23年8月に市の内部の協議で決めたという、議事録を見ながら、そういうお話がございました。これは確かに、平成23年8月に第1回長崎市立小中学校適正配置検討会議といった会議、これは副市長が会長の会議でございます。このときは、いわゆる適正配置の検討をするに当たっての方針等々を決める場でございまして、この仁田佐古小学校の統廃合に関係する案件も、この会議で一定行政としての案をまず固めるために開いた協議でございまして、これから地元に入ってそういった方針、地元のほうの協議会で協議してもらうに当たっての行政の案をまず示す必要がございますので、その必要性から、まずこの内部の協議の場で市の案を決定して、それで地元のほうに持って入ったという流れでございますので、行政としましては、そのお示しするための案を内部で決定して入るというのは当然のことではないかと考えております。  以上でございます。 127 ◯大石史生委員 委員長、先ほど課長がお答えした部分の資料を、議事録を請求したいと思います。いかがでしょうか。 128 ◯馬場尚之委員長 ただいま資料請求がありましたけれども。  暫時休憩します。           =休憩 午後4時32分=           =再開 午後4時33分= 129 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  ただいま大石委員から資料請求があった件に関して、資料請求することに皆さんご異議ございませんか。     〔「異議なし」と言う者あり〕 130 ◯馬場尚之委員長 資料を請求いたします。  それでは、それ以外の件で質問がある方はどうぞ。 131 ◯梅原和喜委員 本日配っていただきました別添資料の4ページ、5ページ。これ、遺跡に関する国との協議経過ということで取りまとめていらっしゃいます。私も前段でその文化庁の見解等々も含めて参考人の方に質問したんですが、5ページのところに、文化庁による現地調査をしていますよということで記載をされておりまして、国から、県からということで、長崎大学からも1名参加されて現地を見られているということだったんですね。その結果も含めて、これは大学のほうにも報告されていると思うんですよ。  先ほど、相川参考人の話によると、断片的な報告しかないので、よく全体的にわからなかったんだよという話があったんですけれども、こういった文化庁から来られて現地調査したということは私は大変重要な取り組みだったと思うんですね。そのあたりの報告は、先ほど参考人の言葉の中に、いや断片的にしか知らないんだと。長崎大学から参加者が出ているんです。そのあたりは、報告のやり方についてはどうだったんでしょうかと思いまして、そのあたりの見解をお答えいただけますか。 132 ◯大賀文化財課長 まず、この現地調査のいきさつなんですけど、私どもも1回現地を見ていただきたいという要請はかねてからやっておったところだったんですけど、そういう中で実際にこの文化庁の担当調査官が見に来ていただけるということでございまして、そのときにせっかくならということで、その専門家の方も、これも人選もしていただいて入っていただいたところでございます。そういう中で、大学からもという話も出てまいりまして、そこで、これはもう大学側に人選をお願いして出席していただいたということであります。この現地を見た後に会議も実際したんですけど、そのときも積極的にいろいろ発言はしていただきました。ただ、その後にこの出席した方が大学のほうでどういうふうな情報のやりとりをされたのかというのは、そこまではちょっと把握してないんですけれども、そういう状況でございます。 133 ◯梅原和喜委員 これ大事な文化庁の方が来られて、現地を見られたということは、やはり長崎大学も出ているということは、あとはやはり報告、連絡、相談、このあたりをしっかりやっていなかったのが、やはりきょうの参考人から、断片的な情報しか知らないんですよって、それは私、残念だと思いました。  それから、小田部長にお尋ねしていいのか、実はきょうの資料の中の29ページに、仁田佐古小学校新校舎の早期建設着工に関する要望書ということで、17名の方がサインされておりまして、この文言の中で、最後の行になるんですけれども、平成31年4月を予定しておりましたがということで、平成32年1月の3学期開校を目指すと説明がされていますということだったんですが、対象とする子どもたちは多分保護者のアンケートもあって、学校、新校舎ができるんですよということで、児童の中には新しい校舎で勉強するんだという、やはりモチベーションを高く、夢を持って今も生活していると思うんですよ。これからすると、どんどん着工がおくれていますので、そのあたりの、いわゆる頑張るんだという明るい目標を持っていらっしゃる子どもたちに対して、進捗状況とかは丁寧に説明されているのかなと、その点をちょっと教えていただけますか。 134 ◯小田教育総務部長 梅原委員の今のご質問ですけれども、確かに今、子どもたちのほうから学校は大丈夫なのかというような、校長先生を通してお聞きしております。我々もそういった心配をかけないように、何らかの前に進めるような情報を、なるべく校長先生を通して提供できるように頑張っていきたいと思っています。確かに今、そういった声が子どもたちから上がっているのは事実でございます。  以上でございます。 135 ◯梅原和喜委員 長崎、少子高齢化で、やはり児童数が減ってきている状況です。長崎で生まれて長崎で育った子どもたちが、やはり新しい校舎で勉強するんだというモチベーションを高く持ってる児童がいると思いますので、そのあたりのケアを、しっかり今後もしていただきたいと思います。これは要望にさせていただきます。 136 ◯馬場尚之委員長 ほかにありませんか。  先ほど、大石委員の資料請求の分が来ましたので、まずそこを配らせていただきます。 137 ◯大石史生委員 今の資料に対しての、理事者の説明を求めたいと思います。  この中で、かなり重要なことがあると思うんですけれども、まず、主な内容のところの真ん中辺の黒丸のところに、「佐古小に新設校を設置する方がいい。仁田小跡地は、道路拡幅のための移転交渉の代替地や公共用地としても使える。」ということで提案されていますね。  それから、その下のほうになりますけれども、「例えば、仁田小の耐震補強は、H25年~H26の計画であるが、地元から耐震化工事を要望される可能性もある。二重投資にならないように一定整理しておく必要があるだろう。」と、こういう部分ですね。  あと、その裏のページになりますけれども、こういったさまざまな意見を受けて、先ほど吉田参考人が言いましたけれども、三藤副市長と括弧で書いてあるところの、「仁田小ではだめなのかという反対意見も想定して対応を考えておく必要がある。」と。その結果、「今後、地元へは、2つの案を提示したうえで、市としては第1案(佐古小に統合新設校を設置する)をもって地元との協議に臨むことで委員の了解を得た。」ということになってます。  これの今後の検討課題として、「統合校が、仁田小に建設できない理由の整理。」というふうにあるんですけれども、この市が平成23年度の8月19日の16時から17時の長崎市立小中学校適正配置検討会議において一定の方針を持って臨んでいって、仁田小案は4案あって、佐古小案が1案あって、そういう形で最終的な検討結果になったということに関しては、やはりありきじゃないのかなという話に聞こえるという参考人の方からの異議に関して非常に納得できると思うんですよ。  この部分に対して、合理的な説明がやはりできないと。これはもう本当、私の中では大変なことだと思っていますから、ぜひそこのところを答えていただけますか。 138 ◯馬場教育長 いろんな事業を進めるに当たりましては、地域にいろんな形で入るときには必ず長崎市がいろんな方面からいろんな条件を考慮するために他部局も入っていただきながら、方針として何が問題なのかというのを洗いざらいわかる範囲内で整理した中で、地域の中に入っていきます。  ただこれは、市の方針として案を決めるためのものであって、それを協議の中でありきで進めるというものではございません。各所属が所属だけの感覚で地域の中に説明に入るということは、今どの部局もしておりません。全ていろいろな部局からご意見を聞きながら、総合的に判断しながら、今、考えられるベストを考えながら案をつくって入りますが、いろんな協議をする中で方向性が変わることも、それもございます。  そういう中で、これは地域の中にお話に入るときに、具体的なさまざまな方面からの整理をした上で、特に問題はないのか、それをすることで案を示すことに問題はないのか、そういうものを皆さん考えながら、その時点での長崎市の方針案としてお示ししますが、先ほども申しましたとおり、それで決定をして引っ張っていくようなことではございません。  以上でございます。 139 ◯大石史生委員 でも三藤副市長が、仁田小ではだめなのかという反対意見も想定して対応を考えていく必要があると、こういうふうに言っているじゃないですか。これは佐古小にもうつくるからという前提のようにしか聞こえない。これについてはどう説明するんですか。 140 ◯小田教育総務部長 先ほど教育長もご答弁しましたけれども、今、我々この事業にかかわる適正配置推進計画の中でも今、地域に入っております。確かにその中でも今、違った意見をいただいて、例えば琴海地区におかれましても、形上小学校に案をお示ししましたが、まだちょっと待ってくださいとか、そういった中で尾戸小学校だけ先にとか、いろんな政策の中で案の中から変わる部分はあります。こういった場合においても、やはりそういった部分が出てくるものも想定しながら政策を決定していく部分だと思いますので、そういった形から違った意見の分も整理していく必要はあるかと思います。  以上でございます。 141 ◯大石史生委員 いや、違った意見で成立していっていないから、この議事録見たらなおさらおかしいと思うと思うんですよ。なぜ、要するに佐古に、6年間の協議を経て、今こういうふうに市民との摩擦が生まれるような状態になっているという、そういう部分が現実に住民投票条例の直接請求という議案になって出てきているわけじゃないですか。