1105件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

上田市議会 2019-11-02 12月03日-一般質問-03号

阪神・淡路大震災においても、地域のネットワークによる安否確認や迅速な救助活動が行われ、多くの人命が救われたと聞いております。市民皆様には、日ごろからの地域のつながりを意識を持ちながら、より一層深めていただき、地域のさまざまな団体とともに支え合いながら、災害に強い地域をつくるために市民皆様官民協働で取り組んでまいりたいと考えております。 以上でございます。

松川村議会 2019-09-18 令和 元年第 3回定例会−09月18日-02号

災害がないということは非常に歓迎をすべきことですが、阪神淡路大震災新潟中越地震東日本大震災などでは災害に際して女性ニーズに対する配慮が不足していたと報じられておりました。着がえ場所であるとか支援物資、衣類、トイレ、シャワーなど女性目線での災害時の対応が必要となっております。現行、村の防災対策計画は警察、消防、行政関係者などの男性目線が中心の計画なのかなというふうに感じております。  

松本市議会 2019-09-10 09月10日-03号

平成26年9月定例会で、私は阪神・淡路大震災の際の避難所における震災関連死の3割の死因が心筋梗塞や脳梗塞であり、トイレを我慢することによって水分摂取を控え、血流が悪くなり死を招いたということを申し上げました。避難所における災害関連死の原因の一つが劣悪なトイレ環境であり、その対策の必要につきまして、当時、兵庫県がつくりました避難所におけるトイレ対策の手引を通して申し上げたところでございます。

茅野市議会 2019-09-06 09月06日-03号

総務部長伊藤弘通) 阪神・淡路大震災以降ということで、市の職員を派遣した災害についてちょっと説明をさせていただきます。 平成7年、阪神・淡路大震災でございますけれども、こちらでは給水車職員を派遣しまして、給水活動支援を行ったということでございます。続きまして、平成16年の新潟県の中越地震関係では、建物応急危険判定の業務、こちらの支援を行ったところでございます。 

安曇野市議会 2019-06-17 06月17日-02号

このリュック阪神・淡路大震災きっかけで生まれたそうですが、当時避難所ではストレスと空腹で泣く子供たちが多かったということです。精神的に不安定になりやすい避難所では、こうした子供たちに対して一部の大人が心無い言葉でどなるということもありまして生まれたこのリュックは、緊急時でも子供たちが笑顔でいられるよう、被災した母親たちが考案をしたそうです。

千曲市議会 2019-06-05 06月05日-04号

長崎県雲仙・普賢岳で発生した火砕流、北海道西沖地震で襲った奥尻島の大津波、阪神淡路大震災、新潟中越地震東日本大震災、御嶽山の噴火、北関東豪雨による鬼怒川の決壊、熊本震災、そして昨年の西日本豪雨北海道胆振東部地震土砂災害記憶に新しいところです。命名された災害だけで3万人を超える犠牲者がでました。そのことから、自治体の防災行政に寄せられる市民の期待はますます大きくなっています。 

中野市議会 2019-03-07 03月07日-03号

阪神・淡路大震災では約31万人が避難生活をし、避難所閉鎖までに6カ月を要し、原発事故で福島県双葉町の住民が避難した埼玉県加須市の避難所閉鎖は2年9カ月後でした。 一たび災害が起きると、避難所は、住まいを失い、地域での生活を失った被災者のよりどころとなり、また、在宅で不自由な暮らしを送る被災者支援拠点となります。 避難所は、あくまでも災害で住む家を失った被災者が一時的に生活を送る場所です。

伊那市議会 2019-03-07 03月07日-03号

で、この土地につきましては、平成3年の12月、神戸市に本社のある本高砂屋というお菓子の会社が、ここに立地をするということで購入をした土地でありますが、阪神淡路大震災これによってこの本高砂屋さんも大変な被害を受けて、立地を断念をしたという経過があって、その後、平成16年3月に伊那市に寄附というかたちでお受けをしたものであります。

千曲市議会 2019-03-07 03月07日-05号

転機は阪神淡路大震災あの震災で、豊中市は最大被災地となり、家屋の全半壊が1万5,000棟以上、たくさんの人が潰れた自宅の下敷きになり、御自身を含め、助け出してくれたのは、ほとんどが近所の親しい人たちでした。 この震災経験を通して、コミュニティーとは、近所に住んでいるだけでなく、つながり合っていることであると学んだといいます。

千曲市議会 2019-03-05 03月05日-03号

平成は戦争のない時代でしたが、阪神淡路大震災の後も日本では多くの震災豪雨による水害土砂災害等に見舞われました。悲しみを乗り越え、想像を超える状況の中、被災された皆さんが踏ん張って力強く生きていることに心から敬意を表し、観光や買い物などを通してエールを送っていきたいと思います。 

松本市議会 2019-03-04 03月04日-02号

阪神淡路大震災、新潟中越地震新潟中越沖地震及び東日本大震災において発生をしました救援物資に関する問題は、阪神・淡路大震災では、がれきによる道路閉鎖により、被災地内への救援物資搬送は車両の流入が困難であったということ、それから新潟中越地震では、企業個人からのさまざまな救援物資が無秩序に搬送される問題が発生をし、その後、個人からの物資を抑制することにより仕分けなどの作業が改善をされたが、民間企業

安曇野市議会 2019-03-04 03月04日-03号

そこで、30年続いた平成時代はどんな時代だったろうと考えたとき、私は、経済面では、バブルが崩壊し、失われた20年と呼ばれる低成長期に突入したこと、自然現象面では、平成7年の阪神淡路大震災23年の東日本大震災、28年の熊本震災等大きな災害が多かった時代だと思っております。 本市は、糸魚川-静岡構造線断層帯にかかっており、熊本地震後、地震発生する確率が最も高い地域だと言われております。