伊那市議会 2024-03-15 03月15日-05号
今年は女子が40回の節目を迎え、記念大会事業として高校時代にこの伊那駅伝を走り、現在は5,000メートルなど日本記録を持つ田中希実選手とオンラインでつなぎ、会場の選手とのトークイベントを予定をしております。世界で活躍する現役選手の話をお聞きし、高校生選手がさらにレベルアップすることを期待しております。
今年は女子が40回の節目を迎え、記念大会事業として高校時代にこの伊那駅伝を走り、現在は5,000メートルなど日本記録を持つ田中希実選手とオンラインでつなぎ、会場の選手とのトークイベントを予定をしております。世界で活躍する現役選手の話をお聞きし、高校生選手がさらにレベルアップすることを期待しております。
働きたい職種や採用条件等の課題も当然あろうかと思いますが、違った観点から鑑みたとき、高校時代に通学で苦労したことの思いが心の片隅に残っており、自分自身が将来家庭を持ったとき、親と同じような苦労はしたくない。交通の不便な伊那市に戻っていきたくないと思っている女性もいるのではないかと察するところであります。 そこで質問いたします。
◆9番(宮坂紀博) 今年の高校野球の甲子園で、青春ってすごく密だとか、優勝した仙台育英の須江監督は、高校時代は選手ではなくて記録員、学生コーチ、マネジャーでした。そのような……。やめます。 先ほどの原中で指導していただいた部活動指導員の先生は、私もいつも同じように活動している、とても過去には優秀な成績を残された方であります。
私は中学生のころは徒歩通学でありましたが、高校時代は家から学校まで3キロほどありましたので、自転車で通学をしていました。自転車通学は暖かく天気がよい日ばかりではございません。雨の日、雪の日、路面凍結の日、強風の日など悪天候・悪条件もございます。悪天候のときは歩いて何とかなる距離と保護者等の自動車で送迎をしていただける場合を除いては、基本的には自転車での登校となってしまいます。
先ほどの大学生に話を聞いたとき、高校時代にクラスに何人かLGBTQに該当する友達がいたと、物おじせずにはっきりと話してくれました。居合わせた数人の仲間たちも、自分のクラスにもいたよというふうに話を普通にしてくれたんですね。性的少数者への偏見というのが間違いなく小さくなっているというふうに、そこで感じました。彼らのダイバーシティーへの理解、どのように捉えていらっしゃるでしょうか。
また、高校時代までの多くの友との再会の場にもなろうかと、そのようにも思うところでございます。 今後でございますが、今申し上げました点等について検討をして、成案にまとめてまいりたいと考えているところでございます。 ○議長(飯島進君) 田畑議員。
したがって、コロナ後のリニアをどうするのか、以前にも話をしましたけれども、実は、私が高校時代、文化祭で、あの頃研究がスタートしたリニアモーターカーの模型を作って、文化祭に偉そうに展示をしたことがありまして、その頃からこのリニアモーターというのは効率が悪いので、それが課題だというふうに思っていました。
この両選手の中学・高校時代のトレーニングは、岡谷のやまびこスケート国際センターやアイスアリーナと聞いております。 そこで質問です。ここ5年間の、市民体育祭のスケート部門及びちびっこスケート教室の開催状況をお聞かせください。また、体育の授業でのスケート競技は、現在実施されているのかお聞きします。 ○議長(黒河内浩君) 宮下文化スポーツ部長。
私は、自分の経験を含め、高校時代、須坂にいたほうが、郷土愛、ずっと市も言っているように、須坂市を好きになる、愛する、その気持ちは大変強いと思います。その点、私は、高校のときに須坂にいたらもっと須坂を知って須坂を好きになっていたろうなと思います。外から見たからまた違う面もあると思いますけれども。
本当に赤地先生、私も高校時代、担任だったこともあって思いが強いわけですが、本当に御苦労いただいた、それをひとつ、そんな台風の被災のこともありますが、これまでの任期中の思い、感想等、この場でお聞きしたいなと思います。 それと、後任に託する課題があれば、それもご披瀝いただきたいと存じます。お願いいたします。 ○議長(荻原光太郎君) 赤地教育長。