そうなれば、きょうの参考人の方たちが示した案にしてもいいんじゃないかという選択肢を、完全に否定しているじゃないですか。それに対して、地元の人たちだとかPTAの方たちだとか、こういう遺構が出てきましたから、じゃ別のところに行きましょうかというようなお話とかはされていないでしょう。どうですか。 142 ◯小田教育総務部長 仁田佐古小学校、先ほど施設課長もご説明いたしましたけれども、そういった協議会の中でやはり案が出たとき、そこの部分のいろんな分も含めて、それはお示ししております。この今回の遺構の件につきましても、それをご説明させていただきながら今の部分を進めさせていただいているところでございます。  以上でございます。 143 ◯大石史生委員 いやいや、今、聞いているのは、こういう反対意見が出ましたから、こういう対案も示されていますけれどもいかがですかという、そういう諮り方というのは地元の方にしているんですか。  長崎市の行う事業であって摩擦が生まれるのは、極力絶対避けていかないといけないと思うんですよ。そういうことを避けるんであれば、一定こういう住民投票が出てきているそういう人たちの気持ちと、その地域の方たちは早くに学校を整備してほしいという要望を上げているんで、佐古が絶対ということでは、私はないと思っているんですよ。  そういう意味じゃ、そこら辺の可能性も含めて、こういう遺構が出ていて、大学とかいろんな方たちからの要望も受けて、そういうこともありますからこうしましょうかという提案はできなかったのかと。そういうことを聞いているんです。 144 ◯小田教育総務部長 小島養生所の遺構の件でお話しさせていただきたいと思いますけれども、その部分はこの前の協議会の中でもお示しして、ご説明させていただいております。そのときにご意見をいただいたことが、そこに資料館を設けるのはいいけれども、子どもたちの動線を完全に分離してくださいとか、そういうご意見をいただいておりますので、そこは今の案をお示ししながら、当然、養生所の遺構の部分も大事ですよと、そういったことで併存で、我々ももともと佐古に決めるときも、そういった部分の医学部があって子どもたちが向学心を持って学べるといった部分もありましたので、そういった部分をご説明させていただきながら、そういったときにやはり動線の部分を考えてくださいとか、そういう具体的な案も協議会の中ではいただいているところでございます。  以上でございます。 145 ◯大石史生委員 だから、その協議会の中で、こういうふうに、この参考人の方たちは、新しい案かどうかというのはちょっとわからないですけれども、3つに分かれていたのを2つに分けて、案も提示しているわけですよね。こういう案もありますけれどもと、今、説明したのは、もう佐古との両立を目指すということでのご説明だったと思うんですけれども、これを協議会の中で、こういう案もありますけれどもいかがでしょうかということで諮ったことはありますかということをお聞きしているんですよ。 146 ◯岩永施設課長 先ほど私も説明いたしましたけれども、平成26年3月からの検討協議会の中でも、仁田小学校敷地での案が4案、佐古小学校の案が1案、その仁田小学校の4案の中に、これに近い、いわゆる今の校舎棟が建っているところをグラウンドに、今の運動場のところにこういった校舎の配置という案もお示ししながら検討してまいりました。  以上でございます。 147 ◯小田教育総務部長 先ほどの向山委員のご質問にも関連するんですけれども、平成26年に4案を我々も、先ほど言いましたように、屋上にグラウンドをつくるとか、そういった具体的なものを示しながらお話をしていますので、その時期は我々はもう過ぎたと考えています。  以上でございます。 148 ◯大石史生委員 過ぎたというのは、もう過ぎたからほかの人たちの意見は受けつけないという、そういう今、形で進んできているような流れがあるんじゃないですか。いや、これ過ぎたと言ってそういうふうになってしまったら、今、現にこうやって地域の方たちの摩擦として出てきているんですから。片方の声が消えることになれば、それこそ最後の最後までその地域との摩擦が生まれると思うんですよ。 149 ◯小田教育総務部長 平成26年にこういった協議をしていますけれども、このときには地域の方々もかなり考えてご判断されていると私どもも思いますので、そういった部分から今の案が出てきていると思います。  以上でございます。 150 ◯大石史生委員 だから、そういう部分に対して、また新しい事実が出てきたことに関して、さまざまな団体の方たちだとかこういう地域での運動も起こってきたんでしょう。そこに対して、じゃこれもう決まったことだから決めますよとなるのか、それとも、こういう運動がまた新しい展開として情勢が変わってきて起こってきていますということで、また再度諮っていくという姿勢を見せていくというのも、1つの行政のあり方じゃないのかなと私は思うんですけれども、その辺についての見解をお聞かせください。〔「議事進行」と言う者あり〕 151 ◯深堀義昭委員 これは今、議論をされている部分というのは、少なくとも内部の意思の形成の文書であって、これが決定された経緯が含まれているわけではないし、相対的に見た場合に、その線に沿うたものであるかどうかということについては、平成23年度の第1回、平成23年8月19日の時点では、これが優先するべきではないんですよ。少なくとも、市の当事者が合意形成をする流れの1つとしての、1つの会議であろうと思います。この今の審査の中では、なじまないと思いますので、一定大石委員においては整理をしていただいて、このことを含めた形の中で質疑討論をされたほうがいいんじゃないかと思います。議事進行です。諮ってください。 152 ◯馬場尚之委員長 ただいまの件について、現在の状況について今、話があっていますので、これは決める段階の話ということなんで、そこら辺を整理して再度質問をお願いいたします。 153 ◯大石史生委員 そしたら、1つ私はもうそこに関してものすごく疑義があると。三藤副市長が、仁田小ではだめなのかという強い反対意見も想定して、対応を考えていく必要があるというふうに、大体佐古小でもう決めていきましょうよという強い流れがここの中であったと思っております。それで、そこに関してはおかしいと言わざるを得ないと指摘しておきます。  それから次に、耐震工事の件です。平成22年から統廃合に向けての協議を進めていると思います。平成22年の当初予算の議会で、佐古小の耐震工事と佐古の体育館と仁田小の体育館の耐震工事がなされています。その額が大体1億7,000万円ですね。その何年か後には、佐古小はもう跡形もなくなっているんですよ。耐震工事、大体1億7,000万円ぐらいの予算が組まれていましたけれども、そういうふうなのは、やはりこの会議の中とかでも言っておかなければいけないと思うし、この資料の適正配置検討会議の中でも佐古は耐震工事をしたばっかりだということも言わないといけないと思うし、そこをとりあえずお答えいただけますか。 154 ◯岩永施設課長 まず、旧佐古小学校につきましては、耐震診断の結果、現況のIs値が0.3未満と。0.11から0.52というかなり危ない状況でございましたので、まずそのときの市の方針としましては、Is値が0.3未満の部分につきましては、早期に耐震補強をやるといったことから、まず旧佐古小学校につきましては、校舎、体育館とも、平成22年度に補強工事をいたしております。旧仁田小学校につきましても、まず体育館のほうが、これもまた0.07といったかなり低い数値だったものですから、これも平成22年度に補強工事をやっております。なお、校舎につきましては0.45と、これは当然ながら0.6未満ですので、これも当然ながら耐震補強をやる必要があるんですけれども、ほかの学校等も含めて、平成27年度までの年次計画を立ててやることにしておりましたが、この旧仁田小につきましては、こういった統廃合協議会の方向性も含めて、まだ耐震化を行っていないと、建て替え対象であるということから、補強工事をしていないといった状況でございます。  以上です。 155 ◯大石史生委員 そういう状況がありながら、市長の今回の住民投票の直接請求に対する意見としては、耐震工事をしていないからということを強調しているじゃないですか。平成25年から平成26年の計画であると、それができなかったのは長崎市の責任じゃないですか。違いますか。 156 ◯小田教育総務部長 最終的な学校の場所が、どちらかにまだ決まるか、決まらないかという時期だったと、それは思っています。ただその中で、今、佐古小学校跡地のほうに決めるということで、そこは確かに申しわけない部分がありますけれども、そういったことから今のところ我々としては学校建設を急ぎたいと考えています。  以上でございます。 157 ◯大石史生委員 いや、学校建設を急ぎたいのはわかるんですよ。保護者たちの意見も、みんなわかるんですよ。ただ、少ない財政の中で、今いろいろやりくりしていかないといけない中で、佐古小学校の耐震工事をするとか、この会議の前にもうしているという事実があるんじゃないですか。そういう部分は絶対加味していかないといけない部分だと思うんですよ。簡単に言えば、そのときに佐古小は耐震工事を1億7,000万円かけてやったと。だから、合理的に言えば佐古小学校に入ってもらって、仁田小をつくりかえたほうがいいよとか、そういう話は検討会の中ではされているんですか。 158 ◯馬場教育長 まず、耐震化の大きな方針といたしまして、大地震が起こって中国でも学校が崩壊したというのがありまして、国の方針としてIs値の0.3未満は、大規模な地震が来れば倒壊のおそれがあると。それは、例えば廃校の予定であったにしても、あした地震があったときは危ないので、早期にしなさいという大きな方針がございました。そういう中で、有利な国の補助もそのときはついておりまして、一般財源からの持ち出しはほとんどなかった状況の中で、国策として0.3未満を早期に耐震化しようということで、長崎市といたしましても、ほかの施設もそうなんですけれども、その後建て替えの予定があったにしても、0.3未満だけはとにかく急ごうということで一気にさせていただきました。