18件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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軽井沢町議会 2012-06-13 平成24年  6月 第1回定例会(6月会議)-06月13日−03号

完成の暁には、氷都を苫小牧市から軽井沢町に遷都したい、正直そんな思いで臨んだ視察でしたが、結果は、苫小牧市の取り組みにどうやって近づけることができるか、それほどまでに遷都は遠いことを知らされた視察でもありました。  例えば、この6月、アイスホッケー場白鳥アリーナの稼動予定表は、30日のうち、6月1日を除く29日間、ほぼ毎日でございますが、ジュニア育成や女子代表合宿等で埋まっています。  

安曇野市議会 2011-09-20 平成23年  9月 定例会-09月20日−03号

近年で成功したキャラクターの例としては、平城京遷都1,300年祭のせんとくん、それから彦根城築城400年祭のひこにゃんなどが話題になっております。  また、マスコットキャラクターは、すべてのイメージをあらわすというのはなかなか困難であります。ある程度目的別に、そのマスコットキャラクターが作成されているという傾向がございます。

長野市議会 2011-06-20 平成23年  6月 定例会-06月20日−03号

石原都政で一番悪かったのは、首都の分散、遷都なんていうことを全然考えなかったことが私いけなかったと思うんですが、今、もう分都という話がいろいろ出ております。その中において、環境省を持ってこれるぐらいですね、環境省長野だというぐらいに頑張って取り組んでいただければと思います。  最後の質問にまいります。  

上田市議会 2010-02-09 平成22年  3月 定例会(第1回)-02月09日−一般質問−03号

ことしは710年に平城京遷都してから1300年、741年に信濃国分寺建立の詔が発せられ、750年に信濃国分寺が建立されました。旧上田市議会質問でも信濃国分寺について触れさせていただきましたが、信濃国広しといえども、この上田地域に国分寺が建立された事実は大きな意味があると感じております。  詔では、「それ造塔の寺は、兼ねて国の華なり。必ず好処を択んで、実に長久なるべし」とあります。

須坂市議会 2004-09-09 平成16年  9月 定例会-09月09日−04号

昭和19年8月、第二次世界大戦太平洋戦争の末期を本土決戦で戦うことを想定して大規模な松代遷都計画が東条首相によって決定されました。これによりますと、皇室を初め政府機関、軍機関、NHKなどなど国の主な機関を松代に移すために、昭和19年11月11日から、いわゆる松代大本営工事が開始されました。この決定に従って、昭和19年末から昭和20年夏までの間、軍が次々長野県に移されてきました。

長野市議会 2002-03-11 平成14年  3月 定例会-03月11日−03号

また、この遺跡は、文化庁も調査するということで大変重い位置付けになっており、広島の原爆ドーム、世界遺産に匹敵するものと、戦時考古学者、近現代史の専門家は高い評価をしており、天皇を中心に遷都するという計画の下に造られたものですから、その規模といい内容といい本当に大きなもので、地下壕としては世界でも最大のものです。  

松本市議会 1996-06-18 松本市議会 会議録 平成 8年  6月 定例会-06月18日−03号

そこで1回目の質問では、松本遷都検討の歴史を振り返ってみます。歴史的に見ますと、松本は、日本書紀に出てくるように、天武天皇の時代、松本遷都が検討され、白鳳13年、西暦684 年ごろに束間温湯、今の美ケ原温泉に行宮造営が決まりましたが、2年後の白鳳15年に天武天皇が崩御され取りやめになったという経緯があるようです。

茅野市議会 1996-06-13 平成 8年  6月 定例会-06月13日−05号

この場合、地方分権を初めとする国政全般の改革との連携のもとに、いわゆる政経分離を図り、政治の中心は新首都に、そして経済の中心は東京にということであろうというように思いますが、新首都には政治行政機能の移転が行われるということでありまして、首都とは何かという問題が実はあるわけでありまして、首都移転ではなく遷都ではないかという問題もいろいろ議論があるところでありますが、長くなりますのでその点は割愛をさせていただきますが

塩尻市議会 1996-03-06 平成 8年  3月 定例会-03月06日−02号

東京一極集中の是正から、松本平への遷都、また筑摩圏構想もこの範疇に入るのかもしれません。財政を伴った地方分権となれば、住民による手づくりの自治も夢ではありません。国から見たとき、地方が適切に権限を行使できるかといった地方行政の不信感もあるかと思いますが、首長をはじめ議会職員・住民が一丸となって意識改革を行うことで十分対応できるものと確信いたします。

松本市議会 1993-06-17 松本市議会 会議録 平成 5年  6月 定例会-06月17日−05号

一極集中、遷都の言葉が話題になってから久しくなります。情報化社会の中で地方都市でも、東京情報、世界の情報は入手できる世の中となっています。しかし情報化社会といえども東京抜きでは地方行政ができない、情報化時代であればこそアンテナ的役割と日常の対話が大切であり、中央の情報を早く入手することが必要であるとも言われます。また、東京は国の各種補助事業の動きが入手できやすく、広く社会情報が集中します。

松本市議会 1991-12-10 松本市議会 会議録 平成 3年 12月 定例会-12月10日−03号

日本のへそである松本は、前長野士郎岡山県知事、前岸大阪府知事が提起された松本遷都論はご存じのとおりであります。海岸は避け、高地で乾燥し品位の高い土地柄の地域がよい。具体的には、地理的に日本の中位に位置する信州松本周辺が最適と言われております。  また、松下幸之助さんも、当地域は今後我が国のみならず、世界の人々の憩いの場、交流の場、教育の場としての役割を果たしていくことになると言われました。  

松本市議会 1991-06-18 松本市議会 会議録 平成 3年  6月 定例会-06月18日−03号

過去、遷都論議の際に、長野岡山県知事は、海岸は避け、高地で乾燥し品位の高い土地柄がよい、具体的には地理的に日本の中心に位置する信州・松本周辺が最適であると。また、故松下幸之助氏は、中部山岳地帯が今後、我が国のみならず世界の人々の憩いの場、交流の場、教育の場として大きな役割を果たしていくこととなると。

須坂市議会 1991-03-08 平成 3年  3月 定例会-03月08日−02号

また、地球的にはブラジルのリオデジャネイロもブラジリアへ、近いことでは京都より東京遷都があったのは御存じのとおりです。  そこで、小布施の元三田議長様へそのことを言いますと、兄貴分の須坂市が提案すべきとのことであり、私もそのとおりと思います。また高山村の八町議員も、須坂市次第で高山もそうしなければだめだということでありました。

松本市議会 1989-03-07 松本市議会 会議録 平成 1年  2月 定例会-03月07日−02号

この動きは具体的なものとして中央から地方への機能分散、遷都論あるいは分都論、さらに中央新幹線の伊那谷、木曽谷への乗り入れ構想、そしてまた若干次元は異なりますが、「ふるさと創生」というキャッチフレーズのもとに、みずから考えみずから実践する地域づくり事業が華々しく打ち上げられました。これは地方が知恵を出して中央が支援するという、これまでとは全く異なった発想に基づいたものであります。

長野市議会 1988-06-10 昭和63年  6月 定例会-06月10日−02号

太平洋戦争末期、松代を中心に旧雨宮村、安茂里、小市、旧須坂町、鎌田山、臥竜山に至る善光寺平一帯に宮内省を初めとする海軍省など、大遷都計画が始められ、これが松代の大本営跡として残っているわけであります。  本土決戦に備えた、想像を超えるこの計画こそ、日本がそこまで追い詰められながらも、戦争をしていた唯一の我が長野市に残された平和を希求するところであります。

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