◆16番(笠原征三郎議員) 私も高校時代があったわけなんですが、そのときの担任が英語に限らず、何か1つ外国語をしゃべって、話せて、聞けて、また1つ何か楽器ができればうんと人生は豊かになると、そう教わりました。私は両方ともだめだったわけなんですが。
この70を過ぎて小学校、中学校、高校時代を思うと、半分はいじめ、半分はいじめられというもののうねりであると思うんですけれども、ただ一つ最近感じるのは、小さいときに感じる正義感というものと、二十歳を過ぎて俗に言う法治国家における正義というものはまるっきり違う。小さいときの正義感というのは腕力なんです。力が強ければ、すなわちそれが正義だったというふうに最近感じています。
この失意のどん底状態にあった私に温かく手を差し伸べてくれたのは、寿泉院の御住職と高校時代の同級生でありました。 30代も半ば、私は県会議員であられた田中英一郎先生の門をたたき、草履持ちを買って出ました。先生には、米子トンネル構想ほか、多くの言上をさせていただきました。英一郎先生はいつも私の構想を嫌な顔一つせず、温かく笑顔で聞いてくれたものです。
小・中学校や高校時代に思考を深める機会の必要性をおっしゃっていました。 この哲学対話を道徳の時間に行う、まずは、ぜひ実践校への視察を教育長にしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。 ○議長(小松洋一郎) 教育長。 ◎教育長(橋渡勝也) 今回の学習指導要領の改訂によりまして、特別の教科、道徳が新設されて、既に実践が始まっております。
私の高校時代、30年くらい前ですか、茅野市の観光地は、高度経済成長のときで、恵まれた自然環境、豊かな観光資源、そしてすばらしい景観のもと、多くの方々が観光に訪れておりました。夏、冬だけでなく、シーズン通しての観光客が訪れておりました。家の前の道路が、毎日何台ものバスが連なるとかお客様を運んでいる、そんなのが思い出されております。
その中で、何十年か前の高校時代の話をしていたところ意外な事実がわかりました。それは、飯田長姫高校が、昭和29年の春選抜野球で全国優勝したことを在校生が知らなかったということであります。私たちが当たり前と思っていることでも、こうした交流を通じて知っていくのかと改めて交流の大切さを思い知らされました。
一方、私は、高校時代に朝鮮人の強制連行の歴史を知り、戦後50年目には何人かの堀金に住む戦争体験者を訪ねて話を聞きました。また、国内だけでなく、中国、東南アジアやヨーロッパの戦争の歴史も訪ね歩き、今は市内の戦争の時代の掘り起こしにかかわっています。 安曇野市民の願いである平和な安曇野市、平和な日本、平和な世界をより確かなものにしたいという願いを持って質問します。
先生は菅谷市長の高校時代の汽車通学仲間の同年生でありまして、そんなご縁もあり、快くご参加をいただきました。私も何回かお話しする機会がありましたが、一見難しく身近ではない宇宙のことが、実に身近なものであることを明快にお話ししてくださり、まさに新たな視点で科学館を考える方向づけをしていただいたと本当に感謝をしております。
以前はかなり、私も見たら「こんなになっちゃったんだ」と思って心配したことがありましたけれども、有名進学校への進学が全てではございませんけれども、卒業後の就職や、その後の社会生活、それから高校時代の勉強から有名大学への進学、卒業が大きく影響していることは事実です。今現在の日本の社会構造と言っても差し支えないくらいのことになっていると思います。
私と平山さんの絵との出会いは、高校時代に私も美術班に入っておりまして、年中美術館に入り浸っておりました。油絵を描いていたわけですけれども、その中で、非常に新鮮な形で平山先生のシルクロード、あのラクダの絵、非常にシックな感じで、新鮮に感じました。私もあの絵に非常に感化されまして、いろいろ調べました。