特に、先ほど課長からありましたように、佐古小は0.11ということで、学校の中では非常に危ない状況でございました。そういう中では、統廃合の話ももちろんあった中でございますけれども、まずはそこに毎日通っている子どもたちの安全を確保するためには、Is値0.3未満は、平成22年度に早期にしましょうという大きな方針のもとでさせていただいたという経過でございます。  以上でございます。 159 ◯大石史生委員 1億7,000万円の金額が、一般財源から出ようが国から出ようが、私たち普通のあれに比べれば税金なんですよ。税金なんですね。そういう税金を使って、1億7,000万円の耐震工事をやって、それが何年か後には壊されるという状況は、かなりまずいと思うんですよ。そういうのは、この会議にも反映されていかなければいけないものだと私は思うし、さっき教育長が言いましたけれども、建て替えの予定があろうがなかろうが、しないといけないものはしないといけないと。でもそこには、一定その統廃合がある部分に関しては、その先も見据えてやっていかないといけないという方向性も、双方向やっていかないといけないと思うんですよ。  それは、本当に長崎市のミスだったと思うし、それからこの会議の中でもう1つ気になることがあるんです。校歌に養生所の必要性をうたわれているから十分に重要性は理解していると答弁で言っているんです。幾度となく言われます。これに対して、この会議の中ではそういう部分が全く出てこないんですよ。何でですか。 160 ◯岩永施設課長 この内部の検討会議、平成23年に行われておりますけれども、先ほどの校歌の話につきましては、実際に平成26年の3月に第1回目の地元の統廃合検討協議会を設置して、それ以降に地元のほうでも校歌の話であったり、そういったいわゆる旧佐古小学校、そういった校歌にもうたわれているといった意見が出されたのは、平成26年以降の話でございます。  以上でございます。 161 ◯大石史生委員 じゃ今のを言うと、平成26年のときに校歌にうたわれてあるということを初めて聞いて、市はその平成23年のときには、この遺構があるということは、一定その遺構の重要性とかがわかってなかったというふうな形にしか聞こえないと思うんですよね。ちょっとそこら辺、答えてもらっていいですか。 162 ◯大賀文化財課長 こちらに遺構がある、ないというのは、どこに埋蔵文化財があるという、そういう確証は当然なかったわけです。それぞれ学校が建っていたわけですから。そういう中で、ただ、その場所がそういうふうな歴史的な意味を持つ場所だということ自体は認識はあったということでございます。  以上です。 163 ◯大石史生委員 そういうのは、この間、仁田佐古の中で、協議していく中で強調されてお話をされているんでしょうか。 164 ◯岩永施設課長 この統廃合検討協議会の中では、その遺跡の話というのを、具体的にそこにある、なしという話は特には触れておりませんけれども、ただ地元の住民の方も、そういった校歌にもうたわれているし、そういった跡地は医療活動の前身でもあるといったことから、十分地域の中では認識されているということで議論を進めてきた経緯がございます。  以上でございます。 165 ◯大石史生委員 そこに対して、やはり長崎市も一定そういう認識が地元の方にあるというのがわかっているんであれば、それは先に調べておかなければならなかったんじゃないですか。 166 ◯岩永施設課長 そういった協議会の中で、そういった養生所の跡であるとか、医療活動の前身の場でもあるといったお話は十分認識しておりますけれども、実際に校舎が建っていた場所でもございますので、発掘調査をするというのはなかなか難しいといったことから、平成27年度以降に、まずできるところから試掘調査を始めていったという経過でございます。  以上でございます。
    167 ◯大石史生委員 この問題に関しては、やはり聞いても聞いても、なかなか納得できない部分がものすごく多いんです。  今度、さまざまな、いろんな団体からの要望が出ていますけれども、このことは市政始まって以来のことじゃないのかなというふうに質疑の中でも同僚議員が質問をしましたけれども、その部分に関してはお答えがなかったようなんですが、これは市政でこんなに要望だとか残してほしいだとか、いろんな学会だとかそういったところから寄せられたというのは初めてじゃないのかなと思うんですけれども、そこはどうですか。 168 ◯大賀文化財課長 この短期間にこれだけの要望が出るという経験は、恐らく今までなかったんじゃないかなと思いますけれども、それはそれでしっかり受けとめて、返していきたいと考えております。  以上です。 169 ◯大石史生委員 市政始まって以来のことだと思いますのでということだったので、そうだったら重く受けとめて行動すべきだと私は思います。  それから、今回、先ほど説明の中で、一番最後に触れられたと思うんですけれども、直接請求の署名を集める期間に回覧文書を配ったと。これは今、訴えられているような状況になっているわけです。これが今、きょうの参考人の方たちは、衆議院議員の選挙が重なって実質2週間で1万5,000筆を超える署名を集めてきているんですよ。その2週間の間に、行政がそういう相反するような中身の文書を地域の自治体に回覧してくださいという文書を配るということは、一般常識的、また社会道徳上、これはおかしいと思いますよ。だって、届いたらもうすぐ見て、署名するのに実際相反する意見のようなものが添付されていたりするもんですから、その時期にまくというのは、これは配慮しないといけないことじゃないですか。そこら辺ちょっと答えてもらえますか。 170 ◯深堀義昭委員 係争中の問題に答弁する必要はない。これは司法に任せるべきであって、訴えられているわけだから。ここで見解を述べる、あなたは弁護人か何かの資格を持っているのか。 171 ◯馬場尚之委員長 ただいま深堀委員からありましたように、この中身については係争中ということですので、それ以外のことについて質問をお願いいたします。 172 ◯大石史生委員 じゃ、係争中ということであれば、なおさらこの部分は係争が終わるまで、くい打ちの議案だとかそういった部分の判断がつかないと、普通だったら考えると思うんですけれども、その点いかがですか。 173 ◯小田教育総務部長 先ほど深堀委員のほうからありましたけれども、今、確かに、この告発状を検察庁がどう受理するかとか我々も全然わからないところですので、そこは答弁を控えさせていただきたいと思います。 174 ◯大石史生委員 もう最後になると思いますが、正直、立ちどまって再考するということが、今の長崎市の市政には本当にないんですよ。だから、4回も住民投票の直接請求が行われる。そこの部分に耳を傾けて再考する。そういう判断も市として、選択肢として持つべきだと思いますよ。何回も言いますけれども、市が行う事業で、やはり地域との摩擦を生むということが、住民投票条例の直接請求のあらわれだと思うんですよ。そこは、本当に十分考慮していただいて。  今るる聞きましたけれども、まだ全然納得がいかないことばかりで、耐震工事のことにしても、この議事録のことにしても、市がありきで進めていったんじゃないかという姿勢、そういう部分にはまだまだ疑問がかなり残っています。ここで議論をこのまま続けていっても同じ答弁しか返ってこない。そういうところをやはり改めて、市民の声に応えていくべきだと思いますよ。これは強く要望しておきます。 175 ◯武次良治委員 別の点でお尋ねします。  きょう配付していただいた資料、別添資料、一番厚い部分になりますが、これの20ページを見とったんですが、この中で長崎大学の学長と医学部長、両名とのやりとり、公文書等に関しての記述があります。一番上の9月30日の部分では、市側の回答を受けてということで、公文書の形で回答がなされております。それもきょう資料としてここにあるわけですが、もうちょっと時間の関係もありますので、一番最後のほうを読んで確認したかったんですが、ちょっとここは割愛させていただきまして、この資料のほうを中心に申し上げますけれども、結局、積極的に協力する意思に変更はないというようなことで締めくくられておるんですね。それでその同時に大学と協力できる機会を要望とかいうようなことが2点ほどあるんですが、公文書のほうも見ながらですね、このときの回答の状況だけ見れば、一定理解は進んでいるのかなと私は思ったんです。それでその後何もなくて、いきなり今度、平成29年12月5日付で、一番下になりますが、長崎大学学長から市長への回答ということで、9月30日の大学長名の文書で示した基本的な考え方については、現在においても変更はないとなっています。  それと次に、分析究理所等の遺構の取り扱い2案については、市で判断願いたいというようなことで、げたを預けられた格好ということになっとるわけですが、これについては果たして公文書で来たものなのか、どういうふうな形で市のほうに示されたのか、その辺についてまず教えてください。 176 ◯小田教育総務部長 その前の12月5日に、先ほどのこの資料の、17ページの小島養生所の展示のイメージですけれども、それとあと(2)の10ページから14ページの分析究理所の見える形。10月11日の(1)のほうで分析究理所遺構の現地において見える形の要望が、その形でなされております。その後、先ほど文化財課長からもご説明がありましたけれども、11月23日に文化庁と、あと長崎大学の下川先生のほうもいらしていただいて、あと専門家の方々と協議をした中で、先ほど文化財課長がご説明しました遺構の取り扱いの案が出てきたところでございます。その2つのイメージをお持ちして長崎大学の学長のほうに行ったのが12月5日でございます。その後に、この12月5日のこの部分は、市長のほうに大学学長から報告があったということを我々は報告を受けているところでございます。  以上でございます。 177 ◯武次良治委員 そしたら、ここに記載している部分については市長しか知らないということになるんですね。  何でこんなこと聞いたかといえば、きょうまた配付されましたプレスリリースの分、この要望書の提出、この中で日本医師会長、また長崎県医師会長、それと長崎大学医学部長、3名の連名になっとるんですね。