安曇野市議会 2013-12-12 12月12日-05号
満蒙、義勇、青少年義勇軍、これにも大勢の若者が私ども教師が勤務評定のようになって駆り出すというようなことがございました。 本請願の最後にもありますように、特定秘密保護法はこのように国民の目・耳・口をふさぐ暗黒の日本社会をつくるようなものです。既に県下の市町村議会、飯田市、須坂市、飯山市を初め、6町6村でも慎重審議を求めたり、要望書、意見書が出されております。
満蒙、義勇、青少年義勇軍、これにも大勢の若者が私ども教師が勤務評定のようになって駆り出すというようなことがございました。 本請願の最後にもありますように、特定秘密保護法はこのように国民の目・耳・口をふさぐ暗黒の日本社会をつくるようなものです。既に県下の市町村議会、飯田市、須坂市、飯山市を初め、6町6村でも慎重審議を求めたり、要望書、意見書が出されております。
サッカーのような大変経済効果のある話題から一転して、全くほとんど経済効果のない話題で申しわけないんですけれども、大変古い話題で満蒙開拓青少年義勇軍について少し質問いたします。 答弁を求める者は、市長、教育長、総務部長にお願いいたします。 早速ですけれども、旧堀金村の倉田という地籍に日輪舎という建物があります。2009年、ついこの間ですけれども、国の文化庁の登録有形文化財に指定されております。
今日八日、全国一、満蒙開拓団や青少年義勇軍を送り出した長野県裁判が長野地裁で行われております。十二月八日、市長には改めて平和と憲法、教育基本法への思いをお聞きいたします。 次に、私は市長に何度でも提案し続けますが、日本非核宣言自治体協議会への加盟です。これまでの答弁は、負担金の支出、協議会の総会、全国大会、研修会への出席が長野市の平和活動に有意義か判断し難い、当面加入は見送るとの繰り返しでした。
また、長野県は、さきの戦争において、全国8万人の満蒙開拓青少年義勇軍のうち、7,000名という最大の青少年を送り込んだ県であります。戦争が子供たちにどのような運命を押しつけることになるのか、長野県の教育界は学んだのではなかったでしょうか。この点に関して、教育を大切にしたいとする市長の考えをお聞きしたいと思います。なぜ、「平和」を取り去る必要があるのでしょうか。 2点目であります。
かつて、全国一、あの悲劇の満蒙開拓団、青少年義勇軍を送り出した長野県、松代大本営という戦争遺跡を有する長野市、平和の祭典オリンピックを開催した長野市、私たちその長野市の議会、この歴史の岐路に立って、憲法を守り、平和を守る先頭を歩まなければならないのではないでしょうか。
五十数年前のあの侵略戦争、国家総動員法という当時の有事法制のもとで、農業をする自由も奪われ、満州という他国の領土へ開拓農民として、また青少年義勇軍として強制送出されたことを。
また、多くの住民を満州開拓移民に動員し、そして、少なくない少年を青少年義勇軍、青少年義勇隊として中国東北部に送り、多数の犠牲者を出しました。私たちは今こそ、ここから教訓を学ばなければならないと思います。地方自治体が日本国憲法に違反して行われる戦争や軍事行動を支持し、また協力するなどということは、絶対にあってはならないことであります。
私が実際に経験した青少年義勇軍の送出のことであります。昭和十三、四年ごろ、盛んに長野県から開拓団として満洲、今の中国東北地方へ移住していきました。その数は日本一で、このことはアジアの民衆にとっても、日本の民衆にとっても消えないきずとなりました。また、一般開拓団とは別に、小学校高等科や中等学校生徒から満蒙開拓青少年義勇軍が募集され、十四、五歳の安上がりの軍隊として開拓地の防衛に派遣されました。
かつて長野県の教育界は満蒙開拓青少年義勇軍輸送数日本一という大きな過ちを犯しました。上意下達の締めつけがなされているとしても、研ぎ澄まされた人権感覚をもって不当な支配に追随しないという良心に基づく強さを持っていただきたいと思います。 卒業式や入学式には子供の発達の年代にふさわしく、心を込め感動的な歌える歌を取り入れてほしいと思います。低学年の子供がただ高学年にまねて口ずさむ。
「日の丸」「君が代」が持つ血に塗られた歴史の意味は、日本帝国主義侵略戦争の歴史と切り離して考えることはできないとし、最後に私たち年輩者の会は「日の丸」「君が代」は、あの侵略戦争に国民を駆り立てたシンボルであった時代の体験者として、かつて満蒙開拓団青少年義勇軍の送り出しにおいて、全国1位であった長野県の教師とし、その復活を断じて許さない。」と結んでおります。