下諏訪町議会 2021-12-08 令和 3年12月定例会−12月08日-04号
最近、昔の写真を大増旅館で見つけましたら、江戸時代の主要街道であった中山道と甲州街道の分岐点で、温泉豊富な宿場町として栄え、後には製糸の町として、戦後はオルゴールや時計を中心とする産業の町として躍進してきたと書かれていました。 昭和33年7月1日付の人口は2万7,500人となっておりますが、現在は人口2万人以下になっております。
最近、昔の写真を大増旅館で見つけましたら、江戸時代の主要街道であった中山道と甲州街道の分岐点で、温泉豊富な宿場町として栄え、後には製糸の町として、戦後はオルゴールや時計を中心とする産業の町として躍進してきたと書かれていました。 昭和33年7月1日付の人口は2万7,500人となっておりますが、現在は人口2万人以下になっております。
下諏訪町は江戸時代の五街道のうち、中山道と甲州街道が出会う宿場町として知られてきました。五街道で合流するのは下諏訪と、東海道と中山道が合流する滋賀県の草津、その2か所しかないんです。そうした特殊性を十分地元が理解しながら取り組んでいけばと思っています。 甲州街道は下諏訪宿が終点ですが、中山道は下諏訪宿の東西に幾つもの宿場が連なっており、現在も重要な観光資源として取り組まれています。
下諏訪町は「中山道と甲州街道が出会う 大社といで湯の宿場まち」であり、先人たちが大切に守り残してくれた、信仰と歴史と文化、温泉のある暮らしや自然環境が、この先を生きる子供たちのために、50年100年先まで誇れるように維持されることを望みます。 つきましては、以下の項目を町へ要望します。
◎町長 この事業につきましては、私が選挙の公約でお約束をした重点施策の一つということでございますけれども、当町は特に江戸時代、それ以前から諏訪大社の門前町としての発展をしてきて、特に江戸時代におきましては五街道のうちの2街道、中山道、甲州街道が合流する交通の要衝の地というところで、下ノ諏訪宿として大変なにぎわいを示していたというふうに思っておりまして、そうした歴史の積み重ねの上に我々が今現在暮らしている
諏訪大社秋宮周辺、江戸時代に下ノ諏訪宿として中山道、甲州街道が合流する場所であり、また諏訪大社の門前町として栄えてきたこの場所でございます。古くからにぎわった下ノ諏訪宿のところを今後も多くの観光客の皆様に訪れていただいて、またこの町に住む人々、一人一人が住みたい町、元気な声が響く町ということを実感いただけるように実現をしていきたいというふうに考えております。
◎町長 当町は古来から、お諏訪様の門前として栄えてきたというところでございまして、江戸時代には特に五街道のうちの2街道が合流する場所ということで、中山道、甲州街道、それぞれ旅人等が行き交う場所として、人々の交流がしっかり行われて歴史と文化を育んできた町というふうに捉えられるというふうに思っております。
また、黒曜石の産地としての遺跡発見100年を迎える星ヶ塔遺跡、中山道と甲州街道の交わる街道唯一の温泉のある宿場町でもあります。そして、諏訪大社や古墳の散在する自然と歴史と文化の豊かな町でもあります。 これらの環境を観光に生かすことはもちろんですが、保護・研究を深め、学校教育などで次の世代・時代への継承、資料提供などで町民の関心を高める取組を進める必要があると思います。 そこで伺います。
また甲州街道の起点で、中山道とも接するために物流の拠点でもあったため、問屋が栄えていたと言われています。このような特色を持つ下諏訪宿の旧本陣改修、旧綿の湯復元、旧問屋の復元を一くくりとした町並み整備が要望されています。町として今後の検討計画についてお聞かせください。よろしくお願いします。 ○議長 町長。
野沢は、甲州街道と富岡街道が交わる位置にありまして、明治の終わりから大正にかけ繁栄し始めました。そして、昭和の初期に全盛期を迎えた佐久地方きっての商業地的な大きなまちでございます。大正4年には中込駅が出来まして、中込も新興のまちとして発展の一途をたどりました。成田山界隈、今のぴんころ地蔵がある一帯には、当時、多くの料理屋とか、料理屋さんに芸者さんを手配する検番、置屋などもあったようです。