大変大きな問題になってきたんだなということを改めて承知しとるわけですけれども、ここの最後の、長崎大学医学部長、この先生も一緒にここにおられると。結局30日の段階では、この医学部長も連名で公文書で回答されとるわけですよね。それがこういうふうに、今回はまた違う形で完全保存とか工事の見直しとかいうようなことの要望をされてきていると。その主導をされたのも医学部長であると、もう1つの資料を見ればはっきりわかるわけですね。完全保存についてということで、長崎県医師会長と医学部長の両名で日本医師会に対して依頼されていると。  こういうふうなことからも、永安先生あたりが中心になったのかなということで考えるわけですけれども、そしたら何でこういうふうなことで変わってきたのか、その辺がどうしても理解できないんですよ。その辺、何かこう、ちょっとわかるような、こういうふうに変わってきた背景というのをどういうふうに受け取っているのか、もし知っとるようであれば教えていただきたい。あくまでも市長しか知らないんですよということであれば、それでも結構ですが。 178 ◯小田教育総務部長 12月5日に案をお示ししたときも、このとき学長から、それぞれの各学部からの動きはまだあるかもしれないということは聞いておりました。そういった中でも、長崎大学の本学としては、9月30日の考え方の方針は変わらないということをお聞きしております。  以上でございます。 179 ◯武次良治委員 そしたら、この件に関しては学長だけの見解だということなんでしょうか。10月11日には、大学との協議の中では、学長も医学部長も病院長もおられるわけですね。そういうふうな経過がありながら、最後だけは学長の見解ということで捉えていいんですか。 180 ◯馬場教育長 いろいろな医学部の方々からの要望がある中で、大学との協議のときには必ずそのところは確認を毎回させていただいております。9月30日、大学長名で出したのは、角印はそれが最後でございます。その中で、大学としての本学としての考え方については、毎回確認させていただいているときに、9月30日の文書は、大学の方針として変わりはございませんというのは、私も直接聞いておりますし、12月5日に持っていった部長等との話の中でも、その部分については毎回確認をいただいているところでございます。また、12月5日のイメージ図を出した中での返事が市長のほうにあったというときも、市長のほうもそこは確認をされたということでございます。  以上でございます。 181 ◯武次良治委員 そしたら、何で医学部長がこういうふうな形で、また別の形での要望書を出すということになったんでしょうか。  何で私このことにこだわっとるかといえば、まずこの問題、学校建設が発端として生じてきたわけですよね。先ほど大石委員のほうからいろいろあっていましたけれども、学校を壊して取り崩して初めて遺構が発掘されたと。それは当然です。だから、その流れは仕方ないかなと思っとるんですが、そうした中で、そのことはもう十分大事なことなんですが、ほとんどの論点というのが、医学会であったりとかその辺からの要望、これが一番今、大きな問題になっていると思うんですよ。そうしたときに、その辺との対応というのが一番大きく影響してくるのかな、作用してくるのかなと。この住民投票条例に関してもそうですが、この後の控えとる継続審査になっとる分、契約議案についてもやはりその辺が大きな判断材料になってくるのかなというような部分もあります。そうした中で、口頭だけでこういうことで、ほかの人はつゆ知らずというようなことについては、やはり我々としてはその辺をどう受けとめていいのか、ちょっと判断しかねると思っているんですが、それについてはいかがですか。 182 ◯馬場教育長 さまざまなところからの要望が出ております。また、大学といたしましても9月30日にありますように、長崎市においては、文化財の価値、そしてさまざまなところからの要望、それと、学校建設推進、学校教育の推進、多様な面から総合的に判断されるものと理解しているということでございますが、あくまでもその保護と建設をどうするかというのは、市の判断でさせていただくということで、市としては先日市長のほうから意見書がありましたように、市の判断といたしまして、保護と学校建設を両立させて、それぞれの最大限の成果を求めて今回、両立の方針を選んでさせていただきたいという意思表示でございます。  以上でございます。 183 ◯武次良治委員 この件に関しては、教育長の見解等についてはお聞きしました。一番いいのは、市長の口から直接聞くのが一番いいかとは思うんですが、またこのことに関してはほかの方々もいろいろ意見もありましょうし、私だけというわけにはまいりませんので、この後まだ恐らく質問も出てこようかと思います。そうした中でいろいろ考えていかんといかんのかなと思っておりますので、一応私からはこれでとめておきます。 184 ◯中村照夫委員 薄いほうの資料で、6ページに旧佐古小学校敷地における全面的な発掘調査を終え、小島養生所及び分析究理所等に関する残存遺構は全て検出していると書かれておりますよね。  先ほど参考人に聞いたんだけれども、もう市のほうは全部終わっていると、残存はこれ以上ないんだと言っているのと、あなたたちが言う全面的な調査との差異は何なのかと、あと何をせんといかんというのかと聞いたんですけれども、回答ありませんでした。とすると、要するに、この出島以上の価値もあると言われているわけだから、出島みたいに復元ということじゃないかなと理解するんですけれどもね。  はっきり言って、市の案でも、これ以上出ないと、今まではこれだけ出ましたよと。それでは余りこの養生所のイメージというのか、はっきり言って湧いてこないんですよ。その基礎が見えているだけだから、その現物はないわけだから。それでも2億円かかるというんでね。そしたら、その参考人たちが言われるような復元ということになると、それは何百億円かかるんだろうかということになってくるわけだけれども、そこら辺は今、出島は中期でやっと表門から入れるというふうになったけれども、今後はもう海の上に浮かぶ出島までやるんだと市は言っていますよね。それ以上のものがここに価値があるというんで、それを復元せろとなってくると、あなたたちに聞いて今の時点でわかるかどうかわからんけれども、それをこの参考人たちが言われるような復元をするとすれば、どのくらいになるかということは試算とかされたことありますか。 185 ◯股張文化観光部長 出島のような形でと申しますか、復元というところで、この小島養生所をやったらお幾らぐらいの所要額かというところだと思います。それについては試算しておりません。と申しますのが、やはり出島と大きく違いますのは、先ほどから資料等でもお話ししていますとおり、残っているもの、これは基礎の部分。それから、文献ですね。例えば出島の場合は模型がしっかり残っていたりとか、あるいは古写真にしてもちゃんと遠近法を見ながら高さ、中も含めてわかるような、そういうものがしっかりあると。土台もあってそういう資料もあるということでございます。  小島養生所につきまして、分析究理所もそうですけれども、まずは残り状況が、先ほどの国の指摘も踏まえて、やはりこれがもともとないというところでございます。それから、古写真は残っておりますけれども、じゃ、中をどんなに精密に、本物に近づけてやるかということについては、これは文献等も含めて困難だと考えております。そういったことから、現在のところ試算はしておりませんし、復元は難しいものと考えております。  以上でございます。 186 ◯中村照夫委員 そこのところですよね。出島はそういう資料があると。こちらにはそんなものは何もないということですよね。私たちが今まで論議してきた中で、やっとイメージできるのは古写真だけなんです。こんなの復元、古写真みたいなのが出てくれば、それはもうすごいなというイメージが誰でも湧くとは思うんだけれども、しかしそれが古写真でそういうものを復元するということは不可能なんだろうから、そういうことは、まずできるんですか、できないんですか。 187 ◯大賀文化財課長 技術的に外観だけを同じものをつくるというのはできると思います。ただ、私も、例えば全国的な史跡の協議会などにも出席した経験がありまして、専門家の講演を聞いたりとか、そういう機会もございました。そういう中では、やはりこの復元というのは、しっかりその当時のものを完全につくるというのが復元であって、これが文化財保護上の復元であって、それができないときにはやるべきじゃないという、やはりそういう話を聞いてまいりました。それは、そういうイメージの定着につながるということは、文化財の保護上は、想定のイメージ、それはよくないんだという話を聞いております。ですから、文化財保護上の復元というのは、今回の遺跡については無理だと考えております。  以上です。 188 ◯中村照夫委員 このイメージできるのはこの古写真と言ったんだけれども、これはどこにあって、古写真については、どちらも触れていないんですけどね。これは市のほうとして、今後のそういう活用で手に入るものなんですか、どこが持っているものなんですか。 189 ◯大賀文化財課長 ほぼ長崎大学の所有だと考えております。ですから、展示などをするときにはぜひ協力していただかないと無理だと考えております。  以上です。 190 ◯中村照夫委員 そういう意味では、こういう古写真でもって展示をして、理解していただく大きな参考にしたいという、そういうのは大学の図書館とかそういったものとの連携とかそういうもので方向性は考えられているんでしょうか。 191 ◯股張文化観光部長 別添の附属のほうの資料の17ページのところで、例の顕在化の平面プランというのをお示ししております。そういった中で、この展示内容につきましては、1つはこの丸の2つ目の展示内容、想定できるものをというところで、今回3D計測しますので、そういったもの、それから写真から想像できる建物の映像ということで、これは古写真をフルに活用して、そういった意味で立体的なもの、こういったものを映像、あるいはそのままのいわゆる写真、画像で見せるということはできると考えております。今までも、長崎大学図書館を中心に、そういった古写真につきましては、例えばまち歩きのさるくだとか、さまざまなところで、これはお借りしております。