千曲市議会 2022-06-06 06月06日-01号
これも、ひとえに歴代の議員の皆さん、そして歴代市長はじめ職員の皆さん、市民の皆さんに御指導御鞭撻を頂き、また御支援を頂き、そういったお助けのたまものと心より感謝を申し上げます。 私、平成11年に上山田町の議会議員として当選をさせていただき、その後1市2町合併、千曲市の誕生のときに合併特例で千曲市の議会議員になったわけでございます。
これも、ひとえに歴代の議員の皆さん、そして歴代市長はじめ職員の皆さん、市民の皆さんに御指導御鞭撻を頂き、また御支援を頂き、そういったお助けのたまものと心より感謝を申し上げます。 私、平成11年に上山田町の議会議員として当選をさせていただき、その後1市2町合併、千曲市の誕生のときに合併特例で千曲市の議会議員になったわけでございます。
その主眼は、歴代市長と同じように経済活動中心であり、国の自公政権の方針に忠実に沿ったものであり、市民生活擁護の視点は乏しかったと感じております。 来年度の予算案について申し上げます。 マイナンバー予算は、今年度12月議会の補正予算でも大幅に増やされてきましたが、さらに、来年度は約6倍になっています。
これも歴代市長、職員、また議会の皆様の、いろいろ様々な御努力のたまものであるというふうに思っております。 初めに、公約の成果と反省についてお答えいたします。 私は公約として、守る、育てる、つなぐの3つの大きな柱を政策の中心に据えて、議会と市民の皆様、職員と共に取り組んでまいりました。
千曲川の堤防強化も含めまして、その後、河川整備の事業促進に当たりましては、歴代市長さんを先頭に、飯山市千曲川等災害対策連絡協議会、また北信地域で構成します同盟会によります国並び県への長年にわたる粘り強い要望活動等が重要な役割を果たしてきたものと認識をしておるところでございます。
新市長は、選挙戦で、茅野市の可能性を今まで以上に引き出し、有機的に結びつけて力強い茅野市をつくるとし、また、歴代市長が引き継いできた公民協働のまちづくりの充実などの施策を訴えていました。また、当選後は、市民や職員との対話を重視する方針を改めて打ち出しています。それらを踏まえ、今後の市政に対するお考えや方針についてお伺いいたします。 1としまして、市長、市議会議員一般選挙の総括について。
千曲市は、歴代市長の宮坂市長、近藤市長、そして、現職の岡田市長により、合併促進の優遇策である合併特例債を、1市2町が一体となるための施策として最大限利用し、冠着橋建設、(仮称)千曲線建設、戸倉上山田中学校改築、第1学校給食センター移転・新築、小中学校の耐震診断、新白鳥園建設、新更埴体育館建設、新庁舎建設などを進めてきました。
それだけ歴代市長は議会を重んじてきたものと思っていますし、私も元市職員として、また元議会事務局職員9年間の経験からしても、行政は市議会を重んじてきたと思っています。それは市民が直接選挙して選ぶのは市長と議員だけでありまして、この二元代表制こそが民主主義の基本であり、市民の要望を実現し、市民福祉向上のため、市民の皆さんが支えてきた須坂市議会という存在であったと思います。
「私の提言」は歴代市長からも続いておりますが、2期目に入っております池田市政におきまして、これまで、返信はがき、ファクス、メール等の受け付け状況はいかがでしょうか。また、あわせて、どのようなご意見等が多いのでしょうか。お伺いいたします。 そして、当然、提言に対する返答というのが、まずもって大切だと思います。
40年余にわたり、歴代市長の才覚や力量、真のお姿などを拝観し、特に民間御出身の唐木田さんの先見性と経営的センスや、玄界灘を渡り苦難を乗り越えた稲玉さんの気迫などから、政治は創造であり、常に郷土の魅力の発掘に努め、市民には夢と希望を、そして誰もがここに住んでよかったといった誇りと実感、自信の持てる市づくりを目指すべきである、そうした政道の厳しさを学びました。
