軽井沢町議会 1997-02-27 02月27日-02号
国体関係の開催地決定は実行の3年前に決定することが恒例であるようでございますので、ご承知のとおり、オリンピック競技大会諸準備に追われる日々であり、要望が大変遅くなってしまい、開催地決定を急がなければならない現状であるようでございます。
国体関係の開催地決定は実行の3年前に決定することが恒例であるようでございますので、ご承知のとおり、オリンピック競技大会諸準備に追われる日々であり、要望が大変遅くなってしまい、開催地決定を急がなければならない現状であるようでございます。
この治安維持法は、国体を変革し、私有財産を否認する一切の結社、運動、言論を禁止する野蛮な法律であります。つまり、共産党を初め天皇制に反対するすべての運動がその対象にされ、さらにすべての自由主義者まで拡大された。この治安維持法は1928年には天皇の命令で最高刑が懲役10年から死刑に改悪をされる状態になりました。
そしてやまびこ国体前夜祭と兼ねた第25回全国大会と第2回世界大会は昭和52年9月17、18日両日、名誉総裁の秩父宮妃殿下を初め、海部大臣、2,000人を超す人が参加して本市で開かれました。 花いっぱい運動の種は今や世界中に咲くようになりました。花いっぱい運動とは社会を美しく、明るく、住みよくする心を原点とした実践運動なのです。
しかし、しょせんこの松本トンネルに入って、今、私自身もその沿線におるわけでございますが、国体道路沿線を通る車は、高速道へ乗らないで名古屋なり関西へ行くということでございますので、この梓川を通って松本インターなり豊科インターから高速に乗るかというのはちょっと考えられないのではないか。
県は、昭和53年やまびこ国体を契機としまして、県民皆スポーツ参加を目的に、県民さわやかスポーツ祭が松本市で毎年開催されてきております。また、この大会に出場する選手の予選会が県下15ブロックに分かれて各ブロック大会が開催されております。本年は、北信ブロック大会が9月8日、中野市で開催されることが決定をしております。
また市内の各高校も国体などに出場し、いずれも優秀な成績をおさめているということが歴史に刻まれております。現在では、スピードとともにフィギュアも多くの選手が育ちつつあります。県代表として幾つかの大きな大会に出場し、それぞれ入賞するなど、岡谷市にとっても長野県にとっても画期的なことだと思います。 ここで質問です。
文化会館費においては、竹田人形の館建設事業、川本喜八郎人形芸術館建設事業の研究経費を、スポーツ振興につきましては、飯田やまびこマーチの開催事業を中心に、歩け歩け運動の推進を図ることと、北信越国体の弓道、ラグビー会場としての所要の経費を計上いたしました。 公債費につきましては、長期債元利償還金や一時借入金利子など、44億9,060万余円を計上いたしました。
また、道路問題として、追分交差点、水汲道路、国体道路未整備箇所の解決は、議会においても再三にわたる指摘事項でもあり、特に水汲道路においては、国庫補助金を返納するような事態もあり、本市にとって不信用な経過もあった長年の難問題であります。
また、道路整備の中でも、多年にわたり懸案でありました追分交差点、水汲道路、国体道路拡張用地も、足を冷やし、誠意をもっての話し合いの中で解決をみることができました。 申すまでもなく、公約の実現は政治家としての生命であり、私は公約の実現に向け、懸命に取り組んでまいりました。福祉、健康都市日本一、私の公約であります。
最初に交通渋滞の解消、とりわけ国体道路に関してお伺いいたします。 さきの9月定例会におきまして、我が党の太田議員、赤羽議員からも関連する質問がございました。三才山トンネルと松本トンネルの通過車両数を示し対策を求めたのに対し、国道 147号のバイパスを早急につくるとともに、やまびこ道路の現道拡幅については、松本市道路5箇年計画の課題として研究していくとの答弁がございました。
それに向けての都市づくりのイメージをどうあるべきか、まず、20年、30年ももちろん大事でございますが、近く1つずつの区切りということになりますと、私どもは昭和53年に国体をやらせていただきました。
このことにつきましては前定例会において、私ども会派永田議員からも質問がありましたが、市の交通の利便性から考えて北信越国体クラスの大会の実現は、市内の各種イベントに比較して経済効果が大と考えます。市内に公認スポーツ施設の集中化の計画を提案いたしますが、その意向をお伺いをいたします。
それから、スケート連盟の話でありますけれども、お隣の漕艇協会というのが下諏訪町にありますが、これも昭和53年国体から下諏訪町の漕艇場に移ったわけですが、そのときから青木町長は県の会長なり、それが高木町長に引き継がれ、新村町長に現在なって事務局やっているという経過もあるわけです。そうすると、事務局を担当した場合にどのくらいの費用が岡谷市から持ち出しになるかお伺いしたいと思います。
次に、総合体育館の暖房の設置でございますが、総合体育館は議員さんご存じのように、昭和53年に完成いたしまして、やまびこ国体の会場となって以来、各種スポーツ大会が開催されておりますが、冬季間の暖房については、必要に応じてジェットヒーターにより対応しておるところでございます。
まず、北信越国体の関係でございますけれども、今お話をお聞きいたしますと、施設の状況について問い合わせがあったと、それから働きかけは行ったというようなご答弁だったと思いますけれども、そうしますと塩尻には北信越クラスの国体ができる施設がないと、こんなふうに思ってしまうわけですけれども、昨年も国民体育大会には当市から27名の選手が出場をされております。
されることになり、最近ようやく開通をいたしましたが、開通後の国体道路の交通事情はトンネルが開通しないときとほとんど変わらない交通量で、周辺住民は相変わらず悲鳴を上げておりますが、トンネルが開通すれば交通事情は緩和されると説明した当局は、この状態をどう思っているのか、また市民にどのように説明しているのかお伺いをいたします。
昭和53年、やまびこ国体が開催されました。国体を契機として、県民皆スポーツ参加を目的に、県民運動競技大会が、松本市で陸上競技を中心に8種目の競技が実施され、今年で23回目を迎えました。また、この大会に出場する選手の予選会を県下各ブロックに分け、ブロック大会が開催されてきております。
私の興味を持ったのは、この市民運動についてでありまして、岩手銀行の頭取を会長に、参加団体が百八十の団体とのことで、そもそもこの団体は昭和四十三年、今から二十七年前の岩手国体のとき、岩手国体を成功させる会として結集したのですが、国体が終わってから、これだけの盛り上がった運動をこのままで終わらせたのでは意義がないということで、明るく住みよい盛岡の発展を目指して、あすを築く盛岡市民運動実践協議会として発足
それも風の転倒だなんて、とんでもない話で、私も十数年、国体から、いろいろな大会をずっと回ってきましたが、あの程度の風でびっくりして騒がなきゃいけないなんていうことは言語道断ですね。
ドルショック、オイルショックといった経済変動の後遺症がさめやらず、不安定な世相の中で、本市は53年のやまびこ国体に向けての基盤整備が進められ、活気を見せていた昭和50年5月、私は多くの同僚とともにこの松本市議会の一員に加えていただきました。以来20年、私は、協調と連帯を基本とした議会活動を通じて、市政の振興、住民福祉の向上に邁進してまいりました。