そういう連携の絆がございますんで、そこは協力をいただきながら、より見える化と申しますか、そういったものはこういう場面で、展示の部分でできると考えております。  以上でございます。 192 ◯中村照夫委員 そういう意味では、そういうことのほうが重要であって、外観だけ復元できて、中が何かすっぽんぽんで何だかわからないというようなものを、もちろんそんなものをすることは国も認めないだろうし、それじゃ、これからそれを活用していただく観光客なり市民にとっても何の意味もないんじゃないかなということを感じるんだけれども、そこら辺についてはいかがでしょうか。 193 ◯股張文化観光部長 この長崎(小島)養生所跡、ここの顕在化とか復元を考えるとき、現場でしっかりこれを復元していくということになりますと、先ほど課長の大賀のほうが申しました、やはり基礎的な部分、あるいはその図面とか、そういったものの正確性というのが求められると思います。つまり本物の復元、こういったものじゃないと意味がないと思っております。そういった意味で、ここに記載しております古写真を使ったりだとか、古い絵図もございます。それから、今回発掘してそういう3Dの計測もしますし、写真等もございます。こういったものをうまく活用しながら、ソフト面でどなたにでもわかるような形での見える化というのをやっていく。そういった中で大学等の協力を得ながら、それを実現していくということで頑張っていきたいと思っております。  以上でございます。 194 ◯後藤昭彦副委員長 2点ほどお伺いします。今、股張部長も大学の協力を得ながらという話が出ました。  きょう、相川参考人が持ってきていただいたこのプレスリリースの4ページなんですけど、ここの中で一番最後、なお、河野学長には今回、医学部として云々と書いております。そこで、きょう説明があったのは、この学長は完全保存について、容認いただいたものと理解しておりますという説明がありました。市の説明では、先ほど来からあっています、12月5日の時点で、大学としては協力するという類いの回答があったということで、今の段階でも双方向違う見解になっていると思うんですよ。私たちも、じゃ、どれを聞けばいいのか、そこら辺がまだどっちなのか。大学は協力をしてくれるのか、それともやはり完全保存と言っているのか、そこら辺が全くまだ見えてない状況にあります。そこら辺はもう1回説明していただくのと、あと、文化庁の職員の方が見えられて現地を見たということでありますけど、この文化庁の方が見られて見解を述べたということなんですけど、これ文書か何かではとってないんですか。口頭で聞いたのかどうかというのはちょっとお聞きしたい。 195 ◯大賀文化財課長 今のご質問の2点目の文化庁の視察の部分なんですけど、こちら文書を特にとったということではございませんで、現地調査とその後のディスカッション、その中でご意見を聞いたということでございます。  以上です。 196 ◯小田教育総務部長 先ほどの武次委員のご質問にお答えいたしますけれども、12月5日のときにも何らかの学部からの動きがあるかもしれないということはお聞きしておりました。今回も医学部としての見解だと私たちは感じております。  以上でございます。 197 ◯後藤昭彦副委員長 まず1点目、口頭とディスカッションでそういうことだったということなんですけど、こんなに大きな問題になってきていますよね。やはり私は、無理かもしれないけど、やはりそこで文化庁の方の見解をちゃんと文書でもとっていただいて、秘密裏じゃないでしょうけど、やはりそこら辺、口頭だと誤解を招くような気がするんですよね。ですので、やはりそこら辺は文書でとっとくなり、署名をしてもらうなり、そこら辺やはり考えるべきじゃなかったのかなと思います。もう今さら言っても、これはもう過ぎたことですので、どうしようもありませんけど、やはりそこら辺の気遣いといいますか、そこら辺がもうちょっと足らなかったのかなと思います。  それと、あと1点のその大学のスタンスなんですけど、これもとりようによっては捉え方が人によって違いますので、そこがやはり参考人の捉え方と市の捉え方はまた違っているのかなというところがあります。私らも、今まで理事者の方から聞いた分については、大学はもう協力的にということで聞いておりましたので、そうなんだと思っていたんですけど、きょう参考人がおっしゃったのは、ちょっと違うニュアンスで言ったなと思いますので、そこら辺本当はどうなのかというのを、今、部長が答弁されましたけど、まだ私たちにはしっくりいっていないという状況です。 198 ◯馬場教育長 このような日本医師会のほうから出てくるという話がきましたので、私も再度、学校のほうに確認させていただきました。その中で、そういう今回の要望書が出るということを聞いた上で確認させていただきました。これはもちろん、電話になりますけれども、もう1回、9月30日の大学としての基本姿勢は変わらないんですかと言ったら、そこは変わりませんということでお話は承っております。  以上でございます。 199 ◯武次良治委員 先ほどから、長崎大学とのやりとりについていろいろ話を聞いとるわけですけれども、9月議会で継続審査としたのは、調査の完全な実施を待つというのが1つ。もう1つは、長崎大学との調整、これのあれを見守ると。この2つがあったもんですから継続審査ということで私、提案させてもらったんです。それで今までずっときとるわけですが、これまでの説明の中では、先ほど話ありましたように、一定理解を得ているのかなというような説明もなされていたし、私どももそう思っておりました。しかし、この何日かの動きを見ておれば、長崎大学本体と医学部、そこがどうも歩調がそろってないんじゃないのかなというような気がしてなりません。先ほどの説明でも、学長のほうから市長との話の中で、新しい動きがあるかもしれないよというような説明もあったわけですが、それが今回の医師会を含めてのことなのかなと理解いたしております。もうここまで来れば、やはり当事者である市長からじかに、その辺についての理解の仕方、また今後に向けての方向性、どういうふうな展望が開けるのか、その辺について聞いたほうが一番早いのかなと思いますので、私のほうからたびたびで申しわけないんですが、委員長のほうで市長に出席要請をお願いするように取り計らっていただけないでしょうか。 200 ◯中村照夫委員 武次委員の今の論理でいくと、市長じゃなくて大学を呼ばんとわからんとじゃなかかなと思うけれども、そこら辺はどうなんですか。 201 ◯馬場尚之委員長 暫時休憩します。           =休憩 午後5時43分=           =再開 午後5時44分= 202 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開します。  ただいま武次委員より市長の出席説明要求について意見がございましたけれども、このことにつきまして委員の皆様のご意見を伺いたいと思います。いかがでしょうか。  それでは、委員会として市長の出席を求めることにご異議ございませんか。     〔「異議なし」と言う者あり〕 203 ◯馬場尚之委員長 ご異議がないようですので、そのように決定いたします。  なお、本市議会におきましては、市長に出席説明を要求する場合には、委員長から議長に報告し、議長の了承を得て要求することとなっております。ただいまから議長に報告したいと思いますので、暫時休憩いたします。           =休憩 午後5時45分=           =再開 午後6時8分= 204 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  ただいま議長の了承を得て市長の出席を要請し、市長に出席いただきました。長崎大学との協議を行われた田上市長に、大学の意向を直接お伺いしたいとの意見が出されましたことから、市長に出席を要請いたしました。この件につきまして、武次委員のほうから質疑をお願いします。 205 ◯武次良治委員 きょうは大変お忙しいところをご出席いただきありがとうございます。  きょうはずっと朝からこの問題で議論をやっているわけですけれども、私としましては、一番肝心なのは大学とのやりとりといいましょうか、やはり養生所の跡とか、医学所の跡とかいうことになってくれば、どうしても大学が一番絡んでくると、医学部が絡んでくるということで、この問題についてはどのように整理していくのか、非常に大事なことだと思っております。この後のきょうの議案も含めて、ほかの議案についても、やはりこのことは大きな判断材料になってくるという思いもあります。  また、きょうのいただいた資料の中でも、9月30日に公文書としていただいた以後は、ほとんど市と大学とのやりとりは口頭でのやりとりということで、その重みといいましょうか、信憑性といいますか、その辺がどうしてもひとつ、疑うわけじゃないんですが、確信を持てないというようなこともあります。ましてやきょういただいた資料の中で、長崎県医師会長と長崎大学医学部長が日本医師会に宛てた文書の一番最後の中に、なお書きで「河野学長には今回、医学部として完全保存を要望することの意義をご説明申し上げたうえで、容認いただいたものと理解しております」というようなくだりがあるんです。こうなってくれば、きょういただいた資料の12月5日、長崎大学学長から市長への回答というところと、食い違いが生じてきているわけですね。その辺も含めて、市長としてどのように捉えているのか。また、今後に向けて、どういうふうな抱負を持って臨んでいくのか。確信を持ってやっていくのか。その辺についてまずお聞かせいただけますか。 206 ◯田上市長 ただいま武次委員からご質問いただいた点についてお答えします。  12月5日に河野学長から電話をいただきました。その趣旨は、資料にも書いてあるとおりでありまして、1点目は9月30日付の文書をお示ししておりますが、その内容については、これは前学長の、9月30日付というのは、まだ学長が片峰学長の時代ですので、この内容が新学長になっても変わらないということが1点です。