30件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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安曇野市議会 2019-03-05 03月05日-04号

阿智村の満蒙開拓平和記念館には、満蒙開拓青少年義勇軍に関する顕示があります。高等小学校学童たちは、教員の強引な説得で満州に向かわされました。入隊を決意するまで校長室に立たされたといいます。信濃教育会は当人の意思を無視して、全国で最多の青少年満州に送り込みました。学徒兵遺稿集、「きけ、わだつみの声」に掲載されている詩記は原則1人1編です。唯一2編が掲載された人がいます、上原良司です。 

安曇野市議会 2018-09-18 09月18日-04号

戦没者追悼式という、この戦没者ですが、戦争で命を落とされた方とすると、軍人、軍属だけでなく、満蒙開拓団報国農場満蒙開拓青少年義勇軍あるいは満州建設の関係で奉仕隊というようなものも発見されたと思います。あるいは、空襲被害者等も含まれていると考えますが、この点について、戦没者をどう捉えるか伺います。 

須坂市議会 2017-03-17 03月17日-05号

このことで、信濃教育会汚名挽回のため、15歳からの未成年者満蒙開拓青少年義勇軍を募り、満州移民創出の先頭に立つという過ちを犯すことになります。ここ上高井郡においても多くの人が満州に渡り、辛苦をなめ、帰らぬ人も多数に上るという痛恨歴史があります。 戦後、治安維持法は、日本ポツダム宣言を受諾したことにより、政治的自由の弾圧と人道に対する悪法として廃止されました。

飯田市議会 2017-03-08 03月08日-03号

一般開拓団の集まりが悪くなると、満14歳から17歳の満蒙開拓青少年義勇軍を渡満させた。まさに中学生ですね。満蒙開拓の約3割は、この青少年義勇軍だったそうです。満蒙開拓国策として進められ、当時の行政も教育界送出に大きくかかわっておりました。 開拓団として募集されたが、旧満州に行ってみたらそこにはもう家も農地もあった。大切な家や農地を、日本人に半ば強引に奪われた現地の中国人たちの悲しみと憎しみ。

飯田市議会 2016-12-08 12月08日-03号

長野県は、満蒙開拓青少年義勇軍というのが、かつて戦時中にあって、全国一多い、約6,000人を送り出したそうです。下伊那は、そのうち、やっぱり1,100人も送り出して、約1,200人送り出したそうです。そのうち216人が犠牲になって帰らない人になってしまったそうです。この送り出した人数も犠牲者数長野県内で、飯田下伊那が一番という多くなっているそうです。

飯山市議会 2016-09-08 09月08日-03号

それから、あともう一点は、やはり青少年義勇軍の問題も、この飯山のまちから非常に多くの方々が行って亡くなられております。それについてもまだ学習が不十分だと思います。 それから、さらにもう少し突き詰めていきますと、飯山市内防空警戒哨という、いわゆる今の言葉で言えば戦争遺跡と呼ばれる、そういう施設があったわけでございます。

千曲市議会 2015-06-23 06月23日-05号

戦前満蒙開拓青少年義勇軍送出全国一という忌まわしい歴史を持つ長野県、もう二度と、こうした惨劇を繰り返してはなりません。 なぜ、大人は2度も戦争をとめられなかったのですかと、子供たち、若者に問い詰められないためにも、法案の廃案を強く求めるわけであります。 以上、地方自治法第99条の規定により、意見書提出を求めるものであります。 

千曲市議会 2015-03-23 03月23日-05号

戦前長野県は満蒙開拓青少年義勇軍全国一送り出した歴史があります。その主要な任務を課せられたのは、当時の教員でありました。国策の名の下に教え子を戦場へ送り出し、多くの犠牲者を出した責任は決して軽くはありません。私はそうした過去の歴史を知る教育出身であり、あの侵略戦争に命がけで反対した共産党の一員だからこそ、このナショナリズムあるいは戦争につながる愛国心の文言に危機感をこだわるわけであります。 

長野市議会 2014-12-01 12月04日-02号

かつて長野県は、国策に忠実に全国一、満蒙開拓団青少年義勇軍満蒙の地に送り出し、悲劇的結末を招きました。しかし、あの時代でも、入植地中国人から収奪したと知り、ただの一人の村民も送り出さなかった村長がいたことを市長御存じですか。市民の命と暮らしを守る市長として、東北からの呼び掛けに応えませんか。見解を伺います。 

飯田市議会 2014-09-05 09月05日-03号

◆16番(後藤荘一君) かつて青少年義勇軍を送り出して犠牲を出したという反省が、飯田下伊那にはあります。下伊那が1,111人、犠牲者が216人という記録があります。長野県全体では6,939人、犠牲者は1,360人と、下伊那が圧倒的に多く送り出して、犠牲を出しています。 また、市長がいつも言っている、一旦飯田を離れた子供たちがいつかは帰ってくると。

大町市議会 2014-06-16 06月16日-04号

また、14歳で満蒙開拓団、その後、青少年義勇軍を経て地獄を見たと語る県内在住北信土倉さんは、首相は集団的自衛権行使容認を目指しながら、一方では、再び戦争をする国には断じてならないと強調するが、土倉さんは、そんな口約束は絶対に信用できない、国民にその選択肢しかないと思わせ始めたときが一番危ないと語っております。私も戦後の日本歴史を見るに、そのとおりであると考えるところであります。 

千曲市議会 2014-06-13 06月13日-04号

当時、満蒙開拓青少年義勇軍長野県は全国一送り出していきましたが、その中心的役割を担ったのが、当時、残念ながら直接市町村長管理下におかれた私の先輩の教員たちでございました。その結果、長野県から5,400人余り青少年たち満蒙の地へ義勇軍として送り出され、帰還者は約3,900人余り。1,500人余り犠牲者を出してしまったわけであります。

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