今回の部局移管を契機に、町のキャッチフレーズ「中山道と甲州街道が交わる街」にふさわしい、極めて特殊な文化遺産のある町として、沿線に隣接する名所旧跡を線や面で結び、個人や地区、旅館で所有する文化的資源をオープンにし、地元住民や観光客に見える化を図ることにより、より興味の深いまち歩きとなり、滞留時間の延長に資するのではないでしょうか。
それからやはり先般も村と町の議論が出ましたけれども、甲州街道とか中央高速沿いで、要はインターから5.5キロで原村役場まで来ると。そういうやっぱりロケーションの中で美しい村というのは原村しかないということで、これは私は非常に大きな売りだというふうに思って、いろんなPRに努めておると。
中山道と甲州街道の宿場町として街道沿いを中心に栄えてきた歴史と、面積の2割程度に居住地が密集するコンパクトな町ですから、道路施策の構築の難しさを感じてきたからです。町民の安心・安全の基本として、町民が毎日の生活で利用される道路として、また観光地をうたう町として、観光客にも安心して楽しく歩いていただける道路を望んできました。
私はこのロケーションといいますか、中央高速といいますか、甲州街道から名古屋方面の中で美しい村というので加盟しているところは、多少入った、高速よりも何時間とかそういうところもあるでしょうけれども、少なくとも私はロケーション的に諏訪南インターから役場まで5.5キロ、7分ちょっとくらいだと。それからあと、樅の木荘までは10分ちょっとくらいで行けると。
佐久甲州街道、富岡街道の交点であった中込橋場は、大正4年に佐久鉄道中込駅が開業したことを契機として急速に発展し、商店、旅館、運送店、資材店などが集積しました。そして戦後、中込橋場は岩村田、野沢と並んで佐久市における商業の中核を担ってきました。1969年に中央名店、1978年にパラスいちかわという地元資本の寄り合い百貨店が開業すると、中込橋場は商業地としての中心性を更に高めました。
また、そのほかに長野県内の市町村の相互応援協定、甲州街道12市の相互応援協定も締結をしています。 これらの締結先の自治体との連携につきましては、人事異動や組織改編等が行われる場合もありますので、定期的に連絡先の確認を行っています。また、防災上の課題がある場合には情報交換なども行っています。
そういった中で、茅野市はやっぱり甲州街道という大きな街道があります。金沢宿、あと、間宿というのが茅野市にはあります。そういったところを使ったまち歩き、そういった取り組みは今どんな状況なんでしょうか。 ○議長(篠原啓郎) 産業経済部長。
下諏訪町のキャッチフレーズは「中山道と甲州街道が出会う 大社といで湯の宿場まち」ということです。大社と出湯、この出湯、すなわち温泉について質問をしていきたいと思います。
野沢地区は、佐久甲州街道と富岡街道の結節点であり、古くから市街地が形成された歴史と文化のある地区です。野沢バスセンターを中心とする佐久市立地適正化計画の都市機能誘導区域や、その周辺を見ていきますと、国や県、広域連合などの機関を始め、生涯学習センターである野沢会館、保育所・幼稚園といった子育て施設、小・中学校や高等学校といった教育施設が高密度に立地をしています。
│ │ │3 JR東日本のあずさ停車駅減改正について │ │ │ ├──┼────────────────────────┼──┼───────────┤ │ 6│1 町民要望について │ 9│中村光良‥‥‥‥168│ │ │2 複合福祉施設設置条例改正のその後について │ │ │ │ │3 中山道と甲州街道
上諏訪には豊富な温泉が湧き、冬には御神渡り、夏は湖上花火と、下諏訪町には中山道唯一の温泉宿場もあり、甲州街道の最終地点、皇女和宮も宿泊した伝統ある町、これらのすぐれた2市1町の特色を一帯として全国に発信すれば、知名度が上がると思います。 私は今回の合併協議会設置の署名集めを担う1人だったのですが、お願いする皆様、誰ひとり反対する人なく、頑張ってと励まされた言葉をいただきました。