もう1点目は、その当日に示した2つの保存案についてですが、これについても文化財審議会の委員の皆さんなどのご意見などをお聞きした上で、市のほうで決めていただきたいと、その2点でございました。どちらにも共通いたしますのは、判断については、これは9月30日の文書にも書いてありますように市の専権事項ですので、市のほうで決めていただきたいという趣旨だということです。  そして、本日付で医学部長名も含めた文書が出た件について、どういうことになっているのかということですけれども、大学という組織は、基本、学問の自由であったり、そういった場ですので、それぞれの個人の意見であったり、あるいは学部の行動と大学全体の動きが異なるということもあるようですけれども、そういう意味では、今回の河野学長からの電話は、そういった大学の中でさまざまな動きがあるかもしれないけれども、これは大学全体としての考え方、意思は9月30日の文書と何も変わっていないということをしっかりと伝えてこられた電話であったと考えております。  以上です。 207 ◯武次良治委員 今の市長の話だけ聞いていればなるほどなと思うんですが、やはり文書でこういうふうにはっきりと、河野学長には今回ということで容認をしたというようなことは、これを受けて、日本医師会の要望書が出てきているわけですよね。この中には、完全保存であるとか、影響のある工事の見直しとか、こういうような文言がはっきりと記載されています。このことも含めて容認ということにしか理解できないわけですよ。ですから、どれを信じていいのかというようなことがどうしても引っかかってくるんですが。 208 ◯田上市長 先ほど申し上げましたように、大学としては、大学の中のさまざまな先生方のご意見であったり、あるいは学部としての意見であったりを尊重するというか、そういう気風がある組織だと思います。そういう中で、意見を表明することについては抑えないと。ただし、大学としての姿勢は、これは明確であるということを学長が直接私に伝えてくださったものだと思っています。  以上です。 209 ◯武次良治委員 私からは最後にしたいと思いますけれども、大学全体としてという話があったということですが、そこには当然医学部も含まれているわけであって、そのことについて、今後学部内で大きな動きが出てくるとか、新たな動きは今回のこの文書なのかなと今のところは理解しているんですが、大きな動きがあるとかいうようなことはないと市長は確信を、自信を持っておられますか。 210 ◯田上市長 大きな動きというのがどういうのを指すのかちょっとよくわかりませんけれども、いずれにしても大学内のさまざまな意見を表明することについては、それを容認するという姿勢を持たれた、学問的に言うとそういった姿勢というのは非常に重要な部分もあるのだろうと思いますけれども、そういった組織であって、今回のも意見表明をするということについては、それを受け入れるということだと思いますが、ただ、大学としてのスタンスをその意味でも明確に伝えておきたいということで、電話をいただいたものと思っています。  以上です。 211 ◯武次良治委員 最後にしますと言いましたけれども、そしたら市長としてはそれをしっかりと軸がぶれずに、今後ともこれまでの方針どおり動いていくということで理解しとっていいわけですね。 212 ◯田上市長 私の考えにつきましては、昨日の意見書の中でも申し述べましたとおり、学校建設と遺構の保存、これは2つとも大変価値のあることですので、その総和が最大になるように両立を目指して今後ともしっかりと取り組んでいきたいと考えております。  以上です。 213 ◯深堀義昭委員 今、9月30日付の片峰学長、医学部長の回答書を含めて、12月5日に市長と大学長との話の電話の中では、9月30日の長崎大学長名の文書で示した基本的な考え方について、現在においても変更ありませんと。遺構の取り扱いの2案については市の判断で行政判断をしてくださいということの確認までは2つともされたということで理解していいんですか。 214 ◯田上市長 そのとおりです。学長からもこの2点ということで説明をいただきました。  以上です。 215 ◯深堀義昭委員 もう一つお尋ねをいたしたいのは、きょうの資料でもあるんですが、日本医師会であったり、ほかの要望等に対する未整理の問題もありますが、これについても長崎大学の学長及び医学部長との9月30日の意向固めの問題としての回答をされると理解してよろしいんでしょうか。9月30日の大学の意向、今、私が言ったのは、きのう付か何かで来てる正式な文書というよりも……〔発言する者あり〕  来てないの。わかるでしょう。日本医師会等の問題。はい。資料としては、回答をまだしていないんですよ。それでそこのところは今のような形の9月30日の大学の意向並びにきのうの市長の住民投票に対する反対という趣旨説明の中の問題を吟味して回答するということでよろしいんでしょうか。 216 ◯田上市長 大学との関係については、9月30日付の文書が基本であると考えております。また、さまざまな団体からのさまざまなご意見もございますので、そういったものについても現状をしっかりと説明して、市の方針について説明させていただきたいと思っています。  以上です。 217 ◯深堀義昭委員 なぜそれを私が重ねてお尋ねしたかというと、今、武次委員の質疑の中にもあったように、長崎大学としての立場、そしてまた日本医師会等に対しての大学の考え方というものが示された上で、いろいろな意見があられるのはどうぞというような解釈で要望書が出されていると私は理解をしているんですが。その答えとしては、きのうの住民投票条例に対する答えと、それから今申し上げた9月30日を含めた12月5日の河野学長とのあれを踏まえた上での回答をされると理解していいんでしょうか。 218 ◯田上市長 昨日の意見書、また大学の関係で申しますと、9月30日付の文書を基本としてお答えしたいと思っています。  以上です。 219 ◯大石史生委員 市長、お尋ねします。交流の産業化、これで観光客を呼び込むと、その中に61万人呼び込むと計画ではなっていますけれども、この学会が中心だというふうにお話をされていましたけれども、こういう面にとっても今回の今の話の回答でいけば、非常に私はマイナスになるのではないかと考えております。その点についての見解だけお聞かせいただければと思います。
    220 ◯田上市長 交流拠点施設の件についてのお尋ねですけれども、今回、先ほど申し上げましたように学校建設、これも非常に子どもたちの教育環境を整備するという大きな責務が一つ、価値が一つあります。また、もう一点、近代医学発祥の地という価値の中で、遺跡を保存活用していくという価値もあります。そういう意味では、今回の計画はさまざまな保存をできるだけしながら、そして、展示を充実させることで医学の歴史についても伝えていくという意味では、非常にこれまでになかった伝え方ができるような展示もされると思います。そういう意味でもそういった医学関係の皆さんの学会などのときに見ていただくというよう機会もこれまでと違ってまたふえていくんではないかと考えています。 221 ◯大石史生委員 最後に、意見として申し上げておきたいと思います。今回のことについては、さまざまな要素が絡み合ってこういう形の住民投票条例になったと。今回4回目ですね。この4回目というのは、本当に先ほど来ずっと言っていますけれども大きなことであって、こういう市政運営が果たしていいのかという疑問がいっぱい向けられていると思うんです。そこは真摯に考えていただいて、市民の声を聞くというそういう立場に立って市政運営をしていただきたいと、これは要望として強く申し上げておきたいと思います。 222 ◯馬場尚之委員長 ほかにありませんか。  それでは、委員外議員からの質疑を行います。ただいま浅田委員外議員から発言の申し出があっております。会議規則の規定に基づき発言を許可します。 223 ◯浅田五郎議員 市長がお見えになったので大変よかったと思います。ありがとうございます。市長は、昨年の12月28日に都市経営会議を開催いたしまして、要するに佐古小学校に小学校と遺構の併合をやるということを決定いたしました。それをもって、長崎市あるいは県の学芸文化課、皆さん方東京に上京し文化庁に行きました。したがって、そこで何が話されたかというと、結局は市の指定でやりたいと。勝山小学校等々の話も出ましてね、要するに学校建設ありきでその話がなされたと私は思っております。そうなると文化庁としてみては、当然長崎市が地主でありますから、長崎市が国の指定を申し入れない、登録もしないと思うならば、当然長崎市がやりたいように市の指定に、しかも緩やかにということを言っておりますけれども、決して長崎市じゃなくて国が登録されたり、あるいは指定されたら、とても遺構の上に学校を建てるなんてことはあり得ないわけなんですね。そういうことを承知しておって、あなたはきのうの説明の中では、遺構というものは十分認知しておると、理解をしていると、校歌にもあることを知っていると言いながら、例えば先ほど話題になりました平成23年8月19日の三藤副市長を会長とする会議には、文化財の関係者は一人も参加していないんですよ。全部、土木部を初め、学校建設ありきの方々が出てきて、まさに養生所のよの字も話していない。そういう中で、この会議が始められて、これは第1回目の議事録でありますが、第2、第3回って何回ありましたか知りませんけれども、今後議事録は出していただくとしても、いずれにいたしましてもあなたの中には学校建設ありきであっても、決して養生所を日本の近代医学発祥の地であるとか、長崎大学医学部の源流であるという考え方は全くなかったんじゃないのかと。私はこの前、薬学部のOBと申しましょうか、ノーベル賞をいただいた下村博士に会う機会がありました。下村先生が何を申したかというと、薬学部のいわゆる源流である分析究理所が残るといいですねと、静かにそんなお話をしていただきました。私は、あの地区のことはよくわかっておりますけれども、少なくとも市長の頭の中には分析究理所というものなんかよりも、小島養生所というよりも、学校をつくりたいということが先になっている。私もPTAの会長なんかやり、育成協の会長をやったりしてきただけに、子どもが何を求めているかということ、あるいは現役の親たちが何を求めているかというのは、自分の子どもの環境をよくしたいと、そういうことなんですね。