佐久市議会 2009-08-26 09月02日-01号
同じく教育費の甲冑博物館整備事業費は、一昨年に佐藤博物館から寄贈を受けた甲冑等資料について、東京国立博物館及び米沢市上杉博物館から専門の職員を派遣していただき、学術的な評価をしていただくための経費につきまして、補正をお願いするものであります。
同じく教育費の甲冑博物館整備事業費は、一昨年に佐藤博物館から寄贈を受けた甲冑等資料について、東京国立博物館及び米沢市上杉博物館から専門の職員を派遣していただき、学術的な評価をしていただくための経費につきまして、補正をお願いするものであります。
今議会の市長の所信表明のあいさつでは、甲冑等資料の受け入れ経過や価値などについてさらに検討が必要であり、とりわけ歴史的・美術的な学術評価が大切であることから、東京国立博物館に学術的評価を依頼するということであります。全国には甲冑専門の博物館は京都にある井伊美術館、一つだけであります。年間4,000人、1日13人の入場しかないそうです。
また、東京国立博物館の評価を得た後、何を基準に建設の是非を判断するのか、質問をいたします。 その4として、ごみ焼却施設の建設は、市単独か、佐久広域連合での建設かについてお伺いいたします。 4月27日に行われた佐久広域連合の理事者会において、連合長に選出された柳田連合長は取材に対し、「地域内融和を重視し、佐久市単独による建設にはこだわらない」と述べ、広域一本化を排除しない考え方を示しました。
現在は、バラの咲く期間開催されているバラまつりでにぎわい、また古くから高度な農業技術、製造技術で栽培製造された味の観光となる数々の農産物、食料品があり、またここに来て、ロンドン市、大英博物館、東京国立博物館展示が決定した大俣姥ケ沢の縄文のビーナス、それに柳沢遺跡より出土の銅戈、銅鐸も加わり、大変立派な日本級の観光資源が整ってまいりました。
大英博物館で9月10日から11月22日まで展示会が開かれた後、東京国立博物館で12月15日から翌年の2月21日まで「帰国展」が開催される予定です。この展示会を通して世界の方々に茅野市が誇りといたします縄文文化のすばらしさ、縄文の人々の祈りや願いの一端に触れていただければ幸いと思っております。
とりわけ市民の皆様を初め、多くの方々に甲冑等資料を公開し、活用していくためには、歴史的、美術的な学術評価が大切であることから、東京国立博物館に依頼をして、学術評価を行ってまいります。こうした中で、いただいた甲冑等資料の全体像を把握し、保存、活用の方向性を検討してまいります。 続きまして、都市基盤整備の分野について、3点申し上げます。 まず初めに、中部横断自動車道についてでございます。
あの東京国立博物館でさえ、自立のためにあの手この手の企画を立てています。もちろん膨大なすばらしい所蔵品があるにもかかわらず、いろいろ努力しているわけです。こんな小さな地方の美術館が市民のための市民美術館にならずに、この先どうなるんでしょうか。それとか一晩で300万も400万も足が出てしまう企画のコンサート、1,000人入って250人の須坂の市民です。
それで、ちょっと話はあちこち行きますけれども、なかなかこういう田舎にいますと、口では本物の文化芸術に触れたい、触れろ触れろと言ってもなかなか都会あたりと比べて、そういうハンディがあるわけでございまして、そんな意味で要望につなげたいと思うわけでございますが、実は文部科学省で4月から観覧料の無料に関する施設七つを出してきているわけですが、一つは東京国立博物館、それから京都国立博物館、奈良国立博物館、博物館
博物館については、東京国立博物館、これは東京の上野公園、それから、京都国立博物館、京都茶屋町、それから、奈良国立博物館、これは奈良の二条町、3か所あるようでございます。両方で4か所、3か所ですから7か所あるということですが、具体的にこういうようにあるわけですが、先ほど中学については、修学旅行は、私もいろいろお聞きする中では関西方面がほとんどのようですから、ぜひこれも考える必要があると。
つい先ごろ、上野の東京国立博物館にフランスからドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の絵画が展示されました。まだ実物を見る機会を持っていませんが、豊かな胸をはだけ、はだしで、左手には銃剣を引っ提げている女神です。
私もこの問題について東京国立博物館へ館長あてに手紙を出しまして、実は伝狩野芳崖という、そういう絵が飾ってあるが、この伝というものはどういうふうに理解したらいいかというふうにお聞きいたしましたら、何日かたって、国立博物館の絵画室から手紙が参りました。簡単ですので、読ませていただきます。 「お手紙拝見いたしました。
また、同年7月18日には全員協議会の意見を体して、作品鑑定のため、議会側からは副議長さん、市側からは教育次長ほか2名が東京国立博物館の細野正信先生及び財団法人横山大観記念館へ出向き、細野先生から伝芳崖との書簡をいただいております。さらに、9月9日の本会議において、専決事項についての案件につきましては議員各位より御承認をいただいております。
この印刷物には、東京国立博物館編で、平成2年に発行されて日本の考古学、その歩みと成果と、便利堂からの出版されているものであります。 茅野市の名称は78として土偶1ということで、長野県茅野市棚畑遺跡、昭和62年、1987年発見、高さ27センチと書いてございます。そして、この人面付香炉土器というものについては、これは昭和41年、1966年発見で高さ39センチ、そういうものでございます。
市外に流出している出土品については、展示公開によるような1級品として知られているものといたしましては、御指摘のございました東京国立博物館にあります天王垣戸遺跡出土の玉類 362点と、京都大学考古資料室にあります海戸遺跡出土の縄文土器21点がございます。現法では岡谷市への持ち替えは無理のようでございます。これらは例えば東京国立博物館の場合、最長2カ月間借用して展示することは可能のようであります。
当時、昭和60年7月31日の新聞を見ますと、横山大観記念館の永尾学芸部長や、同じく竹越主事、東京国立博物館、細野正信学芸部長などに鑑定を依頼したところ、狩野芳崖の真筆で晩年の堂々たる作品であると、そういうことを証明していただいたということだそうであります。このときには、当時の所有者である吉田さんや当時の原教育次長、上條博物館長、三沢副議長などが一緒にこの絵とともに行ったそうであります。
1級品といいますか、国宝級といってよいと思いますが--の出土品としては、明治40年に天王海戸遺跡から発見されました勾玉、管玉などの玉類362点につきましては、現在、東京国立博物館に収蔵され、公開されておるとお聞きしております。