中野市議会 2015-06-12 06月12日-02号
次に、9点目として、満州開拓者殉難慰霊塔の維持管理及び遺品の収集等についてお伺いします。 日本土人形資料館駐車場の一画に、満州開拓者殉難慰霊塔があります。これは昭和20年8月15日の終戦を知らずに、同8月25日、数百名の高社郷開拓団が無念の集団自決をした、そのみたまを追悼するために昭和26年に建立されました。
次に、9点目として、満州開拓者殉難慰霊塔の維持管理及び遺品の収集等についてお伺いします。 日本土人形資料館駐車場の一画に、満州開拓者殉難慰霊塔があります。これは昭和20年8月15日の終戦を知らずに、同8月25日、数百名の高社郷開拓団が無念の集団自決をした、そのみたまを追悼するために昭和26年に建立されました。
この建物は、晋平先生が住んでおられた当時そのままの姿で遺品とともに保存されておりまして、日本庭園の静かなたたずまいの中に落ちついた木造建築で、昔そのままのあどけなさが梅園とともに溶け合い、ここを訪れる人々の心に安らぎを与えてくれるのであります。
こうした中で、貴重な書類や遺品もなくなり始めております。それだけに、二度と戦争を味わいたくない、この戦争の体験、記録を保存することは極めて重要なことと考えます。 具体的にお伺いいたします。 1つは、市として日清、日露、太平洋戦争における戦死、傷病者をどの程度掌握されているか、お伺いいたします。
その日記には、黒く塗りつぶされた部分が幾箇所かありますが、当時の軍が検閲して、戦艦の名前とか、場所等を塗りつぶして、遺品として返されたそうであります。その文面には18歳の若き心境とふるさとに思いをはせながらも元気に国の公務のために努力している、心配なきようにという言葉が記されておりました。最後の一日までのその弟さんをしのぶ肉筆の文章、私は感涙をもって読ませていただきました。