だけど、この中には、やはりあなたが説明したように、2割の方は養生所も考えていいじゃないかというような現役の親のアンケートがあったということは、このことが私は大事にしなくてはならないと思っているんです。  そういう面で、市長にお尋ねいたしますけれども、すみません、最後ですので。要するに、長崎大学の、きのう医学部長永安先生と、それから長崎県医師会の蒔本会長と、そして今度世界に発信することができる、いわゆる横倉先生が日本の医師会の会長として世界医師会の会長になりましたけれども、こうした先生方から完全復元で残してほしいということが届いているわけですよ。そのことについては全く伏せておりますけれども、私は、河野先生がどんな電話をしてきたかわかりませんけれども、医学部の教授会が完全復元を求めているのに、河野先生がそれはいいよなんて言うわけがないですよ。私はそのことを、私は逆に言うならば、河野先生でもお聞きしたいぐらいなんですね。しかしそういう失礼なことはできませんけれども、やはりあなたの政治姿勢を見ておりましても、やっていることとしようとしていることがおかしいんじゃないかなと思うんですよ。MICEなんかで医学会の先生方との協力がないとできないようなことですけれども、日本の医学会全部敵にして小学校をつくると。小学校は仁田小学校でいいじゃないですか。そういうことを言いながら、あなたの見解があれば聞かせていただきたいと、そのように思います。 224 ◯田上市長 浅田議員の質問にお答えいたします。  私の見解につきましては、昨日意見書の中で述べたとおりであります。そういう意味では、学校の建設の価値、先ほど申し上げましたように子どもたちのためによい教育環境を提供するということも私の責務であります。また一方で、文化財についてできるだけのことをしながら、またそれを伝えていくというのも私の責務でありまして、その両立を図る今回の判断のもとに進めていきたいと考えております。  以上です。 225 ◯馬場尚之委員長 ただいま中西委員外議員から発言の申し出があっております。会議規則の規定に基づき発言を許可します。 226 ◯中西敦信議員 私もこの大学の9月30日付の申し入れについて質問したいと思うんですけれども、大学としても分析究理所遺構の保存の方針の最終的な決定は長崎市の専権事項だということで、このことは……〔発言する者あり〕確認をされていますが、あくまで保存をする権限を有しているのは教育委員会ではないかなと思います。この間のこの審議を聞いていても、議論の初めから仁田小と佐古小の統廃合をどうするのかといったときにも、小島養生所の話は出てきていないし、その場に文化財課もいないし、後で小学校の建設場所を決めてからこの問題が出てきたわけで、あくまでこの住民投票をしてほしいという出発点は、市と教育委員会に文化財を保護するという観点が欠落していると、だからこそ住民投票を行って信を問うてほしいということではないかなと思います。その意味で、あくまでも文化財の保存のあり方については、やはり文化観光部が持っている文化財審議会に専門的、技術的な助言をまっさらな形で聞いた上で判断をするべきものであって、大学もあくまでも長崎市の決めたことに従うし、そのことには協力をするからという言質でもって強行するというのはいかがなものかなと思うんですけれども、こういったことについて市長の見解をお尋ねしたいと思います。 227 ◯田上市長 今回、一連の経過の中で、文化財の保護の視点が欠けているということですけれども、文化財のまさしく調査を行って、それについて文化庁、あるいは審議会の皆さんのご意見もお伺いし、そして保存する部分、また露出展示していく部分、それぞれに区分けをしながら、近代医学の発祥の歴史についても伝えていこうという方向性で進んでおりまして、決して欠落しておるとは考えておりません。  その価値を最大限にしつつ、かつ、学校建設というこの価値も、子どもたちのために大事な価値ですので、これも生かそうという方向に進みたいということであって、決して欠落ではないと考えております。  以上です。 228 ◯中西敦信議員 欠落ではないということを言われましたけれども、その確かに残存状況はよくないということで、市の指定文化財になっていますが、市レベルだったら、上に開発行為、小学校をつくることが許されるのかというのはまた別の問題だと思いますし、そういう小学校の建設という開発行為をなくして、素の状態で今の残存状況を見て、この小島養生所、分析究理所が持つ歴史的、文化財的な価値をきちんと意見を聞いた上で判断する必要があると。それができていないから、やはり住民投票で住民の意見を聞くと。  文化庁のほうからも、学校建設とこの保存をどうするかのバランスは、行政と住民との関係で決まるということが言われているわけで、住民の皆さんの気持ちを聞くという点では、住民投票というのは1つの手段ではないかなと思いますので、やはり行政としても文化庁の見解が出されていますから、そういう行政にとって都合の悪い部分は無視するんじゃなくて、そこも受けとめて住民投票をすべきだと思っていると主張しておきたいと思います。 229 ◯馬場尚之委員長 ただいま橋本委員外議員から発言の申し出があっております。会議規則の規定に基づき発言を許可します。 230 ◯橋本 剛議員 1点、事実関係だけ質問させてください。追加で出てきた平成23年8月19日の資料の件です。  ここで、先ほどご答弁のほうで、佐古小のほうが行政としては望ましいという案を持って、それで臨むということで決めたんだと。それはおかしなことではないというお話がありました。その上で事実関係をお伺いしたいんですが、市としては、佐古小案がいいと示して言いながら2案出されていたのか、この参考資料を見てると、いずこでも……〔「委員長、議事進行」と言う者あり〕 231 ◯筒井正興委員 委員長が当初言われたのは、同一趣旨の意見に対しては質問できないと言われましたけれども、それについてはどのように考えられますか。 232 ◯橋本 剛議員 はい、趣旨は違うと思います。  同一趣旨かどうか、じゃ、ご判断ください。私としてはそういって2案出したのか、それとも佐古小でいくという腹づもりでいながら、それは言わずに議事に臨んだのか、この1点についてお伺いをしたいと思います。  以上です。 233 ◯岩永施設課長 今の質問ですけれども、最初からその佐古小案ありきで臨んだわけではなくて、両案を含めた中で、先ほど申しました4案から5案の両案を示して議論をいただいた中で、その方向性で最終的に佐古小跡地になったというふうに進めてまいりました。  以上です。 234 ◯馬場尚之委員長 ほかにございませんか。  それでは、市長に対する質疑を終わります。  市長退席のため、暫時休憩いたします。           =休憩 午後6時36分=           =再開 午後6時36分= 235 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  ほかに理事者に対する質疑はございませんか。  それでは、質疑を終結いたします。  次に、討論に入ります。何かご意見ございませんか。 236 ◯武次良治委員 討論ということですよね。  ちょっと、私一存というわけにもまいりませんので、会派に持ち帰って一旦、その上で討論させていただきたいと思いますが、そのように取り計らっていただければと思います。 237 ◯馬場尚之委員長 ただいま武次委員から会派に持ち帰りたいというご意見がありましたけれども、皆様いかがでしょうか。  それでは、会派に持ち帰りということで、暫時休憩いたします。           =休憩 午後6時37分=           =再開 午後6時49分= 238 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  それでは、本議案に対する討論に入ります。  何かご意見ございませんか。 239 ◯武次良治委員 第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」に反対の立場で意見を申し上げます。  本議案は、小島養生所跡及び分析究理所跡で発掘された遺構について、完全保存と学校建設工事及び外周道路拡幅工事を行わないことの賛否を全市民に問うためのものでありますが、小島養生所等遺構の完全保存という専門技術的な判断を要する個別の政策課題について、その是非を直接住民投票に委ねようとすることについては、違和感を禁じ得ません。  請求人に対する質問の中でも触れましたが、現行の地方自治制度は、長及び議会による代表民主制がとられており、住民投票についてはその補完的な制度として採用されるものであります。全国的に見ても市町村合併に関するものを除き、そのほとんどが市民生活に深くかかわる個別限定的なものに限って実施されているというのが現状であります。したがって、その実施に当たっては、住民投票が地域社会に及ぼす影響を慎重に考えなければならないことは言うまでもありません。  当該地は仁田佐古小学校の建設予定地となっており、今まさに建設工事の着手段階にあります。新たな小学校の建設場所の決定に当たっては、6年の長きにわたって地域との協議を積み重ねて導き出された結論であり、このことはその地域に住む住民の総意として尊重されなければなりません。  また、長崎市においては、当該地を文化財保護法に基づく周知の埋蔵文化財包蔵地とし、かつ、市の史跡に指定するとともに、体育館に展示室を併設して、一部遺構の露出展示を行うなど、遺構の保存、継承を図ることとし、遺構と校舎の併存に取り組む方針が示されております。  1万5,776人の署名の重みは理解しますが、学校建設の早期着手を求める地域の強い要望もあっており、住民投票に付することが地域を二分することにつながりかねません。したがって、地域との協議を積み重ねて政策決定されたプロセスを覆してまで全市民に問わなければいけないとする主張にはくみすることはできません。  本事案については、その保存のあり方をどうするか、どのような形で後世に引き継いでいくのが現実的かといった視点に立って考えるべき課題であると考えます。