それでも市川量造先生、小林有也先生のおかげで売却、倒壊を免れ、戦後も歴代市長が松本城を往時の姿に復元することに情熱を燃やし、降旗市政のもとでは黒門が復元され、和合市政のもとでは黒門枡形が整備され、有賀市政のもとでは太鼓門及び同枡形が復元され、菅谷市政のもとにおける南・西外堀復元事業はその集大成とも位置づけられると考えています。
堀復元のあり方が変わろうとも、松本城の南・西外堀復元事業は、歴代市長が手掛けることのなかった松本の将来を見据えた一大事業であり、完成に向けて引き続きの取り組みを願うものです。そして、本格的な堀の復元は、社会情勢の変化等を見据えながら、将来の松本の夢として、今後、条件が整った段階で工事を実施されるよう要望いたします。
新市建設計画では、まちづくりの基本理念として共生、交流、協働を掲げ、生活圏の拡大と一体化に伴う効率的・計画的な行政の実現、地方分権の進展と行財政基盤の強化、長野県の新たな拠点都市の形成、これを目標に初代宮坂市長、近藤市長、そして岡田市長と、歴代市長が先頭に立ち、市政運営がなされてきました。
◆3番(宮本泰也) 野洲市みたいに一気に5人もとは、あの市は歴代市長がやっぱり市長がその思いの中でやってきているんで、十年来以上にもうやっているところなんですよ。だから、そういう相談のワンストップというかな、そういう制度というかね、もうちょっとわかりやすく市民にやっぱりそういう制度を設けてもらいたいということなんで、ぜひその辺はまた検討していただきたいと思います。
今回の受賞は、ひとえに市民の皆様、歴代の議員各位、また、歴代市長、理事者並びに行政委員会の皆様、部課長はじめ職員の皆様、ご支援、ご協力によるものであり、深く感謝を申し上げる次第であります。 人口減少社会に対応できる中野市づくりのため、経験と想像力を生かし、鋭意努力してまいる所存でございます。
平成の大合併が全国で進められ、須坂市においても、歴代市長の悲願とも思える須高一郡一市の大合併を目指して協議が進められていましたが、小布施町は当初から合併に加わらないと表明したことから、高山村との合併協議が進められていました。最終的には、各市村での住民アンケートの実施結果から、高山村では自立の道を選択との住民意思により、2004年9月、合併協議会が解散し、合併は御破算となりました。
これはひとえに市民の皆様、先輩、同僚議員、歴代市長、職員の皆様の多年にわたる温かいご支援のたまものであり、この機会に深くお礼を申し上げます。 平成15年当時は、小泉内閣からの規制緩和等があり、国内が大きく変わる時期でもあり、まちづくりに関する法令の改正等も再三ありました。
この非核平和都市宣言につきましては、私たちの先輩である伊那市議会の議員の皆さんや、あるいは歴代市長もこぞって取り上げてきたものでございます。で、平成18年9月21日に我々は新たな非核平和都市宣言を決議をいたしましたが、もとは昭和57年の議会において出された非核平和都市宣言でございました。これは全会一致で当時制定されたものでございます。
しかし、佐久平駅の開業は佐久市民の長年の願いであり、市民の新駅設置に寄せる強い熱意や関係方面の皆様方からの力強いご支援、そして沿線地元住民の皆様のご協力のもと、歴代市長さん方を先頭の署名運動や総決起大会の開催、幾度となく陳情を行うなど、懸命な誘致活動を行ってまいりました。
市長は、歴代市長の中で最も上田城による恩恵を受けたお一人として、実戦の上田城を後世に伝えるため、どのような復元構想を描いておいでになるのか。 以上4点をお尋ねし、第1問といたします。 ○副議長(小林隆利君) 母袋市長。 〔市長 母袋 創一君登壇〕 ◎市長(母袋創一君) 私から、大きく2点答弁いたします。
まさに同じ時期を市の歴史とともに過ごしてこられ、現在4期目、市長4期目、歴代市長の中でも最も長く市政運営にかかわるとともに、長野県市長会長という立場である中で、まさに60周年を迎えようとしている今、どのような考えをお持ちか。そしてまた、塩尻の将来展望についてはどのように想像されているのか、抽象的な質問でまことに恐縮でございますけれどもお伺いをいたします。