したがって、長崎市にとってより望ましい保存方法について、長崎市文化財審議会の意見、長崎大学及び医学団体からの要望を踏まえ、一定の方向性を早急に取りまとめていただくことを強く申し入れまして、本議案に反対の討論とします。 240 ◯大石史生委員 ただいま議題となりました、第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」は、賛成の立場から意見を申し上げます。  まず、一義的に市民から求められた住民投票の設置条例の制定については、地方自治法の請願権に基づき提出されたものであり、受けとめなければならないと、憲法を遵守する立場から申し上げておきます。  本件に当たっては、早期に学校建設を求める声と遺跡の完全保存を求める運動が起きています。この背景には、教育委員会が進めてきた地元地区との合意形成のあり方が大きく問われていると指摘しなければなりません。佐古小学校は耐震工事を行っていました。仁田小学校は行われていません。統廃合の当時の資料では、仁田が4案、佐古が1案ということで出されていましたが、こういう客観的事実から見ても、仁田小に新校舎建設を行い、耐震工事を行っている佐古小学校を仮校舎とすることが合理的だったと思います。  また、西洋医学の発祥の地であったことは、佐古小の校歌にもうたわれております。学校を建設してほしい、遺構を完全に保存してほしいと訴える両方の声に応えていくためには、一度立ちどまり再考すべきだと考えます。日本医師会を初めとする日本考古学会、長崎大学医学部、薬学部、こういう専門家からの意見、要望が出ているのは、市制始まって以来初めてのことです。出島と同じく、観光のメッカとして国の指定の遺跡を求めていく考えを無にしていくことは、交流の産業化を目指す長崎市政にあっても相当なダメージになると考えます。そういう意味でも、市の見解には納得できません。市の方針に従うことは、片方の声を消すことになり、同時に、学校をつくってほしいと願う方との間に、将来にわたり摩擦を生む可能性があります。行政が行う事業で地域との摩擦を生むことはあってはなりません。  また、今回、ありきの説明ではないかと参考人からの意見がありましたが、聞けば聞くほど疑念が深まるばかりです。その意味でも、住民投票を行い、幅広い市民の意見を聞くことを求めます。  以上、討論とします。 241 ◯梅原和喜委員 ただいま議題となっております、第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」は、市民クラブを代表し、条例制定に反対の立場から意見を申し述べます。  本条例の趣旨は、旧長崎市立佐古小学校で発見された養生所等遺跡について、完全な調査と保存を行い、当該遺跡地における学校建設工事と外周道路拡幅建設工事を行わないことに対する賛否を問う住民投票を実施するための条例制定を請求する内容です。本請求を受けて、長崎市では、遺跡の保存と学校建設はどちらも重要な課題であると認識し、小島養生所等の遺跡の保存と学校建設の両立を目指す方向性を示されております。このことは、本請求の趣旨を一定理解し、また、学校建設を待ち望んでいる児童、保護者、地域住民の願いを酌み取った判断であると評価をいたします。  今回の審議の中で、遺跡の保存状況がよくないことなどは、文化庁との協議においても指摘され、現地での確認も実施されております。このことは、遺跡などの完全保存は困難であるとの文化庁の判断であると考えます。一方、学校建設については、地元住民と長い時間をかけて協議を重ね、子どもたちによりよい教育環境を整備することができるとの判断で、旧佐古小学校に新校舎を建設することとしております。  以上のことから、1万5,776筆の署名については真摯に受けとめますが、学校建設と遺跡などの保存を両立させることが適切であるとの観点から、住民投票を実施する本条例の制定については、反対の意見であることを申し述べ、討論といたします。 242 ◯向山宗子委員 ただいま議題となりました、第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」、その条例制定に反対の立場から意見を申し上げます。  昨年の12月15日、長崎大学の前医学部長、下川先生と私ども秋野公造参議院議員が文化庁に要望を行ったことから、私ども公明党会派としましては、要望を4項目挙げさせていただきました。調査が不十分と考えられる分析究理所等跡地についても、そのときに要望したとおり追加調査を行っていただき、一部露出展示ということで小島養生所のほうは学校、体育館敷地跡に良好な状態で残っている部分を展示室という形で整備していただくことになり、せんだって市の史跡指定にもなったところです。  今回、文化庁の見解として、国の史跡とすることは困難であること、また、市の文化財審議会も出島と同等とはなり得ず、復元は不可能であること、また、仁田佐古小学校地域の皆様は、自治会、またPTAの皆様から早期建設を要望するお声も届いております。建設の見直しは6.9%に対して、現在の計画どおり行ってほしい旨が77.7%と、地域のお声をこれは判断したいと考えます。自治会長の方からは、新校舎に対する期待の声も聞かせていただいたところでございます。  るる意見を申してまいりましたが、公明党としましては、体育館敷地に比較的良好な状態で残る小島養生所に関する遺構が、埋蔵文化財の最適な保存方法とされる埋め戻しによる保存を基本としつつ、きちんとした形での、子どもたちや地域の皆様、そして長崎市民、また市外からお越しになる人たちにも、このすばらしい遺産としての価値を現状のまま保存する、一部展示するということは是といたしますので、今回の住民投票条例として全市的に意見を問うということはそぐわないと考え、反対の討論といたします。 243 ◯吉原 孝委員 第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」は、反対の立場で討論したいと思います。  これまでの議論の中でさまざまな検討の結果、遺跡の保存と学校建設の両立を目指すという市の方針を了としたいと思います。  今回のこの条例の提案に当たりまして、1万五千余名の方々の署名を集められた皆さん、この条例を提案された皆さんのご努力に敬意を表したいと思います。  議論の中で、住民の合意形成の中で、6年間にわたり協議を重ねた結果、旧佐古小学校跡地仁田佐古小学校を建設するという合意形成ができたという点と、それから、遺跡の保存と学校建設の両立を基本として、もとの姿を彷彿させるように敷地内で再現し、保存、活用を図るように工夫したということで、展示スペース等について、展示内容で、養生所遺構の露出展示、分析究理所遺構のレプリカ、それから3D計測した遺構や写真から想像できる建物の映像、模型、展示ケース内での出土遺物展示、養生所等の古写真、古絵図などを、長崎大学と協議し、また了承を得ながら展示をやっていくというような内容の報告をいただいております。また、体育館に併設する展示につきまして、子どもたちと分けた形の出入り口とするということで、一部外観について資料が提示されておりますが、誰が見ても旧養生所跡とわかるような外観の形状について今後十分に検討していただいて、これまで多くの方がおっしゃっているこの養生所跡ということがわかるような、そういう形態の体育館の造作をしていただきたいということを強く要望しておきたいと思います。  それと、住民の意思の反映に関しまして投票率あるいは得票率の記述がないということについて不備があるんじゃないかという感想を持っております。そういう意味で、子どもたちも新しい学校を早く建ててほしいという強い要望もありますし、地域住民もそれを期待しているということで、今回この住民投票条例をやることによって開校する時間が延びるということに対して、やはり反対ということで、今回この条例に対しては反対の討論としたいと思います。 244 ◯馬場尚之委員長 ほかにございませんか。  それでは、討論を終結いたします。  これより採決いたします。  ご異議がありますので、挙手により採決いたします。  第151号議案「長崎市の小島養生所等遺跡の完全保存に関する住民投票条例について」、原案のとおり可決することに賛成の委員の挙手を求めます。        〔賛成者挙手〕 245 ◯馬場尚之委員長 賛成少数であります。  よって、本案は否決すべきものと決定いたしました。  理事者退席のため、暫時休憩いたします。           =休憩 午後7時4分=           =再開 午後7時7分= 246 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開いたします。  委員の皆様にお諮りいたします。  現在、継続審査としている第92号議案「工事の請負契約の締結について」は、関連する住民投票条例の請求があっておりましたことから、これまで審査を行っておりませんでしたが、本日、住民投票条例の議案の採決を行ったことから、委員長といたしまして、会派で協議を行っていただき、あす午前10時から第92号議案の審査を行ってはいかがかと考えております。  なお、あす開催することとなりますと、本会議の日程に影響がありますので、開始時刻については、後ほど正副議長に相談をしたいと思いますが、いかがでしょうか。 247 ◯深堀義昭委員 余り時間もかかるわけでもないんで、9時か9時半ぐらいでもいいんじゃないかと思いますけどね。遠路から来られる人の意見も聞いてください。 248 ◯馬場尚之委員長 9時からというご意見がありましたけれども、いかがでしょうか。  暫時休憩します。           =休憩 午後7時9分=           =再開 午後7時10分= 249 ◯馬場尚之委員長 委員会を再開します。  あすの午前10時から、第92号議案の審査を行いたいと考えておりますので、よろしくお願いします。  本日の委員会はこれをもちまして散会いたします。           =散会 午後7時10分=  上記のとおり委員会会議録を調製し署名する。  平成30年2月1日        教育厚生委員長 馬場 尚之 長崎市議会 ↑ ページの先頭へ...